世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

息子の一時帰国の理由(わけ)

2014年11月30日 | 国際
サンフランシスコに住む息子が一時帰国した。

その理由は就労ビザが切れ、グリーンカードが今だ取れないからだ。

アメリカで働くためには就労ビザ(H1B)が必要なことは言うまでもない。


H1Bビザの最初の認可期間は3年で、

状況が整っていれば更に3年延長が可能だが、

最長6年を越えた場合の再申請を行うためには、

グリーンカード(アメリカ永住権)を取得するか、1年以上米国外に滞在する必要がある。


グリーンカードを取得すれば、

米国への出入国は自由で、滞在にも期限がなく、職業も自由に選択できる。



彼は高校時代から通算12年以上アメリカに住んでいる。

そして就労ビザの6年が切れた。

だからグリーンカードを申請中の今、一時帰国を余儀なくされたのだ。


アメリカの雇用先すなわち受け入れ企業(スポンサー)のサポートは受けているが

審査に2~5年もかかるそうだ。


12月半ばには観光ビザ(3か月有効)で再びアメリカに帰るそうだが、

グリーンカードの取得ができない場合は3月にはまた戻ってくるだろう。



アメリカはもともと移民によって建国された。

だからそもそも移民には寛容な国であった。


オマバ政権は不法移民に対して緩和措置を取っているが、

ここへきて不法移民の増加に悩まされている。

特にメキシコからのそれが多い。



図にあるように

2050年には白人が半分以下になり

ヒスパニック系が30%になる公算だ。


ちなみに黒人、アジア系はそれぞれ10%前後。


息子の帰国で、アメリカの新たな局面が浮き彫りにされた格好だ。

遅れている日本の移民政策も他山の石としたい。

追い風

2014年11月29日 | ライフスタイル
追い風が吹いている。

ベトナムに始めて行ってから7年。

苦節7年でなく、快楽7年といってもいい。

楽しい国だ。

何故か馬が合う、水が合う。get along well



「嵐」の桜井翔主演の新春スペシャルドラマ「大使閣下の料理人」が

来年1月3日、フジテレビ系で放送される。


これはベトナム(在ベトナム日本国大使館)が舞台となっており、

ヒロイン役の剛力彩芽はベトナム人と日本人のハーフを演じ

華麗なアオザイ姿も披露する。


これで一気にベトナム人気が加速するだろう。


日本人がベトナムに押しかける図はあまり愉快なものではないけど、

日本でベトナム料理やアオザイが普及することは大歓迎だ。


ボクがこれから手掛けるベトナムコーヒーの店も流行るだろう。



ボクが手掛けるものは必ずヒットする、というジンクスがある。


最初からヒットを見込んで手掛けるわけではない。

自分が気に入ったものが広く世間で認められるようになるのは嬉しいものだ。


だが、もちろん時間はかかる。

なぜなら決してブームを追っているわけではないから。


なぜかしら直感が働く。

感性が符合するといってもいいだろう。



感性を磨く方法を伝授しよう。


自分を信じること。

素直になること。

受け入れること。

感謝すること。



チャンスはすべからく訪れている。

目に映るもの、

耳に入るもの、

口に入るもの、

匂うもの、

肌に触れるもの、


いわゆる五感はほとんどの人に備わっている。

それを心でどう感じるかは人によって違う。


好き嫌いがあるから。

現象は一つでも受け取り方で違ってくる。


同じ現象でも、嫌と思えば嫌なものになり、

好感を持てば素晴らしいものになる。


嫌なものが多い人と好きなものが多い人との人生には雲泥の差が出る。

五感を磨くとは、

好きなもの(人・事)を多くすること。

11月28日(金)のつぶやき

2014年11月29日 | 福祉

ベトナムブームの先駆け

RT @VIET_JO 嵐・桜井翔主演の新春ドラマ「大使閣下の料理人」、舞台はベトナム viet-jo.com/news/entertain… @VIET_JOさんから



環境の変化に適応する

2014年11月28日 | ライフスタイル
ボクを渦巻く周りの環境が劇的な変化を見せている。


去る人くる人の人間環境の変化とともに、

仕事のあり方も再考を迫られる。


自由を最も重んじるライフスタイルは堅持しつつ

フレキシブルな対応力が求められる。


最後に生き残るのは、強いものでも賢いものでもない。

変化に適応できるものだけだ。


It is not the strongest or the most intelligent who will survive

but those who can best manage change. (Darwin)



馴染んだ環境に浸ることは心地よい。

だが、そこには澱みが生じ、腐敗臭さえ漂うことがある。


再び流れを取り戻すには堰を外さなければならない。

堰が朽ちて勝手に壊れることもある。


いずれにせよ新たな流れに戸惑うことなく、漕ぎ出すことだ。


その大海原の先には理想とする桃源郷が存在している。

ただそれは安住の地ではなくカオスの世界である可能性が強い。


なぜなら、それを望むから。

退屈な人生はつまらない。


だから生きている限り安らぐことはない。

I have always a situation.

