世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

納豆工場視察

2013年11月30日 | 仕事
孫子いわく、「敵を知り己を知れば百戦殆うからず」と。

know your enemy, know thyself, and you shall not fear a hundred battles


Know yourself as well as your enemy.(敵を知ると同時に自分自身を知れ)


敵ではないが、要は相手のことをよく知ることが必要だ。


モノ(商品)を売ろうと思うなら、

その商品のことを熟知していなければならない。


ということで、

納豆を海外で売ることを決意したからには、

納豆のことをよく知る必要がある。


その第一段階として、納豆工場を訪れた。





もうひとつ大事なことは、

自分が売る商品に惚れ込むことだ。


幸いボクは納豆が大好きである。

それを人に広めることに何の抵抗もない。


実際納豆はヘルスィでありダイエットにも役立つ。


普段は何気なく食べているものが、

どうやって作られるのかを知ることはとても興味深いことだ。



まずは、現地の人に食べてもらえることを証明しなければならない。

売れることを実証し、

メーカーにビジネスになる(利益になる)ことを知ってもらうことだ。


そこの会社に貢献し、消費者のためになれば必ず売れる。


まず自分が好きで、売れることを確信しなければ、ビジネスにはつながらない。



ついでの、同会社の納豆工場、豆腐工場も案内していただいた。



これがこんにゃく芋。


これから、こんにゃくができる。


   これはサラダ用の糸こんにゃく。





    これは新発売、豆腐のデザート、美味だ。


案内していただいた工場長と。







【補足】

ビジネスの鉄則。


自分が好きであるか。

好きでもない商品を、人を説得して売ることはできない。


商品を売りつけようとするな。

自分を売り込むこと。


自分がその商品を使う(食べる)ことで、幸せになっていること分かってもらわなければならない。

だから、眉間にしわを寄せて話しても無駄である。


にこやかに、本当に楽しそうに話すこと。


これを使用(利用)すれば、こんなに幸せになることを自から証明すればいい。

売りつける必要は一切ない。


商品を買ってもらうのではなく、自分を買ってもらうのだ。


自分を気に入ってもらえれば、

自分が使っている(食べて)いるものも気に入ってもらえる。


売れないのは、反対の人が多いからだ。。

東南アジア進出戦略

2013年11月29日 | 国際
毎回述べているが、

職種を問わず、日本人は東南アジアへ進出すべきである。



アジア経済アナリストの紺野昌彦によれば、


現在海外に進出している日本企業の数(日系海外現地法人数)は2万3858社あが、

個人レベルでの零細企業は含まれていないと想定されるので、この倍はあると見てもよいだろう。


統計上では日本国内の法人数が約250万法人と言われているので、

まだ1%程度しか海外に進出していない事になる。


チャイナリスク以前は、中国が5割を占めていた日系企業の進出ラッシュだが、

タイ(8.0%)、インド(6.6%)、インドネシア(6.5%)と進出先が分散し東南アジアに大きくシフトしている。


彼は、タイやカンボジア、ミュんマーで精力的に事業を展開している。


彼の海外ビジネス進出テクニックをご紹介しよう。


① まず、乗り込む半年くらい前に

データ上の解析や、資料の調査、いわゆるフィージビリティースタディーを開始する。


ネットに氾濫する情報の精査、

そして銀行系シンクタンクの指標、国際機関の指標などをチェックする。




② そのうえで、調査・解析した情報をWeb(メルマガ、ブログ)で開示する。

これは、新規の集客マーケティングツールにつながり、

進出後のプロモーションツールに成長もするからだ。



③ そして、重要なのがFacebookの活用である。

国内の知人とつながるだけではなく、

進出予定・投資予定の国に住んでいる現地人のFacebookユーザーとつながる。


特に東南アジア方面は、日本語が理解できるユーザーも多く、

