世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

落ちこぼれ私塾 無料英語基礎講座

2015年03月18日 | 教育
これからの時代を生き抜くためには、

空気と水の次に必要なものは

それは、

英語だ。


人間はコミュニケーションのできる生き物だ。

その最大の手段が言葉である。

そしてその世界共通語が英語であることは論を待たない。


英語ができないのは、

酒が飲めない以上に人生の半分以上の可能性を無くしていることを意味する。


だが、英語が苦手な人は大概中学のときに決まる。

ここで躓くと、一生を棒に振ることになる。


だから、人生を挽回するために、中学英語の塾を無料で開催することにした。

世界一わかりやすい英語の授業を目指す。

週一、一年間で、英語の成績を3倍以上にアップする。

つまり、現在20点の人を60点以上にする

30点の人なら90点にするということだ。


そして同時に英語が話せるようにする。

スピーチができるまでになる。


世界を歩けば、英語が必須だということがわかる。

日本にいてもそうなりつつある。

いや、もうなっている。

違うという人は、

気づかないだけ、気づこうとしないだけ、気づきたくないだけだ。


英語ができる人はできない人の何倍もの可能性を秘めている。

だから一から英語をやり直して英語ができる人になろう。



毎週日曜日 午後2時~3時30分

フリートークにて行います。


参加費、無料。

参加資格: 小学生から大人まで。

意欲のある人(年齢、性別、国籍は問いません)



