世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

中国国民は一斉に蜂起せよ

2014年09月30日 | 国際
        ”革命” なんという良い響きだろう!


アラブの春(Arab Spring)を彷彿とさせる。

アラブの春は、2010年から2012年にかけてアラブ世界において発生した、

前例にない大規模反政府(民主化要求)デモや抗議活動を主とした騒乱の総称である。


2010年12月18日に始まったチュニジアでの暴動によるジャスミン革命から、

リビア、エジプト、そしてシリアとアラブ世界に波及した。


一方で、2012年に入ると政権の打倒が実現したエジプトやリビアでも国内の対立や衝突が起きるなど民主化に綻びが見られ始め、

また遅れて反政府デモが盛り上がりを見せたシリアでは泥沼の内戦状態に突入し、

国内のスンナ派とシーア派の対立やアルカイダ系の介入などによる火種が周辺国にも影響を及し始めるなど、

深刻な事態が浮かび上がってきている。


それが今、ISIS(イスラム国)の台頭から、アメリカ軍の空爆へ続いているのはご承知のことだろう。



今回の香港での民主化のデモはまだ始まったばかりで、どこまで影響を及ぼすかは予断を許さないところだ。




ただこれをきっかけとして、弾圧が厳しい新疆ウイグル地区やチベット、そして南モンゴルが一斉に蜂起すれば

中国の民主化そして独立という流れは大きくなっていくことは間違いない。



危惧するのは、現代の動きはネットに頼るところが大きく、

これを遮断されると動きが急速に鈍くなる。


そして、香港での学生の行動も、歌ったり、食べたい、道路に座ったりでお祭り騒ぎの感が強く

統率性に欠けるところが見受けられる。




第二の天安門事件として過去に葬られる脆弱性も孕んでいる。




彼らの本気度が試される。



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日本にもこうした動きが過去にあった。

60年と70年安保闘争だ。



           国会を取り囲んだデモ隊(1960年6月18日)




