今年も残すところあと数日。先日“あさまでテレビ”を看た。(まだ全編ビデオで見ていないけど。)かつての日本代表選手や著名な解説者、そしてサポーター代表が集い今年最大のサッカーイベント、FIFA World Cup の総括等を行なっていた。そして最近の一般紙の中でも今年のワールドカップを振り返る論説が出ていた。 何度思い返しても2敗1分 得点2失点7勝点1でグループ最下位は変わらない。(当たり前か?)そして世間では“ ZICO はダメだったオシムは日本サッカーの救世主”という風潮が渦巻いている。果たして本当にそうだろうか?今年のワールドカップは1次リーグ敗退で終わったが、ワールドカップはこれからも続く。いつの日か上位進出できる日もあるだろうが、アジア地区予選を突破出来ない時もまた来るかもしれない。世間で言われている様に ZICO JAPAN はダメだったのだろうか?
ZICO JAPAN
4年前の日韓ワールドカップで史上初の1次リーグ突破を果たしたが、結局はベスト16止まり。しかし中心メンバーの殆どは4年後のワールドカップでも戦えるだろう。いやむしろ円熟期を迎えるので非常に楽しみな大会になるだろうな、と思った。そこに“舞い降りた”のはブラジルの英雄で J リーグの看板選手でもあった神様 ZICO。最初に指揮を取ったジャマイカ戦では中盤には中村、中田、稲本、小野が並び1982年のセレソンの様に“和製黄金のカルテット”と呼ぶ人も多かった。だが実際に1982年スペイン大会でのセレソンのカルテットをテレビでさえ観たことのある人はどれだけいるだろう?ジーコ、ソクラテス、ファルカン、エデル(トニーニョ・セレーゾよりも攻撃面では圧倒的にエデルが貢献していた。今でも私はエデルがこの時の黄金に中盤の1員と思うんだけど。勿論トニーニョ・セレーゾも前回のアルゼンチン大会にも出場した素晴らしい選手。)彼らは華麗なテクニック、パス回しだけでなくミドルレンジからもがんがん鋭いシュートを放ちゴールを上げていた。(ソクラテス 2 エデル 2 ジーコ 4ファルカン 3 得点 ) だからとても82年大会のブラジルとは比較出来なかった。 まぁ“黄金のカルテット”はその後お披露目される事は無く、もしかするとあの中盤は ZICO JAPAN 旗揚げの“興行用”だったのかもしれない?だがドイツワールドカップに向けてのメンバーこそ史上最強の代表ではなかったか?想像だけどメキシゴ輪メンバーと試合をすれば面白いかな?(釜本が居る分メキシコ組が勝つか?) したがって期待が高くなるのは当然であった。アジアカップ優勝、コンフェデレーションズ杯での健闘もそれに欧州でプレーする選手も増えた事などが拍車をかけた。トルシエ前監督の“赤ワインに例えれば熟成を重ね今が飲み頃”という例えもうなづけた。
日本の位置付け
では何故日本は1次リーグも突破出来なかったのだろう?私が初めてワールドカップを観たのは1974年の西ドイツ大会。決勝戦だけがテレビ放映された。ただ当時小学生だった私はこの大会の権威は判らなかった。綺麗な緑の芝生の上にオレンジ色のオランダ選手のユニフォームが良く映えていた事だけを覚えている。“世界サッカー選手権”と何かに書かれていた。以降1978年アルゼンチン大会から4年に一度の大イベントとして楽しみにして来たが、最近のマスコミ諸氏の中には日本のワールドカップの位置づけ、サッカーのワールドカップがどれほどの大会なのかを明確に、そして正確に理解出来る人がどれだけいるだろうか? 今大会アジアからは韓国、サウジアラビア、イランが他にアジア地区予選を勝ち抜いてワールドカップに出てきた。確かに日本はメキシコ五輪銅メダルと言うアジアサッカー史上では3本の指に入るであろう快挙があるがこの3カ国と比較しても日本は“サッカー新興国”なのだ。サウジアラビアがワールドカップに初出場したのはあのドーハの悲劇に日本国中が涙にくれた予選を勝ち抜いての1994年アメリカ大会。その前の1988年(カタール)1984年(シンガポール)のアジアカップで2連覇を果たし、1989年10月シンガポールで開催されたワールドカップアジア最終地区予選に臨んだが中国、韓国に破れ6か国中5位に終わり更なる強化を施しようやくワールドカップ出場に漕ぎ着けた。イランも今回で3回目の出場だが、初出場は1978年アルゼンチン大会。まだアジア枠が1つしかない時代。当時のパーレビ国王が豊富なオイルダラーを強化に充ててのワールドカップ出場だったが、1968年のアジアカップから3連覇を果たし、1972年ミュンヘン五輪 1976年モントリオール五輪にも出場。そして1974年アジア大会での優勝を経てのワールドカップ初出場であった。アルゼンチンワールドカップ後に革命が勃発しパーレビ王朝は倒されたが、もし革命がなければイランはもっともっと強くなっていただろう。韓国のサッカー史はもう語るまでも無い。アジア諸国でさえこれだけの積み重ねを施してのワールドカップ出場だった。日本が国を挙げて本格的にサッカーに取り組み始めたのは1990年代に入ってから。70年代~80年代は選手や関係者達の血の滲む様な努力と犠牲によって韓国をはじめアジア諸国と戦ってきたのだ。韓国、イラン、サウジアラビアはアジア枠が1または2しか無い時すでにワールドカップ出場を果たしており、日本は出場枠が3に拡がったフランス大会にようやく出場を果たした。スポーツは全てが積み重ね。その時代を知らずして“ワールドカップで日本は惨敗だった”とか“ワールドカップとは….”等マスコミが講釈を垂れ流しているのを見ていると本当に腹が立つ。 月並み言葉だが“ワールドカップ”は甘いものでは無いのだ。 続く
