五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

情動の絵画 アドルフヴェルフリ展所感

2017年05月24日 | 第2章 五感と体感


情動の絵画「アドルフヴェルフリ展」所感 2017年5月24日

ある日、鉛筆を持たせると一日に一本の鉛筆を使い切るほど描き出した。

20世紀前後の時代に生きたアドルフ ヴェルフリの展覧会を観ました。

彼を知らない人は、何のインフォメーションもなく観たほうがよさそうです。
何も知らずの私も鑑賞をした後にアドルフ ヴェルフリの経歴をじっくりと読みました。

心理学という学問が体系化されてきた時代に生きた一人の人間が、一本の鉛筆と新聞紙用の紙で壮大な世界を描いたのです。
医師や心理学者の研究事例対象にもなり、一人の人間の尊厳を中心に据え、その人が見えている世界を隔てることなく育む環境を与えたのです。

私が学んでいる宗教心理学の見地からも臨床事例として改めて繋げることもできました。
その概念から彼の作品を見ていくと、私自身見えてくるものがありました。
ここで私がその概念を書く立場ではないので、書くことはできませんが、
簡単に説明すると、
成育史上の素地となっている抑圧的な信仰の概念と彼が実際に経験してきた事象と心の動きが、いつの間にか創造主という一人称へと変換されていくのです。
幼児期における愛の孤独感が、愛そのものの神を支配者=私=全知全能者として無意識にすり替えているところが、彼の統合であることを、感じ取ることはできました。
私と他者との混同だけではなく、私と事象をも「私」に含まれていくことを「私は一人の人間である。私以外の誰でもない。」という概念を絶対的に思い込んでいる人がいたとしたら、不快感を感ずるかもしれません。

絵だけを見ていると、ケルズの書を思わせます。
搾取的でない意匠性とその連続性は、ある意味人が生み出したシンボル「象徴」の原点であるようにも思いました。
カエサルの時代からケルト人が追われ、神聖ローマ帝国になっても追われ、アイルランドにケルト文化と精神性が、カトリックに交わりながら留まるわけですが、その時代をまるで知っているかのような回帰を感じました。
「私が見えているリアリティ」をロジャーズの理論で体得しようと学んでいらっしゃる方々にも見ていただきたい展覧会です。
中途半端な所感ですが、こんなことをつらつら思うのでした。この辺でペンを置きます。

東京ステーションギャラリーにて6月18日まで

・・・・
2017年公開講座のご案内

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6月6日 鎌倉腰越講座
6月20日 つつじヶ丘講座

NPOキュール東急セミナーBE講座

5月26日たまプラーザ校
6月16日雪谷校

(NPOキュール会報もしくは東急セミナーBEのホームページをご覧ください)

上野 東京都立美術館にて
5月20日~5月27日土曜日まで
東京表具経師内装文化協会 作品展


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