ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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2004年8月1~6日 「中国東北部と中朝国境の旅」全記録 ②1日目:北京(天壇公園、街のようす等々)

2014-10-17 10:40:46 | 2004年8月・中国東北部と中朝国境の旅
※参考図書からの引用は、次のような略号で記した。
 「中国歴史散歩 1」(山川出版社.1993)=[歴]
 「地球の歩き方03~04 大連と中国東北地方」(ダイヤモンド社.2002)=[地]
 谷崎光「北京の愉しみ」(角川春樹事務所.2004)=[北]
 岡田和裕「満州辺境紀行」(光人社.2003)=[満]

◎1日目:8月1日(日)
 8:30集合
 日本時間
 10:35発
 成田空港(発)・晴。7:30頃第2ターミナル着。3Fに行くとかなり混んでいる。若干の買い物の後、7:50両替の列に並んだ。あまり長い列でもなかったが、なかなか進まず、8:25までかかってしまった。\15,000が100元札9枚と、日本円のおつり少々。
・8:30の集合時間直前に待合場所D46カウンターへ。私を含め11名の参加者と添乗員K氏予定通り集合。

 (空路)・ANAのNH905便。34G席は右窓側。途中高速道路が目立つ都市の上空にさしかかる。まもなく干潟らしき海岸線が見えたので韓国の仁川付近と推定。この辺りから海に出た。
 現地時間
 13:40着
 北京空港(着)・北京空港到着とともに時計を1時間遅らせる。入国審査の列をみると外国人は中国人の10倍はありそう。早く消えた中国人用の方に並び替えてOKだった。中国人小学生の団体が目についた。荷物の受取り場所の表示は「大件行李提取」とある。
 14:20~
 15:10
 (バス)・空港ビルから出てマイクロバスに直行。北京の暑さも日本とあまり変わらない。現地ガイドは北京の旅行社の申さんという男性。日本語がよどみなく、達者。もう1人女性のガイドのタマゴ嬢。バス最後部の席はクーラーの機械音がうるさい感じ。
※以下、青字の「 」は申さんの話。 
 ・「北京空港は2000年1月1日から新空港になった。北京市は人口1450万の首都だが、経済の中心は上海で人口1800万。人口第一の都市は重慶で3000万。(都市人口をどういう基準で算定しているのだろうか?)
 ・「今北京は古い建物をどんどん潰している。(車窓から建築工事の多さが確認できる。) 車が多いが、明日月曜日はすごく混む。車が安くなり、頭金があれば買えるので自家用が増えた。いちばん多い車種はフォルクスワーゲン。日本車はトヨタ・ニッサン・ホンダ・三菱の順に多い。国産車では紅旗がある。毛沢東が乗った紅旗はナンバーなしだった。北京では1日交通事故が500件ある。担当の警官は事故後10分以内に解決しないとクビになる。

・「空港から市街までは18㎞。高速道路に沿って白樺並木。中国では車も人も自転車も右側通行。こちらのドライバーは運転が乱暴で、クラクションをよく鳴らす。北京には故宮を中心に環状高速道路が6つある。信号がないので時速200キロで走る車もある。内側から3番目の環状道路までが市内。その同心円を東西に走る道路(長安街)は広い所で幅108m、狭い所でも55mある。」
 ・「タクシーは初乗り3㎞までが10元で、あと1㎞ごとに1元。ガソリンは1ℓ3元。中国の人はタクシーに乗ると前(運転手の横)に座る。理由は前が見えることとクーラーがあるから。」
 ・「重慶は自転車が多く、ビルの上から見下ろすと人の頭しか見えないくらい。」

・「北京のバスは2種類。クーラーなしはどこまでも1元。クーラーありは最初2元で距離によって値段が上がる。トロリー式のバスは電線の下だと電線から電気を取ることもできる。」
 ・「北京の東部は金持ちが住む所。南は貧しい人たち。昔死刑場があった所。北には北京大や清華大がある。」
 ・「北京の平均給料はサラリーマンで1万5千円ほど。大卒は2万円。郊外は1万円。北京のレストランの皿洗いは1万円。少ないが貯めて暮れに実家に持って帰る。」
・「2002年、日中国交開始から30周年で日本から1万2千人が来た。日本側代表が日中友好協会会長の橋本竜太郎氏。」
 ・「アパートではベランダで洗濯物を干すのは禁止。(見るとベランダ風の部屋という造作になっていて、そこに干してある。)
・「<飯店><酒店><大厦>とあるのは3F以上の場合はホテル。」
 ・「犬・猫はあまり見ないが、家の中で飼う。犬・猫の戸籍を得るのに3千~5千元かかるので、飼うのは金持ち。」
 ・「北京の人の朝食はほとんど外食。2元くらいで揚げパン(ユジョウか?)を買う。20~30代の女性は自分の家で食事を作らない。
・「今の中国は男女平等じゃないでしょう。女性が上です。」
 ・「北京の273ヵ所にマクドナルドがある。値段は日本と同じ。紫禁城などにはスターバックスがある。」

