世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

ファミリー

2013年03月31日 | 家族
ボクには家庭はないが

家族はいる。


自宅はあるが、居場所がないのだ。


だからという訳ではないが、

複数の仕事場や、世界を旅しながらホテル暮らしをしている。


人の見方は様々だが、

ボクの性分にはあっていて、そんなライフスタイルがとても気に入っている。



ボクにはもう一つのファミリーがいる。


それが

「フリートークファミリー」と呼ばれる大所帯だ。


もともとはフリートークのお客さんなのだが、

いわばリピーター、メンバーの方々が主流をなしている。


何処から何処までがファミリーで、という線引きは特にない。


だから流動的で人数も把握できていない。

今のところザット30~50人といったところだろうか。



そのフリートークファミリーの面々が今回もやってくれた。


ボクのホテルを使っての昨夜の

「お泊まりお花見パーティ」だ。











桜の花の下のキャンプファイヤーもファミリーの企画。








    裏山でのタケノコ堀にも挑戦!


パーティは、結局朝方まで続いた。




こうした企画にとどまらず

大人の修学旅行や英会話のイベントをはじめとするいろんなイベントを立ち上げてくれる。


フリートークはもちろんそうしたファミリーのお蔭で成り立っている。


スタッフとお客様が一丸となって運営されていく


これこそがボクが目指した「社会起業」の究極の姿なのだ。




今新たに立ち上げようとしているNPOもこの社会起業という形態を目指す。

出資者が一丸となり、経営に携わり各々の好みと強みを生かして企画を立ち上げ

その中で収益を上げる。


利益の分配は、その働き、労力の応じて平等に行う。


その仕組みを作り上げるのがボクの役割(仕事)だ。


それが、究極の協賛(共産)制度と言えるかもしれない。


フリートークファミリーをもっと昇華させた完全な平等世界を作り出す。

自主性と自由性、自己責任と自己管理といったシステムが働く。


そのシステムを構築するのこそがボクの社旗起業家としてのライフワークなのだ。


社会起業家としてのミッションは

社会正義奉仕精神にある。


そしてそれは

究極のファミリー作りに他ならない。


こうして、小さなファミリーの輪が少しずつ広まり、大きくなっていくことで

世界中がファミリーとなれば、世界平和が実現するのだ。


それこそがボクが目指す社会起業家スピリッツの神髄なのだ。


そしてその第一歩が「フリートークファミリー」だと言える。



素晴らしきかな、フリートークファミリー!

ありがとう、フリートークファミリー!


みんな!愛してるよォォォォォォ!!!!!!!!!!






