五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

息吹の言霊

2014年05月11日 | 第2章 五感と体感
今、遅ればせながら世阿弥を弟元清から語らせる杉本苑子著「華の碑文」を読んでいます。
父観阿弥が亡った後、父の戯曲を詰め直す作業に集中する世阿弥の様子を表現した文章が印象的です。
作者自身の自問自答のようにも思えますが、表現することを生業にする者にとっては痛く痛感することを共有できる文章であるとも感じました。
言葉は言霊です。
世阿弥の戯曲のエンターテイメント性と魂による叫びと台詞から感じ取ることのできる普遍性の素晴らしさは、能の魅力に取りつかれた私の柱とも言うことができます。
このことは私自身が寺山修司や唐十郎、鈴木忠志の表現を経験して数十年経ち、私が辿りついた結論みたいなものかもしれません。
小難しい事を書いてしまいましたが、
ブログで繰り返し書いていることですが、今回も言葉の大切さを書かせていただきます。

人と向き合って語り合う。または言葉を交わす。
自分で自問自答する。
ネット上で自分の近況を語る。

どれも言葉で成されます。

同時に、どれも自分が発する言葉には自分の個性が表れます。

直に向き合う人同士では、その人の顔と姿が見える為、言葉以外で感ずることができますが、
顔の見えないネット上のお付き合いでは、それができません。

他者に対しゴミ箱のように吐き捨てる言葉は美しくないどころか、他者に大きな不安感と嫌悪感を感じさせます。

自分が世間に表出する言葉は、自分の個性を他者に感じさせる一番の「表現」であるわけです。

自分の心と身体と魂を大切にしているならば、そのことは充分に理解できるはずです。

言葉は言霊です。
吐く息に乗せて声が出ます。
だからゆえ息吹という言葉は、神聖さを表現する言葉であるのです。

吐く息に乗せる言葉を大切にしたいものです。


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