世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

娘の誕生日

2014年02月17日 | 家族
今日は下の娘の23回目の誕生日だ。




その娘とは、1年半会っていない。

音信も不通である。


風の便りでは、ニューヨークから帰国し、

東京に住み、東京ディズニーランドで踊っていると聞く。


元気で頑張っていればそれでいい。


1991年、2月17日、

娘は、熊本市内の病院で生まれ。


その時は、ボクたち家族は大分県の久住高原に住んでいた。

標高900m。


メリーファームというゲストランチ(観光牧場)を営んでいた。


ちょうど今と同じように大雪だった。

雪の中、危険を顧みず、赤ん坊を連れて車で連れて帰った。


久住高原での14年間の暮らしは、

家族4人で、自然の恩恵と厳しさを全て受けながら過ごした忘れられない貴重な時期だった。


馬5頭、羊数等、犬、その他、ヤギやうさぎ、など多くの動物に囲まれて

映画のアドベンチャー・ファミリーのような生活をしていた。



その年の9月、

大きな台風19号に襲われ、その施設の殆どを飛ばされてしまった。、

赤ん坊だった娘を抱いて、6歳の息子の手を引き避難所へと逃れ、九死に一生を得た。



それから、1994年2月、娘の4歳の誕生日を祝って、世界一周の旅へと出かけたのだ。

息子は10歳だった。


それから家族4人、400日間の世界一周の旅が始まった。

家族4人の世界一周は史上初、その娘は世界一周最年少記録を持つ。

(こういうことを書くと、娘は嫌がるんだけど)


4歳から5歳にかけて世界一周をした子供は、ボクの知るところ未だいない。


世界一周の時も、

ニューヨークには2ヶ月間住んだ。

ブローウェイにほど近い42丁目のコンドミニアムで家族4人暮らした。


その時も、娘の手を引き、足繁くブロードウェイには通ったものだ。



その娘は、小学校に入ると、バレエにのめり込んでいった。

そして、高校を卒業すると同時に、

ニューヨークのブロードウェイへと挑戦の旅に出たのだ。



それから3年余りを経た、一昨年の7月、ニューヨーカーと結婚した。


その時、セントラルパークでの結婚式に参列すべくニューヨーク入りしたボクは、

相手の家族と大喧嘩をして、結局式に出ず、泣く泣く帰ってしまった。


その経緯(いきさつ)は、当時のブログに事細かに記(しる)している。


それ以来、娘は消息を絶った。



ちょうど今、サンフランシスコに住む息子が一時帰国中である。

まだ、東京にいて、一緒に誕生日を祝っているはずだ。

今週には熊本に帰ってくるという。


彼とも、その時ニューヨークで会ったきりなので、1年半ぶりの再会となるだろう。



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昨夜、テレビドラマ”SMASH"をBS放送のDLIFEで見た。

最終回だった。


”SMASH”は、

ニューヨーク・ブロードウェイを舞台に、

マリリン・モンローのミュージカル「ボムシェル」の製作における舞台裏とその人間模様を描いている。


スティーブン・スピルバーグが製作総指揮を務め、

映画「ヘアスプレー」や、「シカゴ」の製作陣が参加し、

ショウビズ界、演劇界で活躍する第一級クリエーターたちが集結した話題作だ。。


2112年から13年にかけ、

全米の女性たちが熱狂!心揺さぶる夢と衝撃のショービズ・サバイバル・ドラマ。

ブロードウェイ・ミュージカル製作の舞台裏 と人間模様を、リアルにドラマティックに描いている。


今は日本でもDVDが出ていると思うが、

無料のDLIFEで、ボクはほぼ全部(シーズン1、2)を見て、陶酔した。


最終回の昨夜は、不覚にも涙してしまった。



娘は、ブロードウェイの舞台に立つことはできなかったかもしれないいが、

そこでこうして3年8ヶ月の間、頑張たんだなーと思うと、

自然に涙が溢れだしたのだ。



いつまた会えるのか。

会いたい。


東京ディズニーランドのパレードで踊っている娘の姿を見てみたい。



メールでは、お祝いのメッセージは送ったが、

さて、読んでくれるだろうか。


ここでも伝えよう。


"Happy Birthday! Chieli"