安保闘争とは、

1959年(昭和34年)から1960年(昭和35年)、1970年(昭和45年)の2度にわたり、

日本で展開された日米安全保障条約(安保条約)の与党自民党による慎重審議なくして強行採決を行ったことに関して反発した

国会議員、労働者や学生、市民および批准そのものに反対する国内左翼勢力が参加した

日本史上で空前の規模の反政府、反米運動とそれに伴う政治闘争である。


         この中にボクもいた





そもそもなぜアメリカ軍は日本に駐留しているのか。


1951年(昭和26年)9月8日に、アメリカのサンフランシスコにおいて、

アメリカやイギリスをはじめとする第二次世界大戦の連合国47ヶ国と日本の間で、

日本国との平和条約(サンフランシスコ平和条約)が締結されたが、


主席全権委員であった吉田茂は、

同時に、平和条約に潜り込まされていた特約(第6条a項但し書き。二国間協定による特定国軍のみの駐留容認)に基づく

「日本国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約」(旧日米安全保障条約)に署名した。


この条約によって日本を占領していた連合国軍の1国であるアメリカ軍は、

「在日米軍」となり、継続して日本に駐留する事が可能となり、今に至っている。


だが、これまで60年、70年と二度の反安保闘争があったことは忘れ去られようとしている。


当時日本の若もにはこれだけのエネルギーがあったのだ。

ボクも、70年安保闘争の渦中にいた。


ぼく達学生の間では1968年(昭和43年)から1969年(昭和44年)にかけて

全共闘や新左翼諸派の学生運動が全国的に盛んになっており、

東大闘争、日大闘争を始め、全国の主要な国公立大学や私立大学ではバリケード封鎖が行われ、

「70年安保粉砕」をスローガンとして大規模なデモンストレーションが全国で継続的に展開された。


ボク自身も、当時大阪、上六にあった大学にバリケードを築いて立てこもった。


街頭闘争も盛んに行われ、新左翼の各派は、

1967年(昭和42年)10月、11月の羽田闘争、1968年(昭和43年)1月の佐世保エンタープライズ帰港阻止闘争、

4月の沖縄デー闘争、10月の新宿騒乱事件(騒乱罪適用)、

1969年(昭和44年)4月の沖縄デー闘争、10月の国際反戦デー闘争、

11月の佐藤首相訪米阻止闘争などの一連の闘争を「70年安保闘争の前哨戦」と位置づけて取り組み、

「ヘルメットとゲバ棒」スタイルで武装し、投石や火炎瓶を使用して機動隊と戦った。


70年代に入り、戦いに敗れ、ベトナム反戦運動と共に

キューバ革命に憧れて亡命を試みたりもした。


ボクの友人は、よど号をハイジャックしてとうとう北朝鮮に亡命したのだが。



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そうしたことが、今回の香港の動きを見て走馬灯のように脳裏に流れた。


中国は内部崩壊する、と信じて疑わない。

ただ、同じ社会主義国であるベトナムにも飛び火する可能性はある。


ベトナムの政治は安定しているが、

共産党一党独裁であることには変わりはない。

選挙という民主主義の手段を持たない。

ミャンマーがそうであったように、曲がりなりにも政権を選ぶ権利が国民の手にあってもいいのではないか。


ベトナムには、ソフトランディングを期待する。



【参考資料】


これを見れば、中国の実態がわかる。




天安門事件とは、

1989年6月4日に、同年4月の胡耀邦の死をきっかけとして、

中国・北京市にある天安門広場に民主化を求めて集結していた学生を中心とした一般市民のデモ隊に対し、

中国人民解放軍が武力弾圧(市民に向けての無差別発砲や装甲車で轢き殺したとの報告がある)し、

多数の死傷者を出した事件である。


       これは有名な写真である





香港の学生たちがこの二の舞にならないことを祈る。

移動距離 動と静

2014年09月29日 | ライフスタイル
          写真はプノンペン(カンボジア)



「人生の経験の数は移動の距離に比例する」By Asay


家と学校、塾、

あるいは、家と会社、行きつけの飲み屋など

人にはある行動パターンがある。


あるいは、ほとんど日がな一日家の中で過ごす人もいるだろう。


ボクも例外ではない。

日本にいる時、普段はほとんど1キロ四方に行動が限られる。

街中にいると、その範囲でほぼすべての生活が成り立つからだ。


それでも週に一度自然の中に帰る。

森の中では、務めて動かない。


禅でいうところの「只管打坐(しかんたざ)」に徹する時もある。

「只管打坐」とは、曹洞宗の祖、道元が唱えたただ一心に座ることを意味する。


心に乱れを生じたときは大方これで解決する。


以前、山陰の旅で福井県の永平寺を訪ね、

石川県の総持寺で修行僧と寝食を共にし、

また、横浜にいたときは、週末鎌倉の建長寺や円覚寺を訪れ写経や写仏などの経験を積んだ。




移動の距離では、人後に落ちない( not fall behind the others) 自信がある。

それは万歩計や車の走行距離の比ではない。


8対2に法則に照らし合わせれば、

生活の中に、動が8に対して静を2取り入れれば心のバランスがとりやすいだろう。


動は変化をもたらし、静は安定をもたらす。


そういえば、世界の偉大なる歴史的人物は、例外なく移動の神様であったような気がする。




【参考】


Webメディアのtabilaboの記事から抜粋してみた。


歩み続ける!

人生の中で「移動」を続けた方が良い、5つの理由



いつもの家、いつもの学校、いつもの職場にいつもの顔ぶれ。

ひとつの環境で生活することには、沢山の良いポイントがある。


付き合いの長い人間関係は濃くて、住み慣れた街は、どこに何があるのか全部頭に入ってる。

どこで何が起こっているのかだってすぐに耳に入ってくる。


でも、そんな場所にずっといることで見えなくなっていく物も、世界にはたくさんある。

移動することは決別することじゃない。移動とは新たな旅の始まりのことだ。


インターネットで世界が繋がり、色々な場所を感じることが出来るようになった今でも、

一歩踏み出すことで初めて見える世界のカタチは、想像よりずっと感動的だ。


移動すること自体で得られるポジティブな要素を世界の話題からピックアップして紹介する。



① 仕事を得る機会が増える!


場所や環境が変われば、必要なモノや、価値のあるモノ、そして必要とされる「ヒト」だって変わる。

自分のしたい仕事があるけれど、それが求められていない場所だって当然ある。

色々な場所を知って、移動し続けることで自分を必要としてくれる「場所」があるかもしれない。

それを追い求める旅はきっと楽しい。



② 「異文化」に触れられる


めまぐるしく旅をしていた人でさえ、

ひとつの場所に留まり生活を続けることで、たったひとつの文化の中に無意識にはまり込んでしまう。


新しい友達に出会い、新しい情熱に触れる。

語りきれない色々なコトが世界にはある。


世界がどれだけ色とりどりに存在しているかということを知ることが出来る。

そうすれば今まで理解できなかった物が理解できるようにだってなる。



③ 依存することなく、自立できる


新しい土地へ移動することは、今まで頼っていた色々な存在から距離を置くことでもある。

自分の責任で全てを管理することには、手間や時間がかかる反面、限りない自由がある。

自分にあった方法で、自分の行きたい場所、やってみたいことを選べるのだから、

今まで面倒に思っていたことも全力でやってみたいと思えるようになる。


色々な課題を自分のやり方でクリアしていくことで、経験豊富な自立した人間になることが出来るはず。



④ 自分にあった土地で暮らす効果


雨が多くて、曇っている場所。人が集まり、最先端な物であふれる場所。

自然が多く、静かなところや、いつも晴れてて陽気な街も。


世界には色々な土地がある。

そして産まれた土地が必ずしもあなたに適しているとは限らない。

子供がいるなら治安が良くて、賢い学校のある街へ移動するのが良いかもしれない。

海が好きならビーチの近くで暮らすのが幸せかもしれない。

どんな場所が自分に合うかは、今いる場所を離れ、新しい場所へ行ってみる以外方法はない。



⑤ 知られざる愛に出会える


新しく出会うのは当然モノや環境だけじゃない。

もしかしたら今まで見たこともないくらい愛おしい人に出会うかもしれない。

今いる場所に運命を感じる人がいなくても、環境を変えるだけで可能性は無限大に広がる。

愛する人を見つけたら全力で愛して、合わなかったらまた出発すれば良い。



   
ずっと同じ環境にいることで、飽きがきて、気持ちが沈んでしまうことはある。

住み慣れた場所から出発することは別れでもなんでもない。

「さよなら」じゃなくて「またね」と行ってその場を去ればいい。

そこに居続けることで未来が見えなくなるのなら、新しい場所で新しい景色を見てみよう。

もしダメだったら「ただいま」って言えば良いだけだ。



移動を繰り返すことは、新鮮な気持ちを取り戻すには最適な方法だ。

うまくいかない時や、相性の良くないコトだって世界には沢山ある。

様々なしがらみに身動きが取れなくなってしまったら、一度そこから離れて、また別の所で新しい生活を始めてみれば良い。



自分の暮らしをもう一度考えてみるのも良いかもしれない。

今いる環境がどれだけ幸せなのかというのも、移動しなければ見えてこない景色のひとつかも知れないのだから。

人の幸せを願うこと

2014年09月28日 | ライフスタイル
身の回りの環境が変化し始めている。


現在ボクの行動範囲は大きく分けて4か所。

熊本市内の街中、

阿蘇、

福岡、

そして東南アジア、主にベトナム。


その4か所において同時進行で事業展開が変化しているのだ。

それぞれに、業態も違い、変化している。


具体的には、

① 熊本の街中事業は、それを担う役割の人が出現してきた。

そこにどう障がい者の人を絡ませるか。


熊本文化屋台(仮称)の立ち上げはまだ人が決まらないが。

現在、屋台を経営してくださる人を募集中だ。

ヒットは間違いない。


② 阿蘇は、同じくシェアハウスの住民として住み着く人が決まりつつある。

何といっても、家賃が2万円でリゾート暮らしが実現するのだから。

まだ、入居者募集中である。


いずれも早い者勝ち。



③ ベトナムではハノイに日本カルチャーセンターの開設が進みつつある。

現地の協力者も積極的に動いてくれている。


内容は、日本語学校と日本語フリートークカフェ、

そして日本とベトナムの架け橋になる人材派遣事業の3本柱だ。

それらを同じビル内で同時に立ち上げる。

それぞれに政府の営業許可がいる。

今その詳細を調べてもらっている。


納豆レストランの企画も、現在提携企業を探している。

同時に、出資者も募集しているところだ。



④ 福岡は、「フリートーク福岡」の立ち上げ。

こちらは、国際交流サロンとして福岡に新しいインターナショナルの場を設けるべく

ある女性が動いてくれている。

まだ、外国人のスタッフを募集している。


さらに、大阪でもNPOがらみの事業を立ち上げるべく一人の女性が動いてくれている。



こうした一連の動きは、

それぞれの地の、それぞれの事業を担う人々の夢を乗せて進行させている。


係る一人一人の人々が幸せになってくれれば良いと願っている。


幸せの形は人によって異なる。

だから、画一的な事業展開ではなく、

それぞれの夢を叶えることで一つ一つ心を込めた手作りの展開を図る。


縁あって係る相手の一人一人の立場にたって、

アイデアを生み、企画を練り、実現させるお手伝いをする。


それが自分の役割だと認識している。


それぞれに資金が必要であり、

資金繰りでは苦労は尽きない。


だが、その人々が幸せになっていく過程を眺めているだけで、

心が和んでくる。


この姿こそ、20年前に立ち上げた『夢実(ムーミー)塾』の本来の趣旨だったのだ。

人々の夢の展開の変化に応じて、

ボクのライフスタイルも適応しなければならない。


それはあたかも、環境の変化に適応したものだけだ生き残るサバイバルゲームのようだ。


人の幸せのためにボクの戦いは続く。

それは、平和のためという名目で人を殺す戦争と違い、

武器を持たない自分との戦いなのだ。

香港の学生に習え

2014年09月27日 | 国際
          写真は、27日未明、香港政府合同庁舎前で座り込みをする学生と、
            周囲を鉄柵で囲んで制圧する警官隊



香港の学生らの一部が26日夜から27日未明にかけて、

香港中心部の政府庁舎敷地内に突入し、警察と衝突した。


学生は、2017年に香港トップを決める行政長官選の民主化を求めている。


香港は、1842年から1997年まで、

一世紀半を経っていたイギリスの植民地であった。

今は、中華人民共和国香港特別行政区( Hong Kong Special Administrative Region of the People’s Republic of China)であり、

