世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

拘らないけど諦めない

2012年09月08日 | 
こうと決めたら決して諦めない。

Never quit.

Never give up.



だが、拘ってはいけない。


どういうことか。



やろうとおもったことは、できるまで続ける。


だが、なかなか出来ないものだ。

なぜか。


無理だから出来ないのではなく、

方法が間違っているからだ。


たとえば、英語が喋れるようになりたい、という目標を定める。

だけど一年経っても、英会話スクールに通っても、留学してもしゃべれるようにならない。


だから、自分には才能がないと思って諦める。



それは、才能がないのではなく

努力の仕方が間違っているだけなのだ。


目標が真北にあるのに、北北東にいくら進んでも到達しないようなものだ。

努力の方向がずれているのだ。


その場合はわずかな軌道修正で目標に達する。

それに気づかなければ、諦めざるを得ないだろう。

それは、北北東に拘っているからだ。


方向性の拘りを捨て、正しい方向を見出すまで何度でも諦めずトライしてみる。

それには、粘り強い取り組みが必要だ。




そもそも、目標の立て方自体が間違っていることがよくある。

あるいは、漠然としすぎていろいろ手を付け過ぎてしまう場合もある。



英会話に関しては、

英語が喋れるようになりたいと思っているうちはなかなかそうはならない。


なぜなら、目的が漠然としすぎているからだ。


目的とは、最終目標のことだ。

英会話の習得は目的にはなりえない。


あくまでも何かをするための手段に過ぎない。


何のために英語が喋れるようになりたいのか。



英語の先生になる。

翻訳家になる。


あるいは、独りで自由に海外旅行を楽しみたいとか。


そのために英語の勉強をする。

ちなみに、翻訳家を目指すなら、英会話の習得は不要だ。

副産物でついてくることはあるが。



「お金持ちになりたい」と誰しも思う。

思わないのは、よっぽどのひねくれものか、

鼻から諦めているものの僻(ひが)みだ。


だが、お金持ちになってどうするのか。

何のためにお金持ちになりたいのかを具体的に考えている人は少ない。


家を買う、車を買う、世界一周するとうとう。

じゃあ、どんな家、どんな車、どう世界を回るのか。



または、ただ遊んで暮らす。

何して遊ぶのか。

遊んで暮らすことがどれだけつまらないか、などと考える人は少ない。


具体的にそのため、いくら必要なのか。

それをどう配分するのか。


そこまで綿密に計画を立てている人は少ないだろう。


またそうはならないから、考えるだけ無駄なのだろうが。


漠然としているうちは、夢は絶対実現しない。




要は、目的を明確にすることだ。

目的はでっかく、明確であればあるほどいい。


たとえば、世界平和が目的だとする。

その手段はいくらでもある。


政治家になるのだけではないだろう。

歌手になって、歌で世界を繋ぐことだってできる。


画家になって絵で訴えることだってできる。

作家になって文章でもできる。


写真家だってできる。


世界を旅して、友達を作って、地道に手を繋ぎ合うことだってできる。


そのために、いろいろ勉強をしたり、資格を取ったりすることが目標なのだ。

目標は、拘らず変えることができる。


だが、目的はそうやっやすと変えるべきではない。


言い替えれば、

「目標にはこだわるな。

目的は諦めるな」
、だ。