世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

趣味が、好きなことが収益を生む

2020年09月21日 | 人間関係
そもそもアウトドア派である。


屋外が好き、

動くのが好き。

(軽いADHDなのだろうと自分で感じる)


だから、旅をする。


回遊魚のように

絶えず動き回っていないと

死んでしまいそうな感覚を覚える。


      (昨夜BBQを楽しまれるお客様)


旅先では、いろんな人と出会い、

様々な経験ができる。


世界は絶え間なく話しかけてくる。

それに忙しく感応する。


体の奥深くに眠る性衝動の気配に目覚めたかのように、

目に映るもの全てが、

さまざまな官能を揺り起こしてくれる。


そこに初めて自分の存在感を確かめることができるのだ。



好奇心の塊だから

やったことがないことにすぐに挑戦したがる。


そうして、さらに趣味が増える。



旅をするだけでなく、

旅人を受け入れるようになって、

早40年余り。


幾多の逆境に揉まれながらも乗り越えてここまで来た。


そして、今なお宿泊業をやって旅人を受け入れている。

全国、海外からお客様が来られる。


そして、

お互い長いお付き合いが生まれる。


受け入れるだけでなく、

親しくなったお客様に招かれて行くことも多い。


そこでまた旅をする。

この循環が嬉しい。


これは、形態を変えながら生涯続けられる仕事だ。

いや、もはや趣味となってしまった。







いつも楽しい仲間たち

2020年08月16日 | 人間関係
世間では、お盆休み。

暑い日が続いています。



飲み仲間、

旅仲間。




宿泊業をやっているお陰で

泊まるスペースがあります。


いろんなところから

いろんな人が来てくれる。




お互い言いたいことを言いあえる、

気の置けない仲間たち。


いつまでも、

いくつになってもこうして

酒を酌み交わしながら忌憚なくしゃべれるのは幸せなことです。


友達にカンパイ!

仲間にカンパイ!

愛する人にカンパイ!


そして、

我が人生にカンパイ!!













悩みは尽きない

2020年08月12日 | 人間関係
誰しも悩みはあるでしょう。


その悩みを聴くのが心理カウンセラーの重要な役割。


3回にわたる傾聴の為のロールプレイ講座が終了した。


まだまだ、

受容、共感、応答のための実践的ロールプレイが続く。


一端の心理カウンセラーになるための道はまだまだ遠く険しい。






答えは出なくても、

聴いてくれる人がいる、

受け止めてくれる人がいる、

思いの丈を吐きだせるだけでも

心が休まる。


それで、

ひとりでも多くの人の命が助かるなら。


その思いで厳しい講座を受ける。


最後まで笑顔を絶やさず、成し遂げる。




孤独と寂しさと人間関係

2020年08月05日 | 人間関係
ロールプレイ2回目。


より具体的なクライアントの相談(悩み)に対して

カウンセラーとしてどう応えていくかが試された。


      (衝立越しにクライアントとカウンセラー役に分かれてロールプレイをする)


アドラーが言うように

人の悩みのほとんどは人間関係に事を発する。


たとえ、経済上や健康上の問題にしても。



人間関係には煩わしさが伴う。


では、

人間関係を断てば、

一切の悩みや問題はなくなるのか。


そもそも、

一切の人間関係を断ち切って生きていけるのか。


確かに、何十年も洞窟で暮らしていた人もいた。

仙人のように霞を食って生きている人もいるかもしれない。


それには孤独に耐える苦しみを味わなければならない。


いや、

孤独を楽しむ術が必要だ。


孤独を楽しむことができるか?


