世界一周タビスト、かじえいせいの『旅が人生の大切なことを教えてくれた』 

世界一周、2度の離婚、事業の失敗、大地震を乗り越え、コロナ禍でもしぶとく生き抜く『老春時代』の処世術

時間考察

2012年09月03日 | 人生
命を除いて

この世で一番大切なものは

時間なのではないだろうか。



神はすべての人に平等に時間を与えた。


ただそれは、

一秒、一分、一時間、一日、一年という限られた枠の中ではあるが。


人に与えられた一生の時間は、様々だ。

この世に生を受けても

たった一秒で亡くなる人もいれば、

100年以上生きる人もいる。



お金は、手に入れ、貯めて、増やせるし、

自由に使って、何かと交換することもできれば

人に与えることだってできる。


努力次第で多くを稼ぐこともできるし

失うことも簡単にできる。


浪費したり、稼がなければすぐに無くなることだってある。

だが一度失ってもまた取り返すことだってできる。

あるいは、借金という形で人から借りることもできる。


そして何より、人によって雲泥の差がある。





時間はどうだろう。



過ぎた時間は二度と戻ってこない。

どうもがいても、いくらお金を積んでも取り返すことは出来ない。


否応なしに刻々と過ぎ去っている。


取り返すことはおろか、止めることもできない。


節約したり貯めておくこともできない。

貴重であり非情なもの、それが時間なのだ。




それなのに、それを意識している人は少ないように思える。


時間はこうして使えという、黄金律もほとんどない。


人それぞれ価値観が違うように

時間の使い方も、人それぞれだ。



平等に与えられ、自由に使えるはずの時間。

だが、時間は人を縛るし、追っかける。

流すことだってある。


半面、忘れることだってできる。

楽しむことも可能だ。



お金と同じなのは、

浪費ができて、失うことができるということだろう。






余談だが、

『TIME/タイム』 という

通貨の代わりに“時間”が売買される世界を描いたSF映画がある。

2011年のアメリカ映画だ。


貧乏な人間は寿命が短く、裕福な人間は長いという、

現代社会の貧富の差を象徴するで、

現代社会を風刺するものとなっている。


“命”という現実では量れないものが、“時間”に数値化され、

それを奪い合うことができるというアイデアは面白い。




だがあくまでもSFの世界だ。



時間は、

多くの人が年を取って初めてその取り返しのつかなさに気付くものでもある。


ただ歳をとるとらないにかかわらず、

死を意識している人は、時間を無駄なく効率的に使う傾向があるようだ。




限られた人生、

いつ死ぬか分からない人生であればこそ


時間を上手に使おうとする。

無駄なことをしなくなる。


過去を悔やみ、未来を恐れても何になろう。

今、ここに集中すれば思い悩むことはなくなる。



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仕事と時間。

お金と時間。

二者択一のようにも思える。


貧乏暇なしといわれるが

では、お金持ちは時間があるのか。


どうやらそうでもないらしい。


時間とお金は反比例するとも言われる。



仕事もあって、時間もお金もあるようにはできないものか。



ホームレスも結構忙しいらしい。


人と時間に縛られない生き方は出来ないものか。


3食昼寝付といわれた専業主婦の永久就職も今は昔のこと。


終身雇用も、終身夫婦も今や懐かしさばかりが残る。


空気と同じ、

目には見えない。

日ごろあまり意識もしない。


だが、時間も空気ももしなくなれば

それは死ぬ時だ。



いつも時間を意識し、

時を惜しみ、敬意を払い、無駄なく使おう。


そうすれば時間の呪縛から解放される。