通称香港(Hong Kong)と呼ばれる。


そこで学生たちが蜂起した。

警察は催涙スプレーも使い、13人を逮捕。

負傷者も20人以上出ている、という。


一度自由の空気を吸った若者は、後戻りはできない。

一国二制度を持つ国の危うさが露呈されている。


香港においては、

返還後50年間は一定の自治権の付与と本土(中国大陸)と異なる行政・法律・経済制度の維持が認められている。

しかし香港は、「高度な自治権」を享受しているが、

「完全な自治権」が認められているわけではない。


ここに矛盾をはらんでいる。

行政長官と立法会議員全員の直接普通選挙化をどの時期から開始するか、

香港返還直後から議論になっている。


2007年12月29日に全国人民代表大会の常務委員会が、

行政長官の普通選挙の2017年実施を容認する方針を明らかにしたものの、

立法会議員全員の直接選挙については今なお時期について言及していない。


現在、中国本土と違って香港では集会の自由や結社の自由が認められている。


香港の政党は民主派(泛民主派・英語版)と親中派(親建制派 ・英語版)に大別され、

立法会議員全員の普通選挙化について、

民主派は2016年からの実施を、

親中派は2024年からの実施をそれぞれ主張している。


今回の学生の行動は、ここに根差している。

これが、中国全土の民主化につながればと祈っています。



翻って、日本の学生はといえば、

すっかり自由に飼いならされ、闘争(挑戦)本能さえ奪い取られてしまった。


戦争反対の声さえかすかにしか聞こえない。

60年代から70年代の学生運動を勧めるわけではないが、

もう少し、社会や世界の情勢に敏感になってもいいのではないだろうか。


平和なことはいいことだが、いつまでも平和ボケでは国は亡びる。

点と線

2014年09月26日 | ライフスタイル
松本清張の小説の題ではない。


人の動きはさまざまである。


自分ではわからない癖のような一定の法則がある。

人から見るとよくわかる。

もちろん、ボクの生活リズムも自分で思っているのと人から見たのでは解釈にずれがあるはずだ。


誰しも、良かれと思って行動している。

あるいは、良かれと思って動こうとしない。



情報過多社会である。

イベント、セミナー、パーティが目白押しでもある。

その割にコミュニケーション能力には不足がちである。


本当に毎日に退屈しないという意味では良き社会なのかもしれない。

だが、半面、疲れる。

休む時がない。

眠らない生活が続く。

ストレスも半端ない。


情報のインプットに追われ、アウトプットをしない。

ハウツーものは学んでいるが、行動に移そうとはしない。


こうした生き方を

不連続症候群と呼ぶことにした。


行動が断片的で、一貫性や繋がりがない。

いかにも忙しそうで、時間がないとこぼす。

その割に成果が上がらない。


人のふり見てわが身を振り返りつつ反省をする。

日々の行動は取捨選択と決断とで出来上がる。


残り少ない人生をのんびり過ごそうと考えるか、

一瞬たりとも無駄にせず合理的に生きるかで雲泥の差ができる。


どう生きるかの考えの下、日々の行動が決まり、

一週間、一か月、一年と時間は否応なく過ぎていく。


一日の点と次の日、また次の日の点同士の連続性がなければ

いわゆるその日ぐらしになってしまう。


長期的展望に立って今を生きる必要がある。

毎日の点が線でつながり、面となって広がるよう生き方を考えてみたい。



【付録】


ジョージ・カーリンの言葉をここにも載せておこう。



ビルは空高くなったが 
人の気は短くなり
高速道路は広くなったが 
視野は狭くなり
お金を使ってはいるが 
得る物は少なく
たくさん物を買っているが 
楽しみは少なくなっている

