五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

自己主張の仕方

2012年05月09日 | 第2章 五感と体感
自己主張の仕方で損することを私自身、何度経験したことか…。

自分の不安感を正直に相手に伝える事が出来ず、もしくは、自分の防衛機制から解き放たれず、自分の意固地な言い方が相手に不快な思いをさせることもあります。解っちゃいるけど、反省だらけです。

逆に人との関わりの中で、他者が「人との関わり方において自分が正しいと言わんばかりに強く迫ってくる傾向の人」に「不快感」を感じたりするのは、私の傾向でもあります。
色々な場所で生活し旅を経験してきた私は、現象の違いを比較する傾向にあります。受容することとはちょっと違います。物心ついた頃から、ある所では正しいことでもある所では正しくないことを沢山見てきました。歴史書や古典文学を読むことも同じです。多様性と変化と普遍性が見えてきます。私の場合、多様性に身を置くことで自分のアイデンティティを育んできたようにも思います。つまり「私は私であって私以外の何者でもないこと」ということです。

上記二つの事柄は、自分の中にある「ある傾向」に対するプラスの部分とマイナスの部分が表出された結果の「自己の感情」です。良くも悪くもどちらとも「自分」なのです。
対局するものが無くては比較考察することもできません。

生き甲斐の心理学の学びの中で、変わることの無い自分の傾向を爆発させずに、静かに湧き出す感情を受容する訓練は多少は出来てきたように思います。
自分が「嫌だな」と思った他者の言動や行動に対して、いちいち声を荒立てず、聞き流し、見て見ぬふりをし、相手の傾向を受容しながら静かに通過することがストレスを最小限にしながらできるようになってきたような気がします。

「解っちゃいるけどやめられない自分の傾向」や「自分がカチンと来る時のタイミング」が、自分自身そのまま受容できてきたときに、相手に対しても多少の寛容さが芽生えてくるわけです。

さて、「自分の自己主張の仕方」に特徴があるとしたら、どんな特徴があるのでしょう…

自分の特徴は、自分の傾向です。性格にも繋がりますが、持って生まれた特徴だけでなく、生まれてから今日までの生育史から育まれた自分の傾向が、自分自身を損な状態に陥らせていることもあり得ます。

親からどのように育てられ、友達とどのように付き合い、どのような人を好きになり、自分は何を相手に求めているのか。
それらのことを丁寧に意識化していくと、自分の自己主張の仕方が見えてきます。

自己主張の仕方で自分は損してるな~~と、思ったら、反省することも必要です。

反省しながらそれでも自分を卑下せず、「私らしさ」を出してこそ、生き甲斐ある人生を送ることができるように思うのです。

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