世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

野蛮な国に明日はない

2012年09月16日 | 国際
外国に行くたびに

ボクは日本人として生まれたことに感謝させられる。


同時に誇りに思う。


特に欧米の人から未だに声をかけられる。

あなたのところは津波の被害にあわなかったか?と。


ボクの住んでいる九州は大丈夫でした。

と答えると、

それはよかったと言ってくれ、

必ずと言っていいほど付け加えられる言葉がある。



それは

Respectable people (尊敬すべき人々) だ。


あんな壊滅的被害にあっても

理性を失わず、お互い譲り合う姿。


略奪も暴力もほとんど起きない。


あれは信じられないと。

なぜ日本人はそうなのか?

と驚きの目を持って尋ねられる。



そして、日本に来たことがある人は口をそろえて言う。

日本人が自然に列を作って電車を待つ姿だ。

そして、降りる人を優先する。


日本では当たり前すぎて、

なんでそんなことに感心するのかと

こちらが驚くほどだ。


そんな時、ありがとうと言ってボクはこう答える。

日本は神(Shinto) の国です。


モラルを重んじます、と。

そういうと、大いに納得したように皆首を縦に振る。


――――――――――――――――――――――――――

ところがどうだ。

かの国は暴動、焼き討ち、略奪ときた。



手が付けられない。


当然新規ビジネスにも、在沖日本人の生活にも影響が出ている。

それだけでなく在日中国人も肩身の狭い思いをしている。


抗議は仕方あるまい。

デモも意思表示の行動として許されるだろう。


バカ民族としか言いようがない。

こんな国が、世界を率いれるはずがない。


暴力で人が従うか。

人も、民族も尊敬されてナンボだ。


―――――――――――――――――――――――――

竹島を実効支配しているもう一つの蛮国に対して

日本にあるその国の料理店を日本人が襲ったか。


焼き討ちしたか。

略奪したか。


相変わらず日本人はニコニコしながら〇国料理に舌鼓を打っているではないか。



大人しくなり過ぎたきらいは否めないが、

暴力に訴えるよりはましだ。


一部、戦争だと騒ぐ馬鹿者もいるにはいるが。


毅然たる態度を示すことは必要だ。


非暴力主義で民族を、国を救った英雄たちを見習いたい。

今、日本国民はその英雄になる資格がある。


日本国民がノーベル平和賞に値する民族であることは明らかだ。


その意気込みで事に当たれば、

必ず解決策は見えてくる。


話し合いの通じないかの国々の挑発に乗ってはいけない。

我々は選ばれし神の国の民族なのだから。



世界を歩けば

至る所で、日本人というだけで尊敬の念を抱かれるのだ。


日本人は、誇りと自信を持って世界に貢献しなければならない立場にある。


そして、世界はそれを日本人に期待する。

今こそ、日本人の日本人たる姿が光る時なのだ。




災害と、不況にあえぐ日本だが、

それを乗り越えた時、いっそう日本人が世界で輝きを増すのだ。


負けるな日本人!

ガンバレ、ニッポン人!
 