今後も、

独り暮らしやおひとり様が増えることは避けられないだろう。


孤独死も増える。

心を病む人も確実に増えている。


相談件数は

年間1万人に及ぶ。

そのうちの約2割が、

即、命に係わる内容だ。


そのひとりひとりに寄り添う。


    (ワークシートにカウンセラーとしての受け答えを記入する)

これから先、

心理カウンセラーとして

お役に立てればの一心である。




一匹狼時代

2020年07月24日 | 人間関係
いつまでも鬱陶しい梅雨が続き、

今日も激しい大雨になっている。


被災地の方はまた大変だ。

これ以上被害が出ないことを祈るのみ。


それに、

コロナの感染者数は、日々うなぎ登りに増えている。


世の中一体どうなっているんだろう。


われわれ人間は

どこまでこの地球をいたぶってきたのだろうか。



ところで、

時代がやっと追いついてきた、

と言ったら、また顰蹙を買うだろうか。


つるんで何かをやろうという時代は終わった。


もともと一匹狼で生きてきた。


どこの組織にも所属することなく、

徒党を組むこともなく、

独り気ままに好きなことをやっている。


誰にも、どこにも縛られない生き方を貫いてきた。



今、コロナ禍に於いて

人が集まることが憚れる。


リモートワークを機に、

これからは、

会社(組織)に頼る人は淘汰される。


虎の威を借りるのではなく

自分が虎🐯にならなければならない。




虎🐯であろうが、

狼🐺であろうが

気高く孤高に生きることが求められる。


そんな時代がやってきた。




好い加減の勧め

2020年07月20日 | 人間関係
昨今、若い著名人の自殺が目に付く。


事情は様々だろうが、

自ら命を絶ってはいけない。


だが、現実はこれからも増えることが予測される。


だから今、

そういう人たちの命を救うための相談員として、

カウンセリングの講習を受けている。


       (ツリーハウスで作務衣で寛ぐ筆者)


人生に苦しみや悲しみは付き物だが、

自殺までしなければならないほどのモノはない。


山より大きな獅子はいない、のだから。


結局、独りで思い詰めるとそこまで追い込まれるのかもしれないが。



周りから見ると

他人も羨むような生活をしていても

他人には分からない悩みを抱えている。


誰しもそうである。

多かれ少なかれ、そうである。


弱みを見せたくない、

迷惑を掛けたくない、

嫌われたくない、

良い人と思われたい、

と周りに気を配り

他人の目を気にする。



自殺思考や自殺行動を取る要因として、

精神的な脆弱性を指摘される。


そして、このストレス過多社会である。


しかも、

自粛が求められる、このコロナ禍にある。


鬱憤が貯まり

イライラが募りやすくなるのも不思議ではない。

(ボクも例外ではない)


その憂さ晴らしの矛先を、

他人に向けるか

自分に向けるかである。

(あるいは、他に解消の仕方を知っているか)


そこにウツなどの精神疾患が加わり、

何かのトリガーがあれば

ひとたまりもない。


総じて思うのは、

真面目過ぎる人が多いように感じる。


真面目は良いが、

真面目過ぎるのは良くない。


むしろ、

好い加減の方がいい。


どこかボーッつとしていて

KYで、

天然キャラで、

チョイ悪で、

自分に優しく、

セルフィッシュなほうがいい。



「人様に迷惑を掛けてはいけない」

「他人から後ろ指を指されるようなことをしてはいけない」

というように、

自分を殺し、

他人軸で生きるように躾けられる。


自分らしく

本音で生きようものなら

snsで叩かれて

その息の根を止められてしまう。


謙虚であることは美徳だが、

あまりに自分を卑下したり、遜(へりくだ)り過ぎると

自分自身を追い込むことになる。


その結果が

日本を自殺大国に仕立て上げているのではなかろうか。


もう少し

自分自身に好い加減に生きてみないか。



苦しい、

生き辛いな、と思ったら


世界で唯一

9か所で瞑想のできる

瞑想道場


「阿蘇瞑想の森」

いらっしゃいませんか。













老老サポート

2020年06月25日 | 人間関係
高齢者は増えるばかり。

独居老人も増加の一途。


そんな高齢者も

経済面はもとより、

健康面でも格差が生まれている。


歳をとるとともにあらゆることが衰えると考えがちだが、

歳を重ねるごとに

若返るとまで言えなくても

元気になる老人が増えている。


いわゆる

アクティブシニアだ。


   (雨の日もツリーハウスの中は快適)