家は大きくなったが 
家庭は小さくなり
より便利になったが 
時間は前よりもない

たくさんの学位を持っても 
センスはなく
知識は増えたが 
決断することは少ない

専門家は大勢いるが 
問題は増えている
薬も増えたが 
健康状態は悪くなっている

飲み過ぎ吸い過ぎ浪費し 
笑うことは少なく
猛スピードで運転し 
すぐ怒り
夜更かしをしすぎて 
起きたときは疲れすぎている

読むことは稀で 
テレビは長く見るが 
祈ることはとても稀である

持ち物は増えているが 
自分の価値は下がっている

喋りすぎるが 
愛することは稀であるどころか憎むことが多すぎる

生計のたてかたは学んだが 
人生を学んではいない
長生きするようになったが 
長らく今を生きていない

月まで行き来できるのに 
近所同士の争いは絶えない

世界は支配したが 
内世界はどうなのか

前より大きい規模のことはなしえたが 
より良いことはなしえていない

空気を浄化し 
魂を汚し
原子核を分裂させられるが 
偏見は取り去ることができない

急ぐことは学んだが 
待つことは覚えず

計画は増えたが 
成し遂げられていない

たくさん書いているが 
学びはせず
情報を手に入れ 
多くのコンピューターを用意しているのに
コミュニケーションはどんどん減っている

ファーストフードで消化は遅く
体は大きいが 
人格は小さく
利益に没頭し 
人間関係は軽薄になっている

世界平和の時代と言われるのに
家族の争いはたえず

レジャーは増えても 
楽しみは少なく
たくさんの食べ物に恵まれても
栄養は少ない

夫婦でかせいでも 
離婚も増え
家は良くなったが 
家庭は壊れている

忘れないでほしい 
愛するものと過ごす時間を
それは永遠には続かないのだ

忘れないでほしい 
すぐそばにいる人を抱きしめることを
あなたが与えることができるこの唯一の宝物には 
1円たりともかからない

忘れないでほしい
あなたのパートナーや愛する者に
「愛している」と言うことを
心を込めて

あなたの心からのキスと抱擁は
傷をいやしてくれるだろう

忘れないでほしい
もう逢えないかもしれない人の手を握り 
その時間を慈しむことを

愛し  話し 
あなたの心の中にある
かけがえのない思いを
分かち合おう

人生はどれだけ
呼吸をし続けるかで
決まるのではない

どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ

ジョージ・カーリン

仏教を学ぼう

2014年09月25日 | 人生
         昨夜の『海外起業』のスピーチ


ボクは元来無宗教である。

だけど、日本人として生まれたからには仏教と係わりを持たずに暮らしてはいけない。


神社仏閣に行けば、敬虔な気持ちにさせられる。

なかでも禅宗が好きだ。

精神修養のため、時々座禅を組む。


その仏教の話を昨夜聞いた。




本来仏教とは人生の目的を説いた釈迦の教えであるとされる。


なぜ生きるのか、

本当の幸福になるにはどうしたらいいのかなどが書かれている。


本来仏教には争いはない。

そして、釈迦は神ではない。


一神教を崇拝する国々は争いを起こす。

イスラム、キリスト、ユダヤ、皆そうだ。


中国と韓国は、今や仏教国とはいいがたい。

中国は単なる侵略国家に過ぎない。


新疆ウイグルではイスラム教を弾圧し、

チベット仏教を追放し、

今や唯一のチベット仏教国であるブータンをも侵略しつつある。



死ねばみな仏になれるという大乗仏教は、日本とベトナムだけである。

あとは、お寺に使える僧侶のみが仏になるという小乗仏教国である。


日本には、神道という神が古来存在するが、八百万の神であり、

天皇も今や象徴として存在する。


元来日本人は穏やかな国民性を持つ。


ということで、ここでもやはり日本人に生まれてよかったと再確認させられた。


とはいえ、ボクのスピーチは、

『海外起業』というテーマであった。


日本人は海外にビジネスとして進出することで、

日本文化を伝え、相手国の発展に寄与することができる。


資源と領土を奪うならず者国家とは訳が違う。


日本は、人道支援と日本文化の素晴らしさを伝えることによって、

地元国民と一緒になって侵略国家を食い止めることができる。



第二次大戦における大東亜戦争においても、

アジアの多くの国の独立を助けた。


その事実は、いまの親日国を育む理由になっていることはあまり知られていない。



この地図を見れば、

戦前、タイを除くアジアの国々がすべてが欧米の属国になっていたかが一目瞭然でわかるだろう。

朝鮮半島と台湾は日本のそれになっているが。


戦争を肯定する気はさらさらないが、

当時の日本軍が現地に残りいまだ生活している人もいることも事実である。



とにかく、争いは一刻も早くなくさなければならない。

なんちゃってグローバル

2014年09月24日 | 国際
         ホーチミンの夜


ボクの大学の母校から下記のような講演依頼がきた。


“なんちゃってグローバル”を回避せよ

~英語を使う、その先へ~

