ヌルボ・イルボ    韓国文化の海へ

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石丸次郎氏の講演(2) 「国際社会が人権問題に関心を持つことが北朝鮮へのプレッシャーになる」

2012-04-20 22:42:18 | 北朝鮮のもろもろ
 1つ前の記事の続きです。

 この講演会の場では、2年前の講演会の時にも来られた脱北者の李さんがご自身の体験を話されました。高校2年の時家族で北朝鮮に渡り、46年ぶりに日本に帰還したという彼は、「これまでの苦労は一晩どころか1年しゃべっても語りきれない」と前置きしながらも語ったことを以下略述します。

・高卒後、志願して炭鉱に行き、そこで4年間働いた。志願理由は、食料の配給が一般は700gだったが炭鉱だと900gでたくさん食べられるから。しかし炭鉱労働者は(金日成は称えてくれたが)毎日事故で死者がでるほどで、「坑夫と漁師には嫁に行くな」と言われたりした。炭坑夫の出身は地元の人が4割。そして、かつて徴用とかで慶尚道や全羅道から来た人。また平壌や沙里院から来た昔の地主や、朝鮮戦争の時南に行った人の家族(つまり「成分がよくない人」)など・・・。

・(石丸氏の「周囲に政治犯はいましたか?」の問いに)いました。同じアパートの3階に住んでいた音楽家の一家で、朝5時半頃朝食の直前に保衛部の人間が来て・・・。泣きながらトラックに乗せられて行きました。ピアノも・・・。

・87年、労働党員の突撃隊員(分隊長)の時、近く(咸鏡北道鏡城(キョンソン))の11号管理所の解体作業をやった。驚いたのは罪人(=政治犯)の1人用の「ねぐら」。長さは2mくらい、高さは約90㎝で、地下80㎝ほど掘り下げた、犬小屋ほどの大きさで、上に木の葉を乗せビニールをかぶせる。そこに横たわって寝るのである。その「ねぐら」の前に豚小屋があるが(これも防寒のため地下を掘って作る)、見分けがつきにくい。1年に1人が100㎏のブタを飼うことが義務づけられていて、ブタにやるトウモロコシを自分が食べてしまうと叩かれる。
 政治犯の家族の住まいは別にある。収容所には、酒・レンガ・瓦・テーブルやたんす等を作る工場がある。

・つらかったことは、1に食料問題。それから、言葉ひとつ間違っても大変なことになるので、うかつなことが言えないこと。
 また、地位によって権力の差が格段に異なること。たとえば警官が市場で「Marlboroをよこせ」と強要するのに対して、拒否したら殴る蹴るの仕打ちを受け、反抗できない。

・配給が停止したのは1993年。ソ連・東欧諸国の崩壊で・・・。95~97年は、あちこち石ころみたいに死体が転がっていた。腐った強烈な臭いが漂っていた。中国に渡って、日本にいる姉宛てに手紙を投函し、その後30万円送られてきたが、それを受け取りに平壌まで行かなければならなかった。東京~広島間くらいの距離で、1週間かかった。食べる時は(臭いを避けて)風上で食べた。「阿鼻叫喚の生き地獄」だった。耳に虫がわいている人、ネズミにかじられて目玉が無い人等・・・。子どもに水を盗まれたが、放っておいた。値打ちのある骨董品等がすごく安い値段で売りに出されたりしていた。「買っておけばずいぶん儲かったかもしれません(笑)」。

・(石丸氏「改善のために、外の人間はどうすべきだと思いますか?」)6者協議等では北朝鮮はびくともしません。アメリカがもう1歩前に出て、北朝鮮と中国に強く対してほしい。人権問題を解決しようと思ったら、独裁体制を倒すしかありません。


 私ヌルボ、「苦難の行軍」の時期の飢餓の実情や、管理所の「ねぐら」の話は、前回の講演会では出なかった話で、興味深く聞きました。
 最後に彼が述べた「強硬論」には、石丸氏、ややとまどったようすでしたが・・・。

     
   【石丸次郎氏。彼も「レッツノート」を使ってましたねー。「脱北者の李さんの写真は撮らないで」と主催者側から。当然ですが、このこと自体がこの問題の状況を物語る一例。】

 石丸氏が最後に強調したのは、「国際社会が人権問題に関心を持つことが北朝鮮政府へのプレッシャーになる」ということ。一昨年の講演会でも語っていたことですが、96~98年当時は、多くの脱北者に「人権(인권.インクォン)」について質問しても、その言葉を知らないで「それは何の<券(권.クォン)>のことか?」という誤解もあったのが、3~4年後には通じるようになったそうです。その間、国際世論の高まりの中で、北朝鮮内でも「人権査察が入るとまずいから・・・」ということで取り調べの際の暴力が減ったそうです。

※石丸氏の話では、韓国から北朝鮮に送還された非転向長期囚(ヌルボの注.34年間獄中にあった李仁模(イ・インモ)?)が、北朝鮮の収容所を見て回って、「南朝鮮の刑務所はこんなにひどくはなかった」と金正日に改善を提言した、という「うわさ」が広まっているそうです。
※ヌルボのネット検索によると、関連で、諸サイトに次のような考えようによっては悲しい、皮肉っぽい笑い話が載っています。(例→コチラ。)
 北朝鮮では、30年以上の収監生活は常識では考えられないことである。とてもそんなに長く生きられるはずがない。韓国の監獄では1日3度の食事を多様なメニューで提供するが、李仁模老人のようにそれを食べないでハンストまでするなどは想像もできないことで、ある脱北者は「それは監獄ではなくて天国だと思った」と感想を述べた、ということです。

 石丸氏は、国際社会からの批判に対して朝鮮中央通信が「人権に名を借りた内政干渉である」とか、「日本は(あるいはアメリカ、韓国は)どうだ? (差別等の)人権問題があるではないか!」と反駁しているのは「国際社会の評判を気にしている証拠」だと見ています。

 まだまだ石丸氏としては話し足りない、聞く側も聞き足りない雰囲気でしたが、すぐに大阪に帰らなければならないとのことで、最後に会場からのいくつかの質問に答え、2時間の講演を終えました。
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