年金や権利収入などの不労所得で

経済的にもゆとりがあり、

経験豊かで

趣味もあり、

体力も氣力も衰えることを知らない。


自粛で行動範囲は制限されるものの

免疫力も強いことから

コロナとは無縁の生活を送っている。



一方、定石通り

老化の道をまっしぐらというパターンも多い。


そして、意識と行動のギャップに愕然とし、

悩まされる。


その上、

一人暮らし。


今後、独居老人はますます増え続ける。


家族はもちろん、

友人、知人、仲間といった交流もあまりない。


経済面では多少ゆとりがあっても、

健康や孤独はナントもしがたい。


寂しさや、やりたいことが思うようにできないもどかしさに苛まれる。


介護保険における介護士やケアワーカーやデイサービス、ボランティアのお世話になるのも限界がある。

若者に頼るのも気が引ける。


ならば、

お年寄り同士が労わり合うのが望ましい形。


ということで、

ポジティブでアクティブな元気な老人が

立ち上がった。


支援を必要とする高齢者の

やりたかった趣味や旅行、生活に関する多様なニーズに応えて

夢や希望を叶える


そして、

彼らの自助・自立を支え、

生活の質をさらに高めることのできる

新しい社会のシステムを作り出す。


まさにこれまでに培った経験と貢献と感性(3K)が自らを成長させるのです。



さてあなたは

支援される側?

支援する側に回りますか?


日本を元気するために

一緒に活動しませんか!?


『老春時代』

この本が日本を元気にします。


    ≪かじえいせい著 クローバー出版 1540円(税込)≫




私の話を聴いてください

2020年06月10日 | 人間関係
昨夜は、2回目のカウンセリング講座だった。


そこで、

「カウンセリングマインド」について学んだ。

そして、

「傾聴」に特化したロールプレイを行った。




コロナ禍に関する悩み相談が増えているという。

当然だろうし、

これからはもっと増えるだろう。


そのために、

少しでもお役に立てればと思い、

この講座を受けている。


秋まで毎週続く。




なかなか興味深く、

志を同じくする人たちとの出会いもまた楽しい。


これもコロナ禍であればこそ

with Coronaとしての生き方の選択肢の一つである。



次の詩は的を得てる。


『-私の話を聞いてください-』 by Loving Each Other

私の話を聞いてください、と頼むとあなたは助言を始めます。
私はそんなことを望んではいないのです。

私の話を聞いてください、と頼むとあなたはその理由について話し始めます。
申し訳ないとは思いつつ、私は不愉快になってしまいます。

私の話を聞いてください、と頼むとあなたは何とかして私の悩みを解決しなければならないという気になります。
おかしなことに、それは私の気持ちに反するのです。

祈ることに慰めを見いだす人がいるのはそのためでしょうか。
神は無言だからです。
助言したり、調整しようとはしません。
神は聞くだけで悩みの解決は自分にまかせてくれます

だからあなたもどうか私の話を聞いてください。
話をしたかったら、私が話し終えるまで少しだけ待ってください。
そうすれば私は必ずあなたの話に耳を傾けます。


"Listen"

When I ask you to listen to me and you start giving advice,
you have not done what I asked.
When I ask you to listen to me
and you begin to tell me
why I shouldn’t feel that way,
you are trampling on my feelings.
When I ask you listen to me
and you feel you have to do something
to solve my problems,
you have failed me,
strange as that may seem.
Perhaps that’s why prayer works for some people.
Because god is mute and he doesn’t offer advice or try to fix things
he just listens and trusts you to work it out for yourself.
So please, just listen and hear me.
And if you want to talk,
Wait a few minutes for your turn
and I promise I’ll listen to you.
出典: ‘Loving Each Other’ by Leo Buscaglia



