学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

樋口陽一と廣松渉

2010-06-28 | 東島誠『自由にしてケシカラン人々の世紀』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2010年 6月28日(月)01時05分48秒

『公共圏の歴史的創造』を読み終えました。
東島誠氏が歴史学者として非常に有能な人であることはわかりましたが、発想の基本的なところが私とは全く違うので、どうにも落ち着かない気分ですね。
ま、それはともかく、序章p13には

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 これに対して樋口陽一が、あらゆる種類の中間団体を否定してまで力づくで「個人」を析出させたことを強調する、ルソー=ジャコバン型国家とは、いわば国家それ自体を《アソシアシオン》的なものとして仮構するものと言えるだろう。《結社》とは、中間団体というこれを担う実体に本質があるのではなく、個と個の《交通》のかたちを形容する関係概念であることが、ここに明らかになろう。いわゆる国家と自由に関する二つの理念型モデル─<democrate>と<republicain>─は、《結社》の問題に限って言えば、その実体概念を中間団体に措定するか国家に措定するかに決定的な相違があるものの、関係概念として目指すところは必ずしも対立するものではない。
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とありますが、樋口陽一氏の名前は何だか懐かしいですね。
私は樋口氏が東北大から東大に移って最初に行った憲法の講義を受講しているのですが、いかにも新進気鋭の学者らしい颯爽たる雰囲気がありました。
当時、私は余り勉強熱心ではなかったので、というか全く不勉強な学生だったので、樋口氏の見解を批判的に検討することはなかったのですが、ずっと時間を置いてから、自分でフランス革命の歴史を少し勉強するようになって以降、「あらゆる種類の中間団体を否定してまで力づくで『個人』を析出させた」ことを肯定的に語る樋口氏に対してはかなりシニカルな見方をしています。

樋口陽一
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A8%8B%E5%8F%A3%E9%99%BD%E4%B8%80
http://www.geocities.jp/stkyjdkt/higuchi.html

また、「第Ⅵ章 明治における江湖の浮上」の冒頭(p259)には、

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 「江湖諸賢」とは何とも古めかしい響きを帯びた語である。それは近代黎明期の文人サロンを髣髴させるものがある。しかるにいまや、「江湖」は死語と言ってよい。だがこの「江湖」は、実は廣松渉が好んで用いた語でもあった。
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とありますが、寮で同室だった人が廣松渉の熱烈なファンだったので、これも懐かしい名前です。
新左翼の理論家として一部では有名な人でしたが、東大の教養学部で新入生相手に行っていた哲学史の講義は、ごくオーソドックスな感じでしたね。

廣松渉
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BB%A3%E6%9D%BE%E6%B8%89
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