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「関係者の謝罪公告をとり解決をしている」(by 山本茂実)

2018-11-04 | 松沢裕作『生きづらい明治社会』
投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2018年11月 4日(日)11時10分2秒

今まで『新版 あゝ野麦峠』(朝日新聞社、1972)を参照していたのですが、同書の「新版を出すにあたって」(p1以下)に、

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 近代日本のある裏面史を描いたこの本が出版されたのは、<明治百年>といわれた昭和四十三年のことでした。あれからちょうど四年、その間にこの本は、三十五刷もされて紙型が磨滅してしまい、この度新版を出すことになりました。【中略】
 新版を出すにあたっては、その後の取材で入手した新資料の追加、事実の誤りの訂正、文章の整理、そして全国の読者から寄せられたおびただしい数の手紙による助言と資料提供などによって、旧版を全面的に書き改めました。
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とあったので、念のためと思って初版の『あゝ野麦峠』(朝日新聞社、1968)を入手し、比較してみたところ、

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文明開化と野麦峠
日清・日露戦争と野麦峠
古川の大火と野麦峠
諏訪湖の哀歌
弁天沖の哀歌
天竜川の哀歌
工女の残した唯一の記録
雪の野麦峠越え
工女の故郷飛騨
女工惨敗せり
興亡・岡谷製糸
野麦峠のお地蔵様
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の大きな章立て(番号はなし)には全く変更はないですね。
そして、各章は、例えば、

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諏訪湖の哀歌
 農家のイロリ端の約定証
 諏訪湖の夜明け
 熱湯と蒸気と騒音の中で
 工女虐待の乱暴検番検事局送り
 工女は泣くのが仕事だった
 水車にひっかかっていた工女
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といった具合に4から8程度の節(これも番号はなし)に分れているのですが、それも、「諏訪湖の哀歌」の「農家のイロリ端の約定証」が新版で「いろり端の約定証」となっているなど細かい違いがあるものの、実質的な変更はありません。
ということで、全体の構成は全く変化がない代わりに、本文はチョコチョコと細かく追加・削除・変更がなされていますが、読者の印象に影響を与えるような重要な変更は皆無ですね。
ただ、「私の取材メモから─「あとがき」にかえて─」に、

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 なお二年前、雑誌に発表した私の小文が盗作と書かれたことがありましたが、これについては関係者の謝罪公告をとり解決をしていることは、すでにご存じのことと思いますが、念のためここに付言します。
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という一文があり(p398)、新版で削除されているとはいえ、この点は看過できません。
客観的な事実としては、「公告」の有無はともかくとして、山本が「関係者の謝罪」を取ったのは産経新聞だけです。
朝日新聞は長野地方版でのパクリ記事すら謝罪しないのですから、「二年前、雑誌に発表した私の小文」に関する新聞記事を謝罪しないのは(朝日基準からすれば)当然です。
そして、山本は「盗作」の被害者である蒲幾美氏の名前は出していませんが、この一文を見て蒲氏を「関係者」と誤解し、蒲氏からも「謝罪公告をとり解決をしている」と誤解する人がいても不思議ではありません。
というか、「関係者」を産経新聞と限定していないのだから、蒲氏を含むものと解するのが自然ですね。
蒲幾美氏は「野麦峠」を収めた『飛騨ろまん』(角川文芸出版、1984)でも別に山本の「盗作」に言及している訳ではありませんが、「野麦峠」に触れたエッセイ「絵馬市」や「あとがき」を読めば、山本との間で何等の和解もなされていないのは明らかです。
そもそも蒲氏が山本の盗作を疑うのは、蒲氏が命名した創作上の人物の名前である「つや」を山本が勝手に使った一事だけからも当然のことであって、謝罪すべきは山本の方ですが、山本は『あゝ野麦峠』が大ベストセラーになったのをいいことに、だんまりを決め込んでいるとしか思えません。
「関係者の謝罪公告をとり解決をしている」云々は、山本の人間性を考える上で非常に重要な記述ですね。
山本は自己の経歴を、

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大正6年(1917)長野県松本市生れ。松本青年学校教師、松本連合青年団長となり神田塾を主宰。昭和23年上京、早稲田大学文学部哲学科に学ぶ。人生雑誌「葦」、「小説葦」、「総合雑誌「潮」などを創刊。各編集長をつとめる。現在は作家として執筆生活。
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とし、新版でも「早稲田大学文学部哲学科に学ぶ」を維持していますが、こう書かれたら普通の読者は早稲田大学文学部哲学科を卒業したものと思うはずです。
わずか一年ほどとはいえ、大学が正式に認めた「聴講生」であり、もぐり学生ではなかったのだ、だから「早稲田大学文学部哲学科に学ぶ」はウソではないと山本は言うのでしょうが、非常に紛らわしい表現をしながら「誤解するのは読者の勝手」と放置するのは、デビュー作『哲學随想録 生きぬく悩み』以来の山本の常套手段ですね。
そしてこれは『あゝ野麦峠』全体についても当てはまるものと私は考えています。

山本茂実『哲學随想録 生きぬく悩み』
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/bbdf2e2a199b2d9662648e40db2fb66b
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