五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

法隆寺の仏画

2014年05月29日 | 第2章 五感と体感
法隆寺は、私のアイデンティティの原点とも云うことができる寺院です。
その法隆寺の展覧会が現在東京芸術大学美術館で開催されています。

早く行こうと思いつつ、所用が重なり展覧会にはまだ行っていませんが、昨晩、録画しておいたNHK「日曜美術館」を観ました。
鈴木空如という仏画師に焦点を当てていました。

空如という人物の希求を感ずれば感ずるほど、何億光年もの宇宙に向かう感覚になり、彼の求めているものは写仏することではなく写仏を通して体感することのほうが彼自身の自己実現であったような気がしました。

「極めること」は、修行者にとっては永遠に得られるものではありません。だからゆえ、修行者になれるわけで、「極めた」と感ずるのであれば、その修行者は修行から逃れた、という考え方で間違っていないように思います。

番組の中で、説明があった「鉄線」という技術は、まさにその修行そのものです。

仏画を描くには、この鉄線をひたすら修行するのです。描くという意識では無く、成る意識を超えたものでもありましょう。
これ以上言語化は難しいですが、私も20代の頃は、この鉄線に憧れました。

空如という人は、鉄線の修行をと共に「空」を描こうとひたすら修行されたのだということがよくよく理解できました。

昭和24年に法隆寺金堂が焼失し、空如の写仏のお陰で、再現できていることも何か意味のあることなのかもしれません。

空を描く為の修行をひたすらし続け空となりし、空如なり。

芸大美術館、早くいかなくっちゃ。。。

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