五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

バベルの塔

2017年05月25日 | 第2章 五感と体感

バベルの塔 2017年5月25日

上野の都立美術館で開催中の「ブリューゲル・バベルの塔」展を観ました。

ブリューゲルは1526年~30年にベルギー北部の村で生まれています。
宗教改革の要となったマルチンルターが、カトリック教会の免罪符乱用等の腐敗に異議を申し立て、その運動が各地に広がっていったのが、1517年前後からです。

絶対的なカトリック教会から、民衆が立ち上がり、プロテスタントが確立されていく時代にブリューゲルは育ったのです。
その時代の流れとともに絵師の仕事も激変していったはずです。
カトリックでは、偶像を大事にしています。キリストや、聖母マリア、諸聖人の像に手を合わせますが、プロテスタントでは、御像に重きを置きません。
キリスト教の文化で育った人ならわかると思いますが、プロテスタントの教会は、説教台があればそれで充分です。
カトリックは、ミサという儀式の中でシンボル(キリストを象徴した聖体)を最も大切にします。
16世紀の美術は、大きな変革のさなか、絵師の描いてきた対象が民衆文化へと変化していくのです。
その時代の画家として挙げられる一人がブリューゲルでありましょう。

旧約聖書「創世記 11章 バベルの塔」は、想像を絶する細密であり、肉眼で観ようとしても、かなりの集中力が必要です。
工房で制作されたブリューゲルの作品は、キリスト教が呑み込んでいった古代宗教の意匠と寓話を彼の脳内宇宙で曼荼羅化していった、という表現が私なりの見解です。
人の五感、六感を惜しみなく吐き出すことのできる時代が、この時代であったかもしれないとも思います。
イエズス会が海を渡り、フランシスコザビエルが種子島に着いたのも、この時代です。

創世記のバベルの塔の章では、「一つの場所に人々が集まり、一つの言語、一つの文化だけで事を成そうとし、皆がそこで暮らせるよう高い塔を建築しだしたことに、神が、違う言語で、別々の場所で暮らしなさい、と、怒りを顕わにしたことで、人々は建築を放棄して、各地に散っていった」云々、と、書かれてあります。

改めてこの章を読み、バベルの塔に籠められた意味がいかに深いものであるかを再認識しました。
ブリューゲルは、バベルの塔に何を描いたかを推察するに、この時代の背景にある混沌がモチーフになっているようにも感じました。
バベルの塔を良かれと思って建設している人々は、生き生きと働き、そこで生活を営み、技術を駆使しながら、夢の暮らしへと塔を高く伸ばしていくのです。まさに、現代に生きる私たちそのものの投影ともいうことができます。
でも、一つのことに頑なになればなるほど、他を受け入れる許容力や他を知ろうとする知性
も低くなり、興味を持つ情動さえ削がれていきます。

国境という見えない境界線に、塀を建て、都合の悪いことには耳をふさぎ、自己の利益を企て、金ぴかのタワーをより高くしようとしていること自体が、バベルの塔よりも悲惨な末路の物語かもしれません。 
歴史は繰り返され、忘れたころに、天から怒りが落ちてきそうな、そんな時代に生きていることに意識を向ける時期が来ていることに、そろそろ気づかなくてはならないようにも思います。

地球上に完成形として高々と聳え立っている現代のたくさんの塔は、果たしてバベルの塔であるのか?
私には、わかるはずがありませぬが、きっと遠い将来、誰かが解析することになるのでしょう。
私には「2001年宇宙の旅」の映画に忽然と建つ金属板のような塔とバベルの塔が重なると思えるのです。

奇しくも昨日、某国のリーダーとフランシスコ法王が会談しました。
互いの言語が理解しあえたかどうかは、フランシスコ法王の素直な表情で読み取ることができたと、解釈しています。かみ合わない互いの表情が印象的でした。
彼は、フランシスコ法王の書いた「回勅 ラウダート・シ」を読んでから会談に臨むくらいの最低限のマナーを実行すべきでした。

バベルの塔から離散した人々が、それぞれの文化、言語の違いで互いに共感し合うための努力と成果を、今この時も天は見守っていることでしょう。


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5月20日~5月27日土曜日まで
東京表具経師内装文化協会 作品展

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