数名見つけると、すぐに情報も集まりやすくなる。

日本語を話せる人は、

日本とビジネスがしたいと思っている確率が非常に高いので、

のちに大きな情報力や協力者、時には従業員にもなりえる。


おおむねこれらの進出をちらほら考え出した半年から1年前には確保済みにしておく必要がある。





④ 現地に乗り込んでからは、

市場調査マーケティングリサーチを開始する。


生活物価から、地価の調査、法的基準などジャンル外も併せてそれらは多岐にわたる。

生活雑貨の価格、食材の価格や流通の経路、

季節により価格が変動するもの、海外流通に頼らなければいけないものなど、

物質的なものから、電話の契約、電気、ガスなどライフラインの単価や仕組みの違い、

インターネットの回線やカード端末の契約などでの企業レベルやリテラシーがしっかりと身に付く。


また現地人の起用によりさらなる現地情報の精度も上がるし、

法令面、税務面も直接調べ、実際に作業することで机上の知識から実務レベルに上昇する。



⑤ 専門家をパートナーにする

もちろん専門的な事もかなり必要となるので、

欠かせないのが現地の法律事務所や会計士事務所との顧問契約だ。


大きなビジネスに発展させるためには、

これらの法整備、税務面の事例研究は欠かせない。

特にわれわれ外国人は、異国ではある意味不利な立ち位置でもある。



⑥ ビジネスツアーを開催する

これらのロール作戦で得た現地情報や現地開業のノウハウを利用して、

ビジネスツアーを開催する。


ここで企業進出のサポート業務などにシフトする。


そこで一気に情報力、組織力がつく。

要するに、海外事業は視察するだけではなく、まず何かをするのが決めてとなるのだ。

なぜなら、まずは何かを始めるのが大切な第一歩だからだ。


ビジネスツアーで収益を上げる。

基本的にこれらの収益が進出国での1号店を出店する場合の原資となる。


だからこそ、出資は50万円ほどで済むことになる。


こうして情報開示はさらにレベルを増し、

事例も多くなり、さらなる独自の解析や統計比較も精度を増していく。


また地元の有力なコネクションもでき、

当然ながらビジネスの質も上がり、

取引する企業の規模も資本も大きくなるというロジックができあがる。


これで建設案件や、現地に進出済み企業とのジョイントベンチャー案件などにつながるという仕組みが出来上がる。




⑦ 組織化し次の国、次の事業へと発展させる。




2~3年先ではもう遅すぎる。

3年後では選べる業種も少なくなり、先駆者メリットも半減することになる。


まずは飲食店もなんでも赤字覚悟で進出することだ。


新興国での小規模事業は赤字になったそしても月に10万円前後。

数ヶ月辛抱すれば取り返せる。


それより、そこで得られる情報と、蓄積されるノウハウはその対価ではお金で買えない貴重なものとなる。


その異国の地で得た成功ノウハウは、

振興国での先駆者メリットが初めて使えるようになる最初の条件なのだ。




彼は海外進出して18年というが、

ボクは、本格的に店を出したのはまだ半年ほど前だ。


ベンチマーク店舗として開業したわけだが、

これを経験することで見えるものが相当多くなってくる。





ボクの場合、ベトナム進出を足がかりに

カンボジア、フィリピン、そしてミャンマーへと拡大していく予定だ。



さあ、君も今日から(明日からではなく)、東南アジア進出の準備に取り掛かることをお勧めする。


何からどうしたらいいのかわからない人は、

すぐボクのもとに集結してください。


NPO法人 「インターナショナル・プロジェクト協会」は、

あなたの夢のお手伝いをしています。


お気軽のドアをノックしてください。



【追記】


来年1月、ベトナムへのビジネスツアーを開催します。

詳しくはまた、このブログやfacebookを通じてお知らせします。



さあ、今日はこれから、納豆工場の視察に行ってきます。

結果はまた明日のブログで。


お楽しみに。

バイリンガルは当たり前

2013年11月28日 | 国際
我々日本人は日本語が話せるのは当たり前。

我々地球人は、英語も話せて当たり前の時代。


だからこれからは、日本語、英語プラスワンの時代が来る。

ヨーロッパ、とりわけスイスの人は5カ国語も6ッカ国語も話せるという。


英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語、オーストリア語、スペイン語などなど。

ところがスイスなどは純粋な母国語を持たない。

スイスドイツ語、オーストリアドイツ語であり、公用語はドイツだ。

そして、5ヶ国語話せても、読み書きはできないことが多い。


だが、ある意味それでいいのだ。

完璧に読み書きまでできなくても、日常のコミュニケーションには支障がない。


途上国に行くと、日本語で「こんにちは」と寄ってきてはモノを売りつける。

だからといって日本語が書けるわけではない。

生きていく上で必要不可欠なだけなのだ。



日本人も生き残るには英語は必須なのだが、

まだまだ日本語だけで生きていこうとする人間が多すぎる。


日本人は英語ができない、苦手というだけでどれだけ経済的損失をこうむっているのだろうか。


英語は話せて当たり前。

ひとつ外国語を覚えると、第三、第四の言語は比較的簡単に覚えることができる。


ボクは英語とスペイン語を話すが、

今、それに加えてベトナム語と中国語に挑戦している。


どこの国に行っても、こんにちは、ありがとうくらいはすぐに覚える。

それだけでも受けは良くなる。



日本人は世界で最も優秀な民族である。


勤勉で、真面目で、独自の文化を持ち、素晴らしい国民性を持っている。

なのに、グローバル時代に取り残されつつある。


それはひとえに語学力、英語力の無さに起因すると言ったら言い過ぎだろうか。

シャイで控え目な国民性は決して悪くはないが、世界でビジネスをするにはあまりに脆弱すぎる。



国内だけのお山の大将も悪くはないが、

意欲のある人間なら世界を相手にすべき時なのだ。


語学力を磨くと、不思議と性格もアグレッシブになっていく。

つまり、グローバルモードに変化するのだ。




既にアジアへの進出は最終段階に入っている。

いわば最後のチャンスなのだ。


それすら気づかずに安穏としている日本人を見るたびに、

この人大丈夫だろうか、と思ってしまう。



国を決め、販売チャンネルを調べ、直接コンタクトして

どのような顧客にアピールできるのか、

顧客にヒアリングして、新たな製品コンセプトを設計して、

どんどんプロトタイプで営業していかなければならない。


そのためには、経営戦略が不可欠なのである。

具体的な戦略と実行(行動)こそが勝敗を決める。


ボーッとしている暇はない。



【追記】

ボクの、これからの”納豆海外進出戦略”をとくとご覧いただきたい。




どうすれば英語がしゃべれるようになるのか

2013年11月27日 | 英語
昨夜の英語のイベントで出た質問。




英語がしゃべれる人は、一体どうやってしゃべれるようになったのか?

最もな疑問である。


どんなに勉強したって、しゃべれるようにはならない。

翻訳家がしゃべれるかというと、喋れない人が多い。


TOEIC900点台の人にも、喋れない人は多い。

海外に留学した人がみんなしゃべれるかというと、圧倒的に喋れない人が多い。

英会話スクールに長年通っても、流暢に英語がしゃべれる人は少ない。



じゃあ、一体英語がしゃべれる人ってのは、

どうやってしゃべれるようになったのか、という素朴な疑問を持っても不思議ではないだろう。


「成功したければ、成功者に学べ」という。



英語がしゃべれる人に共通することは、

ボクを含めて、英語環境にどっぷり身を置いた人だということに尽きる。


どうしても英語を喋らなければ生きていけない環境に身を置くのだ。


ボクは、海外を旅することで英語環境にどっぷり身を置いたし、

外国人と一緒に仕事(生活)をすることで、ますますその傾向に拍車がかかった。



もちろん、漫然と浸っていてもしゃべれるようにはならない。

「英語をしゃべりたい」という強い意志が必要だ。



「しゃべりたい」と、「喋らなきゃいけない」という2つの条件が揃った時、

初めてしゃべれるようになるのだ。


すなわち、能動的で、強制的でなければならない。



英会話に限らずどんなことでもできる、できないは、

要は、「本気度」の差、かな?



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海外に行くことが最もてっとり早く英語環境に身を置くことができるのは言うまでもない。


が、日本にいて英語環境に身を置くにはどうしたらいいか。

それにはいろいろな方法がある。


肝心なことは、

毎日、出来るだけ長く英語に触れることだ。

そして、独り言でもいいから、英語を口から出すことだ。


聞くことも大事だが、

聞いているだけでは、しゃべれるようにはならない。


本気でかかれ。

そうすれば必ずしゃべれるようになる。

先見の明(the foresight)

2013年11月26日 | 仕事
自分で言うのもなんだが、

ボクには先見の明がある(have the foresight)。


先見の明とは文字通り、先を見通す力あるいは、見抜く力だ。



特に土地勘と、ビジネス感には定評がある。

今までのビジネスもそうだが、

まだ流行っていないものをいち早く取り入れて当ててきた。



ペンション、観光牧場、古民家、英会話喫茶などなど。



だから、どれも最初は大変だった。

まず最低一年から三年は辛抱した。


だがそこには、必ず行けるという根拠のない自信が潜んでいた。


その自信はどこから来るか。

まずは自分が好きであるということだ。

そして、好きだからこそ楽しめるものなのだ。



儲かる儲からないはその時点で問題とはならない。


(悲しいかな、凡人は、まず儲けを考えてしまう)



