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「いつも本だけがあった」(by 池内恵氏)

2015-03-01 | 栗田禎子と日本中東学会
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2015年 3月 1日(日)10時37分18秒

あまり中東に深入りしてもと思いつつ、池内恵氏の本は面白いのでやめられないですね。
『書物の運命』(文藝春秋、2006年)の冒頭のエッセイ「いつも本だけがあった」を見ると、池内氏と書物の世界の関係は非常に珍しいものですね。

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(前略)この本を手に取る方はおそらくかなりの読書人であるに違いない。そんな人たちに向かって、「愛読書はない」などと言い切ってしまうのは誤解を招くかもしれない。
 もちろん本に愛着はある。しかし私にとっての書物とは、一冊の単体としてではなく、常に集合として、「マス」としてある。一冊の本をこよなく愛しているというよりは、それぞれの本が相互に関連し、支えあっている出版の世界、そこで展開されている言論空間の総体とそれにまつわるあらゆる営みに、ある種の帰属意識のようなものを抱いている、ということなのである。しかしこれだけだとわかりにくい。個人的な話になってしまうのだが、少し特殊な「読書経験」を記しておきたい。
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ということで、1973年生まれの池内氏は小・中学生の頃の思い出を語り始めるのですが、それによるとドイツ文学者の父親(池内紀氏)は家の中にテレビを置かせなかったそうで、「英才教育の私立・国立ではなく、ごく普通の公立学校に通ってかなり手荒い「芋洗い」の中に放り込まれていた」池内氏は同級生の会話に出てくる固有名詞が理解できず、大変だったそうです。
しかし、テレビがない代わりに、「文筆稼業で売り出し中だった」父のもとには「むやみに著者や出版社から本がおくられて」きて、「本というものは、一冊単位で買うものではなく、まとめてその月の刊行分として奔流のように流れてきて、そこから選んで組み合わせるものとなった」そうですね。

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 そのうちに、出版の世界の中にある「波」が、頭と体で感じられるようになってくる。売り出し中の作家や、最新の理論を引っ下げて登場した学者の見分けがつくようになり、それだけでなく、彼らがその後どの程度上昇していくか、あるいはどこかで挫けて去っていくのか、来し方行く末までもがなんとなく予想がつくようにもなる。また、耳あたりがよく、ある時代にさかんにもてはやされた説が、時の経過によってあまりにはかなく忘れ去られるのも目撃した。
 本が好きだとか嫌いだとかいう話ではなく、唯一の情報環境が活字の世界で、その中で起こっている出来事については特殊な知覚が発達する、ということだろう。やがて、本に対し「読み手」として接するのは当然だが、同時にその向こう側には「書き手」がいて、間を「作り手」(編集者・出版社)つないでいるというしくみを意識するようになる。さらに、この全体構図の中で、やっていいこといけないこと、やむを得ない制約と、それでいてめざすべきものが、かすかながら見えてくる。ある種の「倫理」といってもいいが、それは理屈ではなく、あくまで現場から伝わってくる無言のルールである。「門前の小僧、習わぬ経を読む」の譬えでいえば、門内に文字通り小僧がいたわけだ。
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小・中学生の頃、ここまで透徹した認識に達していたとは、池内氏は本当に文字通りのアンファン・テリブルですね。
ちなみに池内氏のブログ、「中東・イスラーム学の風姿花伝」によれば、池内氏にとっても愛着の深い『書物の運命』は、残念ながら2013年末で絶版になってしまったそうです。

「書物の運命、の運命」
http://chutoislam.blog.fc2.com/blog-entry-7.html

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2 コメント

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異次元!恐怖の独文学者宅 (Boletus edulis)
2017-04-26 18:37:27
はじめまして

私の家も武蔵境の池内家と同じような感じでしたよ。私のうちの大黒柱の職業だって池内家と同じようなもの。本ばかりあって…。ほんとに唯一の情報環境が活字とあとは大黒柱のオハナシ…この大黒柱のオハナシというのも
『神聖ローマ帝国では…』
『ハンニバルの戦いでは…』
とかいう講義みたいなものばかり…。
同級生の世界が異次元に感じられたものでした。
固有名詞が理解できなかったことも…。

もちろん音楽はクラシック以外一切厳禁、私語厳禁、家庭内すべてが厳格な講義の教室でした。










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Unknown (鈴木小太郎)
2017-04-27 12:08:15
こんにちは。
面白すぎるお話ですね。
田舎の平凡な家庭に育った私にとってはうらやましいような知的環境ですが、当事者としては大変だったのでしょうね。
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