五感で観る

「生き甲斐の心理学」教育普及活動中。五感を通して観えてくるものを書き綴っています。

民話の語り部と傾聴

2011年12月09日 | 第2章 五感と体感
12月8日日本経済新聞に掲載された「3.11という民話」を拝読しました。

宮城県「やまもと民話の会」の「庄司アイ」さんの活動について書かれてあります。

家ごと津波で流されたご自身の体験は壮絶なものだったようです。
「昔のことを現在に伝える」民話を語ってこられた庄司さんは、御自身の役割が生きる力となり、震災の体験を歩き回り、聞き取り、一冊の本にしました。夏に続き第二集目が出版されたそうです。

偶然なのか必然なのか解りませんが、私の勉強仲間であり友人も宮城県山元町の勤め先を津波で失いました。同僚も亡くし、困難な中にも関わらず介護関係のNPO法人を再開させ、懸命に働いていらっしゃいます。

震災直後から、心のケアーの重要さが叫ばれています。
私自身NPO法人を経営し、「生き甲斐の心理学」の教育活動をしています。
「傾聴、傾聴!」と言われながら、東北に一歩進むことができない大きな理由が一つありました。

それは、一時の一回きりの「傾聴」だけでは、人の心が治まらないだけでなく、よそ者はよそ者であり、傾聴した側は満足でも、傾聴をされた方は、時間と共に喪失感や孤独感が増していくからです。定期的に同じ傾聴者が来るのであれば、それは理想だと思いますが、それが成されない希薄さに違和感を感じていました。

ほんとうに、関わりたいのは、自分の身近な人々なのです。でも、身近な人は、同じ被災者であってもそれぞれの状況が違います。親しい相手に本音を云うことを憚ることで、どんどん抑制した気持が増していきます。

だからこそ、暮らしの中のカウンセングをするために「生き甲斐の心理学」の教育活動は必要だと考えています。

住まう土地に根付く風土からにじみ出る考え方や湧き出す感情、つまり微妙なニュアンスは、同じ環境で命を育んできた者同士でないと理解しがたいものなのです。
同じ風土の住人が、微妙なニュアンスを聴き取ることができたら、体感としての浄化は、よそ者以上の効果があるのではないでしょうか。

そのためには、理論的な学びが必要とされます。

傾聴とは、話を聞くことだけではなく、不安の中に居る方の五感や体感、そして言葉にはできない何かを現象から感じ取り、受容していくことが、傾聴者の大切な仕事であると私は考えています。

話は長くなりましたが、昨日の新聞を読み、庄司アイさんの活動こそが傾聴そのものだと思いました。

私自身、1月末に山元町に伺うこととなり、そんな時に私が一番大切にしている「現場と現象を中心としたフィールドワーク」の記事が掲載されたことに深い意味を感じています。

伺う前に、第二集「声なき声に寄りそう」を入手し、読むことから改めて一歩を踏み出そうと思います。

「傾聴」は、まさしく「声なき声に寄りそうこと」なのです。
一回きりの傾聴体験だけでは終了するものではありません。返って罪深いものを感じます。
何度も何度も同じ人と関わり、長期にわたり、心の交流を育んでいくことを理想の活動だとしたら、私は何から一歩踏み込めば良いのか、焦らずにゆっくりと考えていきたいと思います。

不安や苦しみや孤独感、焦燥感、喪失感は、生涯拭えきれるものではありません。でも、生きようとした時に、自分自身の生き甲斐が見出されたら、その生き甲斐が自分を生かしてくれるのです。

私自身も出来ることをやればいいだけのことです。

庄司アイさんの記事に感謝致します。

クリック応援お願いします♪♪「生き甲斐の心理学」
人気blogランキング
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする