世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

夏の異変

2015年07月31日 | 100の力
テーマ: 異変力


次々と変化が起きている。

いや変化を起こしているといったほうが適切かもしれない。

もっと言うなら、変化を引き寄せている。


死んだように生きている人が多い。

静より動の人生が面白い。

どこまで行くのだろうか、自分で推測できないくらいに変化が激しい。


個人に限ったことではない。

世の中全部がそうなのだ。

日進月歩(rapid progress)に変わって秒進分歩とさえ言われる現代。



気象が異常なら、人生も異常の様相を醸し出す。


これまでの人生の中で、

今が一番忙しく、もっとも充実し、最高の幸せを感じる。


遊びが仕事で、仕事が遊び。

いや、

人生そのものが遊びなのだ。

しかも命を懸けた遊び。

生半可(suoerficial)なものではない。

旅と女と酒とビジネスのすべてにおいて命懸け。

どれ一つ欠けてもボクの人生はあり得ない。



今月の福岡の店とオフィスのオープンに伴い、

活動の幅が一気に広がった。


呼応するかのように、

フリートーク熊本も、阿蘇・西原村のドゥリーミン・カントリーも大きく変化の兆しを見せている。

海外も同じ。

9月の訪越に向けての動きの中にも今までと違った方向性が見えてきた。


脱皮を繰り返すような変化と成長。

自分自身もどこまで行くのか予断を許さない。

この不安定さと危機感がたまらなく快感(druggy comfortable)をもたらす。


人生の最骨頂(真骨頂と最高潮を掛け合わせた造語)なのかもしれない。



奇妙な同棲生活

2015年07月30日 | 100の力
テーマ: 同棲力、 成り行き力


彼女がここに来だしてから約10日が経つ。


お手伝いしますから、寝泊まりさせてください。

そういって、掃除、片付けを熱心にやってくれる。

正直、有難迷惑的なところも。

時に手料理も作ってくれる。


何が何か訳が分からないままに、昨日彼女は身の回りのものを持って本格的に引っ越してきた。


     しばらくこうした状態が続くのだろうか

隣の部屋では彼女が寝ている。




居候なのか、住み込みの家政婦さんなのか。

何やら困っているようだから、とりあえず様子見状態。


肉体関係はまだない。

今のところ、と言ったほうがいいのかも。

だけど、たぶん、これからも。

自信はないけど(-_-;)。

成り行きに任せよう。


課題は自分で創る

2015年07月29日 | 100の力
テーマ: 課題力、無謀力、共感力、 独創力


自分で課題を創る。

人から言われてやるのではない。


パッと閃いたらすぐノートにメモする。

思いつきを少し整理して、頭の中でまとめてみる。


大まかなアイデを書き出す。

趣旨、目的、意義(使命)、問題点などなど。


数人の人に話す。

意見を求める。

問題点を指摘してもらう。


問題の解決方法を考え、書き出す。


数回繰り返しながら、企画書としてまとめる。

告知する。

反応を待つ。



別にやる必要はない。

何の義務もない。

だけど、やれば面白い。

だったら、やる。


ただ、やり始めたら責任が生じる。

いい加減だったり、途中で辞めたら信用を失う。


問題は、出来るかできないかではない。

やるかやらないかが問題なのである。


実現できる夢だから脳裏に浮かぶ。

脳裏に浮かんだことは、有無を言わさず即実行。

すべては思い付きから始まる。

ある意味、無謀(reckless)。

無謀こそ人生を面白くする。

Reckless makes the life fun.



というわけで、「ベトナムフェスティバル in Fukuoka」 始動しました。

今、福岡在住の関係する個人の方々に協力をお願いし始めたところです。


福岡はボクに取ってまだまだアウェイ。

現状把握の一環として、地元の人の意見を幅広く集め、尊重しなければならない。

素直に、謙虚に、心と頭を白紙にして乾いた砂のように水を吸収していこう。

初心に帰って。


実行委員会のメンバー集めと、

サポートボランティアスタッフを募っています。


少しでも関心があるかたは、ご協力ください。


独自、独創、独特。

ただ、独力ではできない。

共感していただいて、

皆さんの一人一人の力が必要です。

係るすべての人たちがアーティストとなって、草の根で成功させます。



【追記】

こうした大きな企画は、まずスポンサー集めから入るのが常道かもしれない。

大手の関連する行政や機関を回って資金調達を始めるだろう。

数千万円の資金が必要となるわけだから。


だが、ボクのやり方は違う。

関心を持つ個人の人に呼びかける。

その一人一人の人たちの英知を終結させるところからスタートさせる。

一人一人のパワーを集める。

そのやる気が情熱となってさらなる人を感化する。

共感が共感を呼び、想像をはるかに超えるパワーとなって周囲を動かすのだ。


一人一人のの小さな力も、5人、10人、100人と集まれば巨大な力になる。

今はそういう時代なのだ。


何気ない小さな一つの出来事が世界を変える。

そんな時代なのだ。


お金(資金)は情熱のあるところに集まる。

Money follow passion.

