18時間バスに揺られ、夜の7時過ぎにサンチャゴデクーバに到着した。
身体はもうくたくたに疲れ切っている。
CASAのご主人が迎えに来てくれていた。
ハバナのCASAのママが紹介してくれた。
ここは、部屋にバストイレがついて一泊$25とハバナ($30)よりも安い。
部屋は、まあなんと乙女チックで、
オジサン一人で泊まるにはちょっと場違いな感じを覚える。
日本好きな家族だ
ここでも朝食($5)と夕食($10)を付けてもらうことにした。
メインはなんと大きなロブスター
やはり、豪華でたらふく食べられる。
次の日は遅い朝食(ブランチ)にしてもらった。
ブランチを済ませると、例によってブラブラと町の中心部に向かった。
とりあえず両替をしなければならない。
手持ちのCUC(キューバの通貨)がほとんどない。
ハバナで予想以上の出費。
ここまで7万円($630)を既に両替えしている。
(全予算は10万円なのに( ;∀;))
町の真ん中にあるセスベデス広場周辺にある銀行に行ったが、
日本円の両替はしてもらえないという。
セスベデス広場とカテドラル
さて、困った。
うろうろしていると、決まって誰かが声をかけてくる。
日本円を両替してもらえる銀行名を聞いていたのでそこまで行くつもりだと答えた。
歩いて行ける距離ではないという。
タクシーのドライバーも匂いを嗅ぎつけて寄ってくる。
往復$6で行ってくれることになった。
そしてそこの銀行はたしかに日本円を両替してくれた。
Baco Finaciero International
オーンプ時間は、8時半から3時半
後日分かったが、
町の目抜き通りにCADACA(両替所)があって、
そこでは日本円を両替してくれる。
この看板が目印(ちょっと分かりづらい)
ここは、8時半から4時まで開いている
さて、銀行から帰ろうとすると、タクシードライバーが観光ルートを提案してきた。
断るが、かなりしつこい。
とりあえずここだけは行ったほうがいいという、
世界遺産になっている「モロ要塞」にだけは行くことにした。
確かに1時間以上滞在してしまうほど一見の価値はあった。(お勧め)
カリブ海が望める
帰りは、モンカダ兵営博物館へ。
ここはキューバ革命の火ぶたを切った歴史的な場所で、
外すわけにはいかない。
壁には銃弾の跡が生々しく残っている
1953年、7月26日、襲撃は失敗に終わるが、
この日はキューバの革命記念日となって歴史に刻まれている。
フィデルやゲバラの思いがヒシヒシと伝わってくる。
そこからCASAまでは歩くことにした。
そしてその途中、ある看板に目が行った。
(Continuing)
身体はもうくたくたに疲れ切っている。
CASAのご主人が迎えに来てくれていた。
ハバナのCASAのママが紹介してくれた。
ここは、部屋にバストイレがついて一泊$25とハバナ($30)よりも安い。
部屋は、まあなんと乙女チックで、
オジサン一人で泊まるにはちょっと場違いな感じを覚える。
日本好きな家族だ
ここでも朝食($5)と夕食($10)を付けてもらうことにした。
メインはなんと大きなロブスター
やはり、豪華でたらふく食べられる。
次の日は遅い朝食(ブランチ)にしてもらった。
ブランチを済ませると、例によってブラブラと町の中心部に向かった。
とりあえず両替をしなければならない。
手持ちのCUC(キューバの通貨)がほとんどない。
ハバナで予想以上の出費。
ここまで7万円($630)を既に両替えしている。
(全予算は10万円なのに( ;∀;))
町の真ん中にあるセスベデス広場周辺にある銀行に行ったが、
日本円の両替はしてもらえないという。
セスベデス広場とカテドラル
さて、困った。
うろうろしていると、決まって誰かが声をかけてくる。
日本円を両替してもらえる銀行名を聞いていたのでそこまで行くつもりだと答えた。
歩いて行ける距離ではないという。
タクシーのドライバーも匂いを嗅ぎつけて寄ってくる。
往復$6で行ってくれることになった。
そしてそこの銀行はたしかに日本円を両替してくれた。
Baco Finaciero International
オーンプ時間は、8時半から3時半
後日分かったが、
町の目抜き通りにCADACA(両替所)があって、
そこでは日本円を両替してくれる。
この看板が目印(ちょっと分かりづらい)
ここは、8時半から4時まで開いている
さて、銀行から帰ろうとすると、タクシードライバーが観光ルートを提案してきた。
断るが、かなりしつこい。
とりあえずここだけは行ったほうがいいという、
世界遺産になっている「モロ要塞」にだけは行くことにした。
確かに1時間以上滞在してしまうほど一見の価値はあった。(お勧め)
カリブ海が望める
帰りは、モンカダ兵営博物館へ。
ここはキューバ革命の火ぶたを切った歴史的な場所で、
外すわけにはいかない。
壁には銃弾の跡が生々しく残っている
1953年、7月26日、襲撃は失敗に終わるが、
この日はキューバの革命記念日となって歴史に刻まれている。
フィデルやゲバラの思いがヒシヒシと伝わってくる。
そこからCASAまでは歩くことにした。
そしてその途中、ある看板に目が行った。
(Continuing)