人生の勝負をかける時

2013年03月30日 | 人生
人は生涯に何度か自分の人生をかけた勝負に出ることがある。


転職や移住、起業するときは誰しもそうだろう。

結婚もその一つかもしれない。


今回もまた勝負をかける時だ。

新たな挑戦に全財産と全精力をかけている。


それも複数のことに。


失敗すればすべてを失うだろう。

退路を断って(cut off the retreat)背水の陣を敷く(burn one's boats/bridges )感がある。


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社会起業やNPOといったシステムは、

自分には大きな利益を生み出さない。


なぜなら、それはニッチの世界において社会奉仕やボランティアといった意味合いが強いからだ。

世のため人のためというなら、自分自身を犠牲にする覚悟がいることは言うまでもない。


その覚悟を決めた時、ボクは身震いがした。


人のためと言いながら、別の人を犠牲にすることになる。

人のためと言いながら、結局は自分の我を通すことになるのではないか。


自分のやりたいことをやって、楽しんでいるだけではないのか。


そうかもしれない。

そうでないかもしれない。



ボクの心は愛に満ちている。

だがその矛先はどこに向いているのだろうか。

ふと考える。


自分自身なのではないだろうか。

家族に向けられているのだろうか。


否。


愛する人に向けられているだろうか。

そもそも愛する人は誰なのか。


家族、恋人、友人、他人・・・・・・。



改めて考えた時、自分の進む方向が間違っているような気がしてしまうのは何故だろう。

自分に自信を無くしてしまうのは何故だろう。

自分を偽善者だと思うのは何故だろう。


自分の心は一体どこにあるのだろうか。


移動の連続の日々の暮らし。

文字通り、地に足がついていない感は免れない。


一体自分は何をやっているのだろうか。

自分は一体何処へ行こうとしているのだろうか。



一世一代をかけた大勝負などと大見得を切ったところで

ボクに何ができるというのか。

何も大それたことなんかしてやしない。


自分の好きなことを、多くの人を犠牲にして楽しんでいるだけではないか。


批判や避難、悪口雑言の嵐の中で、

ボクは一体何に耐えようとしているのだろうか。


誹謗中傷と冷笑が浴びせられる。


それでもボクが進む先に光明を見出すことができるというのか。


今はそれを信じるしかない。

時に折れそうな弱さを引きづりながらも、前に進むしかない。


この瞬間に生きるしか術はない。



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「大切なのは、

どれだけたくさんのことをしたかではなく、

どれだけ心をこめたかです」 とマザーテレサは言った。


やろうとしていることの一つ一つに

ボクはどれだけ心を込めているのか。



彼女は言う。

「今、この瞬間幸せでいましょう。

それで十分です。

その瞬間、瞬間が、私たちの求めているものすべてであって、他には何もいらないのです」と。



ならば今このままでいいのだろうか。

なぜならボクは今十分幸せだから。



「神にお仕えするためには、ごくありきたりな仕事を、

出来るだけ楽しく喜んで実行することです」


神を人に置き換えてみた。

お仕えを奉仕に置き換えてみた。


ならばそれでいいのだろうか。


「わたしたちは 大きなことはできません。

ただ、小さなことを大きな愛でするだけです」


それでいいのだ。


「愛は家庭から始まります。

まず、家庭から始めてください。

やがて外へと愛の輪が広がっていくでしょう」


家庭のないボクは、

家庭を仕事場に置き換えてみた。


フリートークに置き換えてみた。



「富に執着しているひと、そのために気苦労の絶えないひとは、じつはとても貧しいのです。

富を他のために用いるとき、そのひとは豊かに、とても豊かになります」


ボクのささやかな富を、今全て他のために捧げようとしている。

ボクの心は満たされようとしている。





「いずれにせよ、もし過ちを犯すとしたら、

愛が原因で間違った方が素敵ね」


愛が原因でボクは間違うかもしれない。

それは素敵なことなんだ。




「神様は私たちに成功してほしいなんて思っていません。

ただ、挑戦することを望んでいるだけよ」


彼女はどこまでも優しい。


ボクは挑戦し続ける。




「100人に食べ物を与えることができなくても、

1人なら出来るでしょ?」


出来るかもしれない。

だからボクはそうしようとしている。



「 この世で最大の不幸は、戦争や貧困などではありません。

人から見放され、「自分は誰からも必要とされていない」と感じる事なのです」


ボクは誰からか必要とされているのだろうか。




「気にすることなく、最良のものを与え続けなさい…。

あなたの中の最良のものを世に与え続けなさい。