道のりは遠いほどいい。

2012年09月15日 | 
目下の3大夢。


1.出版。

2.Free Talk のフランチャイズ化。

3・海外拠点づくり。


いずれもなかなか叶わない。


――――――――――――――――――――――

夢を叶える時、

それを達成するのは、遅ければ遅いほどいいと思っている。


負け惜しみもあるけれど。


苦労に苦労を重ね、苦しみぬいてやっと叶えた夢は

そのありがたみをしみじみと噛みしめることが出来るから。



あっさり叶う夢は、ありがたみが薄い。

そして、次の夢もすぐに叶うと勘違いする。

それは失望に繋がり、諦めを誘い、失敗を産む。



人生の勝敗は、棺桶に足を突っ込んだ時に決まる。

それまでは、真の成功もなければ失敗もない。


それは泡沫(うたかた)の結果に過ぎない。



一寸先が闇の時もあれば、光もある。


闇に恐れることなく、光りに小躍りすることなく、

闇も光も受け入れながら、淡々とプロセスを楽しめばいい。




必ず成し遂げるという強い信念と自信を持ち続ければ

夢はいずれ必ず叶う。


信念無き夢は幻であり。

自信なき成功は砂上の楼閣に過ぎない。


達成した時の自分の姿をイメージしつつ

今日も夢に向かって、ただ愚直に前へ向かって進むだけだ。

来るものは絶対拒むな

2012年09月14日 | 人生
友達関係を長続きさせる秘訣がある。

それは


「来るものは絶対拒まず、

去るものはチョッと追え」


ということだ。



来るものとは、人はもちろん、頼まれごとも意味する。



どんな嫌な奴でも、

どんな無理難題でも引き受けなければならない。


そして、根鉢強く、誠心誠意尽くすのだ。

見返りを求めてはいけない。



確かに、生理的に受け付けないやつや馬の合わない相手はいる。


それでもこんなにあいつのためにしてやったのに、

お礼ひとつ言わない、などと愚痴をこぼしてはいけない。


一切の見返りを期待してはいけない。


いわゆる、「陰徳」を積む気持ちが必要なのだ。



もし、相手の期待に添えない場合、

相手は自分に失望を覚えるだろう。


何だ、ちっともやってくれない。

と、引き受けた方を逆恨みするかもしれない。



だから多くの人は、鼻から断るのだ。

自分の力を過小評価して

失敗したらどうしようと考える。


恐れや面倒臭さがまず頭に浮かび、断る。

そうすれば、それで完結する。


たぶん、付き合いも終わるだろう。

どうせあいつに頼んでも断られるのが落ちだ、と。



出来なかったり、失敗したら

素直に謝ろう、ごめんって。


ただそれだけでいい。

いい訳なんていらない。



引き寄せの力より、引き受けの力。

断る勇気より、断らない許容力。




―――――――――――――――――――――――――――――

もし相手が自分に失望し、去って行っても、

引き留める勇気も必要だ。


まあ、まあ、そういわずにもう一度チャンスをくれよ、とか言って。


それは屈辱的かもしれない。

自分が下手になるのもいやかもしれない。

むしろいなくなってくれた方がホッとするかもしれない。


だからといって、去る者は一切追わずではあまりにも味気ない。

あまりにも素っ気ない。

あまりにも情けない。




ただ、引き留めはあまりしつこくするものではない。

未練がましくなることはない。


あまりに深追いすると、ストーカー呼ばわりされる危険性もある。


さりげなく、爽やかに、颯爽(さっそう)と引き留めてみよう。


そうすれば一旦は愛想を尽かした相手も

自分の非を認めて帰ってくることかとはよくあることだ。


あの時は悪かった、も一度君の力を貸してくれと。


その時も、気持ちよく引き受けよう。

こちらこそ申し訳なかった、ボクでよければ喜んで力になるよ、と。

それほどの寛容力が求められる。


こちらが誠心誠意接すれば、いずれは必ずわかってくれる。

去った相手でも、時がたてばその時の事情を理解してくれるだろう。


そして再び戻ってきてくれるだろう。


そう信じて生きよう。



どんな相手でも突っぱねてはいけない、

恨みに思ってもいけない。


そうか、また一緒にがんばろうと、笑顔で迎えることだ。


そうすれば絆は一層固まる。

いわゆる雨降って地固まるだ。



こうして友情は一生続いていく。


友人の数より、

友情の長さが大切だ。


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人間関係で、

付き合う相手が長続きしてる人であれば

まず悪い人はいない。


コロコロと変わる人は、要注意だ。


付き合う相手を見ればその人が分かるという。



さて自分の人間関係はどうか。

何年も続いている友人、知人はどれだけいるか。


自分から去って行った人は、何故なのか。


二度と会いたくないと思う人はいるか。

相手から、あいつとは二度と顔を合わしたくないと思っている人いないか。



お天道様の下を堂々と歩ける生き方をしたいものだ。

東南アジア進出戦略国際会議

2012年09月13日 | 国際
初の『東南アジア進出戦略国際会議』を行った。





テーマにふさわしく

ベトナムから二人、ラオスから一人も参加してくださった。


3人とも大学生で、起業家でもあり

まさに発展目覚ましい若いエネルギーを感じさせていただいた。


参加者は、多士済済。


エスティシャン、ラグジェリアン、ビューティコンシェルジェ、

古物業、通関業者、放送局の人、ショップオーナー、起業スクール代表

Dr,Fishを世界に広める人、古(いにしえ)の味を世界へと広める人、などなど

世界へ羽ばたこうという意気込みの人々が集まり、

熱気あふれる意見交換が行われた。



まず冒頭、

なぜ東南アジアなのかというくだりから入った。




それは、これから世界の中心は東南アジアになっていくというセオリーからだ。



各自自己紹介の後、それぞれの課題を述べていただいた。

これは、主体性を持った全員参加型の国際会議なのだ。


その後、


アジアをまたにかけて飛び回る無国籍人(?)から

ラオスについて講義があった。





続いて、ベトナムと日本の架け橋を掲げる美人講師によるベトナム情勢について。




話もさることながら、あまりの可愛らしさに皆ウットリ。



最後は、正真正銘ベトナム美人によるアオザイファッションショー。




スケベな(オッと失礼)オヤジ達がこぞってツーショット記念撮影となだれ込んだ。



       鼻血を出すもの、続出(?)


そこですかさず「男子限定ベトナム・ビジネス(?)ツアー」のチラシをばらまいた。


効果てき面、ピラニアのように食いついてきた(ジョーク)。

こちらは、マジ11月に実施する。


そして、アオザイを着たベトナム美人をゲットしよう!


最後は何の戦略会議だったのか、

いささか疑問が残った。


心地よい疑問だが。



そういうわけで、

具体的行動に移す段階が待っている。


みんなで協力、

みんなで楽しむがモットー



さあ、狭い部屋でウジウジしてないで

世界へ飛び出そう!