I can enjoy the situation.


死ねばいやでも安住しなければならない。

11月27日(木)のつぶやき

2014年11月28日 | 福祉

人生はいつでも取り戻せる Enjoy the moment! goo.gl/xiCsNB


ベトナムらしいね。
RT @VIET_JO ベトナム航空の機内で妻と元彼女が鉢合わせ、殴り合いの喧嘩で罰金処分に viet-jo.com/news/sanmen/14… @VIET_JOさんから



夢潰し虫

2014年11月27日 | 
バカなことを言うな。

寝ぼけたことを言うな。

そんなことが出来るわけがない。

誰もそんなことはしていない。

非常識だ。



子供のころ、若かったころ何度言われたことか。

その度に悔し涙を流した記憶がある。

反発もした。

ぐれもした。



それは今も変わっていない。

いい歳して、とはよく言われる。

下手にバカな夢を抱き続けているからだ。


この世の中には夢潰し虫がゾンビのようにはびこっている。



なぜ大人は子供の夢をつぶしたがるのか。


それは自分が実現してこなかったからだ。

そして失敗した苦い経験がある。


だから、無駄なことはやめろという。

人がやらないことはやめろという。

チャレンジャーであることを否定する。

無難に生きろという。

あたかもそれが幸せな生き方であるかのように。



親、そして学校の先生が子供に与える影響力の大きさを改めて感じた。

子供の夢を否定する親や先生の下に育った子供は一様に不幸である。


だが、反発する子は違う。

それも二種類に分かれる。


ぐれるか夢お叶えるかだ。

ぐれても改心して一念発起すればいい。

諦めなければ人生はいつでも取り戻せる。




トルストイの『アンナ・カレーニナ 第1編』の冒頭に

「幸福な家庭はどれも似たものだが、

不幸な家庭はいずれもそれぞれに不幸なものである。」とある。 


トルストイ様に立てつく気はないが、そうかな?と思った。

むしろ、

「不幸」の形は似ているが、「幸せ」の形は人それぞれなのではないだろうか。


親や出会う先生の影響力は計り知れない大きさを持つ。

だが、それ以上に本人の意思は大きい。


いい影響を受けた子が幸せになるとは限らないように、

悪い影響を受けた子でも夢を叶えることはできるものだ。


夢に向かう人は、大人になってからも非難や罵倒、嫌がらせなどなどの妨害を受けることが多い。

要はそれに屈しないことだ。


正しいと信じる道ならば、とことん追求すればいい。

自分を信じることだ。

そこから文字通り自信は生まれる。


自分が自分を信じなくて、だれが信じてくれというのか。

迷ってもいい。

だが、自分を疑うな。

自分を見失うな。


Don't worry about a future and the past.

Enjoy the moment.

未来や過去を気にするな。

今を生きろ。

愛燦々(sunsun)

