ダンポポの種

備忘録です

350円の特急券

2012年02月13日 18時40分11秒 | 鉄 道
↓昨日貼った画像ですが、1986年当時の近鉄電車の特急料金表です。



私の手元に、当時の特急券が何枚か残っているので、きょうは、それを画像にして貼っておきますわ。(安直な企画)
乗車距離40kmまでの、350円券が何枚か残っていますねん。


↑昭和61年(1986年)6月10日に、新田辺駅の窓口で買った「西大寺→難波」の特急券。値段は350円。
 ちなみに、乗車予定日の6月15日は日曜日。
 『日曜日の午後、近鉄特急で大阪へ行ってみるか…』と自分なりに考えて買った特急券だったと思う。(当時の私は中学生)
 大阪へ行くことが目的ではなくて、近鉄特急に乗ることが目的だったというのは、言うまでもないですが…。
 結局、その後状況が変わり、6月15日は他の用事ができてしまって、近鉄特急に乗りに行くことはできなくなりました。
 この特急券は払い戻しをすることもなく、そのまま手元に残り…、今日に至ります。



↑昭和61年(1986年)12月6日、南大阪線「阿部野橋→橿原神宮前」の特急券。これも350円。
 この区間の乗車距離は、ギリギリで40km以内に収まります。(同様に、京都~近鉄奈良間もギリギリ40km以内です)
 この日は、学校の期末試験が終わった直後の〝休校日〟(←家庭学習日だったっけ?)で、とにかく、学校へは行かなくて良い日だったのです。(くどいが、当時私は中学生)
 『めでたく期末試験も終わったのだし、もう今さら、家庭学習とか要らんやろ…』って思ったりしましてな。(良い子は真似しないでね
 ハッ!と気が付いたときには、私はすでに南大阪線の車内だったわけや。もはや万事休…(はいはい
 乗り込んだ車両は16000系特急で、回転クロスシートながら、リクライニング装置が付いていない座席でした。旧式というか、原型というか…。



↑同じく昭和61年(1986年)12月6日の特急券。
 阿部野橋から橿原神宮前まで特急に乗ったあと、橿原神宮前から吉野までを急行電車(吉野線内は各駅に停車)で移動。
 あっ! いや…、もしかすると、準急電車だったかも知れん。(いずれにせよ、吉野線では各駅に停車)
 吉野からの折り返しは、再び特急を利用しました。そのときの「吉野→奈良」の特急券です。
 私としては、京都線に乗り継ぐ駅-大和西大寺までの特急券があれば事足りたのだけど、ちょっと〝いちびって〟、西大寺ではなく奈良までの特急券を売ってもらいました。
 これによって、3本の特急列車を〝ハシゴ〟する「乗り継ぎ特急券」の出来上がり~ 
 3本の特急の座席番号が列記された券面に、『珍しい特急券を手に入れたぞ!』みたいな喜びを感じました。(まだ中学生だったので…)(←何度も言うてすまんけど)
 この特急券だと、西大寺で橿原線の特急から降りるときにホームで「特急券を回収されずに済む」っていう点も、もちろん狙っておりました。(正直ダンポポ)



↑同じく昭和61年(1986年)12月6日の特急券。
 私が買ったものではなく、吉野から私が乗り込んだ車内にポンと落ちていた、誰かの使用済み特急券です。
 拾って、持って帰ってきた。(←拾うなーっ!)
 落ちていた…っていう表現は良くないか。床ではなくて、座席の上だったか、窓のかまち(窓枠)だったかに、置き去りにされていたのです。
 全然汚れていない〝美品〟の切符だったので、拾ってきました。(だから、拾うなよ!)(←中学生だったからね…)(←もうええっちゅうねん!)
 車内検札のハンコ(〝改〟のハンコ)がきれいに押されているのが印象的です。(現在の近鉄特急では、この方式の車内改札は行われていません)



↑1987年(昭和62年)3月13日の特急券。
 乗車券と特急券が一枚に集約された形式。(現在でも、窓口で特急券を買うと、乗車券の要or不要を訊かれます)
 この切符は、私が、叔父からもらった一枚です。
 京都に住んでいた叔父が奈良へ来る機会があって、その際、近鉄特急で奈良から京都へ帰ったのだそう。
 私が電車好きだということを知ってくれていて、この特急券を大事に〝キープ〟しておいてくれたようなのです。
 キープしてくれて有難いのですが、〝乗車券付き〟の特急券を手元に残すのは容易ではなかったはず…。
 その日、叔父はどうやって京都駅の改札を出たのだろう…という謎は残りますね。
 叔父は確か、『自動改札を通らず、係員がいる改札口で特急券を呈示してサッと通り抜けた』って言っていたかなぁ。
 呈示して通り抜け…って、ほんま、どさくさやな。(現在は、そういう改札の通り方は認められません)
 そうまでして叔父がキープしてくれた一枚。大事に保存しときますわ、この切符。




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