親の願い

2012年09月12日 | 家族
親の願いはただひとつ、

子供たちが、頑張って一生懸命生きていて、

幸せになること。


それ以上は何も望まない。


幸い、3人の子供たちはそれぞれの形で頑張って生きている。


三人手を携えてとは言わないが、

辛いとき、苦しいときは支え合ってほしい。


ボクが我儘でいい加減な分、

子供たちに心配や迷惑をかけていることは分かっている。




親が子を想い、子が親を想う。


こんな当たり前のことが、難しい世の中。


ボクは最高に幸せな親だと思っている。


こんなに自由で、楽しくて、好き勝手やってられるのも、

子供たちがみんなそれぞれ独立して、

元気に人生を生きているからだと思う。



30にも40にもなって結婚もせず、親離れできない

パラサイトシングルと呼ばれる子供も多い昨今。


親も子にすがって生きている光景も時折目にする。



―――――――――――――――――――――――――

心配ないよといっても、心配するのが、親。


それはいくつになっても、同じだ。

幾つになっても、子は子、親は親に変わりはない。



84才のボクの母親も、

寝たきりになってもボクを気遣う。



何しとるね。

元気ね。

仕事はしよるとね。

お客さんは来るとね。

ご飯は食べよるね。


そうして涙を流す。


もう立って歩くことも、

自分で食事をすることもできないだろう。



その姿を見るにつけ、

どれだけ心配をかけてきたかと、申し訳ない気持ちにさせられる。



母は、おむつをさせ、食事を与えてくれ、洗濯もしてくれた。

今はすべてが逆の立場だ。


それでも、子供を気遣っている健気な姿がそこにある。




親ってホントにありがたいもんだ。

そして、いくつになっても子供って可愛いものだ。


心配は尽きないけれど。



―――――――――――――――――――――――――――――


子供たちは皆成人し、立派に育ってくれた。


親の責任は、

子供を自立させ、社会に送り出し独立させることだ。


社会人として一人前にすることだ。


そういう意味では親としての責任は一様果たせたかもしれない。



ボクの母親は、寝たきりながら存命している。

ボクを産み、ボクを育て、亡きオヤジとともに一人前にしてくれた。


こんな幸せな人生を授けてくれた両親に感謝している。

産んでくれてありがとう。


両親のもとに産まれてきてホントに良かった。


子の親になり、曲がりなりにも子を育てあげた今、心底そう思う。




親より先に逝くのは親不孝の最たるものという。


自分の子供たちの恙(つつが)ないこれからの人生を願うともに、

ボクもまだまだへたばるわけにはいかない。


少なくとも、母を看取るまでは。

お誕生日会

2012年09月11日 | 仕事
フリートークの仲間たち。


中でも二人の美女のお誕生日会をした。



お誕生日会なんて、子供の時以来だナー。

食事の前に、ボーリングもみんなで楽しんだりして。

年齢を超えて、みんな童心に帰って楽しそう。




今度から、毎月一回誕生日会やろうね、なんて盛り上がった。



ここ数年、一人だけのの誕生日が多かった。

(去年は長女一家がディズニーでお祝いしてくれたよ)


一人だと、一人っきりのクリスマス同様、寂しさが倍増する。

誕生日も、クリスマスも、バレンタインデーも来なきゃいい、なんて思っちゃう。


誰かさんがいればいいけど、仲間と一緒も捨てがたい。

寂しがり屋さんなら、なおさらだ。


そのうち、誰かさんが見つかるかも。




てなわけでフリートークの活動が、ドンドン外へ拡散中。




今週から、イベント、パーティ盛りだくさんだよ。


知らなきゃ、損。

来なきゃ、損。


10月誕生日の人、来月みんなでお祝いしようね。


みんなおいでよ。

人生、みんなで楽しも!

逆行人生のすすめ

2012年09月10日 | 人生
何かをやろうとするとき、

たとえば事業を起こす時など、


よし、お金を貯めよう。

お金が貯まったらはじめよう。

そのために宝くじを買おう,などと考える。


または、コツコツお小遣いを貯め、いつかできるだろうと漠然と考えている。


それはそれで、まあ悪いことではない。


だがそういう人は、往々にしてそのままの人生で終わってしまう。




英語を勉強してから海外に出ようとする人。


海外に行きたかったら、今すぐ行けばいい。


しゃべれなくても、お金が無くても、行けば何とかなる。

それから大成功する人は多い。



成功すれば幸せになると思っている人。

そう考える人が当たり前だと思う。


だが、これも反対だ。

幸せな人でないと成功しない。


仮に成功しても、幸せな成功者にはなりえない。


成功すれば幸せになれると思っている人は、

得てして、かえって不幸になることが多い。


なぜか人生がうまくいかないと思っている人の考え方は共通している。


最初から完璧を望もうとする。

用意周到な準備を怠らないことはイイことだが、


それに時間とエネルギーを費やし、

本来の目的まで到達できないでいる。


一見合理的に見える思考や行動が、非効率的であることはよくあることだ。

逆に非合理的と思えることの中に、効率性を見出すこともまたよくある。


全く言葉も分からず、外国に飛び込んで、

いち早く言葉をマスターすることなどがそうだろう。



成功を引き寄せる人は、

その前から、自分が幸せだと思っている場合が多い。


悲観論者に成功は訪れにくい。

仮に、成功しても、それが不幸を呼ぶことだってよくあることだ。


常識と思われている既成路線を捨てて、

逆から攻めてみるのも、有効な手段かもしれない。

International Party

2012年09月09日 | 国際
新たなInternational Partyがまた一つ盛り上がりを見せている。

熊本の若い男性、こうし、たいしコンビがしかけたパーティだ。


外国人とお友達になりたいという人には

うってつけのパーティだろう。





だが、本当に外国人とお友達ンあるには、やっぱり、英語は必須だ。

そして、社交性、ユーモア、マナー。


パーティは、総合学習の場と心せよ。




ボクも素敵な彼女、いや友達をゲット。





フリートークのマンスリー・パーティとはまた一味違った雰囲気がとてもいい。

主催者の熱意や意図がにぎわいを誘う。


だけどやっぱり最後はこの人、マリアの歌で締めくくった。






熊本の若い人たちがが国際意識に目覚め、

こうして熊本在住の外国人ともっともっと交流を深めることは、


熊本を国際都市にするために必要不可欠なことだ。



フリートークは、こうした人たちを応援し、

協力を惜しまない。


若者よ、世界へ飛び出し、羽ばたこう!