大学の生き残り

2015年02月06日 | 教育
少子化に伴い大学生の数が減っている。

多くの大学は生き残りをかけて学生集めに必死だ。


日本が生き残るためには移民が必要なように、

大学もより多くの留学生を受け入れていかなければならない。

つまり、大学のグローバル化の促進だ。


だが、多くのローカル大学、とりわけ私立大学は、

その受け入れ態勢ができていないのが現状である。


大学の魅力もさることながら、

リクルーティングも十分になされていない。



その他課題は多い。

まずカリキュラムの問題。

それに伴う英語による授業。

外国人教員の確保。

国際的な大学等間の共同・連携。

秋季入学制度の採用などなど。



大学が留学生を受け入れるに当たっても、

現在は、研究室の教員に留学を希望する学生が

eメールなどで直接コンタクトをとる方法が一般的で、

受入れ後も教員個人に依存した体制となっている。


このような個人依存の受入れ体制から転換し、

組織的な受入れ体制を構築する必要がある。


そのためには、アドミッションオフィスといった留学生の受入れについての専門的な組織を整備し、

国際交流に関する知識・経験を有し、

英語をはじめとした外国語を使うことができる専門職員や

学問・生活面でのケアを行う相談員を配置することが求められる。


その上で、生活支援

国からの奨学金制度、

宿舎の整備

さらには、卒業後のフォローアップの充実などと課題は尽きない。




昨夜、某私立大学の教授と飲見ながら、ざっくばらんな話をした。

そして、東南アジアからの留学生をもっと受け入れるよう促した。


日本に留学したい希望者は多い。

問題は日本の大学側のハードルが高すぎることだ。


上記の課題をクリアすることをお願いして、

東南アジア、とりわけベトナム、カンボジアのリクルートに関しては引き受けることにした。


東南アジアの優秀な人材を受け入れていかないと、

日本の大学のみならず、日本国全体が衰退することは目に見えて居る。


大学改革にも一石を投じよう。

教育格差

2015年01月26日 | 教育
格差社会といわれて久しい。

今の日本は、あらゆるところで大きな格差がひろがっている。

特に、教育格差。

子供の学力によって、入れる大学に差ができてしまう学歴格差。

そして優秀な人と、そうでない人間に生じる賃金の収入格差。


これらは縮まるどころか拡大を続けており、格差社会にいっそうの拍車がかかっている。


さらにこういった教育格差、学歴格差、収入格差というのはそれぞれが影響して、

世代を超えて格差が継承されて固定化しやすい傾向にある。

つまり ”親の格差が遺伝する” ということ。

親の経済格差が子供の将来の経済格差に影響するのは確かな事実だ。



親が子供に欠ける教育費は半端ない。




塾通いがそれを助長している。

貧乏な家庭は、子供を塾にやることができないから、

必然的に学力に差がつく。


特に受験においては、バカでも塾に通えばそこそこ伸びる。

そこは、頭の良し悪しに関係なく、点数を取るテクニックを教えるから。



では、塾に通えない子はみな成績が悪いのか。

そうではない。

塾に通はなくても出来る子は出来る。


私事で恐縮だが、ボクは塾に通ったことがない。

そして、子供たちも一切通わせたことがない。


当時、お金は子供たちと一緒に遊ぶことに使った。

自然の中で一緒に遊ぶ、そして子供と旅をする。


泳ぎも、スキーも、乗馬も、テニスも、そして英語も親が教えた。

夜は手製の露天風呂に入りながら、満点の星空を堪能した。

火を焚き、料理をし、ナイフで木を削った。

赤ん坊の時から海外に連れて行った。


息子に至っては、小学校に一年以上も通っていない。

不登校ではなく、世界一周していたから。

中学校に入ってからも、学校を休ませて旅に連れて行った。

それを非難する親御さんがいることに驚いた。


幸い、3人の子供たちは立派に成長し3人三様に自立している。

ボクを反面教師として育った子供たちに感謝している。



興味が湧けば子供は自主的に勉強をする。

小中学校の教材は、親が一緒に勉強すればいい。

なぜそれをお金を払ってまで、人に頼むのか。

二重三重に無駄である。

つまり、お金を使わず、親子のスキンシップができ、親子共々勉強できる。



とはいえ、現状、共働きやシングルマザーの家庭など、

そうした時間を割くことが困難なところも多い。


本来子供は、知識を得る喜びを知れば、自ら勉強したくなるものだ。

子供に限ったことではない。

好奇心と向学心を育ててやることこそ親の務めだ。



そこで、今の自分にできることは何か考えてみた。

結果、

塾に行けない中学生に英語を教えることにした。

無償で。


毎週土曜日、午後1時から3時まで、

フリートークで教える。


とりあえず、中学2年生を対象にします。

ご希望の方はご連絡ください。

その他の方は、個別にご相談ください。



子供の夢を潰す親たち

2014年08月03日 | 教育
海外に出る若者がめっきり少なくなっている。

その一因は親にある。

子供のチャレンジ精神を押しつぶすのだ。


先日、同じ日にふた組の親御さんが見えられた。


子供が海外に行きたがっている。

結構なことではないですか。

心配で。

特に女の子はそうですね、分かります。


こうした会話が交わされる。

心配の種は尽きない。


子離れしない親。

子供をいつまでも自分の手元に置いておきたい。

あるいは目の届くところに。

そうした心境なのだろうか。


昔から、可愛い子には旅をさせろ、といわれてきた。

ボクは、可愛いことは(一緒に)旅をせよ、と説く。

もちろん、せいぜい12~3歳くらいまで。

あとは一人で旅に出せばいい。


なのに、なのに、どうしてこうも子供を縛り付けるのだろうか。

親が旅の醍醐味を知らないのだろうか。

きっと、親が旅慣れしていないのだろう。

特に海外旅行を。


20歳過ぎても処女の人が結構いる。

海外バージンのことだ。

一度も海外に行ったことがない。

今は、修学旅行でも海外に行く時代なのに。


ボクの子供は高校の時(息子)、あるいは高校を卒業してすぐ(娘)一人で海外に出た。

出したのではなく、子供自らが出たいといったのだ。

まったく反対はしなかった。

むしろ、もろ手を挙げて賛成した。


不安はあった。

特に単身ニューヨークにダンス留学する娘に関してはあらゆる準備をした。

こうして今彼らは自立した生活を送っている。



親が子供に指図するのはやめるべきだ。

小さい時から、子供のしたいことをやらせればいい。

危ないからといって、転ばぬ先の杖を貸すのいかがなものか。

火に触ると火傷をする、

ナイフを持つと手を切ることは分かっている。


それを敢えてさせることで火やナイフの恐ろしさ、便利さを習得していくのだ。

小さなやけど、小さな傷ならさせてもいい。

それを知らないで育つと、大人になって大火傷や大怪我をする。

それが致命傷にならないとも限らない。


子供が失敗をしないように親が先回りして手を打つ。

そうして育った子供は、一生親離れができない。

親離れしたところで、社会、現実の厳しさに耐えかねて

心を病んだりひきこもるようになる。


これが今の日本の縮図だ。

子育て論議

2014年03月05日 | 教育
今朝、facebook のH氏のタイムラインで面白いやり取りをしましたので掲載します。


H氏は、「子育ては褒めてはいけない」という意見を述べられております。

ボクは、「褒めて育てると」いう持論を展開しました。



あとでこの方のfacebookページを見て驚きました。


なんと職業が、


『協力し合う幸せなよこの関係を広める「熊本こころ相談室」 チーフカウンセラー』

となっていました。


カバー写真には

”Touch for Health 健康法

キネシオロジーによる心身バランス健康法”


なる文字が。



この先入観なしに交わしたやり取りです。


不謹慎にも、後で笑っちゃいました。

では、やりとりの一部始終をどうぞ。



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H氏のタイムライン:


「『自分は役に立っている』と感じるのに、相手から感謝されることや、ほめられることは必要ありません。貢献感は自己満足でいいのです。」

(※小倉広「アルフレッド・アドラー人生に革命が起きる100の言葉」)

私たちは、子どもを育てる時に、絶対にほめません。

ほめるというのは、親の価値観で気に入った時にほめ、気に入らなかったときに叱り、

親の思い通りに子どもをコントロールする方法の一つだと思うからです。


ほめたり叱ったりとコントロールされて育った子どもは、自立しやすいでしょうか?自立しにくいでしょうか?

自立しにくいですよね。

私たちは、子どもに自立してほしいと願っているので、ほめません。


ほめて育てると、

☆ほめる人がいる時は「良いこと」をするけど、ほめる人がいなかったら「良いこと」をしないようになる。

☆ほめられるために手段を選ばないようになる。

☆結果ばかり気にするようになる。ほめられるようなことはするが、失敗するようなことに挑戦するチャレンジャー精神がなくなる。

☆自己受容に、どうしても他人の承認が必要な人になってしまう。自分だけで、自信を持つことができない人になってしまう。

☆人の目ばかりを気にする人になってしまう。


ほめて育てると、その子は不幸になり、苦しみます。やめた方がいいですよ。

だから、私たちは、子どもが自己満足で貢献感を得られるように、勇気づけを行うのです。

え?勇気づけって、、、、、うーん。一口じゃ説明できないなあ。



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これに対しコメントしました。

以下は、そのやりとりの一部始終です。

(カット、脚色は一切しておりません)



かじ えいせい:


褒めて育てましたが、おっしゃるようにはなってません。

負の面だけを見てられるようですが、褒められることで自信と勇気がつきます。

ほめ方とタイミングの問題でしょうね。



H氏:

かじさん。

いいえ。それは、その子にほめたことの負の作用を跳ね返す力があっただけです。

ほめることはできればやめた方がいいと私たちは思う


それに、世間の人が ほめる と表現しているものの中に 

私たちが 勇気づけと呼んでいるものも含まれているようです。


私たちは、勇気づけと上から目線のコントロールのためのほめるを区別して表現しているのです。



多くの子どもには、ほめられたことや叱られたことの 負の作用をかなり跳ね返すことができるようです。

でも、私たちが観察して、他人の承認欲求が高い人が多いのはどうしてでしょうか?

他人の目が気になって仕方がない人が多いのはどうしてでしょうか?

それは、他者承認が必要なように持っていく圧力が家庭でも、学校でも多いからだと思っているのです。



私は、いろんなところでセミナーを開催してきましたが、

ほめたり叱ったりしない方がいいという話をすると、

ほとんどの人が、ほぼ百パーセントの確率で え? と言う反応をされます。


しかし、2時間ほど話すと今までの経験から言うと、皆さん納得されます。


さらに言うと、ほめたり叱ったりする代わりにどうすればいいのかをわかるには、かなりの時間が必要です。


例えば、勇気づけの方法を学ぶSMILE勇気づけの親子・人間関係セミナーは16時間かかります。



そのほめることが横の関係じゃなくて、

上から目線のコントロールのためのたて関係のほめるの場合は、

ほめられることで身につく自信と勇気は、

他者の承認を必要とする他者承認の自信と勇気です。


想定外のストレスが生じた時にもろくも崩壊します。




かじ えいせい:

褒められれば誰でも嬉しいはずです。

おっしゃるように問題はほめ方とタイミングです。

ご機嫌取りのほめ方は見抜かれます。

良いことをしたら褒めるのが当然だと考えます。

おっしゃるように、家庭や学校の問題、つまり大人の問題でしょう。

子供は素直です。

褒められれば伸びるものです。

褒めることを否定するより、ほめ方の指導をなさったほうがいいかと思います。

基本、褒めて育てることをお勧めします。




H氏:

ほめると表現していても、そのほめるが 横の関係の対等な人間としての感動だったり、

感謝だったり、共感だったり、過程や姿勢の注目するやり方だったら、

私たちは、それを 勇気づけ と呼びますが、


勇気づけを受けると、自分の自立したやり方が認められるので、

他者承認の必要ない地震や勇気が育ちます。




かじ えいせい:

おっしゃっていることはわかります。

だから褒めるなという結論は性急すぎるのでは。




H氏:

セミナーなどでやって見せますが、上から目線のほめることをするとかなりの割合の方が不快だとおっしゃいます。

私たちが提唱しているのは、

ほとんどのほめるは上から目線のほめるなので、勇気づけと区別しようという提唱なのです。




かじ えいせい :

心から喜び共感すれば子供は素直に育ちます。




H氏:

ごめんなさい。

ほめない方がいいという主張には、かなりの自信があります。

絶対に撤回しません。


それに、アドラー心理学ではかなりの昔100年前から主張していることです。

かじさんこそ、これだけの文章を読んだだけで理解しておいででないのです。

ほめない方がいいです。



心から喜び、共感することを私たちはほめるとは呼びたくないです。




かじ えいせい:

褒める定義が間違っていますね。



H氏:

なぜなら、成功した時だけでなく、失敗したり挫折したりした時も勇気づけたいからです。


間違っているのはかじさんだと私は思います。


失敗したり、挫折したり、落ち込んだ人にも、私たちは寄り添い、共感し、受け入れるという勇気づけを行います。




かじ えいせい:

僕の3人の子で実証済みです。

本郷さんはお子さんは?



H氏:

2人います。

私も実証済みだし、全世界のアドラー心理学の子育て法を学んだ100万人以上の親でも実証されています。



かじ えいせい:

子育ては学問とは違います。

それこそ上から目線ですね。




H氏:

かじさん。あなたの違う意見を持ち、違う方法を使う人々がいてもいいんじゃないでしょうか?

あなたと争う必要性を感じません。


いいえ。子育てには、学問が必要だと思います。

かじさんこそ上から目線じゃないでしょうか?


かじさん、あなたと正しい争いをする気が これ以上はありません。

私は私の道を行く、かじさんはかじさんの道を行っていいじゃないですか?



