投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 7月21日(土)09時47分42秒
>筆綾丸さん
きりぎりすを詠んだ和歌といえば後京極摂政太政大臣・藤原良経の
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む
が一番有名でしょうが、良経は建永元年(1206)に38歳の若さで急死しているので、翌建永二年の「最勝四天王院障子和歌」には名前が出てこないのですね。
藤原良経
http://blogs.dion.ne.jp/misohito/archives/8258149.html
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yositune.html
源通光は後深草院二条の祖父なので、妙になつかしい名前のように思えてしまうのですが、この人は1187年生まれなので、建永二年(1207)には21歳ですね。
「やまとうた」から経歴を引用させてもらうと、
-------------
内大臣土御門通親の三男。母は刑部卿藤原範兼女、従三位範子。通宗・通具の異母弟。承明門院在子(後鳥羽院妃)の同母異父弟。
内大臣定通・大納言通方の同母兄。子に大納言通忠・同雅忠・式乾門院御匣ほかがいる。
後鳥羽天皇の文治四年(1188)、叙爵。正治元年(1199)、禁色を聴される。右少将・中将などを経て、建仁元年(1201)、従三位に叙せられる。
同二年には正三位・従二位と累進。同年末、父を亡くすが、その後も後鳥羽院政下で順調に昇進し、同四年四月、権中納言。
土御門天皇の元久二年(1205)、正二位に昇り、中納言に転ず。建永二年(1207)二月、権大納言。建保元年(1213)、娘を雅成親王に嫁がせる。
順徳天皇の建保五年(1217)正月、右大将を兼ねる。同六年十月、大納言に転ず。同七年三月、内大臣に至る。
(後略)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mititeru.html
とのことで、2歳で叙爵、15歳で公卿、21歳で権大納言ですから、建永二年(1207)は恵まれた前半生の真っ最中ですね。
『最勝四天王院障子和歌』の
旅人の袖のあらしの秋更けてしらぬ露散る宮城野の原
は通光の歌としては特に優れたものではないでしょうが、手慣れた感じはしますね。
落たぎつ滝の白玉わが袖にかけてぞすずむ夏の日ぐらし(布引滝)
和歌の浦や汐干をさして行く鶴のつばさの波にやどる月影(和歌浦)
大井川入江の松をしるべにて昔の波にうかぶもみぢ葉(大井川)
おしねほす鳥羽田のくろにゐる雁の涙にむせぶ秋の稲妻(鳥羽)
涼しさに秋ぞうちいづる泉川柞の森の岸のした水(泉川)
http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/teika/saisyo.html
などは新鮮な感じがします。
後鳥羽院に気に入られただけあって、才能豊かな人ではありますね。
>筆綾丸さん
きりぎりすを詠んだ和歌といえば後京極摂政太政大臣・藤原良経の
きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに衣かたしきひとりかも寝む
が一番有名でしょうが、良経は建永元年(1206)に38歳の若さで急死しているので、翌建永二年の「最勝四天王院障子和歌」には名前が出てこないのですね。
藤原良経
http://blogs.dion.ne.jp/misohito/archives/8258149.html
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/yositune.html
源通光は後深草院二条の祖父なので、妙になつかしい名前のように思えてしまうのですが、この人は1187年生まれなので、建永二年(1207)には21歳ですね。
「やまとうた」から経歴を引用させてもらうと、
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内大臣土御門通親の三男。母は刑部卿藤原範兼女、従三位範子。通宗・通具の異母弟。承明門院在子(後鳥羽院妃)の同母異父弟。
内大臣定通・大納言通方の同母兄。子に大納言通忠・同雅忠・式乾門院御匣ほかがいる。
後鳥羽天皇の文治四年(1188)、叙爵。正治元年(1199)、禁色を聴される。右少将・中将などを経て、建仁元年(1201)、従三位に叙せられる。
同二年には正三位・従二位と累進。同年末、父を亡くすが、その後も後鳥羽院政下で順調に昇進し、同四年四月、権中納言。
土御門天皇の元久二年(1205)、正二位に昇り、中納言に転ず。建永二年(1207)二月、権大納言。建保元年(1213)、娘を雅成親王に嫁がせる。
順徳天皇の建保五年(1217)正月、右大将を兼ねる。同六年十月、大納言に転ず。同七年三月、内大臣に至る。
(後略)
http://www.asahi-net.or.jp/~sg2h-ymst/yamatouta/sennin/mititeru.html
とのことで、2歳で叙爵、15歳で公卿、21歳で権大納言ですから、建永二年(1207)は恵まれた前半生の真っ最中ですね。
『最勝四天王院障子和歌』の
旅人の袖のあらしの秋更けてしらぬ露散る宮城野の原
は通光の歌としては特に優れたものではないでしょうが、手慣れた感じはしますね。
落たぎつ滝の白玉わが袖にかけてぞすずむ夏の日ぐらし(布引滝)
和歌の浦や汐干をさして行く鶴のつばさの波にやどる月影(和歌浦)
大井川入江の松をしるべにて昔の波にうかぶもみぢ葉(大井川)
おしねほす鳥羽田のくろにゐる雁の涙にむせぶ秋の稲妻(鳥羽)
涼しさに秋ぞうちいづる泉川柞の森の岸のした水(泉川)
http://www.asahi-net.or.jp/~SG2H-YMST/yamatouta/teika/saisyo.html
などは新鮮な感じがします。
後鳥羽院に気に入られただけあって、才能豊かな人ではありますね。
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