活路は世界のいたるところにある。


それもこうした地道な一歩から始まるのだ。

拘らないけど諦めない

2012年09月08日 | 
こうと決めたら決して諦めない。

Never quit.

Never give up.



だが、拘ってはいけない。


どういうことか。



やろうとおもったことは、できるまで続ける。


だが、なかなか出来ないものだ。

なぜか。


無理だから出来ないのではなく、

方法が間違っているからだ。


たとえば、英語が喋れるようになりたい、という目標を定める。

だけど一年経っても、英会話スクールに通っても、留学してもしゃべれるようにならない。


だから、自分には才能がないと思って諦める。



それは、才能がないのではなく

努力の仕方が間違っているだけなのだ。


目標が真北にあるのに、北北東にいくら進んでも到達しないようなものだ。

努力の方向がずれているのだ。


その場合はわずかな軌道修正で目標に達する。

それに気づかなければ、諦めざるを得ないだろう。

それは、北北東に拘っているからだ。


方向性の拘りを捨て、正しい方向を見出すまで何度でも諦めずトライしてみる。

それには、粘り強い取り組みが必要だ。




そもそも、目標の立て方自体が間違っていることがよくある。

あるいは、漠然としすぎていろいろ手を付け過ぎてしまう場合もある。



英会話に関しては、

英語が喋れるようになりたいと思っているうちはなかなかそうはならない。


なぜなら、目的が漠然としすぎているからだ。


目的とは、最終目標のことだ。

英会話の習得は目的にはなりえない。


あくまでも何かをするための手段に過ぎない。


何のために英語が喋れるようになりたいのか。



英語の先生になる。

翻訳家になる。


あるいは、独りで自由に海外旅行を楽しみたいとか。


そのために英語の勉強をする。

ちなみに、翻訳家を目指すなら、英会話の習得は不要だ。

副産物でついてくることはあるが。



「お金持ちになりたい」と誰しも思う。

思わないのは、よっぽどのひねくれものか、

鼻から諦めているものの僻(ひが)みだ。


だが、お金持ちになってどうするのか。

何のためにお金持ちになりたいのかを具体的に考えている人は少ない。


家を買う、車を買う、世界一周するとうとう。

じゃあ、どんな家、どんな車、どう世界を回るのか。



または、ただ遊んで暮らす。

何して遊ぶのか。

遊んで暮らすことがどれだけつまらないか、などと考える人は少ない。


具体的にそのため、いくら必要なのか。

それをどう配分するのか。


そこまで綿密に計画を立てている人は少ないだろう。


またそうはならないから、考えるだけ無駄なのだろうが。


漠然としているうちは、夢は絶対実現しない。




要は、目的を明確にすることだ。

目的はでっかく、明確であればあるほどいい。


たとえば、世界平和が目的だとする。

その手段はいくらでもある。


政治家になるのだけではないだろう。

歌手になって、歌で世界を繋ぐことだってできる。


画家になって絵で訴えることだってできる。

作家になって文章でもできる。


写真家だってできる。


世界を旅して、友達を作って、地道に手を繋ぎ合うことだってできる。


そのために、いろいろ勉強をしたり、資格を取ったりすることが目標なのだ。

目標は、拘らず変えることができる。


だが、目的はそうやっやすと変えるべきではない。


言い替えれば、

「目標にはこだわるな。

目的は諦めるな」
、だ。

免疫とガン細胞

2012年09月07日 | 健康
「放っておけばガンに進行する危険があります」

と医者に言われ、

大腸のポリープを切除することになった。


ポリープは数年前からあった。

切るほどのものではなかった。

経過を見ましょうということでここまで来た。



原因は分かっている。


キノコの山の食べ過ぎだ。

冗談はさておき、

今回は少し大きくなっていて、切った方がいいでしょうということになった。



一晩の入院で済む。

正直喜んだ。

ヤッター!と思った。


入院したかったから。

以前、入院願望があることをこのブログで吐露したら

読者の方の怒られた。


そんな甘いものではありません。

入院がどれだけ辛いものか、と。

肝に銘じております。

入院生活は辛いものです。



ただ、一日、二日程度なら旅行気分で・・・、

また怒られそう。



とにかくゆっくり寝れる環境が欲しかった。

病室ではインターネットは使えない。

携帯も切っておこう。

綺麗なナースに囲まれて一日過ごせる。


長年の夢だった。

また夢が一つ実現する。



入院は、学生の頃扁桃腺を切って以来となる。


ここまで大病なく、丈夫な体に産んでくれた両親に感謝だ。

打たれ強い精神力も親からの授かりものだ。

類稀な才能も(?)親のDNAがそうさせた。


オッと、これは自惚れ、持ち上げすぎ。

訂正します。

健康とと若さはひとえに親のおかげ。

とにかく感謝している。


ありがとう、オヤジ、お袋!




