五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

紫陽花は怖かった

2014年05月31日 | 第2章 五感と体感
すっかり夏服の季節となってはいますが、五月は天候によって温度の差があり体温調節にも苦労した月でもありました。
6月に入ると梅雨がやってきます。
紫陽花の花も場所によっては咲いているところもありそうですが、やっぱり梅雨空に映え、雨にも似合います。

紫陽花の花は、あまりにも大きな固まり過ぎて、子供の頃は怖い花だと感じていました。
鶏頭の花も、同じく、ほんとうに鶏頭のように思い、血の滴るようなあの色が気持悪く、小学生の頃は鶏頭の花が咲いている横は通りたくありませんでした。未だに、そんな感じですが。。。
子供の頃の好き嫌いの感覚は、体感的に覚えています。
強烈な五感の記憶は、自分の身体に記憶として未だに残っています。
不思議なことに、遠い記憶でも、同じような色、同じような匂い、同じような光景を目の当たりにすると、時空を超えてその時の記憶が「今の出来事」のように思い返されるのです。

昨日、改めて画家バルテュスの番組を観て、祖父のアトリエと似ていたことに改めて気付きました。展覧会では何となく懐かしい感覚でアトリエの再現を拝見していたのですが、番組で改めて観ることで色々な事が思い出されてきました。
祖父のアトリエの北側窓にアルプスは広がっておりませんでしたが(笑)
アトリエ特有の採光は、日食の時に見えた世の中と同じです。日食の時に、同じだと感じた事はたった一回きりの経験です。

油絵の具の香り、無数の筆、大きなイーゼル。いつも祖父の邪魔にならないようワクワクする聖域に無言でじっとしている子供の私でした。無口であるが行動だけはする、という子供時代の特性は大人になっても基本的に余り変わっていない様な気がする、と云うと、皆さんから「うっそぉ~」と言われるのは承知の助ですが(笑)、基本的には一日喋らなくても苦にならないのが私の本質です。

怖い紫陽花は、そんな幼い頃の自分が育んできた感性の一つなのだと思っています。

今は、紫陽花を観ても怖くありませんが、怖かった感覚は思い出されます。

六月は、芒種の節気。生命がぐんぐん成長し、夏至を迎えます。一年の半分。伸び盛りの季節を大切に過ごしたいものです。

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