五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自分の人間観

2013年02月27日 | 第2章 五感と体感
道徳教育が教科化されることが決まりそうですね。そのことから、私の思いをちらりと書いてみます。

宗教法人が母体となっている学校には必ず「宗教」に該当する授業が組み込まれ、通知表でも評価されています。
私はキリスト教の学校での経験しかありませんが、ある一定宗教の教義を教えることはあっても、その宗教を信じなさいとまでは、勿論教育していません。

一定宗教や一定の考え方のアイデンティティを建学の精神に掲げている学校は、その宗教や考え方を大切にしている先生が大多数を占めている割合が高いはずです。
つまり、生徒は「人間とは」という「人間観」をどのように考え、捉え、自分のアイデンティティとしてそれを大切にしながら教育する教師に育てられていることになるわけです。

人から醸し出る「人間観」瞬時に察知する能力が高いのは子供のほうかもしれないと、常々思います。

どんなに経験の浅い年齢でも、親から育てられる家庭の中で、何が良くて何が悪くて、何が嫌で何が好きかという根本的な原初感情は育まれているはずです。そして、それぞれの環境の中で、喜怒哀楽を感じながら自分がどのように生き延びていくかを自ずから学んでいるのだと思います。

「人の自由意思を大切にしていきながら子供達が大人になり、ふと振り返る機会があった時に、こんなことを毎日言われてたなぁ~と、思いつつ、自分を大切に見守ってくれていた先生に対し、急に恥ずかしさが混み上げてきたりしながら人生の経験を積んでいくこと」を前提に、我が子の教育を含めた私の人生の過程で、教育者という職業に生き甲斐を持っている先生方に何人もお会いしました。

信じて

愛して

望みを持つ

つまり、それを受ける側が、「信じられて、愛されて、期待されている」ということに、段々と気付いていくと、自ずから湧き出す信頼感が、自分の生き延び方を自らの力で育んでいくのです。

箱の中に納めることのできない人の「感情や思考や行動」を共に歩もうとするのなら、教育に携わる人自身が、自分の持っている人間観を改めて思索し、意識化することから始めていただきたいと切に思います。

私は教育者ではありませんが、「信じて、愛して、望むことを本当に大切にすると、人は、必ずその人にとってよき方向に向かっていく」ことを常に大切にしています。
大切にしてはいても、できないことも多いですが反省しながら、この人間観にいつも私自身腑に落ちながら生活しています。

信じられて、愛されて、望みを持たれていることをジワジワと感じたら、私自身、こんな嬉しい事はありませんもの…。

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