しみじみと幸せだなあ、と感謝することがあります。普通ならこのまま感謝していれば、それで不便なく生活出来るのですが、友人、知人に会う度に不幸だ、不幸だと口にするのを見たり、聞いたりしますと、ここで「生き甲斐の心理学」の出番となります。生活に困っているわけでもなく、病気でもなく、何を不幸だ、と感じている事自体が私には不思議に思うことがあります。人は「考え方、感情の処理の仕方、行動の在り方」が変な場合、幸福の条件が整っていても不幸だ、と感じる場合があるのです。「幸福の条件」と「幸福感」が全く違うもの、という哲学に気付いていないと、どんなにお金があり、病気でなくても自分は不幸」だ、不幸せだとぶつぶつ言いながら死んでいきます。どんなにお金がなくても、重病でも、自分の人生は何と幸福だ、と感情面で感じて満足して死んでいく人々も大勢います。自分は不幸だ、と嘆く人が、この違いを意識しているかどうかは分かりませんが、感情面での幸福感を感じていないからです。幸福の条件とは、その人の生育史で培われている願望、こうありたいと願っている経済的な条件、健康であるべきだ、という想い、結婚の相手は外交官、という条件を幸福の条件と定義しています。幸福感とは感情的な領域でしみじみと幸せを感じる事を言います。この二つに分けて人生を歩める事の出来る人は心が豊かになり、現実を吟味する上での余裕が生まれてきます。自分が幸せだと感じた時、この自己分析をしておくと、友人が不幸だ、と嘆く時の手助けが出来るかもしれません。
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