ZICO JAPAN
4年前の日韓ワールドカップで史上初の1次リーグ突破を果たしたが、結局はベスト16止まり。しかし中心メンバーの殆どは4年後のワールドカップでも戦えるだろう。いやむしろ円熟期を迎えるので非常に楽しみな大会になるだろうな、と思った。そこに“舞い降りた”のはブラジルの英雄で J リーグの看板選手でもあった神様 ZICO。最初に指揮を取ったジャマイカ戦では中盤には中村、中田、稲本、小野が並び1982年のセレソンの様に“和製黄金のカルテット”と呼ぶ人も多かった。だが実際に1982年スペイン大会でのセレソンのカルテットをテレビでさえ観たことのある人はどれだけいるだろう?ジーコ、ソクラテス、ファルカン、エデル(トニーニョ・セレーゾよりも攻撃面では圧倒的にエデルが貢献していた。今でも私はエデルがこの時の黄金に中盤の1員と思うんだけど。勿論トニーニョ・セレーゾも前回のアルゼンチン大会にも出場した素晴らしい選手。)彼らは華麗なテクニック、パス回しだけでなくミドルレンジからもがんがん鋭いシュートを放ちゴールを上げていた。(ソクラテス 2 エデル 2 ジーコ 4ファルカン 3 得点 ) だからとても82年大会のブラジルとは比較出来なかった。 まぁ“黄金のカルテット”はその後お披露目される事は無く、もしかするとあの中盤は ZICO JAPAN 旗揚げの“興行用”だったのかもしれない?だがドイツワールドカップに向けてのメンバーこそ史上最強の代表ではなかったか?想像だけどメキシゴ輪メンバーと試合をすれば面白いかな?(釜本が居る分メキシコ組が勝つか?) したがって期待が高くなるのは当然であった。アジアカップ優勝、コンフェデレーションズ杯での健闘もそれに欧州でプレーする選手も増えた事などが拍車をかけた。トルシエ前監督の“赤ワインに例えれば熟成を重ね今が飲み頃”という例えもうなづけた。
日本の位置付け
では何故日本は1次リーグも突破出来なかったのだろう?私が初めてワールドカップを観たのは1974年の西ドイツ大会。決勝戦だけがテレビ放映された。ただ当時小学生だった私はこの大会の権威は判らなかった。綺麗な緑の芝生の上にオレンジ色のオランダ選手のユニフォームが良く映えていた事だけを覚えている。“世界サッカー選手権”と何かに書かれていた。以降1978年アルゼンチン大会から4年に一度の大イベントとして楽しみにして来たが、最近のマスコミ諸氏の中には日本のワールドカップの位置づけ、サッカーのワールドカップがどれほどの大会なのかを明確に、そして正確に理解出来る人がどれだけいるだろうか? 今大会アジアからは韓国、サウジアラビア、イランが他にアジア地区予選を勝ち抜いてワールドカップに出てきた。確かに日本はメキシコ五輪銅メダルと言うアジアサッカー史上では3本の指に入るであろう快挙があるがこの3カ国と比較しても日本は“サッカー新興国”なのだ。サウジアラビアがワールドカップに初出場したのはあのドーハの悲劇に日本国中が涙にくれた予選を勝ち抜いての1994年アメリカ大会。その前の1988年(カタール)1984年(シンガポール)のアジアカップで2連覇を果たし、1989年10月シンガポールで開催されたワールドカップアジア最終地区予選に臨んだが中国、韓国に破れ6か国中5位に終わり更なる強化を施しようやくワールドカップ出場に漕ぎ着けた。イランも今回で3回目の出場だが、初出場は1978年アルゼンチン大会。まだアジア枠が1つしかない時代。当時のパーレビ国王が豊富なオイルダラーを強化に充ててのワールドカップ出場だったが、1968年のアジアカップから3連覇を果たし、1972年ミュンヘン五輪 1976年モントリオール五輪にも出場。そして1974年アジア大会での優勝を経てのワールドカップ初出場であった。アルゼンチンワールドカップ後に革命が勃発しパーレビ王朝は倒されたが、もし革命がなければイランはもっともっと強くなっていただろう。韓国のサッカー史はもう語るまでも無い。アジア諸国でさえこれだけの積み重ねを施してのワールドカップ出場だった。日本が国を挙げて本格的にサッカーに取り組み始めたのは1990年代に入ってから。70年代~80年代は選手や関係者達の血の滲む様な努力と犠牲によって韓国をはじめアジア諸国と戦ってきたのだ。韓国、イラン、サウジアラビアはアジア枠が1または2しか無い時すでにワールドカップ出場を果たしており、日本は出場枠が3に拡がったフランス大会にようやく出場を果たした。スポーツは全てが積み重ね。その時代を知らずして“ワールドカップで日本は惨敗だった”とか“ワールドカップとは….”等マスコミが講釈を垂れ流しているのを見ていると本当に腹が立つ。 月並み言葉だが“ワールドカップ”は甘いものでは無いのだ。 続く
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