以上。



これ以上答えませんでした。

無駄だと思ったので。



単に意見を交わしただけなのに、

争うとか、気がないとか、カウンセラーにあるまじき発言に驚いた。


というか、これがカウンセラーと呼ばれる(?)人の実態なのだ。



「私たちは寄り添い、共感し、受け入れるという勇気づけを行います」

と言っておきながら、墓穴を掘っている。



これでは、異文化を受け入れることなどできない。

グローバル時代にはついていけないだろう。



「私」はと言わず、「私たちは」と言っていることからも

集団主義で自信のなさが感じられる。


日本人はよく羊の群れに例えられるのが頷ける。


心広く持ちたいものだ。



グローバル時代は、

いかに意見の違う人たちと仲良くやっていくかを磨かなければならない。


ダイバーシティ(多様性)とインクルージョン(内包性)の精神こそ必要なのだ。


みなさんのご意見を。

山村留学インターナショナルスクール

2013年03月05日 | 教育
それは山間(やまあい)の長閑なところにあった。




御船町役場から約20分、

役場の方に案内されて清流沿いの曲がりくねった道を走ると

目指す校門が見えてきた。




思ったよりモダンな建物だ。



昭和61年築ということは、築後30年近くたっているということだ。



面白いのは、

小学校と中学校が同じ建物の中にあるということ。


    校門の左側に公学校名


    校門の右側に中学校名

だからといって、小中一貫校という訳でもない。

名前が全く違うの。


これは一口で二度美味しいの例えに等しい願ってもない条件だ。

たぶん全国でもここだけではないだろうか。


    校内見取り図

折れ曲がったへダリ側が小学校で、右側が中学校だ。





校門からいきなり玄関というのも珍しい。

しかも、駐車場は屋根つき。



体育館の下も、駐車スペース。



車が無ければ雨降りでも遊べるスペースだ。




校舎の中へ入れば、またまた驚きの連続だった。


     小学校の方の職員室


     中学校の方の職員室


     畳敷きの教室(広~イ!)


     理科室



     視聴覚室



中は放送機材が残されている。

隣は音楽室。



     給食の調理場。

ここも調理器具がそのまま。


     これは宿直室。

エアコンがあるのがうれしい。


     宿直のためのキッチン

これは普通の家と同じ。



おまけにシャワーまでついている。

もうこのまま泊まっていきたい感じだ。




    そして憧れの(?)保健室。

ベッドがあるぞ。

なぜか保健室と聞くと小中学校時代を思い出す。

痛くもないのに、おなか痛いといってサボって寝たものだ。


それに保健室のセンセー、優しくて美しかったー。




驚くべくは、



こんな教室まで。







機材揃いすぎだろー。

工作大好き―!少年だった。

だから今でも何かを作るのもDIY。




もちろん、プールもあるでよ。


       校庭


ホント周囲は長閑な風景が広がる。




       屋上から見る景色





という訳で、NPOのミッションとしてここをどう使うか。


山間の過疎地に

世界中の国々から集まった老若男女が集う姿が瞼(まぶた)に浮かんだ。


さあ、これからが正念場だ。


チョッと、夢、膨らみすぎ???



もちろん課題は山積。

そんなことは織り込み済みだ。

だから面白い。


こうしたことは、願ってもできないことだ。

この稀有なチャンスを与えてくれた仲間たちに敬意を表し、感謝する。



田舎暮らし3か所で通算34年。

数え切れないほど様々な経験と失敗を積み重ねてきた。

その集大成を人類のためにここで生かす。

(決してオーバーだとは自分では全く思っていないだけに、怖い?)



