日々の雑感記によるヘボ・マイ趣味紹介です。
ダッペの悠友ライフ
坂東15番札所・「白岩観音」様に、寄ってきました
6月中旬になると、いつもおなじみの梅園に梅の買い出しに行きます
場所は群馬三大梅園の一つ箕郷梅林の中の梅やさんで、今年も行ってきました
今年の梅はまあまあのようで、毎年行くから準備して待っててくれました
この梅やさんの近くには、坂東三十三箇所第十五番 白岩山・長谷寺があります
いつも梅を買った帰り、白岩観音の脇を抜けて帰ってきますが、今年はこの辺りは道路開発が進み道を間違えました
更に白岩観音も駐車場が新しくなり、観音様の宮社も綺麗になっておる様子に、久しぶりにお参りしてきました
坂東三十三箇所とは、神奈川県・埼玉県・東京都・群馬県・栃木県・茨城県・千葉県にかけてある33か所の観音霊場のことをいいます
これらの霊場は源頼朝によって発願され、源実朝が西国の霊場を模範として札所を制定したと伝えられており、第一番札所の杉本寺(神奈川鎌倉市)から第三十三番札所である那古寺(千葉県館山市)までを巡拝すると、その道程は約1300kmにもなります
巡礼者は全ての札所を巡拝(結願)すると、善光寺および北向観音に「お礼参り」をすることが江戸時代から慣わしとされています
これらすべてを周るのは大変なので、杉本寺と那古寺の2寺を参拝して結願とする場合もあるようです
尚、坂東33箇所、西国三十三箇所、秩父三十四箇所と併せて日本百観音といい、その結願寺は秩父三十四箇所の三十四番「水潜寺」がなっているのだそうです
今度「水潜寺」には是非行ってみたいものです
長谷寺・本堂(観音堂) です
白岩の長谷寺、通称「白岩観音」は、朱鳥年間(686~696)に開基されたことが、 「長谷寺縁起絵巻」に伝えられており、この縁起によれば、延暦・大同(782~810年)の頃に伝教大師最澄や弘法大師空海も来錫 し、文徳天皇(851)の御代、在原業平が堂宇を修営したとされ、この後は源義家、新田義貞な ど武将の信仰も篤かったと伝わっています
本堂は、武田信玄の子勝頼が、世無道上人に命じて、天正8年(1580)に建てたもの といわれています
坂東第十五番・白岩山長谷寺(通称「白岩観音」)は、木造十一面観世音菩薩(平安時代後期作)が御本尊で、群馬県指定重要文化財になっています
この辺りの地名は「白岩」といい、六ヵ坊の修験が修法していたそうで、新田義貞の挙兵に あたって、この修験者たちが坂東八ヵ国に盛んに檄を伝えたといわれています
「白岩」に境を接す る里見郷は新田義貞と共に滅亡した里見一族の本拠地であり、のちの楠正成の家臣・浜名左 衛門義尊が遠江国濱名邑より来白岩し諸堂を改修し護ったのだそうです
「本堂 唐破風向拝」 彫り上げられているのは、 「天人奏楽図」 です
「仁王門」
仁王門内の「金剛力士像」を金網越しにパチリ!です
鎌倉時代中期・天福年間(1233)に成立した坂東三十三ヵ所のうち、第15番の札所 となった「白岩観音」へは中世以降、多くの巡礼者たちが訪れていますが、本尊の十一面観音像が秘仏 であるため、一般に参拝できるのは前立像だそうです
精緻にして優美なつくりの二体の仏像は美術史的にも高く評価でき、特に平安時代の仏像 は県内では極めて少なく貴重であるとされているそうです
梅買いの帰りで、パチパチだけでしたので、今度この知識をもとに、ゆっくり鑑賞してみようかな
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