貧困や被虐待などで傷ついた人と接する時の心構えについての話です。

「Helping Without Hurting」

1.私があなたを本当に信頼できると信じるまで辛抱強く待っていてください。

2.私の物語を聴いてください。私のペースで、そして私のやり方で。

3.私があなたに対して何をしたとしても、それを受け入れてください(そして私がそれを受け入れられるように手助けをしてください)。
私が何をするとしても、それが私があなたに出来る精一杯のことで、そのときに私はそれが正しい事だと感じていたのです。

4.私は型にはまった人間ではありません。
私はユニークで、特殊なのです。私が何を必要としているかを聴いてください。

5.私は常に自分を裁き続けて苦しんでいます。
ですから決してあなたは私に対して正しい・誤りあるいは良い・悪いという判断をしないで下さい。
私はこの人生とどう付き合っていくかを覚えている最中なのです。
従ってそういう感情によって私は心を閉ざしてしまうのです(3を見てください)。

6.私に関して、あなたの頭にあることは、私が思っているより正しいと思わないで下さい。
あなたは私が話した事しか知らないのです。
それ以外におそらくもっともっとあるのです。
教えても大丈夫だと安心すれば、もしかすると教えるかも知れません。
でも何か判断されていると感じたら私は言わないでしょう。

7.私は混乱していますが、自分についてはよく分かっています。
ですから私にこうしたらいいよ、と言うような助言をするのは、必ずしも最良の方法とは言えません。

8.あなたの期待に沿って生きるような位置づけに置かないで下さい。
私は自分自身の問題で精一杯なのです。

9.お願いですから、私の言葉だけではなく感情・フィーリングを聴き取って下さい-そしてそれら全てを受け入れてください。
もしあなたにそれが出来ないとすれば、それは私にも出来るはずがないのです。

10.私を救ってあげようとしないで下さい。
私は自分でやらなければならないのです。
本当はあなたに助けて欲しいという気持ちで一杯なのです。
私が自分で自分を向上させる手助けをしてください。









負けない生き方

2020年05月31日 | 人間関係
いつの世も

勝ち組と負け組がいる。


そして、

みなが勝とうとする。


勝つことが正義であり、

幸せにつながると思っているかのように。



だが、

もう一つの生き方がある。


いわば、

第三の生き方だ。


それは、


「負けない生き方」である。


負けないとは、

へこたれない、

諦めない、

愚痴を言わない、

言い訳をしない。

他人を責めない。



勝たなくてもいい。

負けなければいいのだ。


人生に常勝なんてあるわけがない。


人間の価値は、

どれだけ勝ったかで決まるのではない。


負けようとしているとき

どういう姿勢でいるか、

どう臨むか、

負けたとき、

どうやって立ち上がるかで決まるのだ。


勝ちより、

その価値に拘ることだ。



それに、

勝とうとするから、

自ら苦しみ、

相手をやっつけようとするから、

敵ができる。



コロナも然り。


コロナ禍においても

勝ち組が少なからずいる。


コロナバブルに沸いている。


だが、

嫉妬を買う。

怒りを買う。

憎しみを買うことになる。


嫌がらせや誹謗中傷の的となる。


そういう人には、

肉を切らせて骨を切る。

いや、

相手に肉を切らせて知らん顔を決め込むことだ。


笑って、

ありがとう、と言えばそれで終わる。


叩かれても、

倒れても、

血を流しても

また立ち上がる。


「あしたのジョー」のように。


今でいえば

「鬼滅の刃」の炭治郎のように。

(決め手は、呼吸法≪水の呼吸≫)



勝ちにこだわらない。

負けない生き方こそ、

最強の生き方なのである。



ツリーハウスも、

少し部屋らしくなってきた。



【追記】

最近は、

敢えて勝たない、

勝ちを譲る、ことを覚えた。


これが賢い生き方、だとわかった。


空手でいう、

寸止め殺法。


相手の鼻っ面の

1mm手前で、止める。


これこそ至難の業。


達観の域に達しないとできない。















New Lifestyle

2020年05月28日 | 人間関係
     (夜のツリーハウス。これはもう、アートです)



コロナで、否応なく「働き方革命」が起きている。


いや、

「生き方革命(Life Revolution)」ト言ったほうがいいでしょう。



解雇や廃業で仕事を亡くした人はもちろん、

わざわざ会社に行かなくていいんじゃない?