というな内容のものだ。


その背景にあるものとは。


大阪大学外国語学部英語専攻の学生は、

自らの強みである英語を使って将来活躍したいと考えている人 が多いが、

自分が活躍できる場が明確ではなかったり、

英語を使って成し遂げたい問題意識を持てていなかったりする。


また、英語専攻という一番英語に身近な身であるにもかかわらず、

英語を生かした海外経験を積むことができていない学生が多く存在する。




今回の講演の目的とは。


海外で様々な経験をすることの必要性や新たな視野の提示をすることで、

海外経験をしたいと思っているが実際に行動に移すことができていない学生の背中を押す。


また、実際に英語を使って活躍すると はどういうことなのか、

英語は単なるツールにすぎず、

英語を使って成し遂げたい自分なりの目標を持 つことが大切であり、

海外での成長機会に飛び込むことで自分の問題意識を明確にできるということを知ってもらう。



【コンテンツ】


1. なんちゃってグローバルとは?~真のグローバルは英語だけではない~


なんちゃってグローバル人材(英語ができるだけの人)では社会に出て通用しないことを伝え、

実際に社会で活躍するために自分なりの問題意識を持つことの必要性を感じてもらう。


実際に社会に出て活躍している方からの講演を聞いたうえでグループワークを行うことで、

現状への危機感をより強くする。



2. “脱”なんちゃってグローバル化計画

上記のような人材にならないための経験を積むことができ、

英語も活かすことができる一つの手段として、海外での成長機会を提示する。



3. お願いしたいこと


今回は、「1なんちゃってグローバルとは?」でご協力をお願いしたいと考えております。


ここでは、社会に出て実際に英語を使っているご自身の経験を学生に話していただきたい。


その中で、英語は単なるツールでしかなく、明確な問題意識が重要であることを伝えていただきたいです。



確かに、英語にかかわらず、

外国語大学では世界中のいろんな言語が学べる。


それを実際の社会で生かし切って生活している者はごく少数である。


ボク自身もスペイン語を専攻したわけであるが、日常的に使う機会は少ない。

それでも外国人と接する仕事なので、たまにはしゃべることがある。


ただ、いざとなったら英語が通じるので、いつの間にか英語で会話をしていることが多い。

苦しい時の英語頼み、といった感じになる。



だが、上述のように

英語を専攻していたから英語が喋れるものでもない。


留学していた、ワーホリの経験があるからといっても、ほとんどの人が語学を駆使できていないのが実情だろう。


せっかく語学を専攻したのなら、それを生かす意識を強く持つことが大切である。

手っ取り早いのは、やはり海外へ出向くことだろう。


何が何でも海外、といった嗜好が才能を育む。



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ということで、ベトナムで働く人材を募集している。


具体的には、日本語教師であるが

ベトナムで起業したい人の相談にも乗っている。


関心のある人はどしどし問い合わせしていただきたい。



そして、今日午後7時から、異業種懇談会で

『海外起業』というテーマでスピーチさせていただく。


お近くの方、時間のある方は是非聞きに来てください。



英語ができると自信が生まれる

2014年09月23日 | 英語
       ベトナム(ホーチミン)の一般家庭の居間


少しずつだが、

英会話が上達する人が増えている。


上達するにつれ、その人の性格が変わっていくのが見える。


まず、明るくなる、自信に満ち溢れてくる。

積極性が出てくる。

好奇心が湧き、何事にも挑戦しようという意気込みが感じられるようになる。


そうした意味で、英会話の効力は計り知れないものがある。


英会話そのものは、何かをやるための手段でしかない。

肝心なことは、英会話を生かして何をするかということだ。


まず、多くの外国人とのコミュニケーションが図れるようになる。

そのことで、人間関係が潤滑になる。


言葉に出すことで、自分を表現するということがわかる。


英語ができるようになると、日本語も豊かになるから不思議だ。

これは、言葉の持つ表現力が共通だからに他ならない。


英語の表現方法を学ぶことで、日本語のそれも豊富になり自信がつく。


何かを話すには話題が必要となるので、いろんなことに興味を持ち向学心も向上する。

そうなると、ますます面白くなっていろんなことに挑戦してみたくなるものだ。



海外旅行一つとっても、少し英語が喋れるようになると行ってみてくなるだろう。

ツアーでしか行けなかった人が、フリーで挑戦したくなる。


海外に友人ができるとさらに加速する。

日本にいても、SNSなどで繋がりを保てる。


人生そのものが輝き、彩を増す。


英語ができるとできな人の人生の差は計り知れない。

今からだって遅くはない。


まず挑戦しようという気持ちが大切だ。

そして、勇気を出して一歩前へ。