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「例幣使街道」の名所さがしをしてみました ・・・ 頼朝院・圓福寺(群馬・高崎市)に行って来ました

先日、「  圓福寺たいし堂 この先 」の看板を、群馬県立自然公園「群馬の森」近くを走っていたら見かけました     

場所は旧例幣使街道から新例幣使街道に出たところで、新旧例幣使街道の合流点から、南へ320mほど行くと「圓福寺」の山門です

「例幣使」とは、朝廷がつかわした、伊勢神宮の神前に捧げ物をもっていく使者のことです

江戸時代朝廷は、徳川家康の法要のため日光東照宮にも同じように勅使を派遣していました・・・

江戸時代の正保2年(1645)、日光山・東照社に東照宮という宮号が宣下されたことで、朝廷は臨時奉幣使を東照宮に派遣したものが恒例化したのだそうです

勅使の派遣は、春の東照宮例祭に合わせて行われ、勅使が通る道のことを「日光例幣使道」とよばれ、街道は、「例幣使街道」として、京から中山道を通り、倉賀野宿より日光に至るまでの道として整備されました

例幣使は毎年京を4月1日に出発し15日で日光に到着したそうですから、結構早い旅ですね

尚、復路は日光道から江戸に入り、東海道を使って帰京したそうです

倉賀野から発した例幣使道は、国道354号と多くの部分で重なっていて、現在でも、往時を偲ばせる名所が点在しています

見かけた「八幡山圓福寺 この先」の看板を曲がって、寄って来ました

        山号は「八幡山」 寺の名は、頼朝院・圓福寺 ・・・ 智山派真言宗

「圓福寺」はもと「圓光寺」という名前だったそうですが、むかし八幡原にあり廃寺になった「長福寺」というお寺の「福」の一字を取って、「圓福寺」にしたと調べたらありました

「長福寺」は、その昔源頼朝が東征に赴く際に八幡原で病に倒れ、そのとき身体を休ませたと伝わるお寺だったそうで、現在の圓福寺の院号・頼朝院はこの伝承に因んだものでしょう

        圓福寺・本堂  ・・・ 向かって左奥には、墓地がありました    (向かって右端のピンクは“アセビ“の木です)

本堂前に、″馬酔木(アセビ)“が植えられ、花が咲き出していました   

        “アセビ″ の花 アップ !! 

“アセビ(馬酔木)″は、ツツジ科アセビ属の常緑低木で、日本に自生です

樹高は1.5~4m程で、葉は楕円形、深緑色で表面に艶があり、枝先に束生します

早春、枝先に複総状の花序を垂らして、つぼ状の花を多く付けます

訪ねたこの日は、とても冷え込んだ日でした

花の先はまだ開いておらず、暖かになる日を待っているようでした

本堂に一礼し山門を出ると、駐車場の一角に何か石碑が建っているのが目に入りました

寒いのでパチリ!!を忘れましたが、「八幡原 稚蚕共同飼育所跡」と刻まれ、碑文には、「稚蚕共同飼育所」が昭和41年(1966)設立、昭和61年(1986)閉鎖になるまで、養蚕の近代化に寄与したとありました

世界遺産ではありませんが、養蚕文化向上の一翼を担っていたのですね

「例幣使街道」には、色々興味のある名所がありそうですので、折々に訪ねてみたいと思いました

 

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