2014年11月26日 | ライフスタイル
今回の解散総選挙においてはいろんな形で物議を醸している。


ボクも誤解を恐れずこのブログ上で意見を述べた。

そしたらやっぱり誤解された。


ボクが言いたかったのは

正義(平和)のための戦争はありえない、ということに尽きる。


心から平和を望むなら争ってはいけない。

人を傷つけてはいけない。

ましてや殺すことなど言語道断である。



時に世論は歪曲された方向に進むことがある。



何を言わんとするかの内容の是非を問うべきなのに

いつの間にかその手段という表面上の是非を問うことにすり替えられていく。


根本的真意は正しくても手段を間違えば叩かれるのは世の常だ。

そして、往々にして世間の注目はその手段にだけ向けられる。


これは議論のすり替えでしかない。


間違えは誰しもある。

人を殺したとかいう取り返しのつかないことならまだしも、

間違った手段なら、謝罪したうえで正せばいいだけのことだ。


手段を間違ったために、真意まで否定されるいわれはない。


そこは行為に及んだ者の信念に委ねられるだろう。


発信すれば多かれ少なかれ何らかの形で叩かれるのは覚悟の上だ。

なぜなら人の考えはそれぞれなのだから。


それを暴力で封じ込めようとするところに争いが起きる。

言論の争いなら大いにするべきだ。

暴力に訴えることほど愚かなことはない。



愛を説けば偽善として扱われる。

愛が素直に受け入れられた例(ためし)はない。


それでも愛を貫く勇気があるやなしや。


幸か不幸かボクは打たれ強い質(たち)だ。

打たれて伸びる性格なのだ。


だがそんな人ばかりではない。

そうして有能な才能の持ち主や

夢を持った人々ががつぶされていくのを見るのは忍びない。

3つの間

2014年11月25日 | ライフスタイル
人生を変えるのは3つの『間』を変えればいいといわれる。


時間、空間、仲間(人間)の3つである。

今、否応なくその3つの『間』に変化を強いられている。



特に最近この中で仲間に変化が見られる。

離れていくもの、新しく仲間に加わるもの。


古い友人が帰って来る。



付き合う人が人生に大きく影響を与えることは言うまでもない。


親しい5人の平均年収が自分の年収になるといわれるが、

お金だけが決め手ではないだろう。


お金持ちと付き合えばお金持ちになるのかといえば、そうでもない。

むしろお金にこだわる人、お金だけが目的の人とは長続きしない。


ボクと付き合ってもお金にならないと分かると、さっと引いていく人がいかに多いことか。


付き合う人にお金は与えられないくても、

愛と夢ならいくらでも差し上げよう。


時には知恵も提供できる。


その多くはプライスレスだ。


だから、ボクの周りに集まる人は愛にあふれ、夢多き人たちである。

そしてもしもそれが偽りの愛であったり、

情熱が一過性のものであったりした時、潮が引くように消えてなくなる。


愛と情熱を持続可能にすることがいかに難しいことかがよくわかる。

お互いに言えることなのだが。



「時間」は万人に平等に与えられていることは言うまでもない。


無駄にダラダラ過ごす時間は、人生の大いなる損失である。

仲間との貴重な時間を謳歌する。

攻撃的な人間に構っている時間はない。



「空間」も今以上に広がっていくだろう。


どこに住み、どこで働くかボクに制限はない。

ただ、今いる空間と時間、そして仲間たちを大切に扱う心を忘れないようにしているだけだ。


その時の一つ一つの選択が、人生の質を変えていく。



どんな空間と人に囲まれ、どんな時間を過ごすか。

これが人生の決め手になる。



着々と進むハノイプロジェクト

2014年11月24日 | 海外事業
ハノイにおける日本語フリートークカフェと日本語学校計画が

着々と進行中である。


日本語フリートークカフェの名称は”Cafe You&Me"

日本語学校は”YUME"


        看板が取り付けられた


夢の実現に向けてあなたも私も頑張ろうという意味合いを込めている。


      夜景も美しい


ハノイにいる仲間たちが頑張って準備を進めてくれている。

何ともありがたいことだ。


器はできつつあるが問題は中身。


システムと人である。


どんなビジネスをやるにしても、

外観も大事だがやり方とそれにかかわる人間に尽きる。


一階のカフェ部分の工事がまだ進んでいない模様だ。

そして、実際に働くスタッフたちの情報も詳しくは入っていない。


オープンの日も遅れがちだ。


これらはベトナムのビジネスにはありがちなことで、焦っても仕方がない。


とにかく現地入りしてみなければ詳細はわからない。

たぶん、いい意味でも悪い身でもサプライズが待っているだろう。

それを楽しまなければ意味がない。



個人的には今ベトナム語を本格的に覚えようと躍起だ。


昨日から、ベトナム人の留学生から習い始めた。

やはり、必要に迫られれば本気で動く。

何でも覚悟を決めて本気を出さなければ成就しないものだ。


これからも二転三転しながら計画は進んでいくだろう。

楽しもう!プロセスを。



愛と教えとユーモア、そして……

2014年11月23日 | ライフスタイル
ブログを書くにあたって心がけていることがある。


それは、内容に愛と教えと笑いを盛り込むことである。

その上で、感謝の心を忘れない。


愛とは人を思いやる気持ち。

笑いは自虐ネタが多い。



もう一つは、自分をさらけ出すこと。

恥ずかしいこと、醜いこと、いやらしいことなどなど。

だから時にヌードも?


姿かたちはもちろん、何を考え、何を感じているのか。

自信があるわけではない。

自慢しているわけでもない。

かといって卑下する必要もない。


ただただひたすらに自分のありのままを表現することに徹する。

時に人に不快感を与えるかもしれない。

時に人は怒りを覚えるかもしれない。


それでも共感してくれる人もいるはずだ。

それを信じ、ただひたすら書く。



憧れ、慕い、共に行動することで失望する人も出てくる。


嫌悪感を抱く人はそれを偽善と呼ぶ人もいる。

それはしばしば言動が一致しない時に起きる。


何と言われようと構わないが、

自ら発した言葉の重みを感じながらその責任を全うすべくひたすら走る。。


汚れた心には澄んだ心は見えないものだ。

濁った川に生息するものは清流には住めない。

逆もまた真なり。



ややもすれば鬱屈(gloomy)している日本。


言いたいことも言えず、自分を押し殺すことが美徳とされるきらいがある。

それがストレスになりウツへと発展する。

鬱積した感情が爆発する時、時にそれは凶器となる。


もっと、素直に自分をさらけ出してみようよ。

恥ずかしがることなんて必要ない。

もっと人の目お気にしないで生きてみないか。


時にそれは周囲との摩擦を引き起こすかもしれない。

気にするな。

その摩擦から学びがあれば良いではないか。


周囲との摩擦が原石に磨きをかけ

結果的に輝ける様になるものだ。



【蛇足】


当たり障りのない無難な生き方はつまらない。

当たって触る方が人生よっぽど面白い。