投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月14日(木)08時55分28秒
>筆綾丸さん
一般人が「無主物」=「無責任」というイメージを抱くのはやむをえないのかな、とも思います。
「無主」は言葉のイメージが悪すぎますね。
若干戯画化して言うと、
「無主」→主体がない→主体性のない男→♪スイスイスーダラダッタ、スラスラスイスイスイ♪(by植木等)
てな感じですかね。
再考してみて、仮に東電側の弁護士が、そもそも飛散した放射性物質は民法上の「物」ではない、だから物権的請求権は認められないのだ、と主張したら社会の反応は多少違ったのではないかと思います。
民法第206条は「所有者は、法令の制限内において、自由にその所有物の使用、収益及び処分をする権利を有する」と定めていて、自由な使用・収益・処分が認められるべき対象が民法上の「物」です。
有体物をどんどん細分化して行って、
分子→原子→陽子・中性子・電子→素粒子
まで行けば、さすがに多くの人が一切の物質を民法上の「物」と捉えるのは変なのかも、と思うんじゃないですかね。
民法は民法の観点から、どの範囲まで「物」と認めるべきかを判断すべきで、例えば契約の観点からは、独立の取引の対象となるか、対象とすべきか、といった法的価値判断から、ここまでは「物」だね、と言ってよい範囲が決まってくると思います。
例えば不動産は一筆の土地を人為的に定めて取引の対象にしていますが、かつて成田闘争のときに一坪地主運動というのがありました。
反対運動側が土地買収を困難にさせるために一筆の土地をどんどん細分化して所有者を増やす戦術をとったのですが、まあ、一坪だったら仕方ないとしても、これが1平方センチメートル地主だったらどうなのか。
さすがに登記上、そこまでは認められません、という話になったと思いますね。
また、1立方センチメートルの有害物があったとして、それが物理的に管理可能な状態に置かれているのであれば、民法上の「物」として独立した妨害排除請求権の対象と考えてもよいと思います。
ま、ダイヤモンドでも同じですけど。
しかし、どんどん小さくして行って、例えば細胞レベルまで行けば相当変な話になってきますし、分子レベルだと、そもそも自由な使用・収益・処分など、およそ考えられないですから、民法上の「物」からは除外すべきと考えることは、一般人にとっても受け入れ可能なんじゃないですかね。
「放射性物質」といっても管理の状態は様々でしょうが、今回の事故のように広範囲に少しずつ飛散してしまった場合、もはや民法上は「物」ではない、という主張は、きちんと説明すればそれほど受け入れ困難な主張ではないと思います。
※筆綾丸さんの下記投稿へのレスです。
conjecture と theorem 2012/06/14(木) 02:17:16
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E4%BF%A3%E4%B9%85%E4%BD%9C
すでに伝説的な勝俣兄弟ですね。どこまで本当か不明ながら、長篠で壊滅的状態にになった騎馬軍団の生き残りかもしれませんね。
無主物については、私も大きなことは言えませんが、言論が一色になってしまうのは、日本の恐ろしくも愚かなところですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E4%BF%A3%E4%B9%85%E4%BD%9C
なぜ天皇制が滅びずに続いてきたのか、語学の壁のため外国人に理解してもらえない、などと能天気なことを言っている人がいますが、この問題に日本語で明晰な答を与えた日本の歴史家を、不勉強のせいで、残念ながら知りません。
変な言い方になりますが、この日本史上最大のアポリアは、語学の壁などではなく、そもそも日本語では答えられない難問のような気がします。自己言及性の壁があるような気がしないでもなく、これからさき、誰かによって解かれるとも思えない。「承久の乱」は何も特別な事件ではなく、鎌倉としては、目障りな後鳥羽院を排除できればよかったのであって、「天皇制」を滅ぼそうなどとは微塵も考えなかったのではないかな。つまり、後鳥羽院は余人を以て替えうる一人だったというにすぎず、後鳥羽院の虚像などに誑かされていてはダメなんだ。
フェルマー予想やポアンカレ予想などより格段に難しい問題ですね。なぜなら、両予想は肯定的に解かれて、すでに、ただの定理になってしまったのだから。
小太郎さん
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E4%BF%A3%E4%B9%85%E4%BD%9C
すでに伝説的な勝俣兄弟ですね。どこまで本当か不明ながら、長篠で壊滅的状態にになった騎馬軍団の生き残りかもしれませんね。
無主物については、私も大きなことは言えませんが、言論が一色になってしまうのは、日本の恐ろしくも愚かなところですね。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8B%9D%E4%BF%A3%E4%B9%85%E4%BD%9C
なぜ天皇制が滅びずに続いてきたのか、語学の壁のため外国人に理解してもらえない、などと能天気なことを言っている人がいますが、この問題に日本語で明晰な答を与えた日本の歴史家を、不勉強のせいで、残念ながら知りません。
変な言い方になりますが、この日本史上最大のアポリアは、語学の壁などではなく、そもそも日本語では答えられない難問のような気がします。自己言及性の壁があるような気がしないでもなく、これからさき、誰かによって解かれるとも思えない。「承久の乱」は何も特別な事件ではなく、鎌倉としては、目障りな後鳥羽院を排除できればよかったのであって、「天皇制」を滅ぼそうなどとは微塵も考えなかったのではないかな。つまり、後鳥羽院は余人を以て替えうる一人だったというにすぎず、後鳥羽院の虚像などに誑かされていてはダメなんだ。
フェルマー予想やポアンカレ予想などより格段に難しい問題ですね。なぜなら、両予想は肯定的に解かれて、すでに、ただの定理になってしまったのだから。