とテレワークの有効性を図らずも実感した人々。


そんな中、

国民の関心がコロナ一辺倒を良いことに

十分な審議無しに、次々と法改正がなされていく。


年金改正法案もそう。

もはや老後の年金は当てにならない、

特に現在50歳以下の人たちは。


老後は、隠居して年金だけでのんびり暮らしていこう

などとは夢のまた夢。




そう思って(覚悟して)、

対策を講じなければなりません。


そう言うと、すぐに貯蓄に走る人がいます。


それでなくても厳しい生活の中、

爪に火を灯してまで

老後の貯えを貯金と勘違いしている人がいます。


これでは、本末転倒です。


あるいは、

怪しい投資(投機)に有り金を注ぎ込んで

なけなしのお金まで失くしてしまう人もいます。


お金はいくら貯めてもこれで大丈夫とはなりません。




ではどうすればいいのでしょうか?


答えは一つ。

たった一つ。


それは、

それは、



稼ぎ続けることです。


死ぬまで、稼ぎ続けることです。



で、

死ぬまで稼ぎ続けるその方法は、

2つ。


一つは、

死ぬまで働くこと。


そして、もう一つは、

働かなくても収入が入る仕組みを築き上げること。



稼ぐこと、イコール働く(仕事をする)ではありません。


ですが、

好きで働くことは良いことです。

傍を楽にすることですから。


社会貢献や誰かに尽くすことです。


仕事(働く)ことは

肉体労働を意味しません。


汗水たらして働く(いわゆる肉体労働)ことは

人生120年時代にあって、

一生はできません。


ならば、

頭脳労働に切り替えればいいのです。


これには、条件があります。


好きであること。

つまり、

遊びの一環という感覚を持つこと。


苦痛やストレスを感じるものであってはいけません。

ノルマや、やらされている感があってはいけません。


なぜなら、

病気になるからです。

(心身ともに健康あっての物種です)



二つ目の

働かなくても収入が入り続ける仕組みを作ることは、

これまでは、終身年金がその一つでした。



それが崩壊したこれからは、

それに代わるものが必要です。


つまり、

年金と同じ役割を果たす収入源です。


これについては、

別の機会にお伝えします。

(早く知りたい方はここへお越しください)



あるいは、

上記の二つを並行して生涯貫くことで

より健康的で、

生き甲斐のある一生を送ることができるようになるでしょう。



【追記】


どんなに絶望の中にあっても

必ず光はあります。




どんなに苦境の中にあっても

チャンスは存在します。


諦めないこと。

考え続けること、です。


いずれにしても、

人生120年時代、

一生稼ぎ続ける覚悟が必要です。




これだけで人生はうまくいく

2020年05月27日 | 人間関係
《人生がうまくいくたった2つの方法》


まず、一番目は、

計画を立てることです。


つまり、目標設定をすること。


目標、自分のやりたいことが明確でなければ

何をしたらいいのか、

どこに向かっていけばいいのかが分かりません。


        (ツリーハウスで朝のコーヒーを飲む筆者)


ただ、その場限りで、

毎日を流されて生きている。


そうならないためには、

目標に向かって、

逆残をし、

今何をすべきか明確にしなければなりません。



二番目は、

約束を守ることです。


      (ツリーハウスと紫陽花と)