なぜ中国はベトナムに絶対に勝てないのか

2015年07月28日 | 100の力
テーマ: ズル賢力


安保法案が参院で審議入りした。

戦争か平和かなんて、世論は真っ二つ。

戦争になるかならないかは別として、

武器を持てばそれだけで標的になりやすい。

丸腰の勇気がないどこかの国と同じ臆病者になり下がるだけの話だ。


憲法改正、法案賛成派はこぞって中国脅威論を持ちだす。

集団的自衛権こそ戦争抑止力だと。

きっと腰抜けの愚かな集団の仲間入りをしたいのだろう。


はっきり言おう。

平和憲法こそ最大にして最強の戦争抑止力なのだ。

2010年ころからfacebookを始め、SNSの影響力が強まった。

世界で何が起きているのほぼ透視できるようになり、

烏合の集団が立ち上がっている。


中国の脅威にビビるほど武器を持ちたくなる。

丸腰の勇気すらない。



日本が世界から尊敬を集めるのなぜなのか。

技術力だけではない。

勤勉な国民性と丸腰の勇気があるからに他ならない。



話して分かる相手ではない、という。

そうだろうか。

それは日本が交渉能力、外交能力に欠けるからではないだろうか。

おべんちゃら外交は友達同士の間には通用する。

それでもお友達は敵対国であったキューバやイラン、ベトナムをも味方に巻き込む強かさを兼ね備えている。


今の日本にはそれができない。

強かさの微塵もない。

だから短絡的に武装に走る臆病者。

いつから日本民族はこんなにも愚かになってしまったのか。


話し合いをするにも、軍事力という後ろ盾がないと説得力に欠けるのでは、とも言う。

不幸にも今の世界はその通りだ。

だが、日本はすでにその後ろ盾を持っている。

少なくとも持っているように見せることはできる。

ポーカーのように。

話し合いは、交渉であり、駆け引きである。

それは政治だけではなくビジネスにおいても同じだ。

今の日本人はそれが極端に下手だ。

だからビジネスでも負ける。


日本は現在原爆5975発を作れるプルトニュウムを持つ。

核の脅威をちらつかせるやくざ国家には言えばいい。

一晩で作りますよ、って。

これがポーカー(外交)交渉術だ。

ある意味ハッタリを効かすのだ。


日本はベトナムを見習うべきだ。

特に外交においては。


ベトナムは中国のみならず、一度も戦争に負けたことはない。

対フランス、カンボジア、ラオス。

それでいて、全方位外交を打ち立てている。

だからテロの脅威もない。


敵をして敵なからしむ。

合気道の精神に通じる。


それは、自信と誇りに裏付けされた毅然とした態度にほかならない。

日本はもっとベトナムのように良い意味でズル賢くならなければならない。


自国の主権は徹底的に守る強硬姿勢を示し、

国際世論を味方につけつつも、中国との関係を破壊する「決定的な衝突」は避け、

結果的に中国側を撤退させる。


何でもかんでも大国に憧れて真似するような子供じみた振る舞いはしていない。

もちろん、尻尾も振らず、言いなりにも決してならない。

どの国との付き合いに対しても変に媚こびず、傲慢にもならない。

隣国に対しても言うべきことは言い、助けるべきときは助ける。

それでいて世界の中できちんと存在感を持っている。


決して自分たちが頭を下げるような交渉をしない。

相手が頭を下げるように仕組む。

「お願い外交」のような交渉など、論外である。


そもそも、自ら手の内を明かすようなことは絶対にしない。

弱みは決して見せない。

妥協案を腹の内に持っていても、最後まで口をつぐんでいる。

相手が最後の最後に本当に困ってきたところを見計らってタイミングよく妥協案を提示する。


最初は徹底的に相手を追いつめる。

しかも、相手が追いつめられているとは気付かないように真綿でじわじわ首を絞め付けるようにである。

そうして逃げられないようにして、相手が弱ってきたところで「ここらが相場だろう」と手を打つ。


孫子の兵法を中国以上に心得ている。



日本のように媚びる外交は全くしない。

このままでは日本は従軍慰安国になり下がる。


日本人の陥りがちなものに教条主義がある。

一度決まったもの、前例のあるものについては「こういうものだから」とガチガチに固まった思考をしてしまう。

交渉において、柔軟さや臨機応変というものがない。

決められたことを決められた範囲でのみ処理していくのは、役人根性である。

自分の役回りと権限を守ることのみに固執して、そもそもの交渉事のダイナミクスが抜け落ちている。

そこを打破し、ベトナムのように大国とも伍することができるようになるために、

今の日本に必要なのは「異質と組む勇気」なのだ。


教条主義、孤立した内向き思考が、短絡的かつ単細胞的軍国主義に走らせてしまう。