人生の最終章に、

最大の山場が幾重ものうねりを伴って立ちはだかっている。


この幸運に感謝をし、艱難辛苦に立ち向かえる身を幸せに思う。


命を懸けたミッションが待ち受けている。


この幸せに感謝。











教育革命

2012年10月15日 | 教育
国民性や国の品位、民度は、その国の教育の仕方で決まる。


何をどう教えるか。

それによって個人レベルはもちろん、国民意識を大きく左右する。


特に、歴史と英語の影響力は大きい。


日本における英語教育の失敗は誰もが認めるところだ。

つまり、受験英語を偏重した結果、

日本人の英会話力は世界で最も低い水準にあることは今や周知の事実だ。


特に、正解を一つとする思考方法が、応用力を極端に低下させている。

世の中には、正解が複数あるもの、

あるいは、正解がないもの(こと)の方が多いというのに。



英語を教える時

何故文法(Gramer)を切り離して教えるのか。


英語の授業も、英会話を重点的に教えながら、

英文(読み・書き)、文法を平行して教えるべきである。


特に小中学校においてはそうしなければ、

苦手意識を助長し、いつまでたってもしゃべれない国民として踏みとどまってしまう。


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もう一つの教科は、歴史だ。

学生の時から思っていたことがある。


何故日本史と世界史を別々に教えるのか、と。


既に教育関係の一部からは

世界史と日本史を統合し、「歴史基礎」という新しい必修の科目を作るという案がでている。


つまり、

日本史を世界史と切り離して一国史的に教える傾向があるが、

日本史で外国が描かれるのは戦争や交流があった時だけ。

かたや、世界史のアジア史の項には日本がほとんど出てこない。


これではまるで日本が他国と関係なく歴史を刻んでいるかのようだ。


特にグローバル化の時代を生きる若者には、

異文化を理解し、共生する姿勢を育む必要がある。

そのために、世界史の中に日本史を位置づけて教えるべきなのだ。


その中で自分なりの考えを持てる人間を育てなければ、

国際社会で発信力のある日本人はできない。


つまり、相手と議論するには、相手の立場を知らなければどうしようもない。


そのためにも近現代と東アジアを中心に、

世界の中の日本を学ぶ歴史教育にしなければならない。



なんと、世界史と日本史が分かれたのは、

明治政府が「国史」と「万国史」を分けて以来という。

近代国家として発展する中で「国史」が国の威信を高めるのに使われたと指摘される。


もうそんな時代ではない。

海の向こうの金融危機が国内の雇用に響く。

経済ひとつとっても自国の中では完結しない。


必要なのは、退屈な丸暗記ではない。

「いま」を考えるのに役立つ勉強だ。 (一部朝日新聞・社説より)



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無駄を省いた教科の統合とともに

加えて、全教科に英語を取り入れることも検討してしかるべき時代である。



歴史と地理は深く関係する。


化学と物理、地学、天文学も統合できるところは統合する。


古典と歴史もどうか。



学校の授業のコマ数は決まっている。

その制約の中でどう充実させるかが問われる。



問題は、先生の質だ。

小学校に英語を取り入れただけで、あたふたとする現状。

統合と英語化に対応できる人材は極端に少ない。


まず、先生の質を高めることが先決かもしれない。

だが、一日も早い改革が迫られる。


世界の動きは待ってはくれない。

政治も経済も決断の遅さが命取りになっている。


整理して無駄を省けば大事な時代に時間を割ける。

子育ては12まで?

