書名 「阿蘭陀通詞の研究」
著者 片桐一男 出版社 吉川弘文館 出版年 1985
レザーノフの日誌の翻訳をやってから長崎通詞の存在が気になり、これは読まないといけないのではないかと思い買っていた本で、ずっと書棚に置いたままになっていた。レザーノフの長崎滞在の時のことを小説形式で書けないかという構想をずっと持ち続けていたのだが、そろそろその構成を考えようかと思い、この650頁を越える大著に挑むことになった。オランダ通詞研究の第一人者が執筆当時ほとんど誰も手をつけていなかった文献資料を読み起こし、通詞の全体像を明らかにしようと、正々堂々と向かい合って書き上げた一級の研究書である。オランダ語がまったくわからない者にとっては、辞書とか文法の話しになると理解できないところも多々あったが、これまでほとんど明らかにされなかった通詞たちの仕事の実態がはっきりとさせたことは、この書の最も大きな読みどころである。なにより彼らが身分としては町人に属していたことをはっきりとさせたことは大きい。町役人として奉行所とオランダ商館に奉仕専門する技能職集団で、侍とは一線を画す存在であった。以前大黒屋光太夫研究の第一人者である山下恒夫氏が、さかんに通訳は所詮町人だったのだからといささか見下したような言い方をしていたことが思い出される。町人階級のかなりアッパーな地位にいたことがこの書で明らかにされているのだが、さらにオランダとの貿易の現場にかなり深く関わっていたこともわかる。特に興味深かったのは、通詞の仕事の中で御内用方通詞という職分があり、彼らは江戸の幕閣や将軍の直接の注文に対してオランダとの窓口になっていた。これはひとつの特権ともいえる。もうひとつは天才的通詞と言われた馬場佐十郎のオランダ語研究にいかに大きな仕事を成し遂げたかということを明らかにしたことである。彼のことを誰か小説にしていないのだろうか。魅力的な人物である。ロシア語もやっていたこの男が早くに亡くなったことは幕末日本にとっても大きな痛手となったのではないか。また民間の学者たちの猛烈な洋学に対する向学心も知ることができる。これはいまは本になっているのかもしれないが特に鷹見泉石の未刊行文献によって、彼がどれだけの熱情をもって、洋書入手や学習に意欲を燃やしていたかもしることができる。だいぶ前に書かれた本なので、長崎通詞研究はさらにいまでは進んでいるとは思うが、この書が長崎通詞研究の礎をつくっているのは間違いないだろう。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます