いわゆる高齢者と位置づけされるお年寄りが
団塊の世代もその高齢者域に達しだしたところで、
3,000万人を超え、割合が人口の25%に達した。
だが、一頃の隠居老人の影は薄い。
気力体力が尽き、人生訓と説教癖の塊と揶揄される姿ではなく、
旅行に音楽会、おしゃれにグルメと、自ら楽しめる幸せな人たち(天声人語)である。
だが、本当にそういう人たちばかりかというと
そうではない。
団塊の世代は、高度成長期に支えられた最後の逃げ込み組だ。
脱サラを夢見て果敢に挑戦してきた世代ともいえる。
そこには成功組と失敗組が存在する。
ただ多くは辛酸を舐めた失敗組に所属しているようだが。
団塊の世代の中にも、
真の逃げ込み組と、脱落組がある。
2008年、リーマンショック前に定年を迎えて、
無事退職金を手にして、年金をもらえる組は余裕の老後が約束されただろう。
その時点で、借金なし、預貯金・資産あり、子育て完了した組であればなおさらだ。
そして何より、健康でなければならない。
その反対、
借金を抱え、預貯金・資産なし、子供はまだすねをかじる状態で、
健康を崩し患っている状態であれば、老後は悲惨である。
仕事がない分、ますます生活苦に悩むことになる。
中には生活保護に頼らざるを得なくなる。
ここでも、総中流社会から
富める者と貧しき者の二極化が進行している。
老後難民という言葉さえ生まれた。
悠々自適、楽隠居は今や死語なのだろうか。
年金と現役としての仕事による収入、
つまりダブルインカムがあり、
健康で、若さを保ち、子供たちも独立してれば夢ではない。
配偶者がいない方が、若さという面では引き立つ場合が多いようだ。
つまり、性生活にも貪欲であり続けられるからだ。
―――――――――――――――――――――――――――
「われわれは99%だ」
というスローガンがウォール街を闊歩したことがある。
アメリカにおいてはその格差はもっと著しい。
米国の所得増はもっぱら1%層に偏っている。
それが中流層を空洞化させ、極貧世帯の急増を招いている。
だがこれまで、
富裕層に集まる富が下層へしたたり落ちれば経済全体が潤う、
という「おこぼれ効果」論が幅をきかせてきた。
だがそれはすでに機能していない。
しかもこの不平等の階層化が進み、逆転も難しくなってきた。
米国が「機会均等の国」といわれるのは、おとぎ話にすぎないともいう。
『世界の99%を貧困にする経済 [著]ジョセフ・E・スティグリッツ』より
日本においても然りだ。
総中流社会と言われ、社会主義のお手本のように言われた日本も
今や過去の話だ。
アメリカほど極端ではないにしろ
富める者と貧しき者の二極化が足早に進行している。
子供は減り、高齢者は増加の一途を辿る。
財源はパンクし、社会保障制度も風前の灯である。
内政外交とも稚拙な政治がまた拍車をかける。
だが諦める必要はない。
活路は、東南アジアにあることは先にも述べた。
ここでも、金銭格差より、
アイデアとやる気の格差が命運を左右する。
金、資金はあるところにはある。
それを運用するのはアイデアと行動だ。
そのための土台は、心身の健康にあることは言うまでもない。
誰しもが長生きすれば老後は経験する。
今後それも厳しい老後になることは間違いない。
だからこそ、若いうちから経験を積むことだ。
親は子供に、様々な経験をさせなければならない。
そしてどんな状態でも生き抜く力をつけさせなければならない。
豊かな老後は望めないにしても、
楽しい老後は勝ち得ることができる。
そのためには若いうちからの準備が不可欠だ。
その時が来て、うろたえても後の祭りにならない様に。
団塊の世代もその高齢者域に達しだしたところで、
3,000万人を超え、割合が人口の25%に達した。
だが、一頃の隠居老人の影は薄い。
気力体力が尽き、人生訓と説教癖の塊と揶揄される姿ではなく、
旅行に音楽会、おしゃれにグルメと、自ら楽しめる幸せな人たち(天声人語)である。
だが、本当にそういう人たちばかりかというと
そうではない。
団塊の世代は、高度成長期に支えられた最後の逃げ込み組だ。
脱サラを夢見て果敢に挑戦してきた世代ともいえる。
そこには成功組と失敗組が存在する。
ただ多くは辛酸を舐めた失敗組に所属しているようだが。
団塊の世代の中にも、
真の逃げ込み組と、脱落組がある。
2008年、リーマンショック前に定年を迎えて、
無事退職金を手にして、年金をもらえる組は余裕の老後が約束されただろう。
その時点で、借金なし、預貯金・資産あり、子育て完了した組であればなおさらだ。
そして何より、健康でなければならない。
その反対、
借金を抱え、預貯金・資産なし、子供はまだすねをかじる状態で、
健康を崩し患っている状態であれば、老後は悲惨である。
仕事がない分、ますます生活苦に悩むことになる。
中には生活保護に頼らざるを得なくなる。
ここでも、総中流社会から
富める者と貧しき者の二極化が進行している。
老後難民という言葉さえ生まれた。
悠々自適、楽隠居は今や死語なのだろうか。
年金と現役としての仕事による収入、
つまりダブルインカムがあり、
健康で、若さを保ち、子供たちも独立してれば夢ではない。
配偶者がいない方が、若さという面では引き立つ場合が多いようだ。
つまり、性生活にも貪欲であり続けられるからだ。
―――――――――――――――――――――――――――
「われわれは99%だ」
というスローガンがウォール街を闊歩したことがある。
アメリカにおいてはその格差はもっと著しい。
米国の所得増はもっぱら1%層に偏っている。
それが中流層を空洞化させ、極貧世帯の急増を招いている。
だがこれまで、
富裕層に集まる富が下層へしたたり落ちれば経済全体が潤う、
という「おこぼれ効果」論が幅をきかせてきた。
だがそれはすでに機能していない。
しかもこの不平等の階層化が進み、逆転も難しくなってきた。
米国が「機会均等の国」といわれるのは、おとぎ話にすぎないともいう。
『世界の99%を貧困にする経済 [著]ジョセフ・E・スティグリッツ』より
日本においても然りだ。
総中流社会と言われ、社会主義のお手本のように言われた日本も
今や過去の話だ。
アメリカほど極端ではないにしろ
富める者と貧しき者の二極化が足早に進行している。
子供は減り、高齢者は増加の一途を辿る。
財源はパンクし、社会保障制度も風前の灯である。
内政外交とも稚拙な政治がまた拍車をかける。
だが諦める必要はない。
活路は、東南アジアにあることは先にも述べた。
ここでも、金銭格差より、
アイデアとやる気の格差が命運を左右する。
金、資金はあるところにはある。
それを運用するのはアイデアと行動だ。
そのための土台は、心身の健康にあることは言うまでもない。
誰しもが長生きすれば老後は経験する。
今後それも厳しい老後になることは間違いない。
だからこそ、若いうちから経験を積むことだ。
親は子供に、様々な経験をさせなければならない。
そしてどんな状態でも生き抜く力をつけさせなければならない。
豊かな老後は望めないにしても、
楽しい老後は勝ち得ることができる。
そのためには若いうちからの準備が不可欠だ。
その時が来て、うろたえても後の祭りにならない様に。