まず自分が「好きで、楽しめるか」、ということが最優先する。

その次に、儲かるかではなく、やっていけるか、飯を食っていけるかだけにフォーカスする。


好きなことをやって、楽しんで飯が食えれば十分なのだ。


それがヒットすればこんないいことはない。

苦労はある。

努力はしなければならない。


趣味ではないのだ。

お客様からお金をいただく、あくまでも仕事なのだ。


プロでなければならない。

そのためには、汗水たらしてちの滲むような努力はしなければならない。


だが、本来好きなことであればその努力さえ楽しくて仕方がなくなる。

もうこうなると昼夜を厭わず働く。


働いて、働いて、じっと手を見る。

我が暮らし楽にはならないけれど、決して愚痴は言わない。

好きで自ら選んだ道だから。


楽ではないけど、喰っていければこんないいことはない。

だから何とかして喰う。

石にしがみついてでも喰ってやる、という気概が必要だ。




もうひとつ大切なことは、

「勘(hunchi)」だ。

というより、「感(feeling)」といったほうがいい。


いわゆる直感(intuition)、第六感(six sense)である。

ピンとくることを、これだッ!と思うことを信じる。



今まで誰も来ないところ、来そうもないところに

今までないものを作る。

そこで楽しく暮らす。


そうすれば自ずと人が集まる。

宣伝はしない。

クチコミ(word of mouth)のみで広がる。


これがカントリービジネスの極意だ。

そして、まだインターネットがさほど普及していなかった時代のビジネス手法だった。


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今、三つの面でビジネス手法が変わった。


一つは、郊外型から街中へと場所の移動。

二つ目は、インターネットとりわけSNSの活用。

そして三つ目は、

国内から海外へのシフトだ。


しかも、東南アジアへのシフトが顕著だ。


これはここ4~5年前から始まった。

引き金は、リーマンショックだ。


世界の潮流(潮目)が変わった。



インターネットを駆使し、世界へ目を向けると

そこにはとてつもない可能性が広がっていた。


もちろん生易しい世界ではない。

だからこそ面白い。



グローバル時代と言われて久しいが、

実際はまだまだ無限の可能性を秘めている。


グローバルとは、ボーダレスを意味する。

つまり、境がない、壁がないことを意味する。


それは言葉の壁であったり、

交通手段であったり、

人としての隔たりだったりする。


それが解消されようとしている。


隣の県に行くように、隣の国に行く。

友人と話すように世界中の人々を会話する。


他人を思いやるように人と接すれば、ビジネスが生まれる。


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具体的にお話しよう。


今、クールジャパンがまさに旬である。


11月25日(昨日)、

日本文化の海外発信を担う官民ファンド「海外需要開拓支援機構(クール・ジャパン推進機構)」が

本格稼働しはじめた。


これは、

地方にある日本の「よいもの」を発掘し、日本文化としてセットで世界に売り込むことを意味する。

そしてその最終目標は

「日本に関心を持ち、日本のファンが増え、日本を訪れる観光客が増え、文化を楽しむ人が増えること」なのだ。


そして、機構は、

一番ポテンシャルがあるのは「食文化だろう」と指摘する。


ボクは、数ヶ月前から納豆を世界に売り込むよう活動をし始めている。

まさに、これをドンピシャと言わず何を言うのか、といった感じだ。


しかも、今まさに納豆の大手メーカーを取り込むことに成功した。

今週はそこの工場を案内してもらう。


来週は、納豆を使ったメニューを提供しているレストランを訪ねる。


そして、来年1月、納豆サンプルを持ってベトナムで試食会を開くべく準備している。


まだまだある、

「おもてなし」売り込み、ファッションでの企画などなど。



NPO法人『インターナショナル・プロジェクト協会』の立ち上げも的を得たものと自負する。


実は明日、27日、フリートークで第8回目のNPO総会を開く。

興味のあるものは遠慮なくドンドン参加していただきたい。


このNPOは、あなたの夢を実現するためにあるのだから。



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そのほか今頭にあるビジネス企画をご紹介しよう。


"Dark in the Dark"