だから、入院は一種の憧れだった。



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もう一つ、ガンになることも常に想定している。

ガボッと保険金がありるし。



ガンは怖くない。

今や、不治の病ではない。

侮(あなど)っているわけではない。



たぶんガンになっても手術はしないだろう。

東洋医学で治せると信じているからだ。



ガンに関しては、素人ながら一家言がある。

なぜなら、妻が乳がんを患ったからだ。


切除して15年がたつ。

もう再発はあり得ない。


だがその時は悩んだ。苦しんだ。

そしてガンについてあらゆる本をむさぼり読み智識を詰め込んだ。


当時は、温存療法か、全摘かで専門家の間でも意見が分かれていた。




その時培った知識を使って

小説「セドナ」が出来上がったほどだ。


ヒロインの相手役が(リチャードギアだが)ストレスから胃がんにかかり、

日本に来て東洋医学で治すというものだ。


そこでヒロインである日本の女子大生と知り合う。

奇遇な巡り合わせから禁断の恋に落ちる。


アメリカに帰って再発するも、ネイティブアメリカンの療法を取り入れて回復していく。

その舞台がアリゾナのセドナだ。

世界有数のパワースポットであることは言うまでもない。


壮大な景色をバックに、ラブアクション・ドラマが繰り広げられる。



この小説を書きあげる時も、ガンについて調べに調べた。

ガンが東洋医学で完治するのか、ということが最大の疑問だった。



至った結論は、


ガンは東洋医学で治る。

完治する、ということだ。



その時ボクは、確信を得た。

手術なしに、東洋医学で必ずガンは治せると。


ボクは自分のハンドパワーを信じている。

自分で治す術を知っている。



それを、小説の世界だけでなく現実のものとして証明するためにも

自分がガンになる必要があるのだ。



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ガンは誰にでも発症する可能性がある。


なぜなら、ガン細胞は大半の人間の体内で、日々、3000個から5000個発生していると言われている。

しかも体内で日々発生している癌細胞は、元々は、身体を形成している普通の細胞が突然変異したものだ。


なぜ突然変異するのか?

ある医学者の説によると


細胞が突然変異し癌細胞化する原因は、

日常的に体内に取り入れている、水、大気、食物の汚染物質が体内の体液などに蓄積され、

体液や体内環境が悪化し、細胞が、突然変異し、癌細胞化するためではないか、という。



だから、現代人の誰でもが癌になりえる。

人間の体内では日々癌細胞が発生しており、誰でもが癌になってもおかしくないのだ。


とはいえ、実はほとんどの人は直ちには癌にならない。


それは何故か?




現代人の体内で日々発生している癌細胞は、

気がつかないうちに免疫細胞(白血球)に発見され攻撃され消滅している。

これがnatural killerだ。


体内には2兆個の免疫細胞が存在するといわれる。


身体を形成している細胞の数は約60兆個と言われており、

そのうちの2兆個が免疫細胞(白血球)なのだ。


通常であればこの2兆個の免疫細胞(白血球)が体内を循環し、体内の異常を感知し突然変異したガン細胞と戦ってくれる。

つまり、正義の味方が悪人をやっつけてくれているのだ。


だから、この間はガンにならないで済む。



だが、免疫細胞(白血球)が様々な原因から弱体化したり、減少することで、

発生した癌細胞を攻撃しきれず見逃してしまい、

見逃された癌細胞が体内を浮遊し、体内の各器官や臓器に寄生し、

そこで増殖し癌という病が発症する。


その発症した場所により、

胃がん、大腸がん、肝臓癌、子宮頸がん、乳がん、悪性リンパ腫、甲状腺がんなどの名前がつけられることになる。




ではなぜ発生した癌細胞が見逃されるのか。



それは加齢、体内環境の悪化、過労、寝不足、運動不足、栄養成分の不足、

過度のストレス、タバコの吸いすぎ、過度な飲酒、薬害
などにより、


免疫細胞(白血球)が弱体化したり、減少しているような状態化において

発生した癌細胞を攻撃しきれず見逃されてしまうのだ。


すなわち、自然治癒力(ナチュラルキラー)の低下だ。


※ 最後に映像があります。



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だから、反対に自然治癒力を増せばガンになることはまずない。


ここで重要なのは、生活習慣だけでなく、心の持ちようだ。

脆弱で邪悪な心は癌細胞が喜ぶ。


素直で、純真で、正直な心と気力を維持していれば

自然治癒力は衰えることを知らない。


それには感謝をすることだ。

何事にも感謝の心を持つことだ。



それでも複雑怪奇な超ストレス社会に生存している以上

ガンの発症はゼロにはならない。



だが、万が一ガンにかかっても、治せるのだ。

しかも東洋医学で。

そう信じている。


だから怖くない。



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今回は、またしてもそれを実証する機会を逃してしまった。


昨日のブログでご心配をおかけした読者の方々には深くお詫びするとともに、

感謝いたします。


チョッと悪ふざけが過ぎたようです。

怒られても仕方ないですね。

すいませんでした。


そして、本当にありがとうございました。



加えて、ぬか喜びでがっかりしている方々に

ざまーみろ!と言います。


憎まれっ子は世に憚(はばか)るのだ。

そんなやすやすと死んでたまるか。


ちなみに、美人薄命もお忘れなく。



ア、これでガン細胞が一気に増殖した。

ナチュラルキラーよ、ガンバレ!