どうして日本人はこうも愚かな民族になり下がったのか。


ベトナムに学ぶことはあまりにも多い。



【追記】


今や尊敬される日本人からバカにされる日本人へと世界の評価は下がりだしている。

その理由の一つに、

日本人て英語しゃべれないよね、だ。


それに加えて、

世界で最も貴重な平和憲法をかなぐり捨てたら、

ますますバカにされることは必至だ。


集団的自衛権を世界は支持しているという。

そりゃあそうだろう。


喧嘩ははたで見ていて面白。

周囲は興味本位にやれやれと煽り立てる。

それに乗るほど日本人は本当にバカになったのか。


反対する中国・韓国のほうが本当は手ぐすね引いて待っていることに気付かない。

丸腰の人間は打てないが、武器を手にした相手には正当防衛が成り立つ。

Take a gun!

No! Never.

クリントイーストウッドではなく、

バックトゥーザフューチャー2のマーティのようになれ。

ビッグな企画が目白押し

2015年07月27日 | 100の力
テーマ: 企画力、行動力、実行力、宣言力


Biggest Project


『ベトナムフェスティバル in Fukuoka(べトフェス福岡 VFF)』を開催することにしました。


主催は、

立ち上げ時は、「NPO法人インターナショナル・プロジェクト協会」 および 「ベトナムカフェかもん」が当たります。


これから、『べトフェス福岡』の実行委員会を設立します。


実行委員会の構成機関候補としては、

在福ベトナム総領事館 を始め、

福岡県、福岡市、県商工会議所連合会、県商工会連合会、国際協力機構 JETRO、

県観光協会、ベトナム航空、ベトナム人留学生支援会、および各NPO,NGOなどを想定し、

これから依頼しに回る予定です。


皮切りに、本日、在福岡ベトナム総領事館を訪れ、副領事と面会しその旨お伝えします。


実施時期は、来年(2016年)5月14日及び15日を考えています。

場所はこれから決めます。

候補地としては、福岡市役所のふれあい広場か天神の中央公園を検討しています。



今年6月、東京・代々木公園でベトナムフェスティバルが催され、大成功を収めています。


ナント2日で18万人もの人が訪れた

9月には神奈川、

10月には東北でも行われる予定です。


ちなみに福岡では、

2012年9月にアクロス福岡で「ベトナムフェスティバルin福岡」が開催されています。

これは、日越国交樹立40周年と福岡県とハノイ市の友好提携締結5周年を記念して行われたものです。




企画主旨:


福岡市とハノイ市は姉妹都市関係にあり、

昨今、福岡県とベトナムとの間では経済や人材など多方面にわたり交流が深まっており、

特にベトナムからの留学生、技能実習生など若い世代の方々が急増しています。

 
こうしたなか、関連するビジネス、文化、音楽、食、観光など幅広い分野において交流と理解を一層深めるべく

ベトナムフェスティバル福岡を実施するにあたり、、各種団体で構成する実行委員会を結成することといたしました。


目的:

ビジネス、文化、食、観光、人など幅広い分野での日越交流イベントの実施を通じて

相互の交流を促進し、人や企業、団体など多岐にわたる相互往来を増進させる。



同時に、この主旨に賛同して開催準備期間、当日お手伝いしていただけるボランティアスタッフ、サポーターの方々を募集します。

個人、団体、国籍等は一切問いません。

もちろん、ベトナム人の方は大歓迎です。


このビッグイベントにかかわることで、一層絆を深めましょう。



思いついたら即行動。

今日から始めます。

また休めない日々が続きます。

彼女との再会

2015年07月26日 | 100の力
テーマ: 再会力、執念力


「ずっと君を探してた」

彼女を見た瞬間、歌の歌詞のようなセリフがボクの口を突いて出た。



彼女に初めて会ったのは、今年の2月。

福岡であったベトナム春節(テト)のパーティ会場だった。


そのとき彼女は司会を務め、歌を何曲も披露した。

ボクは彼女のパンチの効いた歌に魅かれた。

彼女は長崎に住んでいるといった。

ボクは彼女に名刺を渡し、「連絡頂戴ね」といって別れた。

だが、それっきりになってしまった。


そして昨夜、ベトナムカフェ”かもん”でのたこ焼きパーティに彼女はひょっこり現れた。

5か月ぶりの再会。

彼女はやっぱり歌を披露してくれた。





どうやら役者が揃ってきた気配がする。


      福岡の有名人(?)Bobの弾き語り


これをボクは新興国恩恵と呼ぶ。

伸び盛り、若者のチャレンジ精神が旺盛、勢いを感じる、とにかく前向き etc.