けり返されるかもしれません。

気にすることなく、最良のものを与え続けなさい」


蹴り返されても与え続けます。



「あなたの正直さと誠実さとが、あなたを傷つけるでしょう

気にすることなく正直で誠実であり続けなさい」


傷つきっぱなしです。

でも、ボクは自分に正直に生きる。


「善い行いをしても、おそらく次の日には忘れられるでしょう

気にすることなくし善を行い続けなさい」


「目的を達しようとするとき、邪魔立てする人に出会うでしょう。

気にすることなく、やり遂げなさい」



「あなたが善を行うと、利己的な目的でそれをしたと言われるでしょう。

気にすることなく、善を行いなさい」



その通りです。

善と思うことをやりぬこう。


気にしない、気にしない。



「人は不合理、非論理、利己的です。

気にすることなく、人を愛しなさい」


誤解を恐れず、いっぱい愛し続けよう。

それでいいのだ。



多くの人を同時に愛することを

人は気が多いという。

浮気性だとう罵(ののし)る。



人はなんとでも思わば思え。

人はなんとでも言わば言え。


ボクはただひたすら、我が道を行くのみ。

社会主義の国で自由に暮らす

2013年03月29日 | 国際
ベトナムは一般に社会主義国家、あるいは共産国と呼ばれている。

これは中国も同じである。


それは、共産党の一党独裁国家を意味する。


今や社会主義と共産主義の国との区別をつけるのは難しくなった。


そもそも、個人の自由な考え方を優先する自由主義に対して

個人の自由を規制して社会全体の調和を優先する社会主義があり、


一個の人間と社会との関係をどう捉えるかのを示しており、

これらは政治用語で本来は政治体制を意味する。



一方、共産主義は資本主義に対する経済体制を意味する用語で

資本主義は自由主義政治体制でなければ資本の効率的流れが生まれないため、自由主義経済と言ったり、

社会主義体制の下では計画経済が行ない易く、共産主義を標榜することが多くなるのだ。



現在の中国は、共産党政権下で自由主義経済を行なおうとしている複雑怪奇な国で、

今までの概念では捉え切れない。

今の中国を一言で言うなら、一党独裁政権下での資本主義経済を導入した巨大発展途上国である。

ただし、一党独裁である以上、政治体制としては個人の自由より社会の秩序優先であることは間違いない。




ベトナムもほぼ同じと言えよう。

共産党一党独裁であり、社会主義国家であると同時に

ドイモイ政策によって市場経済を取り入れた国と言える。


共産主義は文字通り、平等社会を目指すプロレタリアート国家でなければならないが

実際は、格差社会が出来上がっているのは周知のとおりである。


ソ連の崩壊によって、マルクスレーニン主義は崩れ去った。


今、新興国と呼ばれる国は、政治体制にかかわらず

自由経済政策をとっていると言えよう。



中国とベトナムの決定的な違いは、

日本と日本人に対する見方にある、といっても過言ではない。


ベトナムは台湾と並ぶ世界屈指の親日国家である。

一般的にベトナム人は、中国人を嫌っている。


多くの国で中国人は嫌われているのが実態だが。


国境を接し、南シナ海でも日本の尖閣諸島同様領土問題でもめている。

ベトナム人は日本に感謝の意を表する。


日本に敬意を表する国は世界に多い。

中国と南北朝鮮を除けばすべてといってもいいくらいだ。


これは日本が今まで脈々と培ってきた努力のたまものだと思う。


日本のODA,JICAは、現在ハノイの新国際空港の建設を請け負っており、



大成建設がその工事を主に担っている。




     着々と工事が進むハノイの新国際空港


これは日本人が大いに誇れることだ。

日本は今までベトナムにおいて多くの橋や道路工事を請け負ってきた。


もっとそうした現実を知ってほしい。

実はボクも今回この現場を通るまで知らなかったのだが、

JICAで二度活動したことがあるだけに、誇らしかった。



それでも最近は、英語をしゃべれれない日本人をバカにする傾向はある。

日本人が流暢に英語を操れば日本は再び最強になれる、というのは言い過ぎだろうか。



今や、ベトナムにおける普通の庶民の生活において

社旗主義や共産主義といった窮屈な思いをすることはさほど見なくなった。


賄賂は横行しているが。


教育や医療に関しては、無料どころか庶民の出費はかさむ。



ビジネスに関しても、

日本人の感覚とは大いにかけ離れたところも見受けられる。


契約書はさほど意味をなさない。

あくまでも個人の信頼性に任せられる。


計画性に乏しく、刹那的である。

だが、最後に帳尻は何とか合わせようとする。


つまり、プロセスはどうでもよく、結果さえ出ればそれで良しとするところがある。


だから、焦る必要はない。

基本的に勤勉でまじめな国民性があるのは日本と同じである。


そのことをわきまえていれば、

普通に暮らしていて窮屈や不便を感じることはほとんどない。



物価が安いうえに

料理は美味いし、姉ちゃんは綺麗!


そこに自由があるのだから、こんないい国はないだろう。


英会話は経験値が決めて

2013年03月28日 | 英語
歳をとるほど英会話の上達は早くなる。


一般的に経験が多くなるからだ。


だが漫然と生きているだけでは、

歳をとるだけで一向に意味のある経験は増えない。


多くの経験を積むとは

多くの失敗をすることを意味する。


失敗を恐れず、いろんなことに挑戦すれば自ずと失敗が多くなる。

なぜなら、成功の陰には少なくとも2,3の失敗があるからだ。


特に物理や化学の実験は失敗の連続である。

その失敗の先に成功が隠されているのだ。


ビジネスも同じ。

すんなり行くことなんてあり得ない。

失敗の連続、紆余曲折を経てうまくいけばいい方。


やりたいとおもったことは、

とりあえずやってみることだ。


そして、失敗から学べばいい。

失敗は多くのことを教えてくれる。


だから、失敗したことを悔やんだり嘆いたりする必要はない。

いい経験をさせてもらったのだから、むしろ感謝すべきだ。


最も愚かなことは、

失敗したことでやりたかったことを辞めてしまうことだ。


うまくいくまでやり続ければ、最後はすべてうまくいく。


そして、最大の失敗は、

やりたいことをやろうとしないことなのだ。




そんなこんなの経験値が、言葉の数を増やし、

話題を豊富にし、人生に潤いを持たせる。


それが、日本語であれ、英語であれ、

心から言葉に乗せて自分の経験を語れるようになるのだ。



英文法を勉強するより、英単語を覚えるより、

一つでも多くの経験を積む方が

英会話を上達させる近道であることを知ってほしい。


英会話スクールに時間とお金をつぎ込むぐらいなら、

旅にお金と時間を使ってほしい。


語学学校に行くのなら、世界を放浪してほしい。


そして本当に生きた会話力を磨いてほしい。


文法や難しい語彙にとらわれることなく、

経験の中で生まれた心から発する言葉で語れば

相手に必ず通じる。


その達成感の中から、また新しい発見が生まれ経験を積むことができる。


旅先でも失敗を繰り返しながら

小さな達成感を味わってほしい。


それがあなたの人としての器を大きくし、

ひいては英会話力を飛躍的に伸ばすのだから。


どんなに文法通りに綺麗な言葉を並べても、

心が伴わなければ人の心を打つことは出来ない。


経験の中で生まれた言葉を繋ぐことで会話は進む。


あなたは、自分の国についてどうお思いますか。

あなたは、生まれ育った町についてどうお思いますか。


それに答えるには、一旦外から国を、町を見てみることだ。


そして、その素晴らしさを知り、

その気持ちを表現する感謝の言葉を覚えてほしい。


そうすればきっと分かり合える。


そうすることで、みんなが理解し合い、

争いの無い世界が生まれるのだと思う。


英会話はそのための手段にすぎない。



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さて、今回の旅はあっという間に過ぎた。

最後やっぱりシーフード三昧で締めくくろう。







     サザエと?



     イカの串焼き


    魚は香草と一緒にライスペーパーに包んで






    手作りせんべい屋さんも嬉しそう


最後は、アオザイ美人。


2種類の人間

2013年03月27日 | ライフスタイル
人間は、二つの部類に分けられる。

井の中の蛙と

大海の回遊魚とに。



大海を回遊する井の中の蛙はどうなのか。

あり得ない、成しえないと思うか。


それもあり、そうなりたいと思うか。


本当は、そこで二種類の人間に分けられるのだ。



出来ないと端から諦める人間と、

不可能と思われることに挑戦する人間に。


井の中の蛙も大海の回遊魚も、結局はどっちもどっちななのだ。

要は、現状に安住せず未知の世界に飛び込めるかどうかの問題である。




    ベトナム音楽に聞き入る筆者







ボクは毎日驚きと発見の中で生きている。


見ている景色はみな同じでも、

感じる気持ちが違う。



   Mountain Resortとして有名なBa Na Hillのロープウェイ。5キロある。


   山上のワイン蔵


何を感じるか。

どう感じるか。


あるいは、何も感じないか。


その違いが、後々大きな差を生む。



人生を決めるのは、感性の力だ。

どれだけ感じるかにかかる。


感性を磨け。

そのためには、

いろんなところに出かける現場力と

本物と偽物を見分ける審美眼を鍛えることだ。


本物を多き見ていると、自ずと偽物が分かってくる。

芸術も人間も同じだ。




想定外で思わぬところへ

2013年03月26日 | 仕事
想定外を想定しておく。


人生には時に想定外のことが起きる。

だが、想定外では済まされない事態も多い。


災害や災難はその類だろう。


ビジネスにおいても然りである。


ハノイのカフェオープン計画も予定通りにはいかない。

いるはずのオーナーが不在という。

急遽ホーチミンにいったとのこと。

どうやら時間を要するようだ。


こんな時には焦っても仕方がない。

真偽については不明だが、ここは一旦距離を置こう。


心機一転、ダナンに飛ぶことにした。


ダナンはベトナムの中部の町。

今回は2度目の訪問になる。



初めてLCCを利用した。



VietJet

いかにもLCCらしいネーミングだ。



なんか、ド派手!

CAも、コスプレ的感じ。



小一時間で、海の街、ダナンへ。



ウーン、ロマンティック~ゥ!❤





橋の欄干もドラゴンをかたどって、これもド派手~ェ!



食すはもちろん、魚介類。

カニに貝に白身の魚。

ウーン、美味~ィ!













ハノイの夜

2013年03月25日 | 
異国の夜、

一人旅の身にはどこもエキゾチックに見える。


耐え切れず妖艶な灯りと喧噪の街へと繰り出した。


     週末の夜、ハノイではナイトマーケットが開かれる



この日ボクは久しぶりにビールを飲んだ。




断酒して2か月半。

恐る恐るビールを口にした。(ウソだけど。ホントは一気に空けちゃった)


だって、みんな飲んでるし。








     こんな環境の中で、酒の誘惑を断ち切る自信はボクには備わっていない。



     豚も異様だが、奥の婆さんも異様!


     道の真ん中で、身長と体重計るの? 商売なるのかナ~????




断酒の誓いを破った意識はない。

それでも断酒は続行中だから。

ただ、海外にいてその意味をなさないと知っただけのことだ。


そもそも出版するまで酒を断つ、というのは

自分自身の中でけじめをつけて執筆を促すためだった。


酒を飲んだ後は筆を持つ気になれないと思ったからだが、

現実は、飲もうが飲むまいが、遅々として原稿は進まない。


いや、実は原稿は出来ている。

電子出版にする思いが強くなり、今その方法を模索しているところなのだ。



いずれにしても、海外ではアイデアを書き留めるにとどまる。

こういう時は、むしろその雰囲気にドップリと浸かることが必要だ。



異国情緒は、いつもと違う感覚を醸し出してくれる。

非日常が普段使わない脳を活性化させてくれる。


だから、またぞろ怪しげなアイデアが噴出してボクを創発へと導く。


創発(そうはつ)とは、

部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることである。


局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、

個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。


つまり、今までは全く関係なかったような意識下にあった点と点が

化学反応を起こして有機的に結びつき、

まったく想像もできなかったようなシステムが生まれるのだ。


英語ではemergenceという。

when something begins to be known or noticed.

when someone or something comes out of a difficult experience.





実はこの夜口にしたビールは、べトナムでは初ブランドなのだ。


   Viet Ha はアルコール度4,5%の軽めのラガービールだ。

その好奇心も手伝って、ビールの陳列ケースに手が伸びた。



いや、もっと正直に言おう。

ボクは機内でもワイを口にした。


日本を発つ前から決めていたことなのだ。

日本を飛びたったら、解禁だ、と。

だって、もったいないでしょ。

国際線ではいくらだってただ酒が飲めるのだから。



断酒の誓いは、日本国内に留める。

だから、帰国すれば出版するまでまた引き続き断酒する。


自分に甘いのは承知の上だが、

むしろこの方がフラストレーションがたまらない。



日本では断酒。

海外では飲酒。

なんとも都合のいいいい訳が見つかったものだ。

旅とビジネスとセックスと

2013年03月24日 | ライフスタイル
またまた顰蹙(ひんしゅく)を買うことを覚悟で書こう。


一般に旅とは、遊びの延長に過ぎないかもしれない。

気分転換、ストレス解消、息抜き、リラックスにもつながる。

バカンス(Vacance)の由来でもある。



ボクにとっても旅とは、趣味であり、遊びであることに変わりはない。

と同時に、ボクノ場合それはビジネスと直接結びつく。


ボクは、ビジネスは夜作られるだとか、

遊びの中から生まれるだとか、と豪語してきた。


遊びが仕事であり、仕事が遊びであるとも言った。


もっというなら、

旅が生きがいであり、生活そのものなのだ。

旅はボクにとってライフワークであり、ライフプレイである。



だから、旅の途上でアイデアが生まれ

ビジネスへと発展する。


当然、ビジネスは生きる糧である。


儲けるためにビジネスをするのではない。

楽しむためにビジネスをするのだ。

自分だけが楽しいだけでは意味がない。


みんなが楽しいから、喜んでもらえるからお金がいただけるのだ。

遊んで、楽しんでお金がいただける。

しかも、いろんな体験ができ、勉強させてもらえる。


廻りが幸せになり、自分が幸せを感じる。

この好循環こそが人生に潤いを持たせる。



人生には、

愛と学び(教え)とユーモア(遊び)と

少しばかりのお金があれば、それで十分なのだ。


もちろん、心身ともに健康であればこそだなおさらだが。




いつも誤解を招くことを承知で、表題に上げたセックスは、

ここでは人間関係を表わす。


必ずしも肉体関係を意味するものではない。



人は、人とのつながりを無くして生きてはいけない。

縁があって出会いが生じ、関係性が育まれていく。


ぎすぎすした人間関係より、

愛と潤いに満ちた関係の方が良いに決まっている。


旅には、多くの出会いが待っている。

そこで良好な人間関係を築くことは最も重要なことだ。


一過性の旅ならまだしも、

生涯を旅と共に生きる人間にとって

旅の途上に起きる出会いはすべて意味を成す。


騙し騙されの愛憎劇も、ご愛想あるいは余興としてみる。


旅そのものがボクにとっては魔性なのかもしれない。




【蛇足】




ホテルの一室で、朝起き掛けに執筆活動に勤しむ筆者。

パンツ一丁だからといって、決してセックス明けではありませぬ。

墓穴を掘る自己弁護になりかねないか、ナ?