無かったことにする 2017年5月31日
「その真実は無かった。」
この言葉だけを強く強調して、言い切られると、聞いている側は、「何も無かったんだ」と、思ってしまいます。
強い立場の人に「大丈夫。何も問題ない」と、言い切られると、なんとなく心がそちらのほうに靡いていくようです。
「無かったことにする」ことを相手に思わせる事を強要することを続けていると、聞かされている相手は、最初は素直に受け入れたとしても、自分の感情が抑圧的になって、真実の感情が見えにくくなり、モヤモヤ感から始まり、そのうち体調が悪くなっていったり、突然何らかのストレスの症状に出たりすることが多いように思います。
自分だけが墓場まで持っていけば良いというような心理の善し悪しを語ろうとは思いませんが、
昔ながらの、誰か一人を犠牲にしながら、「無かったこと」にしてきたテクニックは、段々と通用しない時代になってきたようにも思うのです。
伏魔殿に呑み込んでいくことが、率いていく立場の常識であることを未だに信じている人とともに生活したいとは思いません。
無かったことにして、よりよく生きていく方法もあり、それも生きるための手段であることもあるので、一概に否定するつもりはありませんが、
「無かったことにする」ことの精神的抑圧の大きさを、改めて意識しておきたいものです。
皐月から水無月へ。
これから一か月は夏至から夏越の祓いの時期を過ごします。
せめて私自身は、一年の半分を清め改め、自分の真(まこと)を自分自身に留め置きたいと、心巡らしています。
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