【補足】

写真は娘のfacebookから、勝手に拝借した。

「勝手に載せないで!」って怒られるだろうな。


でも、それでも連絡してきてくれるなら、嬉しいから。


彼女は、ニューヨークから帰国後、

一旦、熊本の実家(自宅)にいた。


そのことは分かっていたが、あえて会いに行かなかった。

すぐそこにいるのに。


まあ、元気でいればいい。


ただ、あえて東京に出たことは、

放射能の危険にさらされていることを考えると、

とても心配だ。



【追記】

上の娘(前妻との子供)との再会も23年間待ったのだ。

今は、いつでも連絡を取り合っている。


奇遇にも同じアメリカ人と結婚して、子供も3人授かり、

大阪で幸せな家庭生活を営んでいる。


その娘婿とはボクは適当に連絡を取り合ったりして、うまくいっている。。

「女は家で育児が合理的」

2014年01月30日 | 家族
ひさびさの家族論。


NHK経営委員で埼玉大名誉教授の長谷川三千子氏(67)が、

女性の社会進出が出生率を低下させたとし、

男女共同参画社会基本法などを批判するコラムを産経新聞に寄せ物議を醸している。





このところお騒がせなNHKだ。


長谷川氏は、

「『性別役割分担』は哺乳動物の一員である人間にとって、きわめて自然」と述べ、


日本の少子化問題の解決策として、

女性が家で子を産み育て男性が妻と子を養うのが合理的と主張。


女性に社会進出を促す男女雇用機会均等法の思想は個人の生き方への干渉だと批判し、

政府に対し「誤りを反省して方向を転ずべき」と求めた。


「反フェミニズム」論としてなかなか勇気のある発言だ。


共稼ぎがあたり前のようになっている現代。


ただ、 専業主婦を志向する人は増えている。

2012年の内閣府世論調査では性別役割分業を支持する人が半数を超え、

1992年以来初めて増加に転じた。



「夫は外、妻は家」という性別役割分業が、少子化対策になるのか、

という議論は古くて新しい。


こういう時いつも引き合いに出されるの北欧やフランスだ。


北欧などでは役割分業ではなく、

女性も男性も外で働きながら育児をしやすいよう支援して出生率が回復した。


スウェーデンでは保育所などの支援が手厚く、

父親の育児休業取得率が8割という調査結果もある。


フランスは労働時間の短縮などで出生率回復に成功した。


「先進国の少子化対策の常識は性別役割分業とは逆で男女共同参画が前提」

とフェミニストはいう。


「経済が右肩上がりだった時代でなくなった今、

夫婦2人で働かないと立ちゆかない世帯も多い。

育児も仕事も分け合う方が若い世代の現状には合うし、合理的です」

とうそぶく(boast)者もいる。




だがチョッと待ってよ。

二つの観点が抜け落ちているのではないか。


一つは、

本当に経済的に苦しいのか?ということ。


家や車のローンを抱え、外食をし、服や持ち物にあふれ、

スマートフォーンを持ち歩き習い事に勤しむ。

それでは苦しくもなるでしょう。

子供にも辛抱ということを教えないと。



もう一つは、

肝心な子共のことが無視された議論になっていることだ。


親の都合だけで議論が進んでいる。

残される子供の気持ちは一体どうなんだ。


親がなくても子は育つ、かもしれない。

親が共働きで育った子供も、平気だよというかもしれない。



本心だろうか。


ボクも子供の頃一時期両親がいなかった。

言わなかったが、決して平気ではなかった。

子供心に寂しかった。


お母さんにいて欲しかった。

これが正直な気持ちだ。



ひところDINKという言葉が流行った。

"Double Incom No Kid" (子供無しの共働き)の意味だ。


子共を作る作らないは個人(夫婦)の問題だが、

子供のいる家族は、子共の気持ちも尊重して然るべきだ。


少なくとも小学生、または10歳くらいまでは子供のそばにいてほしい。



子供が手を離れれば、好きなようにやればいい。

それからでも遅くはない。



【今日の格言】


「船頭多くして船山に登る」

Too many cooks spoil the broth.


