学問空間

『承久記』『五代帝王物語』『とはずがたり』『増鏡』『太平記』『梅松論』等を素材として中世史と中世文学を研究しています。

校長の認識

2012-03-25 | 大川小学校
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 3月25日(日)08時31分35秒

「記憶の部屋」というサイトに大川小学校関係の記事がまとめてあって便利なのですが、『毎日新聞』2011年4月19日付記事に次の記述があります。

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 なぜすぐに裏山に避難しなかったのか--。大川小学校の惨劇への疑問は、この一点に集約される。
 石巻市は、大川小学校への津波到達を想定していなかった。市の「防災ガイド・ハザードマップ」は、同小を避難所として「利用可」としている。柏葉校長は「堤防を越える津波が来たらもたないので、山に避難場所をつくろうと職員で話はしていた。裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいなと話していたが、そのまま震災になった」と明かす。
 校舎に残る三つの時計は、いずれも3時37分を指し止まっている。地震から津波到達まで、 恐らく40~50分あった。9日の保護者への説明会では、校庭で点呼を取るなどした対応に「なんですぐに逃げろって言わなかったのか」と非難の声も出た。だが一方「108人誰も欠けないように点呼し、先生はよくやってくれた。誰が悪いと思ったことはない」と話す保護者もいる。
http://memory.ever.jp/tsunami/higeki_okawa.html

ここで柏葉照幸校長が「裏山は泥炭地でつるつる足が滑るので、階段をつくれるといいな」と言っている「裏山」とは草付きの部分みたいですね。
この認識がその後の石巻市教育委員会やマスコミの認識の基調になっているような感じがするのですが、柏葉氏はこの認識をどのように得たのですかね。
実際に草付の部分を歩いてみたことがあるのか、それとも下から見上げての思い込みなのか。
私の住んでいる宮城県南部では一昨日の夜から昨日の朝にかけて雪が降り、大川小学校付近も同様に雪が降ったらしいので、今日、もう一度行ってみて、雪が残っている場合に登れるのかどうかを調べてこようと思います。
柏葉氏の認識について、地元の人がどのように思っているのか、同じような認識を抱いているのかも少し調べてみたいですね。
また、この『毎日新聞』記事に載っている上空から大川小学校周辺を撮影した写真には、私が登ったコンクリートの平場が鮮明に写っていますが、更にその上に3本の線が見えていて、上にも平場があるようですね。
一昨日訪問した際に、一段上の平場があることには気づいていたのですが、実際には登ってみませんでした。
上の平場の様子も確認してみようと思います。
今日の正午くらいに裏山を登ったり降りたりしている長靴を履いた中年男がいたら、それは私ですので、地元の人でこの掲示板をご覧になっている方がいれば声をかけて下さい。

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