ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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9月18日~20日 光州旅行の記録(簡略版)

2011-10-01 23:51:17 | 韓国旅行の記録
 最近の記事で情報を小出しにしてきましたが、私ヌルボ、9月18日(日)午後~20日(火)午前に光州市内各所を廻ってきました。その主な見学地は次の通りです。
 光州観光の定番というべき所もあれば、ふつうの日本人観光客が行かないような所もあります。
 赤字で示した所については、おって単独記事として詳述します。青字については、本記事で説明をつけておきました。

○9月18日(日)
①国立光州博物館
 13:50光州松汀駅でKTX下車。月曜休館のため、タクシーで直行しました。KONESTに詳しい説明記事があります。韓国全土に12ある国立地方博物館中、1978年に設立されました。首都ソウル、古都慶州に続いてなぜ3番目に設立されたのは、1976年に発見された新安沖沈没船から大量の遺物が発見されたのが直接的な理由だそうです。
<壺謎>というサイトの記事によると、「引き上げられた2万点のうち、一番良いものはソウルへ。残りのもので美術的に価値の高いものは光州博物館へ。その他の舟そのものや,日常品などを木浦の海底遺物展示館にという3ヵ所に分散された、ということのようです」とあります。この博物館には、中興山城双獅子石燈をはじめ国宝が3点あります。

②5.18墓地
 国立光州博物館日本語ガイドのキム・ヨンチョルさんは、5.18光州民主化運動の精神を伝える団体のお仕事もされています。車で5.18墓地まで乗せて行って下さった上、懇切に説明をして下さいました。早稲田で学んだこともあるというキムさんは日本の古代史にも詳しく、ご自宅の(物置風)書斎にまで案内して下さいました。日本の歴史書等々ぎっしり一杯で圧倒されました。昭和10年発行の文芸誌「朝鮮文壇」の合本の影印本までいただいて大感激。私ヌルボ、このような旅先での偶然の出会いに恵まれています。

○9月19日(月)
③光州駅 ロッテと現代百貨店を経て、一応光州の表玄関を見ておこうと・・・。

④光州郷校 昔の寺子屋のようなものの建物が残っているだけなのかなと思ったら、そうじゃなかったですね。今に生きる民間教育の場でした。

⑤光州学生独立運動記念塔・歴史館
 1929年に起こった出来事ですが、日本ではあまり知られてないですね。とりあえずはウィキ参照。→コチラ、光州市のサイト中の紹介ページは→コチラです。

⑥ソガム食堂
 石釜飯(トルソッパプ)を食べました。9月20日の記事参照。

⑦全南大学校 1980年5.18の時の最初の衝突の場です。

⑧旧全南道庁(アジア文化殿堂=建設中)
 5.18の前々日には5万人もの市民集会が道庁前の噴水広場で開かれました。旧道庁の建物の取り壊しには、市民の間で反対運動も起こりました。

  
  【1980年5月16日の全南道庁前の市民集会(左)と、今年7月の同場所。】

⑨忠壮路(忠壮書林等) 旧全南道庁近くの繁華街です。

   
    【実際は写真よりにぎやかな感じ。横断幕の字は昨今流行の<思い出の7080>。】

 私ヌルボが泊まったパレス観光ホテルは、この繁華街の近く、というか、その範囲内。ホテルの真ん前に<赤いタコ>というたこ焼き屋がありました。なかなか流行っているようす。チェーン店かなと思って店主の青年に聞くとここだけとのこと。日本で技術を仕入れたそうです。粒が大きいのが特長でした。

      
  【店名は<아카이타코(アカイタコ)>。8個(8알)で3000ウォンだったかな?】

○9月20日(火)
⑩5.18自由公園・自由館
 ほとんどガイドブックに載っていませんが、行く価値あり、です。いずれ詳述。
 予告編として写真を1枚。

    
        【もちろん人形ですが・・・・。】

⑪金大中コンベンションセンター
 時間の関係でちょっと見ただけ。くわしくは→コチラのブログ記事参照。

⑫龍児(ヨンア)・朴龍喆(パク・ヨンチョル)生家
 朴龍喆(1904~38)は日本の統治時代の詩人、龍児は号です。
 文化財を示す表示板はあるのですが、タクシーの運転手さんは知りませんでした。しかし親切な人で、地図を見せると複雑な路地に分け入り、着くと閉まったままのような門だったのを中に声をかけて開け、一緒に中まで案内してくれました。


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