日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
埼玉・秩父札所34番・日沢山水潜寺に詣でてきました
先日前から行ってみたかった埼玉・秩父札所34番「日沢山・水潜寺」に行ってきました
この札所は、秩父三十四霊場、日本百観音霊場(西国・坂東・秩父) の結願寺として、 巡礼者が打留めの札と笈摺(おいずり)を納めるお寺です
「観音菩薩」様は、仏教の菩薩の一尊で、北伝仏教、特に日本や中国において古代より広く信仰を集めている尊格で、とても大事にされています
観音様について説かれた仏教経典は数多く、中でも最古かつ最も有名なのは「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十五」、別名「観音経」で、後述の「三十三身普門示現」もこの教典の長行に説かれているそうです
経典の「普門品偈文(観音経)」に、
「衆生、困厄を被りて、無量の苦、身に逼(せま)らんに、観音の妙智の力は、能く世間の苦を救う。(観音は)神通力を具足し、広く智の方便を修して、十方の諸(もろもろ)の国土に、刹として身を現ぜざることなし。種々の諸の悪趣。地獄・鬼・畜生。生・老・病・死の苦は、以て漸く悉く滅せしむ。」
とあるそうで、観音様の慈悲が広く、優れた現世利益を持つことを述べているこの点はすべての経典に共通しているそうです
このため観音様は世を救済するに、広く衆生の機根(性格や仏の教えを聞ける器)に応じて、種々の形体を現じており、これを観音の『普門示現(ふもんじげん)』というそうです
因みに、「法華経・観世音菩薩普門品第二十五(観音経)」には、観世音菩薩はあまねく衆生を救うために相手に応じて、「仏身」「声聞(しょうもん)身」「梵王身」など、33の姿に変身すると説かれているそうです
このような事から、観音様の霊場は三十三箇所あるというのが普通と考えられ、西国三十三カ所、板東三十三カ所があって、これを秩父三十三カ所を足すと九十九カ所ですが、これに秩父を34寺にして百霊場になるようにし、その百観音の結願の寺を「水潜寺」とされました
埼玉県秩父郡皆野町下日野に、百観音の結願の寺・「水潜寺」はありました
秩父札所34番「日沢山・水潜寺」を詣でたこの日は、猛暑の続く暑~い日でしたが、夏の強い日差しの中で、秩参道にずらりと並ぶ三十三観音の石仏が参拝者を迎え、見送っています
「水潜寺」の名前の由来は、観音堂の傍の崖下に、清浄長命水を湧出する水くぐりの岩屋があり、 札所巡礼を終えた人々は、ここで再生儀礼の胎内くぐりをし、長命水をいただき、 笈摺を納め心身共に清浄になって俗世の生活に帰ったと言われ、“水潜り観音”と呼ばれ親しまれていた事による様です
「水潜寺」の御詠歌は、 「 萬代の 願ひをここに 納めおく 苔の下より 出づる水かな 」 が身を清めてくれます
ご本尊は、一木造り室町時代の作と伝えられる千手観世音菩薩で、西国をかたどる西方浄土の阿弥陀如来、坂東をかたどる東方瑠璃光世界の薬師如来が祀られ、「日本百観音結願寺」の特殊性を出しています
観音堂は、大きな流れ向拝をつけた六間四面方形造りで、文政11年(1828)の建築です
内陣は壁で囲まれ、外陣は桟唐戸をたて周囲に縁を廻し、内陣外陣の境には格子戸を以て仕切り、 その上部に飛天像その他の極彩色彫刻を入れ、組物は出組で格天井をうけ、 鏡板には円形の輪郭をとり、花鳥の様々が画かれています
秩父札所34番水潜寺の前に、結願の御砂ふみがあり、平らな黒御影石に二つの足形が揃えて彫ってあります…パチリしてこなかったのが残念!!
「足形の上で拝めば、百観音巡礼の功徳がある」と刻まれており、この上に乗って手を合わせると、西国33ヶ所、坂東33ヶ所、秩父34ヶ所の合わせて日本百観音巡礼を果たしたという事になるのだそうです…乗って百観音巡礼をしたことにしようかなと思いましたが、あまりに安易だなと止めました
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