投稿者:鈴木小太郎 投稿日:2012年 6月18日(月)21時58分48秒
この「陸軍中尉網野君」とは網野善一(1877~1904)で、網野善彦氏の祖父に当たりますが、日露戦争で若くして亡くなっており系図は少し複雑ですね。
参考までに以前まとめたものを再掲しておきます。
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広瀬家との関係が若干複雑なので、上記を補足しつつ少し整理してみます。
先代祖父善右衛門は明治45年(1912)に古稀なので、1843年生まれとなりますが、この人には善一という明治10年(1877)生まれの男子がいて、広瀬久政の妹である広瀬まつの(1878生)と結婚し、明治29年(1896)長女さちゑが生まれた。
ところが善一は日露戦争に志願兵として参加し、旅順攻防戦で戦死(明治37年[1904]、28歳)。
大正2年(1913)、広瀬久政の息子である広瀬勝丸は網野まつのの養子となり、さちゑと結婚。
広瀬勝丸(網野善右衛門)氏にとって、まつのは16歳上の実の叔母であり、かつ養母となりますね。
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5aa83953c58b5c6ede6ecf0d53d835bc
南照院には何回か訪問しており、この石碑にはもちろん気づいていたのですが、今回、裏面に並んでいた人名が気になってわざわざ確認するために行ってみました。
二段目、右から六番目に「若尾璋八」の名前がありますね。
広瀬家の人々はもちろん出ていて、その他、日露戦争直後の時期の山梨県の有力者一覧でもあります。
ま、だから何なんだ、と言われればそれまでですが。
※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6434
この「陸軍中尉網野君」とは網野善一(1877~1904)で、網野善彦氏の祖父に当たりますが、日露戦争で若くして亡くなっており系図は少し複雑ですね。
参考までに以前まとめたものを再掲しておきます。
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広瀬家との関係が若干複雑なので、上記を補足しつつ少し整理してみます。
先代祖父善右衛門は明治45年(1912)に古稀なので、1843年生まれとなりますが、この人には善一という明治10年(1877)生まれの男子がいて、広瀬久政の妹である広瀬まつの(1878生)と結婚し、明治29年(1896)長女さちゑが生まれた。
ところが善一は日露戦争に志願兵として参加し、旅順攻防戦で戦死(明治37年[1904]、28歳)。
大正2年(1913)、広瀬久政の息子である広瀬勝丸は網野まつのの養子となり、さちゑと結婚。
広瀬勝丸(網野善右衛門)氏にとって、まつのは16歳上の実の叔母であり、かつ養母となりますね。
http://blog.goo.ne.jp/daikanjin/e/5aa83953c58b5c6ede6ecf0d53d835bc
南照院には何回か訪問しており、この石碑にはもちろん気づいていたのですが、今回、裏面に並んでいた人名が気になってわざわざ確認するために行ってみました。
二段目、右から六番目に「若尾璋八」の名前がありますね。
広瀬家の人々はもちろん出ていて、その他、日露戦争直後の時期の山梨県の有力者一覧でもあります。
ま、だから何なんだ、と言われればそれまでですが。
※写真
http://6925.teacup.com/kabura/bbs/6434