船に船頭が二人いたらおかしくなるように

家に大黒柱や主婦は二人はらない。



ただ、昨今、

母親が働きに出て、

主夫が子供の面倒を見ることはあってもいいかもしれない。



議論は尽きないだろうが、

歴史がそれを証明するだろう。




【追記】

ヨーロッパの教育、子育て、家族観については、

これも一概に日本に取り入れることはできないだろう。


必ずしもいいとは限らない。

この議論は、また別の機会に。

あれから一年、娘は今・・・

2013年07月11日 | 家族
昨年の今日、7月11日、ボクはニューヨークのセントラルパークにいた。


娘(次女)の結婚式に出るためだ。



相手はアメリカ人、ニューヨーカー。



娘は4年前、高校を卒業すると同時に、

ダンサーを夢見てブロードウェイのダンススクールに留学した。



昨年7月、

もちろん娘の結婚を祝福するつもりで単身ニューヨークに乗り込んだ。




花嫁の父の心境はどこまでも複雑だった。

それでも、なんとか娘の門出を心から祝おうと思っていた。



だが、期待は見事に裏切られてしまった。

ボクはとうとう式に参列することもなく

涙ながらにその場を後にした。





それから一切、娘に会っていはいない。

丸一年が過ぎた。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

結婚してから半年ほど経って、日本に帰ってきたと風の便りで知った。


たぶん、熊本の母親の家にいるようだった。

それからさらに半年が経ち、


母親からの話では、東京で暮らし始めたと聞いた。



そんなバカな!!

なぜ、今東京なのか。

母親の実家が東京なので、そこを頼っていったことは推測がつく。


だが、この時期、何故わざわざ東京に行くのか。


仕事は何をしているのか教えてもらえなかった。

ただ苦労している様子がうかがえた。



ならばなおさら、今、何故東京なのか。


放射能や地震の危険が叫ばれている中、

東北、関東方面から九州へ疎開する人々は後を絶たない。


特に熊本は暮らしやすく、受け入れ態勢もしっかりしている。

ボクの周りには関東から疎開してきた人が大勢いる。


そうした状況の中、

熊本に住むところがありながら、何故東京へ行ったのか。


父親であるボクを避けるためであることは容易に察しが付く。

だが、何故母親は、危険な東京へ行くことを容認したのか。


むしろ東京に行くくらいなら、ニューヨークに帰ったほうがまだましだ。




娘の母親は、

ニューヨークでとったボクの行為を、娘の幸せを考えていないと激しく責めた。

親としてあるまじき行為だと。



否。

自分の娘の幸せを考えない親がどこにいようか。


むしろ幸せを願うあまり、断腸の思いでその場を後にしたのだ。

サンフランシスコに住む息子だけは分かってくれていると信じる。


息子は最後までニューヨークでボクを気遣ってくれていた。

何処までも優しい息子だ。




とうとう結婚式当日まで誰一人姿を見せなかった新郎の親族。

新郎のオヤジは、忙しいことを理由に式当日にさえ姿を見せなかった。


そんな無礼な(rude)家族の下に、娘を嫁がせるわけにはいかない。


そうと知りながら、英語が出来ずエヘラエヘラと媚びへつらう母親の姿を見れば、

父親として、日本人として、ハイそうですかと素直にいえる気には到底なれなかった。


新郎とその家族(プエルトリカン・アメリカン)は、娘を、そして日本人を完全になめてかかっていることは一目瞭然だった。


もしそうでなければ、式の前に一週間もの間、

ニューヨークで待つボクのところに挨拶に来るどころか、電話ひとつ入れてこないわけがない。


これを無礼と言わず何を無礼というのか。



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だが、丸一年が過ぎ、彼らは結婚し東京で暮らしているという。