他人との約束はもちろん、

自分との約束を守ること。


つまり、

自分で決めたことを最後までやりぬくことです。


できるできないが問題ではない。

そこに向かって、どれだけ努力しているかが問われます。


真剣に取り組む姿は

それだけで美しい。


その責任感信頼を生みます。


人間関係は、

信頼に尽きます。


仕事も、それに見合う収入も

すべては信頼性に係わってきます。


気持ちよく仕事ができれば

ストレスも少なく

健康上も良くなります。



つまり、

人間関係が良好で、

経済問題、

健康問題が少なければ

幸せな暮らしが送れるのです。


まずは、

どう生きたいのか。


明確な目標を定めてください。


そして、

それに向かって愚直に進んでください。


なりふり構わず、です。


たとえ

バカと言われても、

笑われても、

snsで誹謗中傷されても、です。



全く関係ない人が

誹謗中傷するケースが増えています。


それによって命を絶つなどということはあってはならないことです。


他人をけなすのは

羨望から来ています。


羨ましいのです。

そして、

案に関係性を求めています。


つまり、

孤独に苛まれ、

誰かと繋がりたいのです。


その矛先が

匿名で、

誹謗中傷という行為に及ぶのです。



これからは、

もっと打たれ強くならなければ

ますます生き辛くなります。


他人の目を気にせず、

自分の決めた目標に向かって

ただひたすらに歩き続けてください。


何かに打ち込む人の姿を

美しいと認める美意識こそが

人生を豊かにします。



ボクは今日もツリーハウスを作り続けます。

ただひたすらに。


それが、

自分との約束を果たすことだから。




初心貫徹

2020年05月24日 | 人間関係
昨夜は新月。


ツリーハウスでキャンドルを灯して「慈愛の瞑想」を行った。




       (竹灯かり)


       (夜は一段と幻想的)