・(バス、光明路を通る。)
 15:10~
 16:00
 天壇公園・[歴]1420年に建設された中国最大(270万平方km)の壇廟。北京城の南東に位置し、明・清の皇帝が毎年豊作を祈った場所である。1998年世界遺産に指定された。
・国内観光客非常に多い。団体目立つ。韓国人も。地元のオジサンたちがトランプをやってたり・・・。通路の手すりの上に寝転がってる人もいる。
・「祈年殿は冬至の日に皇帝が翌年の豊年を願う所。中国一大きな木造建築で、釘を1本も使っていない。赤色の柱4本は四季を表す。竜を刻んでいる。4本の柱の周りにさらに12本の柱がある。」
 ・「ここは1900年義和団の乱の時8ヵ国連合軍の司令部となった。また北京五輪が決まった後、国務員(=議員)が集まって祝った。」
 ・「瓦の紫色は神の色を示す。」

・(申さん、七福神の話もするが詳細不明。)
・祈年殿を間近に見ようと階段を上るが他の大勢の観光客が押してくる。身体的接触をなるべく避ける日本人とは感覚が違うようだ。
・[歴]天壇は1889年に落雷で焼失。その後再建され、1970年に修復し現在に至るとのこと。また元代から帝室用の瑠璃瓦を焼く窯場があった瑠璃厰という街路がある。清の康煕帝の頃に窯場は移転した。
・黄色いTシャツの団体が目につく。彼らが記念写真撮影の時に掲げた旗には「遼寧花蕾」とある。青年団体か?
トイレの入口に4つ星があり、一行の笑いを誘う。
 16:00~
 16:05
 (バス)・「車の増加とともに駐車場が課題に。ちゃんとした駐車場は1時間10元くらい。」
・「露天の散髪は3元くらい。店で頭のマッサージなど入れて15~30元くらい。」[谷崎光「北京の愉しみ」によれば男性向きのヤバいサービスをやるような店もあるようだ。(韓国にもあるが。)]
・「窓から見える国家体育総局は給料中程度=5万円くらい。」
 16:05~
 16:55
 百年工坊
 (店①)
・「全中国から106人の伝統工芸職人を集めた。お薦めはまず七宝焼。」・七宝の他、切り絵、絵文字、人形等々。七宝をあしらった爪切りとクジラ(?)の置物購入。
 16:55~
 17:08
 (バス)「マンションは1㎡で18万円くらい。100㎡だと1800万円。」
 ・「ケータイ使用料は月200~300元。」
 17:08~
 18:10
 京倫飯店・建国門大街のホテル。4つ星だそうで、なかなか豪華。
 18:10~
 18:30
 (バス)・「中国の代表紙「人民日報」の題字は毛沢東の書。」
・夕涼みの人々や、公園でバドミントンに興じる父娘等。
 18:30~
 20:00
 全聚徳
 (夕食)
・メインは北京ダック。[北」によると北京ダックは「全然高い料理じゃないんです。大学の食堂にもあるぐらいで、・・・安いところだと、一匹二十五元でもある。・・・有名どころの「全聚徳」でも確か百元あまりだったと思う。」・・・ふーむ、<有名どころ>なのか、ここは・・・。(帰国後調べると有名なチェーン店。本店ではなかったようだ。)
・北京ダックの他には、豆腐に香菜の料理等。
・山東省特産の木魚石製の茶器というのを実演販売にやってくる。\12,000を\10,000にまけると最初言っていたが、最後には1つ\1,000の盃が4つで\1000とか(?)、なるほどねーの中国風商売。木魚石はずっしりと重たいし、お値段も今後の旅の中で要検討ということで・・・。
 20:00~
 20:15
 (バス)・車窓からTOYOTA、Cannon等の広告が見える。RICOHは理光。(理研光学だからそのまんまか。)
・「朝鮮料理の店も増えたが、冷麺1000円という高いのがあった。」
・バスの漢字は<巴士>。信号に、人マーク入りの歩行者用の他、自転車マーク入りの自転車用があるのを発見。
 20:15~
 20:50
 京倫飯店・同室のM氏等何人かは申さんの誘いで足のマッサージへ。20元。
 20:50~
 21:50
 (散歩)・ホテルの前の建国門大街を西へ歩く。車はぎっしりではないが多い。歩いている人、自転車の人、バスを待つ人等々、人出も時間のわりに多い。新聞の掲示板が随所にある。
道行く人が何人も読んでいた。中国の多くの(?)人たちにとって、新聞は街で読むものなのだろうか? 「北京现代商报」という新聞に「北京停车场五年后缺口44万个」とあったのは駐車場不足問題だろう。各地の気温が載っている。最高気温が高い順に武漢37℃、重慶と上海が36℃、台北がさりげなく入っていて35℃。広州31℃、天津29℃。西安と香港は28℃。「文艺周刊(文芸週刊)」の記事も興味深かったが、http://www.beijingdaily.com.cnというURL(网址という)に帰国後アクセスしてみよう。
・ゴミ箱は3種に分別。いや、側面に小さく電池回収箱も付いている。
  