ならば、熊本に呼び寄せなければならない。

今更娘の旦那に恨みはない。


結婚した以上、娘を幸せにしてほしいと願う。


ボクは彼をとうに許している。


東京で苦労をしているくらいなら、

住むところも、仕事もあり、安全で、済みやすい熊本に呼び戻すべきだ。


それが親としての最低限の勤めである。



母親は15年以上前に乳癌を患った。

ガンは遺伝する可能性が強いという。


娘自身もそうだが、子供を授かったら、その子にも危険が及ぶ確率は格段に高くなる。

そんなことさえ分からないのだろうか。


今すぐ、東京を離れ熊本へ戻って来てほしいと願う。

そうでなければ、ニューヨークに帰れ。



連絡のつかない娘に、熊本に帰ってくるよう母親には進言した。

だが、その深刻さが分からないのか、まるで上の空といった答えが返ってきた。


娘の幸せと、安全を願う親なら、

まず引き留めて、東京へやらなかっただろうし、


行ってしまった今は、強く引き戻すのが親として取るべき最善の行動だとボクは信じて疑わない。



娘もその結婚相手もボクを憎んでいるだろう。

だからボクと距離を置きたいのだろう。


その気持ちはよくわかる。


だが、事態はそんな次元ではない。


ボクは彼を許し、彼を受け入れる用意は出来ている。

だから、今すぐ熊本へ帰って来てほしい。




娘がこのブログを読んでくれることをただ祈るばかりだ。

そして、連絡が欲しい。


とりあえず、

結婚一周年、おめでとう! と言いたい。


もし娘を知る人がいるなら、娘に伝えてほしい。

お父さんは待っている、と。


そして、愛していると。

ファミリー

2013年03月31日 | 家族
ボクには家庭はないが

家族はいる。


自宅はあるが、居場所がないのだ。


だからという訳ではないが、

複数の仕事場や、世界を旅しながらホテル暮らしをしている。


人の見方は様々だが、

ボクの性分にはあっていて、そんなライフスタイルがとても気に入っている。



ボクにはもう一つのファミリーがいる。


それが

「フリートークファミリー」と呼ばれる大所帯だ。


もともとはフリートークのお客さんなのだが、

いわばリピーター、メンバーの方々が主流をなしている。


何処から何処までがファミリーで、という線引きは特にない。


だから流動的で人数も把握できていない。

今のところザット30~50人といったところだろうか。



そのフリートークファミリーの面々が今回もやってくれた。


ボクのホテルを使っての昨夜の

「お泊まりお花見パーティ」だ。











桜の花の下のキャンプファイヤーもファミリーの企画。








    裏山でのタケノコ堀にも挑戦!


パーティは、結局朝方まで続いた。




こうした企画にとどまらず

大人の修学旅行や英会話のイベントをはじめとするいろんなイベントを立ち上げてくれる。


フリートークはもちろんそうしたファミリーのお蔭で成り立っている。


スタッフとお客様が一丸となって運営されていく


これこそがボクが目指した「社会起業」の究極の姿なのだ。




今新たに立ち上げようとしているNPOもこの社会起業という形態を目指す。

出資者が一丸となり、経営に携わり各々の好みと強みを生かして企画を立ち上げ

その中で収益を上げる。


利益の分配は、その働き、労力の応じて平等に行う。


その仕組みを作り上げるのがボクの役割(仕事)だ。


それが、究極の協賛(共産)制度と言えるかもしれない。


フリートークファミリーをもっと昇華させた完全な平等世界を作り出す。

自主性と自由性、自己責任と自己管理といったシステムが働く。


そのシステムを構築するのこそがボクの社旗起業家としてのライフワークなのだ。


社会起業家としてのミッションは

社会正義奉仕精神にある。


そしてそれは

究極のファミリー作りに他ならない。


こうして、小さなファミリーの輪が少しずつ広まり、大きくなっていくことで

世界中がファミリーとなれば、世界平和が実現するのだ。


それこそがボクが目指す社会起業家スピリッツの神髄なのだ。


そしてその第一歩が「フリートークファミリー」だと言える。



素晴らしきかな、フリートークファミリー!

ありがとう、フリートークファミリー!


みんな!愛してるよォォォォォォ!!!!!!!!!!






