投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2021年 2月16日(火)11時11分12秒
『臥雲日件録抜尤』享徳四年(1455)正月十九日条に登場する「松岩寺冬三老僧」がいかなる人物であるかはかなり明確となり、そしてこの記事の尊氏エピソードが信頼できそうなことも分かりましたが、尊氏が毎年、年頭の吉書で書いていたという文言は難解ですね。
清水克行氏は「天下の政道、私あるべからず。生死の根源、早く切断すべし」とされていますが(『足利尊氏と関東』、p44)、原文は「尊氏毎歳々首吉書曰、天下政道、不可有私、次生死根源、早可截断云々」となっていて「次」がありますから、「天下政道、不可有私」と「生死根源、早可截断」は必ずしも一体として読む必要はなさそうです。
清水氏の場合、後者の「生死根源、早可截断」から「どうも勇気があるというよりは、元来、彼には生死に対する執着が希薄だったようだ」、「自身の命への執着が薄い」という具合いに一種の自殺願望を読み取っておられますが、これは「生死」を尊氏個人の「生死」とすることを前提としています。
しかし、本当にそうなのか。
むしろ、ある種の哲学的思考の表明と読む方が自然であり、また、尊氏に臨済禅の素養があることを踏まえると、禅に特有のパラドキシカルな表現の可能性も考慮に入れる必要がありそうです。
かくいう私自身には禅の素養が全くないので、現時点ではこれ以上の分析はできませんが、それでも清水氏の、既に紹介した、
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また、尊氏は自身の命への執着が薄いというだけではなく、親族や腹臣であっても状況次第では意外に冷たく突き放すところがある。実子である竹若や直冬への対応はすでにみたとおりであるし、この後、弟直義や執事の高師直との関係がこじれたときも、苦楽をともにしてきたわりには、面倒になると案外あっさりとこのふたりを切り捨ててしまっている。ふだんは相手によらず無類の愛着を示しておきながら、状況次第では簡単に見切ってしまう、やや無節操ともいうべき傾向が、尊氏の対人関係にはままみられる。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ea0333130fe14c47391316eb21ce5401
という評価、そしてこれに続く、
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そう考えると、夢窓礎石が指摘した三点にわたる尊氏の人間的魅力については、それを度量の広さ、と評することもできるが、裏を返せば、すべてにおいて無頓着、ということもできる。よくも悪くも"無私"の人というべきだろうか。その場、その場では周囲に気を使い、適当に他人にいい顔をみせるのだが、それはとくに深い思慮があってのことではなく、状況が暗転すると、簡単にすべてを放り出してしまう。八方美人で投げ出し屋─、だれのなかにも大なり小なりある、こうした傾向が尊氏の場合、少しばかり強かったのかもしれない。
このような、みずからを明るく周囲に調和させようと努める一方で、内に虚無主義〔ニヒリズム〕を抱える彼の性格が、はたして彼の生まれもっての性格なのか、周囲の環境によって育まれたものなのか、明確にはわからない。【後略】
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という評価は、いくら何でもあんまりではなかろうか、と思います。
「尊氏毎歳々首吉書曰、天下政道、不可有私、次生死根源、早可截断云々」の内容を私は正確には理解できませんが、「天下政道、不可有私」だけでも、尊氏が「天下政道」のあり方に強い責任感・使命感を持っていて、自身の責任・使命を果たすためには「私」に拘泥してはならない、という信念を抱いていたことが伺えます。
清水氏は「よくも悪くも"無私"の人というべきだろうか」とシニカルに評価されますが、私は尊氏の「無私」の精神は文字通りに受け止めるべきではないかと考えます。
また、「生死根源、早可截断」からも、私はその内容を正確につかめないものの、そこに尊氏の「深い思慮」を感じます。
そもそも「すべてにおいて無頓着」な人が、毎年毎年、吉書で自己の信念を表明するとも思えません。
率直に言って、「とくに深い思慮があってのことではなく、状況が暗転すると、簡単にすべてを放り出してしまう。八方美人で投げ出し屋」、「みずからを明るく周囲に調和させようと努める一方で、内に虚無主義〔ニヒリズム〕を抱える彼の性格」という尊氏評は、尊氏という複雑な鏡に映った清水氏自身の姿なのではないか、と私は思います。
例えば『臥雲日件録抜尤』享徳四年(1455)正月十九日条の尊氏エピソードにしても、清水氏はこれが「松岩寺冬三老僧」という人物が語った話であることを明示していません。
このエピソードの信頼性をはかる上で、これを語ったのは誰で、その人が尊氏とどのような関係にあるのか、は極めて重要であり、論文であればその点についての本文ないし注記での説明が必須となるはずです。
もちろん『足利尊氏と関東』は一般書なので、この書に限れば特にそのような説明はなくともよいのですが、清水氏は何か別の論文等でこの点を明確にされているのでしょうか。