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参考までに次の映像をご覧ください。


【免疫とガン細胞】 1日5000個

久々の健康診断

2012年09月06日 | 健康
約2年ぶりに健康診断を受けた。

厳密に言えば、

胃と大腸の内視鏡とエコーによる内臓検査。

それに伴う血液検査等々だ。


今回は久々ということもあり、行きつけの病院から初めての病院へ変えてみた。





結果は、一つを除いてまずまず正常らしい。

むしろ改善もみられた。

それは血圧だ。


二年ほど前に軽高血圧症と宣告され、薬の服用を強いられた。

下が100、上が150程だったのでやや高めといったところ。

しばらくは飲んでいたが、馬鹿らしくなって辞めた。


今回は、ほぼ正常値(下が90、上が130)に下がっていた。


一度降圧剤を服用しだすと、辞めてはいけないと言われたがどうやらそうでもないらしい。

コレステロール、血糖値もまずまずだ。


糖尿病患者も増えている。

一度かかるとインスリンが手放せなくなるそうだが、

これもウソだ。


医学の今までの常識が次々に覆されている。



上記の3つの成人病は、食事と生活習慣で改善できる。

生活習慣病と言われる所以だ。


塩分や糖分を抑えるとよく言われるが、

適切にとるといった方がいい。


過度な制限は体力を奪いかえって悪化させる。


エクササイズ(運動)と睡眠も大事だ。




健康を保つことでもう一つボクが心がけていることは、

呼吸だ。


意外と意識しない。

意識されない。


基本的に腹式呼吸を心掛ける。

これは活性酸素に影響する。


あっても困るが、無くてもいけないらしい。

コレステロールもしかり、

ストレスだってそうだ。


筋肉もそうだが、少し負荷をかけるくらいがちょうどいい。




話は飛躍するが、借金もそう。

ボクの場合、、無借金生活は自分をだらしなくすることが分かっている。

ただし、、過度な借金は身を滅ぼす。

返済能力を超えた場合だが、今その状態にある。


金銭問題は、往々にして心身に影響を及ぼす。

結局はすべてバランスに関係してくるのだが。



お金も、女も、生活も一見だらしなさそうに見えるらしいが、

それなりに気を使っているつもりだ。


自暴自棄にならないことが肝心。

どんな窮地に陥っても、冷静沈着に構えられれば大概乗り越えられる。


その冷静沈着の源が、呼吸なのだ。

意外に思われるかもしれないが呼吸とはそれほど大事なものなのだ。


日常、呼吸を意識して過ごすか過ごさないかで

心身ともに健康状態を大きく左右するといっても過言ではない。


ウソと思ったら、やってみればイイ。

ただ、少々訓練を要する。


とか気功とかいうとやや胡散臭く聞こえるかも知れないが

ボクは「気」というものを信じている。


ただ、内なる気、つまり自分自身の中に存在する気だ。

もちろんその元は自然界に存在する。


それを、外気と称して人への施術に利用するのはいかがと考えている。

しかも、高額を要求するなんぞは不届き千万である。


原価ゼロなんだから。



ボクは事が起きると瞑想するのが常だ。

緊急事態を除けば、まず落ち着くことが必要だ。


冷静に状況を判断することが重要なのだ。

初期動作を誤ると、後々尾を引く。


そのために、瞑想する。


身体に異変が生じても、瞑想する。

そして、自然のエネルギーを取り入れつつ内なる声に耳を傾けるのだ



ヤッパリ、胡散臭いな。

ただボクはそれを他人に押し付け、お金を要求するような(しかも高額)不埒なことは一切しない。


あくまでも自分に対する治癒だ。

それによって自己免疫力(ナチュラルキラー)が高まる。


そうして何度となく危機を乗り越えてきた。




ただ、それですべてが片付くほど甘くわない。


瞑想や気功でで借金が吹っ飛んで無くなるわけでもなく、

体の異常が全くなくなるわけでもない。


だが、少し和らぐことはできる。

危険度レベル4をレベル1か2まで下げることは出来る。


要は、の持ちようなのだから。


100万円の借金は100万円のままだが、

大きいと感じるか、小さいと感じるかは気の持ちようだ。


だから、瞑想で借金を減らすこともできると言えないことはないだろう。


まあ、これは屁理屈かもしれないが、

気が楽になるかならないかは大きな問題だ。


気が滅入れば体に不調もきたしやすくなるし、

気が晴れれば病気も一気に吹っ飛んでしまうことさえあるのだから。


――――――――――――――――――――――――――――

話は長くなってしまったが

冒頭に述べたように今回の検査で一つだけ異常が見つかった。



大したことではない。

それは



ガンだ。


心待ちにしていた、

ガンだ。



詳しくは、明日のブログで。

いいじゃない、楽しけりゃ

2012年09月05日 | 人生
人生を楽しもう。

人生を楽しみたい。

誰しも思うこと。


だが、現実はなかなか思うようにはかみ合わない。


やりたいことがうまくいかない。



そんなこんなで、苦虫を潰したような顔して

愚痴や人の悪口ばかりが聞こえてくる。


困った困ったと、笑う顔も引きつり気味だ。


特に今の日本、

右を向いても左を向いてもあまりいい話は流れてこない。


お互い傷口をなめ合ってはため息ばかり。


こんな世の中に誰がした。

生まれてくる時代を間違った。

俺の人生失敗したなー、などなど。



――――――――――――――――――――――

ところがそんな現実とは裏腹に

facebookのコメントを見れば明るい話題や

威勢のいい内容が並ぶ。



何を食べたの、

何処へ行ったの、

やれ飲み会だ、パーティだと。


まるで一年中この世の春満開だ。

誰しもが人生を謳歌している。


あれ、世の中こんなに景気良かったの。

みんな結構楽しそうじゃん。


落ち込んでるのは、ひょっとして俺(私)だけ?