2012年08月27日 | 教育
去年の今日、つまり8月最後の月曜日

ある家族と海水浴に行った。


小学6年生の女の子と高校3年の男の子、

そしてその母親、飼い犬も一緒だった。


いわゆる母子家庭の子供たちは

家族旅行も、海水浴もほとんど経験がなかった。


そこで一念発起して、疑似家族4人と犬一匹の

日帰り海水浴旅行とと相成ったのだった。




そして、今年、

女の子は中学生になり、

息子は高校を卒業した後、


一旦は就職して東京へと旅立った。


だが、せっかく正社員として食を得たにもかかわらず


3か月足らずで会社を飛び出し母の元へ帰ってきた。



今は押しも押されぬプータローだ。


中学生になった娘も

習い事や友達との付き合い(?)に忙しく


どこか連れて行きたくても最早とても家族旅行という雰囲気ではない。




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彼女の子供たちを見る時

決まってボクの子供の姿がフラッシュバックする。



思えば、ボクの子供たちも

無条件に親についてくるのも小学生までだった。



特に、娘に至っては

中学生になると突然父親のボクとは距離を置きだした。


息子が高校3年でアメリカに渡ってからは

母親べったりになってしまった。





それまで子供たちとは24時間、365日一緒に過ごした。


仕事場と生活の場が一緒だったので手伝いも小さいうちからさせた。


そうしたことにも素直だった。



その延長線上に400日間の家族世界一周があった。

この400日間は片時も子供たちと離れることはなかった。


貴重な経験だった。




そういえば、子供たちには反抗期らしきものはなかったように思う。


娘も高校を卒業するとアメリカへと留学した。

そして、先月結婚した。


順調に親の手を離れ、自活してくれている。



子供たちに感謝するとともに一抹の寂しさは否めない。



だが、その分小学生までに一緒に過ごした思い出は

鮮烈に心に焼き付いている。




―――――――――――――――――――――――――――――

ボクが言いたいのは、

子供が小学生までは出来るだけ一緒に過ごしてほしい、

ということだ。



どんなに親が子離れできなくても、

子供は独立していく。



「親孝行した時には親はなし」、といわれるが

「子育てをしたいときには子はいない」、といえる昨今だろう。



子育ては大変だ。

だからこそ楽しい。


手塩にかけた子供はいつまでも愛くるしいし、

子供も親を見放さないだろう。



子育てをアウトソーシングすれば、

年老いた親もアウトソーシングされるのは

当然のの巡り合わせだ。




ボクにも小さいころ両親がいなかった時期があった。


祖母に育てられた。

だから、祖母の胸の温もりは覚えている。


母の胸の温もりと

父親の温かい眼差しを感じて育った子に間違いは少ないように思う。



「乳幼児は肌を話さず、

幼児期は手を離さず、

少年期は目を離さず、

青年期は心を離さず」



という格言もある。





逆に今、

30,40,50代になって親元を離れられない

パラサイトシングルも多い。



「親離れしてほしくても、子はベッタリ」


結婚も、独立もできない、

あるいは、しようとしない大きな子供たちが何と多いことか。


大人になり切れない子供たち。





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夏の終わりにはどこかうら淋しい。

秋風とともにいつも何かを置き忘れてきたかのような感覚に襲われる。


子育ても、また然りかな。





【補足】

子育てについて語るとき、

常に脳裏にあるのは前妻との娘のことだ。



ボクは、彼女が4才の時に子育てを放棄した。


空白の23年間が過ぎて再会した後も紆余曲折があった。


今はときどき会い、メールや電話も欠かさない。

出来るものであるなら23年間の空白の穴を埋めたい。


虫のいい話ではあるが。



幸いにも前妻の愛と厳しさに支えられて

彼女は立派に育ち

家族を持ち逞しく生きている。




後ろめたさを死ぬまで引きずり続けるだろう。

だから子育てに関してとても偉そうに言えた柄じゃない。



だけど、これだけは言える。


3人の子供たちを心から愛している、と。

子供に仕事を

2012年08月08日 | 教育
子供にはできるだけ小さいうちから仕事をさせるべきだ。

習い事をさせる親は多いが


働くという意味、

お金の価値を教える親は少ない。


子供に苦労をさせたくないという気持ちはある。

だが、親がそう思えば思うほど子の苦労は募るばかりだろう。


甘やかすことをspoiledするという。


a spoiled person, especially a child, is rude and behaves badly
because they have always been given what they want
and allowed to do what they want:

Ben was aspoilt brat (=a spoiled and unpleasant child).

Their children werespoiled rotten (=very spoiled).