今の日本に欠落しているものがすべてそろっている。


ボクはひたすらに滅私奉公(Selfless devotion)に努めるのみ。



【追記】



ちなみにこれが、2月にパーティで出会った時の写真。

器量と遊び

2015年07月25日 | 100の力
テーマ: 器量力、遊び力


器量とは、

相手の背景までもを理解し、受け入れることのできる器の大きさ、

つまり心の広さや深さの事をここではいう。


器量を大きくする7つの方法というものがある。


1 【1】多くの本を読む
2 【2】何事も『体験・経験する』
3 【3】『器量の大きい人』に触れる
4 【4】多くの人の人生に触れる
5 【5】『苦手なあの人』がそうしなければならない理由を考える。
6 【6】執着しない
7 【7】一人の時間を持つ


RAF spirits.

認める(recognize)こと、受け入れる(accept)こと、そして許す(forgive)ことだ。



器が大きい、器が小さい

a man of large calibre―a man of small calibre.



先日93歳の天寿を全うした哲学者鶴見俊輔さん。

彼は、まさにリベラル(自由主義)の急先鋒(an active leader) であったといえるだろう。


どんな主義主張にも拠(よ)らず、とことん自分のアタマと自分のコトバで考えぬく。


一貫していたのは、特定の主義や党派によらず、個人として考え、行動する姿勢だ。


いつも機嫌よく、忍耐強く、どんな相手にも対等に接した。

女・子どもの味方だった。

慕い寄るひとたちは絶えなかったが、どんな学派も徒党も組まなかった。


彼は孤高の人である. He keeps himself above all the vulgarity around him.


多様性を持った一匹狼。


こういう人が極端に少ないのが今の日本だろう。



正義と民主主義について。


一部の者が「絶対的な正しさ」で大衆を引っ張ることを警戒し、「烏合(うごう)の衆」に期待をした。

違う考えを持つ、バラバラな人々が、そのことを自覚することで、思想的な強さになるのだと。

「鉄の団結」は考える力を弱めてゆく、という。


一人ひとりが自分の思いで動き、民主主義を渇望する行動の中に、この思想が息づいている。


(㊟ 一部朝日新聞から抜粋)


大事な時に憧れのライフスタイルを貫いた人がまた一人旅立った。

合掌。

凌ぐ力

2015年07月24日 | 100の力
テーマ: 凌ぐ力


この難局をどう乗り越えるか。

手腕が試されている。



何としてでもこの場を切り抜けなければならない。


今回の投資で、約200万円の借金が増えた。

その返済が迫っている。


1000万円の借金を抱えて久しい。

減るどころか、増え続けているのはどういう訳だろう。


その原因は単純かつ明らかだ。

収入に比べて支出が多いからに他ならない。


決して衣食に贅沢しているわけではない。

むしろ質素に暮らしている。


衣類は買わず、食事も一日一食するかしないか。


問題は、投資だ。

それも実店舗投資と旅。


この5年、ビジネス展開を仕掛けてきた。

熊本のフリートーク、ベトナムの事業、そして福岡。


さらに税金が重く乗っかかる。

この国は年を取れば取るほど暮らしにくくなるようになっている。

まさに老人地獄の様相。

実に厄介な国だ。


だが、他の国に比べれればまだましかもしれない。

新興国の急激な発展は矛盾をはらむ。

日本は良いも悪いも東洋の先駆け的お手本となっている。


日本が、30~40年かけて発展してきた道をわずか10年そこらで踏襲しようとしているのだから。

早晩、多くの新興国に高齢化の波が押し寄せる。

その時の社会保障制度は拙い。



それにしても、我が身を振り返れば厳しい資金繰りが続く。

これまでもずいぶんとヤバイ橋を渡ってきた。

たぶん、死ぬまで茨の道を歩き続けるだろう。


自分が苦しむ分、誰かが楽になればそれでいい。

ただ、少なくとも子供たちには負債を残さないようにしなければならない。