学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

直義の眼で西源院本を読む(その2)-「史官意識」との関係

2021-07-17 | 山家浩樹氏『足利尊氏と足利直義』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 7月17日(土)10時10分34秒

前回投稿で書いた第二十二巻の欠落の問題ですが、これはやはり直義とは異なる誰かによる政治的弾圧と考えるのが良いように思えてきました。
同巻に不快な内容があったとしても、全削除というのはあまりに乱暴なやり方で、怜悧な直義には似合わないような感じがします。
そうなると、『太平記評判秘伝理尽鈔』の、

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時に高徳入道義清、越前の合戦、義助の敗北、並びに尊氏・直義が一代の悪逆を記す。二十二の巻なり。然るを、後に武州入道(管領細川頼之)、無念の事に思ひて、一天下の内を尋ね求めて、これを焼失す。

https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/8ac648290cb27f0c1c63144c2f7404c7

といった見方も意外に良いところを突いているようにも思えてきましたが、『太平記評判秘伝理尽鈔』はなかなか巧妙な書物で、いったんその世界に引きずり込まれると暫く出て来れなくなりそうなので、今は検討はやめておきます。
また、同じく前回投稿で「チマチマと史実との齟齬を指摘し、添削するといった小役人根性」と書きましたが、これは兵藤裕己氏が主張する『太平記』作者の「史官意識」と少し関連します。
岩波文庫版『太平記』の校注者で、西源院本のみならず『太平記』の諸本を細部まで読み込んだ点ではおそらく日本有数の研究者と思われる兵藤裕己氏は、奇妙なことに『太平記』の作者に「史官意識」や「乱世の歴史を書き継ぐ矜持のようなもの」があったと言われています。
しかし、『太平記』の作者には事実を正確に記録しようとする態度が乏しく、私自身は『太平記』全巻を通じて「史官意識」を感じたことは一度もありません。

西源院本『太平記』に描かれた青野原合戦(その2)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/21cb5fa02f8288b6985f4a9b61b343a4
兵藤裕己・呉座勇一氏「歴史と物語の交点─『太平記』の射程」(その10)~(その12)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/c61a0b004c656b87b9a80b4ab5225644
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/e382ccb38bc7e16008d8636e6ab9f26f
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/d9fcca15b7d2136c654f634d3edd676e

『太平記』に描かれた時代を主役の一人として生きた直義は、個々の歴史的事実については「原太平記」作者よりも遥かに正確な知識を有していたはずで、「原太平記」の杜撰な記述に驚いたり怒ったり、時には苦笑いをするようなことも多々あったはずです。
しかし、直義は別に過去の事実の正確な記述を目指す「史官意識」に基づいて「原太平記」を検証したのではなく、あくまで将来に向かって、幕府の「支配の正統性」を確立し、幕府支配を安定化・永続化させるために「原太平記」をどのように利用すべきか、という観点から改訂を企てたものと私は考えます。
言い換えれば、直義にとって「原太平記」の改訂は将来に向かって直義にとって望ましい幕府の歴史を「創造」(ないし「偽造」)することだったと思われますが、この方向性は『梅松論』でも同じだったはずです。
『梅松論』について論じ始めると話が錯綜するので、当面は『太平記』との比較で簡単に触れるにとどめますが、幕府の歴史の「創造」を試みる直義にとって、重要なのはどちらかといえば『梅松論』であり、『太平記』は脇役的存在だったのかもしれません。
従来から『梅松論』は足利家寄りの歴史書と言われてきましたが、私は、より正確には『梅松論』は「足利直義史観」に基づく歴史書ではないかと考えます。

「支離滅裂である」(by 細川重男氏)
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/622f879dac5ef49c38c9d720c9566824

『梅松論』の作者はおそらく直義の直接の指示を受ける立場にいて、武家社会の人々を対象に「足利直義史観」を普及させる役割を命じられたものと思われます。
他方、『太平記』作者は直義に従属する立場にはなく、直義は「原太平記」を一読して、この書が民衆的人気を博することを予想し、その人気に便乗する形で「足利直義史観」を「原太平記」に忍び込ませようとしたのではないか。
ま、長々とした説明になりましたが、要するに直義は「原太平記」の細部に拘ることなく、幕府にとって肝心な部分に絞って、極めて巧妙な形で「足利直義史観」に基づく歴史の「創造」(ないし「偽造」)を行なったのではなかろうか、というのが現時点での私の見通しです。
何を言っているのか分かりにくいかもしれませんが、次の投稿からもう少し具体的に見て行きます。
なお、タイトルが「なりきり直義」では格調の点で若干の懸念を感じるので、「直義の眼で西源院本を読む」に変えました。
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