「日帰り天国ツアー」

「アオザイサロン」 などなど。


面白い企画が勢ぞろい。

明日その話も聞けるよ。


起業したい人のアドバイザーも勤めているので、

気兼ねなく来て欲しい。


では、君に会える日を楽しみに待っているよ。




オフ

2013年11月25日 | ライフスタイル
休日の朝はコーヒー入れるところから始まる。

言わずと知れた、ベトナムコーヒーだ。


入れ方は昔ながらのコーヒーマシンを使う。

5人用。いっぱいにして入れる。


そしてこの時期、コーヒーが出来上がる間に暖炉に火を入れる。


そして、出来上がったコーヒーをすすりながらPCの作業に取り掛かるのだ。



朝食はもっぱらパンとコーヒー。



今朝目覚めたのは、お昼の1時だった。

約12時間、たっぷり寝た。


普段が5~6時間(時に2~3時間)だから、オフの朝はこうして寝だめする。




オフの日は、一日阿蘇の森の中で過ごす。

ここがボクの精気を養ってくれる。


静寂に包まれ、周りは緑一色で、疲れた目を癒してくれる。


雨の日には雨音を聞きながら、

晴れた日は鳥のさえずりを聞きながら、

一時間ほどかけてゆっくりとコーヒーを啜(すす)る。


これがボクの至福のひとときであり、心身ともに癒してくれる。



ボクはかねがね「スイッチライフ」を推奨してきた。


街と田舎、山と海、海外と日本。

これらを住み分けるのだ。


今、街にオフィス兼店を持ち、阿蘇の山懐の森の中で週一回のオフを過ごす。

そして、2ヶ月に一度のペースで海外に出かける。


海外にも店を開き、ビジネスを手がける。

これで、海辺のリゾート地に基地を持てば、ボクの”スイッチライフ”は完成する。


決して完結させることに拘ってはいないが。




ボクはオールマイティな人間だから田舎も街も、山も海も、日本も海外も大好きだ。

どこにでも身を置き、そしてそこに安住の地を発見するのを得意とする。



だがボクの夢はそこに留まらない。

あくまでも、放浪(drift)である。


どこでもが安住の地になれば、どこにいても構わないことになる。

だから、放浪することがボクに癒しを与えてくれるのだ。


むしろひとところに身を沈めると、息が詰まる。


柵(しがらみ)を捨て、身を軽くして、カバンひとつの荷物で暮らせる生活。

流浪の旅、いや、流浪の人生(a wandering [vagrant] life)。



ボクが子供たちに残したいもの。

財産や資産ではない。


それは、思い出だ。

何を想うかはそれぞれ子供達の自由。


こうしてオヤジの生き様を、

ある意味では恥部を見せることで子供たちの心に刻んでほしいと思っている。


そしてあるときは他山の石(lesson learned from someone's else mistake)となり、

あるときは反面教師(a person who serves as an example of how not to behave.)の役もするだろう。




変化と激しさに終始した愚かなオヤジの人生を思い出し、語って欲しい。

迷惑と心配をかけ続けた我が儘(selfish)なオヤジの生き様が、

少しでも子供たちのためになるなら本望である。




これからはここも雪の日を迎える。

深々と降る雪を眺め、白銀の世界に浸るのもまたいいだろう。


自然は人をここまでにも感傷的にさせるものなのか。





【今日の英語}


放浪の旅に出る

set out on a wandering [an aimless] journey



仲間に感謝

2013年11月24日 | 人間関係
フリートークの体制が変わり、初めてのパーティだった。




アメリカンスタイルのパーティ。

なんにもできないボクに変わって相棒がよくやってくれた。




感謝してもしきれない。

それに、今までの仲間たちも来てくれた。

本当にありがたい。


そしていつまでもこうありたい。


どんなに状況が変わろうが、苦境に陥ろうが

ずっと一緒にいてくれる仲間たち。


そうした人たちが幸せになれば、ボクもハッピーな気分になれる。


ボクは、縁があって知り合った人たちのために仕事をするのだ、と決めてから

仕事は増える一方で忙しさは何倍にも増した。


それでも幸せな気分でいられるのは、その人たちの笑顔が見られるからだ。


お陰さまでボクは生かされている。

幸せにさせていただいている。


現実は厳しく、決して綺麗ごとでは済まされないけど、

それでも打ち立てた理想に向かってひたすらに進むのみだ。



あえて険しい道を選ぶ。

これがボクの生き方だから。



君の笑顔にカンパーイ!!

タフなビジネスが控えている

2013年11月23日 | 仕事
海外取引には輸出と輸入があることは誰しも知っている。


日本はかつて加工貿易国と呼ばれていた。

資源が少ないため、原料を輸入し、それを加工して製品にして輸出していた。


だが、技術と人を派遣する(輸出)ことで、海外で加工し製品にして輸入するようになった。

日本産(国産)と言われるものは高くなりすぎたのだ。



だがどうしても国内で作らなければならないものは残る。

それは伝統となる。


日本食文化の中でも、納豆は筆頭に挙げられるだろう。

日本国内で作られ、日本で消費される。

ほとんど輸出されることはない。


一般に外国人の口には合わないものとされる。


そうだろうか?

本当にそうなのか?



クールジャパンという名の下、

日本政府は日本の文化、伝統といえるものを輸出することに力を入れている。


日本独自のものが海外で受け入れられているものはある。

アニメやゲーム、そして寿司などなど。


だがそれがかつての家電製品のように外貨を稼ぐことにはまだ弱い。


そこで政府は今、「クールジャパンの芽」と称して日本独自の文化の商品化に取り組んでいる。

ボクは、日本の『おもてなし』を商品化すべくその道のプロと一緒に取り組んでいる。

そして「クールジャパン・ワールド・トライアル事業」にエントリーしている。


これが採用されるかどうか、まだ返事はきていいない。


豆腐に関しては残念ながらエントリーできなかったが、

独自に海外の販路を開拓すべく動いている。



現在、ベトナムでの試食会を開くべく、現地のパートナーに依頼して場所を探している。

2日間で100人ほどのベトナム人に試食してもらい、

抵抗なく受け入れてもらうにはどうしたらいいか、ということを調べる。



同時進行で、ボク自身がもっと納豆について知らなければならない。

そこで、来週工場見学をさせてもらえることになった。


プチ納豆博士くらいにはならないと。



そして、その次の週は、福岡にある納豆専門のレストランに出向くべくアポイントを取り付けた。

納豆を使ったメニューは幅広い。

もずくやオクラ、山芋、湯葉、もろきゅうなどを和えたヘルシーなものから、

魚介類のお刺身和え、そして納豆の創作料理、はたまたサラダ、スイーツまである。


ベトナムでは、上記のメニューを参考にして、

現地のパクチーや魚醤などを使って抵抗なく口に合うようにしようと考えている。



来年一月を予定しているが、100個以上のサンプルを持ち込まなければならない。

もちろんそれはメーカーから支給される。



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一方、デザイナーであるパートナーが開発した商品の

日本での独占販売権を得たことは前にも書いたが、


クリスマスに合わせてベトナムで販売するように製造の最終段階に入っている。

日本には日本仕様にする必要があることから、数ヶ月遅れるだろう。


今のところ極秘扱いになっているが、

1月の訪越の際には、当然実物とお目にかかれることになる。


これは輸入になる。

そのためにサンプルができた時点で、日本における販路を開拓しなければならない。


こちらもなかなかタフなビジネスとなることは間違いない。



来年は相当タフなビジネスを強いられることになる。

それだけにやり甲斐はある。


商社マンの面目躍如といったところだ。