娘よ

2013年02月14日 | 家族
話は長くなる(Long story)。

さらに話は込み入っていて(complicated)分かりにくい(confusing)かもしれない。



このブログは、

サブタイトルにあるように3人の子供たち当てて書いている。


再三述べているがボクには3人の子供がいる。

それだけでも幸せだ。


上から、娘、息子、そして娘。


上の娘は前妻の子供である。

下二人は同じ母親から生まれている。


つまり上の娘と下の二人の子供たちは異母兄弟である。

昨今さして珍しいことではない。



問題は、上の娘(前妻との子供)と、現在の妻との間の確執(?)(discord)から始まる。


4歳の時別れた娘が、23年ぶりに会いたいと言ってきたとき、

今の妻が、「会うなら私と別れてから会って」、と娘との再会を拒否した。


一旦は、妻の気持ちを尊重したが、最終的にボクは別れた娘と会うことを選んだ。

その選択は間違ってはいなかったと今でも確信している。



それから事実上の別居が始まって早5年。


アメリカ人と結婚し大阪に住むとは、仲良くやっている。

昨夜もチャットで話をした。


サンフランシスコに住む息子とも姉弟として良好な関係を築いてくれている。





そんな中、今の妻は、7歳から始めた娘のバレエをステージママとして一心に支えてきた。

バレエに執心する下の娘は母親ベッタリで、

父親であるボクとじっくり会話する時間が持てなかったことも事実だ。


母親との不和を感じている娘が父親を敬遠する気持ちもよく分かっている。



だが、高校を卒業しニューヨークへダンス留学する娘をボクも心から応援した。


そして、2年後の去年7月、ニューヨークでアメリカ人と結婚した。




結婚式に出席すべくニューヨーク入りしたボクを待ち構えていたのは

娘の夫になる男の不誠実と、その家族のボクに対する冷たい仕打ちだった。



式当日、ニューヨークのセントラルパークでその家族と口論したボクは、

娘の結婚式に参列することなく失意の元帰国した。


そのいきさつは、当時のブログに詳しく書き留めている。



このニューヨーク事件が、ボクから娘をますます遠ざけてしまった。


それ以来半年間、彼女とは一切連絡をとれていなかった。




そしていきなり今回ぼくのfacebookのタイムラインに載せた何気ない記事へ娘から送られたコメントだ。


ボクは、その内容より彼女の方からボクにコンタクトして来てくれたことに狂喜した。


元気でいてくれたことが分かっただけでも嬉しかった。

娘のボクを批判するコメント内容は散々だったが。


しかも、メッセージではなくみんなが見れるコメント欄にぶちまけてきた。

ボクは敢えて削除しなかった。


親子の恥、家族の恥とも思える内容を世間に晒してまで

父親を罵倒したかったのだろうから。



それで気が済むのならそうすればいい。

ボクは敢えて否定も肯定もしない。



ただ娘がボクのことをそういう目で見ていることだけは分かった。

受け止めよう。


彼女の言う 「本気で受け取らないといけないことまで見失うほどに」

面白おかしく、お気楽そうで能天気に生きるボクの生き方に批判的であることも含めて。



「本気で受け取らないといけないこと」とは、母親のことであることは推測に難くない。


そんな生き方に娘ならずとも、批判する他人が少なからずいることをボクは知っている。





それでもボクは僕の生き方を貫くだろう。

例え娘や周囲から理解されなくても、


ボクは自分を信じ、信念を貫き通して生きることを決めたのだ。




―――――――――――――――――――――――――――――――


ボクは子供のころ両親のいない暮らしを余儀なくされた。


叔父や叔母の冷たい視線に晒され、もまれながら歯を食いしばって生きてきたことが

ボクを打たれ強くしたのだろう。



どんな批判も甘んじて受けよう。

だがボクは自分の信念を曲げるつもりはない。



残されたわずかな命を、この信念とともに捧げるつもりだ。


2度の結婚に失敗し、娘に悲しい思いをさせてまで貫き通そうとすす信念とはいったい何なのか。


我儘だ、自分勝手だ、いい加減だと批判されながらも

頑(かたく)なに守ろうとしているものと一体は何なのか。



過去に負った傷とともに、

過去に犯した罪を償いつつ、