つまり欲しいものを何でもあげると

子供をダメにするという意味だ。




ボクは子供たちにお小遣いというものをやったことがない。

お年玉もしかり。


傍らにおいて家のことを手伝わせて、稼ぐことを覚えさせた。

働かなければ欲しいものは手に入らないことを教えた。


労働の価値をできるだけ小さいうちから教え込むのだ。


自営業でない限り

子供たちが働く親の姿を見ることは少ない。


むしろ親のリラックスしている姿を見る。


その時、飲んだくれているか、

インターネットやTVゲームに興じているかでは

子供も同じようになってしまう。


子供だけに、勉強しろといっても意味をなさない。


読書する姿とか、スポーツに汗を流すなど

出来れば子供十一緒に楽しむ姿が好ましい。


子供に言われるがままに小遣いを与え続ければ

子供は大人になってもせびるようになるだろう。


「いつまでもあるともうな親と金」とは金言だ。

ついでに

「いつまでもいると思うな女房と子供」 も付け加えておこう。




人間は本来ズボラな生き物だ。


出来るだけ楽をしようとする。

苦労を避けたがる。



だが本来人生とは苦行である。

避けて通れるものではない。


「若いうちは買ってでも苦労をしろ」というが、

買わなくても、若くなくても苦労は一生ついて回るものだ。



お金の苦労、

健康でいる苦労、

人間関係の苦労は子供のころから体験させておく方がいい。


親が臭いものには蓋ならぬ

苦労に蓋を被せてばかりでは

子供はいつまでも親離れできな。


そして親もまた然りである。





   ベトナムのノンラー(三角傘)を作る子供たち





ミサンガを売る少数民族の子供たち

子育ての秘訣

2012年01月14日 | 教育
最近


母子家庭の多いことに驚かされる。




両親がそろっていても


事実上



母子家庭になっている家族も多いように思う。





あるいは



仕事や


親の趣味、都合で




子供をほったらかしにしているような



光景も多々見受けられる。







親が大人になりきれていない状況にも



遭遇することがよくある。





そして今日も、


悩める親から



相談の電話を受けた。





親も子も


不幸である。






そして


決まってつぶやく。



「子育てを


失敗した」 と。









ボクの子育て経験 (失敗、後悔も含めて) から


こういう風に子供と接したらいいのに




ということを考えてみた。







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できるだけ


そばに寄り添うこと。




子供を保育園や、



親に預けっぱなしにしない。







できるだけ多くの


体験をさせること。




子供が自分からやりたいといったことは



基本的に


やらせる。





場数を踏ませる。






手を貸さないで



耳を貸すこと。




子供の話をよく聞く。




目を見て話す、聞く。






子供の目線、



つまり、



しゃがんで聞く。








否定しないこと。


認めること。



受け入れること。



任せること。




責任を取らせること。






お金を容易に与えないこと。



お手伝いをしたら



報酬として


お小遣いを与えるようにして



お金は


労働の対価として


生まれることを分からせること。





あるいは、


人の役に立った時 (お手伝いなど) に、



収入が発生することを教える。






食べ物のありがたみを教えること。


残さず食べる習慣をつける。



いただきます、


ご馳走様を必ずいう。





食べた後の


片づけをさせる。




人のありがたみを教えること。




挨拶を忘れない。




おはようから


おやすみまで。






基本的に、


ほめて育てること。





ありがとうを連発する。







テレビを


だらだら見せたり、



ゲームを

やらせぱっぱなしにしない。




おもちゃで遊んだら


片づけることを教える。





親が読書する姿を見せる。




読み聞かせをする。




日本語と英語と両方の



絵本をそろえる。






叱るときも


決して怒鳴らない。





静かに語るように



言って聞かせる。




などなど。









まだまだあるが



こうしてみると



子供への接し方は



大人になってからも



同じことが言えはしないか。






つまり



これらはみんな




子供だけに限らず





人間関係、



コミュニケーションの基本




ではないだろうか。






ようは




子供も



大人と同じように



一人の人間として



人格を認め、



尊重することが




大切なのではないだろうか、





と感じた。






「笑顔で



褒める、



感謝する」






これだけは



忘れたくない。





下には



参考文献を上げておきます。







中には



子供は叱って育てよ、



とか



徹底的に教え込め




とかいった


内容や考え方を




お持ちの諸氏もおられる。





人それぞれ、



個性もある。




子育てに



万人に共通する


法則はない。







だから


全く否定するものではないが




褒めてばかりもいけないし




けじめと


タイミング
がポイントだと思う。






子供は



30になっても、



40にになっても





親から見れば



やはり子供であって




可愛いものである。






仕事もしないで



パラサイト化している大人、





あるいは




心の病を持つ大人も多く見受けられる昨今。






そしてまた


年老いた母の叫びが



空しく響いた。




「子供の育て方を



間違えました」 と。





後の祭りにならないように。








子育て、



しつけは




おなかの中に



生を宿った瞬間から



始まっている。






子育ては


自分育て。







子を見て


親も育つ。







いくつになっても



親の姿は


子供の鏡なのだ。





親は


『愛』





子は



『孝』




を忘れてはいけない。


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子育てハッピーアドバイス
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今日から怒らないママになれる本!―子育てがハッピーになる魔法のコーチング
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子育てハッピーアドバイス 大好き!が伝わる ほめ方・叱り方
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珍しくNYの娘からメールが届いたと思ったら・・・

2011年09月19日 | 教育
2年半前から


ニューヨークにダンス留学中の次女。




こちらからいくら連絡しても


なかなか返事をよこさない。




NYに寒波が襲っても、


猛暑になっても



地震が来ても




ハリケーンが襲っても




こちらが心配していくらメールしても


一向に返事がない。





電話にも出ない。





典型的B型のマイペース性格なのだろう。



「便りがないのが、良い便り」


というし。









ところが


珍しくその娘の方からメールが届いた。





嫌な予感。











案の定


次のような文面だった。





お元気ですか?
こちらは、ここ数日で寒くなってしまいました。

ところで突然ですが、一つ報告です。

来年夏、デイビットと結婚しまーす!!
まぁ、報告まで^^/

お体に気をつけてお仕事頑張ってくださいね。


David & Chieri










ナヌッ!!!



ナントも軽~い文面。





もうチョッと


言いようがあるだろう!