屋根の野地板づくりが始まった。




やはり初心貫徹、

竹でやることにした。



一本の竹を4つに割き、

一枚一枚張っていく。






時に安易に走りたくなることがある。

楽を求めることがある。

快楽に浸ろうとする。


「瞑想」はその迷いを打ち消してくれる。


迷走から瞑想を経て、

ゆくゆくは名僧の域になるかも。


まだまだ悟りの境地には程遠い。


こうして竹との交わりも修行の一つ。


ブレてはいけない。


竹と語り、

竹に学ぶ。


「森羅万象みなわが師」なのである。








人の優しさ

2015年01月12日 | 人間関係
病気や苦しい時こそ人の優しさが身に染みる。

独り身には特にうれしい。


悲しみや怒りで流す涙と、

優しさに触れて流れる涙とでは涙そのものが違うように思える。

後者の涙が暖かく感じるのは気のせいだろうか。


SNS繋がりのお友達からのコメントやメッセージもありがたい。

一人冷たいベッドに横たわっても、心がジーンと暖かくなるから不思議だ。


困っている人を見ると何故か放ってはおけない。

かと言って金品を指しです余裕もなく、勇気もない。


だからこうして言葉をかけてやるだけでも良いんだなと分かる。


困っている人、悲しんでいる人、苦しんでいる人。


理由は様々にしろ何とかしてあげたいと思うのが自然な気持ちだろう。


お金がある人はお金を出せばいいし、

手伝って汗をかくのもよいだろう。

知恵を貸すこともいいし、

言葉をかけてあげるだけでもいい。


応援してますよ、って。

それが社交辞令(flattery)ではなく本心であればそれだけでも十分励みになるものだ。

ある障がい者の期待と失望

2014年11月12日 | 人間関係
ここ一年近く、ある障がい者の人と行動を共にすることが多い。

彼は立派な大人だ。


彼は信奉する人には素直だが、

一度その信頼関係が崩れると手のひらを返したように凶暴性を発揮する。


頼っていた心理カウンセラーから、気に入らないことを言われると、

もうその人のことをボロクソ言い出す。

つい先ほどまでは、あんないい先生はいないと言っていたのに。


そしてその矛先はボクに向かいだした。

ふたこと目には、あなたは間違っている、と。


きっかけはギャンブルだった。

パチンコをやりだしてから、堰を切ったかのように悪口雑言が彼の口から飛び出してくるようになった。

潜んでいた悪魔が姿を現したかのように。


もともと彼は、ギャンブル依存症とアルコール依存症を患っていた。

だが、幸いギャンブル依存症からは脱却し、

アルコールもだいぶ控えるようになっていた。


だが、突然その両依存症が復活してしまったのだ。




彼にはそもそも親への怨念があった。

親を殺そうと思ったことも一度や二度ではないらしい。

そう言いながら、困った時には親もとへ逃げ込む。


他人に頼り、自分の期待のそぐわなければ信頼から恨みに変わる。

そしてすべてを人のせいにする。

自分は障がい者だから仕方がないと責任を転化し開き直る。


だが、彼がボクを拒絶しようが、彼を見捨てることはできない。




発達障害に限って言えば、

現代人は10人に一人が障がい者といっていい状態になりつつある。

総じてコミュニケーションが下手である。

ほとんどのストレスは人間関係に端を発する。


忘れ物が多かったり、時間を守らなかったり、片付けが下手、

ミスが多い、自分かって、人の話を聞かない、すぐキレるなどなど、


天然キャラで笑って済ませるほどならいいが、

変わり者、KYなどと煙たがられ、浮いた存在になると

問題児、ダメ人間のレッテルを張られかねない。


そして職場や社会にいずらくなって居場所を失っていく。


そうしたつまずきから鬱状態に陥り、メンタルクリニックで発達障害と診断される。


障がい者手帳を持とうが持つまいが、

あなたの周りにも思い当たる人は必ずいるはずだ。


以前にも書いたが、ボク自身がそう思い当たる節があるのだから。

たぶん病院に行けば発達障害と診断されても不思議ではない。





そもそも、日本に限らず現代の仕組みが障がい者を生みやすい環境にある。

それも、身体障害でなくメンタル疾患が圧倒的に増えている。

しかも大人になってから発覚する。


カリフォルニアのシリコンバレーで働くエンジニアの約25%がアスペルガー症候群の傾向があるといわれる。

それゆえ、シリコンバレー症候群と呼ばれたりもするそうだ。

何とも恐ろしい世の中になったものだ。


(to be continued)

想う気持ち、聴く気持ち

2014年09月12日 | 人間関係
「助けて、かじさん」

深夜にただならぬメッセージ。

「どうした?」と返信。

「仕事が見つからない」



彼女はベトナム人。

笑顔がかわいい明るい子だ。


先月、やっと在留許可が取れてベトナム人の夫の働く東京へ越してきた。

彼女は仕事を探していた。



以前、ボクは彼女にベトナムで仕事を紹介したことがあった。

日本語のできる彼女を、ハノイにある日本人向けの幼稚園で面接を受けさせたのだ。

そして、見事就職できた。

それが縁で彼女の家にも遊びに行って、お父さんにごちそうになったものだ。




ボクは「ベトナム語を教えたら」と提案した。

「うーん、難しい」、とあまり乗り気ではない。


それで東京在住のベトナムに詳しい日本人の方を紹介した。


そしたら、ボクに「助けてくれたね」と、おお喜びする。

「まだ助けてないよ」って言ったら、


「ううん、でも助けたじゃん」だって。

そう解釈してくれたら、ボクも嬉しくなってしまった。



慣れない不安な外国暮らし。

旦那さんと一緒につつましやかに生きる彼女の姿が脳裏に浮かんだ。


でもやっと一緒に暮らせるようになった彼女の幸せそうな笑顔も同時に想像できてうれしかった。


東京での再会を約束している。

その時は、旦那さんとも会える。

彼女の愛する旦那さんはきっと素敵なんだろうな。


ちょっとジェラシーを感じた夜だった。