なんて僻(ひが)み根性が顔を出す。


そんでもってちょっぴり焦る。



○○セミナー行ってきました。

とっても勉強になりました。


△△講演会へ行きました。

とてもいいお話でした。


そうか、みんなセミナーや講演会に足しげく通っているのか。

高いお金払って。


俺(私)も負けちゃいられないな。


かくしてセミナー通いが始まる。

だけど、俺(私)の人生一向に良くならない。


どうして!?

そんときゃ、よーしガンバルぞっ!って思うんだけど、

2日もたちゃ、元の木阿弥。


生活全然進歩してない。



次、どのセミナー参加しよーっかナー。

あ、あの人もまた来てる。


帰りにお茶して帰えろ~っか。


んっでもって、

facebookなんかに頑張ってるところアップしちゃおーっと。




こんな人が多いから、俺様(わたくし)、焦るばっかり。


なんか、みんな先行っちゃって、俺(私)だけ置いてきぼり。

で、最近、焦りとストレスで、鬱気味。



―――――――――――――――――――――

世の中、こんなパターンって多くありません?


だけど、心配しなさんなって。

みんな内心おんなじこと考えてんだから。



朝からいちいち、今日も元気で行きましょー!、

なんてfacebookで呼びかける奴がいる。

お前、ラジオ体操か、って。


朝っぱらから、なんでテンションそんな高いの?


