書名 「青狐の島」
著者 スティーブン・R・バウン(小林政子訳) 出版社 国書刊行会 出版年2020
このところアリューシャン列島関係の本を断片的に読んでいる。これは今年出たカナダのノンフィクション作家が書いたベーリングの北太平洋探検についての歴史ノンフィクション。歴史上ベーリングはロシアのアラスカ進出の先陣を切ったことになるが(実際は毛皮職人たちが早々とアラスカに渡っていた)、ピョートル大帝の意向を組んだその探検のスケールの大きさにまずは驚かされた。3000人もの大部隊が、シベリアを横断(いろいろコースをとりながら)してから、今度はカムチャッカ半島に到着後、アメリカ大陸へ向けての北太平洋航海のために船を建造、それから航海に向うというのだから、まさに驚きの大探検である。せっかくいくのだからということで、学者による調査も盛り込まれ、リーダーは大変な責務を負っていたかということになるのだが、著者によるとベーリングはカリスマ的リーダーシップをとるというタイプではなく、どちらかというと慎重派で、探検を命じた政府の意向をまず第一義ということでリードしていたようだ。彼は家族をカムチャッカまでに同行し、道中も贅をつくしたものであったという。探検家というイメージがなかなかわかない人のように描かれている。面白いのは多額の国費をかけての探検なので、局面局面での判断についてはリーダーの一存ではなく、合議によって決定、誰がどのような意見を言っていたかについてはいちいちこまかく報告書に記載していたという。ベーリングはこうしたしばりのなかで自分が判断するというよりは周りのことを気にしながら探検を進めていたことになる。こんな大所帯だからまとまりはなく、いろいろ衝突もあり、とにかく遅れに遅れての探検となり、結局は二次探検ではアメリカ大陸をなんとか確認し戻る途中、船は座礁、カムチャッカまでたどり着けず、いまはベーリング島と名づけられている島で冬を越すことになる。この島での話しがこの書の一番のよみどころとなる。壊血病で次から次へ隊員が亡くなり、ベーリングも死亡、ここで実質指揮をとるのは、探検中皆から総スカンをくらっていた学者と息子と一緒に参加していた海軍士官だった。壊血病を克服し、座礁した船での帰港を諦めて、その船材で新たに船を建造してカムチャッカまで戻るまでを指揮をとったふたりの手記をもとに、なかなかスリリングに描かれている。ベーリングをはじめ、多くの隊員たちは壊血病に苦しみ、何十人も命を落としていることを考えると、同じアリューシャンの小島でおよそ一年間過ごしながら、犠牲者をまったく出さずに生き延びた若宮丸漂流民たちの生命力はあらためてすごいと思う。同じようにアリューシャンで過ごすことになった伊勢神昌丸の乗組員の多くも壊血病で命を落としている。なぜ若宮丸漂流民たちは壊血病にならなかったのか、このあたりのことはもう少し突っ込んでみることは、コロナ時代を生き延びなければならない私たちにとっても大切なことかもしれない。