10代の女の子2人が何やら話しかけてくる。どうも何か奢ってくれということらしいがパス。ホテル近辺にもマクドナルド(麦当劳)にスターバックス(星巴克)にケンタッキー(肯徳基)がある。他の店もそれなりにあるが・・・。
  
・北京の地下鉄は1969年に完成した1号線が最初。地下鉄は現在3路線(?)しかないが、北京五輪に向けて新路線がいくつかつくられるようである。階段を下って建国門駅を見てみると、人影はまばら。自動改札ではない。(帰国後調べると一部で自動改札が導入されたとのことだ。)
・地下通路に韓国映画「猟奇的彼女」のポスターがあった。こちらでは「野蛮师姐」となっている。
  
 
 21:50~ 京倫飯店・ホテルのTVで視られる局数は多い。国営のCCTVは1、2、5、9とある。その他も含め中国語放送は8局、CNN等の英語放送が6局。日本語放送はNHK衛星第1と第2。時間差はあるがNHKのサンデースポーツや「週刊ブックレビュー」が見られラッキー。
・CCTVのスポーツニュースではサッカー(足球)・バスケット(篮球)・バレー(排球)の他、オートレース・上海の競艇(?)のようなものもやっていた。
・CCTVではドラマ等の他、賞品付きのクイズ番組をやっていた。スタジオ参加者を集め、若い司会者が雰囲気を盛り上げていた。「エッフェル塔はセーヌ川の南岸か北岸か?」等なかなかハイレベル。
・天気予報?の表中、各<城市名称>ごとに<汚染指数>の数値と<主要汚染物>が表示されている。

【10年後の付記】
 中国に初めて行ったのは1991年8月。それから13年ぶりの北京でした。
 1991年に行った時は北朝鮮からの帰路に立ち寄ったこともあって、街の人たちの姿や表情に活気が感じられました。同じ(?)社会主義でも、生気が感じられなかった北朝鮮とこんなにも違うかと驚いたものです。ただ、そうした感想も、具体的にいえば品物を山のようにリヤカーに積んで自転車を漕いで引っ張っているオジサンとか、街中で上半身ハダカで縁台将棋に興じたり夕涼みしていたりするオジサンといった、今の年配の日本人にはどこか懐かしい光景から感じられたものでした。
 2004年の北京は、とくに4年後のオリンピックをひかえてということもあり、高級ホテル等の高層建築、地下鉄、新しいきれいな高級スーパー、そして日本でもおなじみのファーストフード・チェーン店等々、時代の先端を行くような施設や店が目につきました。
 一方、この時すでにゴミの分別収集も行われているし、またTVでは<汚染指数>や<主要汚染物>等も報じられていたのですね。(すっかり記憶から消えていました。) それにしては、その後も空気や食物等の汚染が相次いでいるのはなぜなんでしょうね?

 今読み返して思うのは、現地ガイドの申さんの説明内容の細かさです。ただ車窓から見えるものや見学地の説明だけでなく、中国の社会や人々の生活まで具体的に説明してくれました。とくにさまざまなものの値段。今にして思えば、ガイドとしての説明のためというよりも、ご本人が(or中国人一般が)給料の額や物価について日頃からとくに関心をもっているということなのでしょうか?

 中国語はほとんどダメな私ヌルボですが、わずか数日間とはいえ、車窓越しに見える簡体字の看板をなんとなく見ていくうちに、その本字がかなりわかるようになってきました。それを土台に、中国語学習を始めるぞ! ・・・と思ったものの、結局思っただけで終わってしまったのはナサケナイことでした。夜の街で高校生らしき2人の女の子に何やら話しかけられた時も、ここで中国語で話せたら・・・と切に思ったんですけどねー(笑)。しかしどういう素性(←古い言葉?)の女の子だったんだろ?

 ・記録中の雑誌「文艺周刊(文芸週刊)」は今確認するも不明。beijingdailyとあるので「北京日報」系の新聞?
 ・木魚石なんてのも脳内から消えていましたが(ソモソモ入っていなかった?)、今検索してみるといろいろあるようで・・・。
 ・そーか、私ヌルボが韓国映画「猟奇的な彼女」を観てカンドーしたのが2003年だったんだなー。それで一挙に注目されたチョン・ジヒョンが最近またドラマ「星から来たあなた」で人気が復活しているようですね。この6~8月には東大門デザインプラザ(DDP)で特別展もやってたし・・・。韓国では「별에서 온 그대(ピョレソ オン クデ)」を略して「별그대(ピョルクデ)」といってるとか・・・。中国でも「来自星星的你」というタイトルで放映しているそうですが、「朝鮮日報」の記事(→コチラ)によると、このような韓流コンテンツの輸出では中国ばかりがもうけていて、韓国は主人にもうけさせるために芸をしているサーカスのクマみたいなものですと。この10年で、東アジアの政治・経済・文化等々、ホントに大きな変動があったな、と思います。(誰もが言うことか。)


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