余計なお世話だっツーの。


言われなくても、今、元気出そうとしてたんだから。

それ、先こされちゃ、やる気も失せるってもんだぜ。



あの掛け声欠ける奴って、

どこか自分を鼓舞しようとする姿が透けて見えるんだよね。


そんでもって、自分が一番落ち込んでたりして。

だから、無理して空元気出しちゃって。

落差激しそう。




それから、天気知らせてくるやつ。

今日もイイ天気です、とか、

今日は曇り空です、とか、いちいち。


気象予報士か。

言われなくたって、空見りゃ誰だってわかるだろ。



他に話題無いんだろうな。

キット、寂しいんだろうな。


そういや、空ばっかり写真撮って載せてるブログあるよね。


     こんなんとか

何、言いたいんだろ。



      これ、イイよね。好きだな




マ、いっカー!楽しけりゃ。

イイじゃない、今が楽しけりゃ。


さ、飲も飲も。

んで、酒煽ってる姿、facebookまたアップするべ。

Vサイン、Vサイン。














数か月後、

俺(私)さあ、今精神科へ通ってんだよな。

何にもやる気でなくってさー。


会社も行ってないんだー。


どうなんのかなー、俺(私)って。



こんな人、増殖中。

んでもって、感染しそう。



怖い世の中になったもんだ。

覚悟

2012年09月04日 | お金
覚悟を決める。

何かをやろうとするとき、

覚悟を決めなければならない。


何かを始める時

「よし!」 という意気込みは誰しも持つ。

それが、どの程度の「よし!」なのかは人によって違う。



学生の時の勉強もそうだった。


事業を起こす時

新しいことに挑戦するときもいつもそうだった。


誰かを好きになる時も、意気込みがあった。

頑張ろうという気持ちは常にある。



だが、何時しかその心も薄れていく。

なぜだろう。

単なる三日坊主なのか。

飽きっぽい性格なのだろうか。


そうかもしれない。

そうでないかもしれない。


物事がうまくいくときは誰だって乗ってくる。


だが、いったん壁にぶつかると、もうダメだ。

正念場はその時やってくる。


そう

「壁」なのだ。


大なり小なり、が現れる。


怖いのは、心の壁だ。

気持ち次第で巨大になったり、

消え失せたりもする。


うまくいかないことが続くと、

もうダメだと思う弱気の壁が出現する。


そして挫折する。

人生はその繰り返しである。


永遠に順風満帆なことなど何一つないのだ。

嵐もあれば凪(なぎ)もある。


それでも前に進む勇気はあるか。

それに対処する方策と度胸はあるのか。



それが

「覚悟」だ。


覚悟とは何ぞや。

やり抜く気持ちだ。

どんなことがあってもやり切る気持ちだ。


辞めないこと。

投げ出さないこと。

逃げないこと。


死んでもやるという強い決心。

ホントは死んだらできないから、死ぬまでやるといった方がいいけど。




それには

常に考えることだ。

工夫することだ。


絶対できるという、強い信念を持つこと。

ミッション(使命)を打ち立てること。


ある意味、思い込みがなければならない。

思い入れも必要だ。

好きになることだ。


それが覚悟だ。

覚悟を決めずに取り組んでも、絶対成就しない。


反対に

覚悟さえ決めればほとんどのことが可能となる。



さて、何かをしようとしている君、

その覚悟あるやなしや。



【蛇足】

死んでもラッパを離さないという逸話があるが、

「死んでもあなたを離さない」

と言える人がいないかナー。


「死んでもあなたについていく」

なんて言ってくれる人がいないかナー。



でもいまどきそんなことを言うと、

ストーカーまがいにされて、

キモイと言われるのが落ちだろう。


第一、鬱陶しいしィ。



男も女も自由を主張する輩が増えてるからな。

束縛しない代わりに、拘束されるも嫌とかいって。


ユル~く繋がっていたいんだろう。

ヌル~く浸っていたんだろうな。


ボク自身がそうなんだから、救いようがない。


我ながらやりにくい時代になったもんだ、ッタク。

時間考察

2012年09月03日 | 人生
命を除いて

この世で一番大切なものは

時間なのではないだろうか。



神はすべての人に平等に時間を与えた。


ただそれは、

一秒、一分、一時間、一日、一年という限られた枠の中ではあるが。


人に与えられた一生の時間は、様々だ。

この世に生を受けても

たった一秒で亡くなる人もいれば、

100年以上生きる人もいる。



お金は、手に入れ、貯めて、増やせるし、

自由に使って、何かと交換することもできれば

人に与えることだってできる。


努力次第で多くを稼ぐこともできるし

失うことも簡単にできる。


浪費したり、稼がなければすぐに無くなることだってある。

だが一度失ってもまた取り返すことだってできる。

あるいは、借金という形で人から借りることもできる。


そして何より、人によって雲泥の差がある。





時間はどうだろう。



過ぎた時間は二度と戻ってこない。

どうもがいても、いくらお金を積んでも取り返すことは出来ない。


否応なしに刻々と過ぎ去っている。


取り返すことはおろか、止めることもできない。


節約したり貯めておくこともできない。

貴重であり非情なもの、それが時間なのだ。




それなのに、それを意識している人は少ないように思える。


時間はこうして使えという、黄金律もほとんどない。


人それぞれ価値観が違うように

時間の使い方も、人それぞれだ。



平等に与えられ、自由に使えるはずの時間。

だが、時間は人を縛るし、追っかける。

流すことだってある。


半面、忘れることだってできる。

楽しむことも可能だ。



お金と同じなのは、

浪費ができて、失うことができるということだろう。






余談だが、

『TIME/タイム』 という

通貨の代わりに“時間”が売買される世界を描いたSF映画がある。

2011年のアメリカ映画だ。


貧乏な人間は寿命が短く、裕福な人間は長いという、

現代社会の貧富の差を象徴するで、

現代社会を風刺するものとなっている。


“命”という現実では量れないものが、“時間”に数値化され、

それを奪い合うことができるというアイデアは面白い。




だがあくまでもSFの世界だ。



時間は、

多くの人が年を取って初めてその取り返しのつかなさに気付くものでもある。


ただ歳をとるとらないにかかわらず、

死を意識している人は、時間を無駄なく効率的に使う傾向があるようだ。




限られた人生、

いつ死ぬか分からない人生であればこそ


時間を上手に使おうとする。

無駄なことをしなくなる。


過去を悔やみ、未来を恐れても何になろう。

今、ここに集中すれば思い悩むことはなくなる。



――――――――――――――――――――――

仕事と時間。

お金と時間。

二者択一のようにも思える。


貧乏暇なしといわれるが

では、お金持ちは時間があるのか。


どうやらそうでもないらしい。


時間とお金は反比例するとも言われる。



仕事もあって、時間もお金もあるようにはできないものか。



ホームレスも結構忙しいらしい。


人と時間に縛られない生き方は出来ないものか。


3食昼寝付といわれた専業主婦の永久就職も今は昔のこと。


終身雇用も、終身夫婦も今や懐かしさばかりが残る。


空気と同じ、

目には見えない。

日ごろあまり意識もしない。


だが、時間も空気ももしなくなれば

それは死ぬ時だ。



いつも時間を意識し、

時を惜しみ、敬意を払い、無駄なく使おう。


そうすれば時間の呪縛から解放される。

夢実現の3要素

2012年09月02日 | 
お金がない

時間がない

才能がない


では、

お金も時間も才能も有れば夢が叶うのか。

3拍子揃うことは難しい。


天が二物を与えることは難しいのに

まして三物なんかとんでもない。


むしろ現実は、一物も無い人の方が圧倒的に多いのだ。


幸いにも三拍子完璧な人でも夢を実現できない人もいる。


自分の恵まれた境遇に甘んじるからだ。

むしろそれで身を潰す場合も多い。




逆に、

お金も時間も才能もないのにやりたいことを確実にやりぬく人もいる。



なければ

お金は借りればいいし、

時間は作るものだし、

才能はアウトソーシングすればいい。



なのに

わずかなお金をためて、

然程役に立たない資格を取って、


それで、時間をつぶす。


結果、相変わらず、お金がない時間がない、才能がないと嘆く。


そうなれば

お金も時間も才能も

出来ないためのエクスキューズ(口実・言い訳)でしかありえない。




夢を実現するための真の三要素は


アイデアと情熱と行動力なのだ。

ただ、

時間だけは、自分の意志である程度どうにかできるものである。


その時間を浪費している人が多い。


時間とは、どんな人にも平等に与えられている最も貴重な財産なのに。


だから、最も意識しなければないことは、

時間であるといえよう。


時間についてはまたの機会に考察しよう。



【結論】


お金 + 時間 + 才能 ≠ 夢

アイデア × 情熱 × 行動 + 時間 = 夢


※ アイデア、情熱、行動のどれか一つでも0(ゼロ)なら、

  夢の実現は困難だ。