まだ20歳。



来年でも、21だ。





たぶん


来年6月に学校を卒業するので


その後に、ということなのだろう。





一様は計画性があるようだ。








娘は、


今年一月


成人式に出るために


彼氏(David)とともに一時帰国した。





だから彼との面識はある。




プエルトリコ系のニューヨーカーだ。






マア、


悪い人間ではなさそうである。






それでも

日本に来た時



蹴飛ばして追い返そうと思ったけど



空手5段だと聞いて



思い留まった。






娘にゾッコンらしく


娘の前では




まるで草食男子のように形無しだ。







まだ


娘に返事は返していない。






すぐNYに飛んでいきたい


はやる気持ちを抑えて、





ここは


一応



「Congratulation!!」

と返事すべきなのだろう。





父親としては



ナントモ複雑な気持ちだ。






これで


長女共々




旦那は


二人ともアメリカ人になる。






恐るべし


わが娘たち。






さらに


サンフランシスコに住む




息子が



青い目の女性を嫁に貰ったら





すべて


子供たちの婿・嫁さんは



アメリカ人になる。





ここまでは予期しなかったが

マア、


嬉しい限りだ。







さて


オヤジも


負けじと




もう一回挑戦してみるか。





ブロンズ(金髪でもいい)で青い目のパートナーに。







なかなか勉強しない子供に勉強をさせるには

2011年09月15日 | 教育
「勉強しなさい!」


「宿題はしたの!?」



口癖のように


子供を叱咤しても



なかなか自分から進んでするようにはならないものだ。





親が何も言わなくても


子供が自ら勉強するようになるには


どうすればいいか。





秘訣がある。






簡単だ。







親が勉強することだ。



親が楽しそうに勉強している姿を見せればいい。






母親はテレビばかりを見ているし、



父親はパソコンのゲームに熱中していて、




子供だけに勉強を強いたところで結果は見えている。





そこで


家にいては勉強しないから


塾に送り込んで


親の責任を放棄する。





貴重な親子の時間を削っておいて


子育てにはお金がかかるなどとぼやく。





いくらお金を掛けても



手塩に掛けなければ







知識はいくら増えても



社会に出て

失敗や挫折した時




自分から立ち上がれない

ひ弱な大人になっていくだろう。




できる子を育てることもいいことだ。





だが


できなかったときでも


打たれ強く


逞しく切り抜けていく知恵
こそ




本当に必要とされる資質ではなかろうか。







そのためには

まず親が率先して範を示し


親子がともに勉強し、



切磋琢磨しながら



成長していく
姿こそ


美しい。





子は親の姿を真似るか



反発するかのどちらかだ。





子供を変えようと思ったら


まず



親が変わることこそ必要だ






口先だけでなく


行動で示し、




背中で教える姿勢
こそ大切なのではなかろうか。

企画書を握りつぶされた

2011年09月09日 | 教育
「小学校英語サポートセンター」

を立ち上げたことは先に書いた。



そして

そのあとすぐ



企画書を

市の教育委員会に持って行った。



アポなしで行ったので


ちょうど担当者は不在だった。



代わりに課長補佐が対応してくれた。




内容を説明し、


「担当者に伝えておきます」


の言葉を信用し

企画書をその課長補佐に渡して帰った。




その後何の連絡もなかった。






再びボクは教育委員会を訪ねた。




またアポなしだったため


この日も担当者は不在だった。




応対してくれた別の係りの方に


担当者に電話してくれるように頼んで帰った。






その日のうちに


担当者から電話があった。





驚いたことに


前回の課長補佐からは何も聞いていないという。



ましてや


渡した企画書も見ていないという。





最初から説明をし、


再度、企画書を届けることに。








民間の会社では


考えられないことだ。




まったく失礼な話で


許されることではない。





組織内のコミュニケーションが全く取れていない。



担当者も悪びれる様子もなかった。





強い組織力を誇った日本の


もろい現状が露呈された格好だ。




いみじくも


日本の教育の崩壊を垣間見た気がした。





今や日本は


世界の流れから取り残されようとしている。




政治・経済の遅れは言うまでもない。



教育の遅れは致命傷になる。





北欧をはじめとする


国豊かさの根幹には



「教育」 の充実度


方針、考え方があることは言うまでもない。





政治・経済を立て直し、



真に 「豊か」 で


「幸せな国」 をつくるには





まず


「教育」 ありきだろう。




知識だけで


知恵のない民族に




未来はない。

若者は内向きですか?

2011年06月25日 | 教育
アメリカ領事館の

首席領事の講演が某大学であり


聴きに出かけた。

                          



テーマは

新しいグローバリズムの模索


「多文化共生」


Diversity & Inclusion



というもの。





スピーチ後


2人の学生の質問に


「最近日本の若者は内向き志向だといわれてますが


どう思いますか」



という内容があった。





本人も分かっているらしい。



そして


気にしているようだ。






領事の解答は

ありきたりだったが



質問そのものが愚問だと感じた。





あなたはどうなのか?


あなたはどう思うのか?



そして


どうしたいのか?




そう聞きたい。




日本人は


人の目を必要以上に気にする人種だと思う。



自分が周囲からどう思われているかを


気にし過ぎるきらいがある。




人は人、


自分は自分



という自信とプライドを


モット持つ必要があるように思う。




そのために

自分を磨かなければならない。




大学生は

そのチャンスを十二分に持っている。




内向きかどうかを気にするのではなく、


自分が外にどんどん出ていく勇気を培ってほしい。






今日


中学生の女の子が


この夏


ヨーロッパに一人で出かけるため



「FREE TALK」 にやって来る。




頼もしい限りだ。




一人でも多くの

「若きチャレンジャー」 が現れることを。

ワールド クラブ

2011年06月17日 | 教育
久しぶりに


小学校に行った。






今年度から



小学校(5,6年)で英語が必修になった。





それを機に


英語室 「いずみっこワールド」 改め



「ワールドクラブ」 となって


45分間のクラブ活動に参加することになったのだ。





今回はその第一回目。




家庭科室でポップコーン作りに挑戦。

                       





お料理を英語で話しながら



楽しんだ。

                          





現在,



市の教育委員会を通じ、


他の学校にも


「小学校英語サポートセンター」 を開設して



ボランティア活動を働きかけている。





いみじくも


本日の朝日新聞の天声人語で




小学校英語のことについて触れている。






理屈はともかく





英語ができると



世界が広くなり



世の中が変わることは間違いない。





それに



なにより





楽しい!!





【添付】


今日の朝日新聞、天声人語を添付しておきます。



 北杜夫さんの「どくとるマンボウ青春記」には、古き良き旧制高校のユニークな先生が色々と登場する。ある英語教授は発音に厳しく、「イー、エー、アー」という母音の発音を、丸一学期間、生徒にやらせたそうだ▼さような先生に向かって、「dangerous(デンジャラス=危険な)」をダンゴラスと読む生徒がいるのがまた旧制高校なのだと、北さんは回想している。書けるが話せない、読めるが聞けない。日本の英語教育の、今日にいたる宿痾(しゅくあ)だろう▼批判にさらされて、文科省は「英語が使える日本人」を育てる計画を進めてきた。今春からは小学5、6年で英語が必修になった。コミュニケーション重視の一環という。訳読と文法中心で育った世代には、どこか羨(うらや)ましい▼英語なしにはグローバル経済の果実をもぎ取れないという声も聞こえる。様々な人が一家言を持ちつつの教育の舵(かじ)切りだ。その侃々諤々(かんかんがくがく)に口をはさませてもらえば、英語重視が日本語軽視を誘わないよう、気をつけたい▼第2、第3言語は道具だろう。しかし「母語は道具ではなく、精神そのものである」と、これは井上ひさしさんが言っていた。英語習得もたしかな日本語力が前提との説に、異を言う人はいまい▼振り返れば、日本人は自信喪失期に日本語を冷遇してきた。敗戦後には表記のローマ字化さえ浮上した。そして今、英語を公用語にする日本企業が登場している。ダンゴラスで笑っていられた時代が羨ましい人も、多々おられようか。