こんなボクでも頼りにし、愛してくれている人がいることを忘れることは出来ない。



それが何にせよ、行動を起こすもには批判は付き物なのだ。

それを恐れては、何もできない。



それを恐れて、やりたいことを捨てるのか、

拘って重圧に負け、心を苛んでいくのか。



否。

邪魔するものを払いのけてでも、ボクは自分の信じた道を進む。

愛し慕ってくる人がいる限り、ボクはその人たちのために命を懸けて尽くす。


消えかかる命の灯を必死で燃やし続ける人がいる。

その人のために

Let me die instead!と言おう。


それで救われる人がいるのなら残り短いこの命を捧げよう。



迷いは生じても、揺るぎはない。

落ち込んでも、立ち上がる強かさを失っていはいけない。


ぶれない、めげないをモットーにして。



決心と覚悟は、勇気を産み自信を育む。


周囲の声に紛らわされることなく、

自分の内なる声を聴け。


世間を相手にするのではない。

これは、自分との闘いである。


――――――――――――――――――――――――――――――

少し熱くなり過ぎたようである。

頭を冷やして冷静に話し合おう、娘よ。


思えば、君とじっくり話したことは数えるくらいしかないような気がする。


こんなお父さんでも、紛れもなく君の父親なのだ。

ユックリ語り合わないか、娘よ。


怒り、罵られても、甘んじて受け入れよう。


ボクはいつでも君を待っている。

心を開いて語り合おう。


君の幸せを心から願っている。


愛しているよ。

親の願い

2012年09月12日 | 家族
親の願いはただひとつ、

子供たちが、頑張って一生懸命生きていて、

幸せになること。


それ以上は何も望まない。


幸い、3人の子供たちはそれぞれの形で頑張って生きている。


三人手を携えてとは言わないが、

辛いとき、苦しいときは支え合ってほしい。


ボクが我儘でいい加減な分、

子供たちに心配や迷惑をかけていることは分かっている。




親が子を想い、子が親を想う。


こんな当たり前のことが、難しい世の中。


ボクは最高に幸せな親だと思っている。


こんなに自由で、楽しくて、好き勝手やってられるのも、

子供たちがみんなそれぞれ独立して、

元気に人生を生きているからだと思う。



30にも40にもなって結婚もせず、親離れできない

パラサイトシングルと呼ばれる子供も多い昨今。


親も子にすがって生きている光景も時折目にする。



―――――――――――――――――――――――――

心配ないよといっても、心配するのが、親。


それはいくつになっても、同じだ。

幾つになっても、子は子、親は親に変わりはない。



84才のボクの母親も、

寝たきりになってもボクを気遣う。



何しとるね。

元気ね。

仕事はしよるとね。

お客さんは来るとね。

ご飯は食べよるね。


そうして涙を流す。


もう立って歩くことも、

自分で食事をすることもできないだろう。



その姿を見るにつけ、

どれだけ心配をかけてきたかと、申し訳ない気持ちにさせられる。



母は、おむつをさせ、食事を与えてくれ、洗濯もしてくれた。

今はすべてが逆の立場だ。


それでも、子供を気遣っている健気な姿がそこにある。




親ってホントにありがたいもんだ。

そして、いくつになっても子供って可愛いものだ。


心配は尽きないけれど。



―――――――――――――――――――――――――――――


子供たちは皆成人し、立派に育ってくれた。


親の責任は、

子供を自立させ、社会に送り出し独立させることだ。


社会人として一人前にすることだ。


そういう意味では親としての責任は一様果たせたかもしれない。



ボクの母親は、寝たきりながら存命している。

ボクを産み、ボクを育て、亡きオヤジとともに一人前にしてくれた。


こんな幸せな人生を授けてくれた両親に感謝している。

産んでくれてありがとう。


両親のもとに産まれてきてホントに良かった。


子の親になり、曲がりなりにも子を育てあげた今、心底そう思う。




親より先に逝くのは親不孝の最たるものという。


自分の子供たちの恙(つつが)ないこれからの人生を願うともに、

ボクもまだまだへたばるわけにはいかない。


少なくとも、母を看取るまでは。