それをされていないのであれば、「八方美人で投げ出し屋」は清水氏に相応しい評価ではなかろうかと思います。
『臥雲日件録抜尤』享徳四年(1455)正月十九日条に登場する「松岩寺冬三老僧」がいかなる人物であるかはかなり明確となり、そしてこの記事の尊氏エピソードが信頼できそうなことも分かりましたが、尊氏が毎年、年頭の吉書で書いていたという文言は難解ですね。
清水克行氏は「天下の政道、私あるべからず。生死の根源、早く切断すべし」とされていますが(『足利尊氏と関東』、p44)、原文は「尊氏毎歳々首吉書曰、天下政道、不可有私、次生死根源、早可截断云々」となっていて「次」がありますから、「天下政道、不可有私」と「生死根源、早可截断」は必ずしも一体として読む必要はなさそうです。
清水氏の場合、後者の「生死根源、早可截断」から「どうも勇気があるというよりは、元来、彼には生死に対する執着が希薄だったようだ」、「自身の命への執着が薄い」という具合いに一種の自殺願望を読み取っておられますが、これは「生死」を尊氏個人の「生死」とすることを前提としています。
しかし、本当にそうなのか。
むしろ、ある種の哲学的思考の表明と読む方が自然であり、また、尊氏に臨済禅の素養があることを踏まえると、禅に特有のパラドキシカルな表現の可能性も考慮に入れる必要がありそうです。
かくいう私自身には禅の素養が全くないので、現時点ではこれ以上の分析はできませんが、それでも清水氏の、既に紹介した、
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また、尊氏は自身の命への執着が薄いというだけではなく、親族や腹臣であっても状況次第では意外に冷たく突き放すところがある。実子である竹若や直冬への対応はすでにみたとおりであるし、この後、弟直義や執事の高師直との関係がこじれたときも、苦楽をともにしてきたわりには、面倒になると案外あっさりとこのふたりを切り捨ててしまっている。ふだんは相手によらず無類の愛着を示しておきながら、状況次第では簡単に見切ってしまう、やや無節操ともいうべき傾向が、尊氏の対人関係にはままみられる。
https://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/ea0333130fe14c47391316eb21ce5401
という評価、そしてこれに続く、
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そう考えると、夢窓礎石が指摘した三点にわたる尊氏の人間的魅力については、それを度量の広さ、と評することもできるが、裏を返せば、すべてにおいて無頓着、ということもできる。よくも悪くも"無私"の人というべきだろうか。その場、その場では周囲に気を使い、適当に他人にいい顔をみせるのだが、それはとくに深い思慮があってのことではなく、状況が暗転すると、簡単にすべてを放り出してしまう。八方美人で投げ出し屋─、だれのなかにも大なり小なりある、こうした傾向が尊氏の場合、少しばかり強かったのかもしれない。
このような、みずからを明るく周囲に調和させようと努める一方で、内に虚無主義〔ニヒリズム〕を抱える彼の性格が、はたして彼の生まれもっての性格なのか、周囲の環境によって育まれたものなのか、明確にはわからない。【後略】
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という評価は、いくら何でもあんまりではなかろうか、と思います。
「尊氏毎歳々首吉書曰、天下政道、不可有私、次生死根源、早可截断云々」の内容を私は正確には理解できませんが、「天下政道、不可有私」だけでも、尊氏が「天下政道」のあり方に強い責任感・使命感を持っていて、自身の責任・使命を果たすためには「私」に拘泥してはならない、という信念を抱いていたことが伺えます。
清水氏は「よくも悪くも"無私"の人というべきだろうか」とシニカルに評価されますが、私は尊氏の「無私」の精神は文字通りに受け止めるべきではないかと考えます。
また、「生死根源、早可截断」からも、私はその内容を正確につかめないものの、そこに尊氏の「深い思慮」を感じます。
そもそも「すべてにおいて無頓着」な人が、毎年毎年、吉書で自己の信念を表明するとも思えません。
率直に言って、「とくに深い思慮があってのことではなく、状況が暗転すると、簡単にすべてを放り出してしまう。八方美人で投げ出し屋」、「みずからを明るく周囲に調和させようと努める一方で、内に虚無主義〔ニヒリズム〕を抱える彼の性格」という尊氏評は、尊氏という複雑な鏡に映った清水氏自身の姿なのではないか、と私は思います。
例えば『臥雲日件録抜尤』享徳四年(1455)正月十九日条の尊氏エピソードにしても、清水氏はこれが「松岩寺冬三老僧」という人物が語った話であることを明示していません。
このエピソードの信頼性をはかる上で、これを語ったのは誰で、その人が尊氏とどのような関係にあるのか、は極めて重要であり、論文であればその点についての本文ないし注記での説明が必須となるはずです。
もちろん『足利尊氏と関東』は一般書なので、この書に限れば特にそのような説明はなくともよいのですが、清水氏は何か別の論文等でこの点を明確にされているのでしょうか。
それをされていないのであれば、「八方美人で投げ出し屋」は清水氏に相応しい評価ではなかろうかと思います。