Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

パースにて サッカー専門ショップで....

2006-09-07 | Aussie & Kiwi
パース入りした当日は少し肌寒さと言うか秋の始まりの様だった。しかし、地元の人から言わせれば“この2~3日で随分暖かくなったのですよ。”との事。 Western Australia の州都パースは一年を通して穏やかな気候で定評があり、ここに移り住んでくる人が近年増えている。その傾向は私が始めて訪れた8年前から顕著に現れており最近は更に拍車が掛かっている。従って最近の不動産の急騰は半端じゃないらしい。シドニー等の東海岸側で多く見かける韓国系の移民もここでは少ないが、シンガポールやマレーシア、ヴェトナムといった東南アジア系移民が目に付く。シンガポールからパースまで僅か5時間のフライト。シドニーから来るのと変らない。東海岸も彼らからすれば海外の感覚か? いつもの投宿しているホテルの近くにオーストラリアでは珍しいサッカーグッズの店がある。ここに立ち寄ってみた。6月にワールドカップ観戦に行ったとき、多くの Socceroo サポーター達が Johnny Warren の顔写真の入った黄色のTシャツを着ていた。それと同じものが無いかと訊ねてみるが、残念ながらもう置いていないとの事。そこには若い男性と初老の男性との2人の店員がいた。その2人とサッカー談義に花が咲く。 “ Johnny Warren を知っているのかい?彼が生きていればどんなに喜んだか…” 老人は優しく微笑む。あの時代はサッカーなんて誰も見なかった、とも語った。若い男性とは地元のクラブチーム Perth Glory の話で盛り上がった。折角だからワールドカップ記念のTシャツを1着買うことに。オーストラリア代表選手のユニフォーム色が基調とされている黄色で Socceroos のメンバーとドイツでの試合の結果がプリントされており当然だが12 Jun Kaiserslautrun Australia vs Japan 3-1 とプリントされている。 彼が“1着でいいかい?”と聞くので“1着で充分。日本が勝っていたら3着は買ったよ。”と答えたら2人とも笑ってくれた。少しばかりの無念さとドイツでのあの雰囲気の懐かしさが甦ってきた……

ここをホームにする Perth Glory。私が最初に見たのは2000年の Grand Final だ。当時は国内リーグは NSL ( National Soccer League ) と命名されていた。商用で訪れたシドニーでテレビをつけると偶然シーズンの最後を飾る Grand Final の試合が中継されていた。場所は Perth の Subiaco Oval. 地元の声援を受けて優位に進める Perth Glory の攻撃を必死に凌ぐのはシドニーから200km 程度離れた Wollongong をホームにする Woollongong Wolves 。試合はPK 戦にもつれ込み、最後は Wolves のGKがファインプレーを連発し、 Wolves がこの年の覇者となった。テレビ中継では同時に Wolves の地元Wollongong での様子が映し出され、優勝の瞬間はお祭り騒ぎだったのを思い出す。翌日の朝刊には Dance with Wolves の見出しで殊勲のGKの写真が大きく載せられていた。その時は丁度ベルギーとオランダで共同開催された EURO2000 の真っ只中。その報道はあまりされずに結果を知るためにインターネットカフェ通いを続たが、それよりもサッカーはどこの国でもあるのだという事が再認識させられたときでもあった。

時は流れて今や堂々と国民の市民権を得たサッカー。その起爆剤にもなった昨年から発足した A-League。Perth Glory の2シーズン目は不安のスタートだった。昨シーズンは5位に終わり上位4チームが進出する Final Stage には進めなかった。昨シーズン、ここでプレーした日本人選手、石田ヒロユキがヴァンフォーレ甲府に移り、計8人の選手がチームを去った。だが戦力的に最も影響を受けたのは昨シーズンの Young Player of the Year である Nick Ward が English Championship ( Premier の1つ下。2部にあたる ) QPR に移籍してしまったとの事。彼の移籍引止め工作に National Team Manager ( 監督のことかな?) まで経験を積むためにも Perth に残ったほうが良いとアドヴァイスのコメントまで出したくらいだ。 だが彼は結局 England に去ってしまった。それよりも問題だったのが長年オーナーを務めたNick Tanner と昨シーズン指揮を取った Steve MaMahon の蜜月関係だったらしい。 Tanner はチームの経営を破綻に追い込み、 McMahon はシーズン途中に地元では“西オーストラリア州のローカルチームの誰よりも劣る”と言われた自分の息子を入れる始末。この二人がチームを去り、Glory は協会の監視下におかれたが、オーナーと監督がいなくなったことが最大の強化とも言われている。アルゼンチンの英雄あのバティストゥータがパースに移住し、彼にチームオーナーの打診したが、今は Michelle Phillips 氏(女性です)が CEO を務める。
今シーズンは7人の新戦力がいるが、何と言ってもオーストラリア代表のベテラン スタン=ラザリデスの加入が Glory と言うよりも A League最大のトピックの1つだ。ドイツでは出番が無かったが私は1997年のあのMCG の悲劇でもプレーしたこの選手は好きな Socceroo の1人だ。当時は West ham United に所属し
昨シーズンは Birmingham City でプレーをした。ラザリデスは“今後欧州での活動をベースにしたSocceroo 達が A-Leauge でキャリアを終える事を考えている。それは若い選手達に受継いでもらいたいものが多いからだ”とコメント。それに加えて3名のニュージーランド選手を加えた。一人は England の3部リーグ Rochdale でプレーしていた レオ=バートス。A-League New Zealand Knights から ジェレミー・クリスティ、そしてニュージーランド代表 All Whites のアドリアン・ウェブスターと契約。バートスはブラジル代表がワールドカップ直前にニュージーランドと行った“調整試合”に出場。相手が調整運転だったとは言えドリブルでセレソンDF陣を突破するシーンも見せた。また2000年の Grand Final で Perth Glory と Wolves の選手の一員として戦った マーク=ロバートソンが加入。彼のパフォーマンスを記憶する地元サポーターは何人いるかな? 監督にはFederation Football Australia (オーストラリアサッカー連盟) でテクニカルマネージャーを務めるロン・スミスが就任する事となった。さて試合の方はどうなるだろう.... 


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2 コメント

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パース・グローリー (鍼灸)
2006-09-07 21:50:40
バティがパースに移住したというのは、本当ですか? 

オーストラリアのサイトはマメにチェックしてますが、全く初耳です。

パースとはどんな縁があったのでしょう?

プレーイングマネジャーで復帰してほしいなあ。すごい集客になります。



パース・グローリーは他のNSLのクラブと違って、特定の民族集団を母体にしていないという点で、Aリーグの理想とされたチームです。

NSLでも経営的に成功したクラブといわれていたので、昨シーズンの低調ぶりは意外でした。

Aリーグのチーム拡張の予定がありますが、有力候補の一つがウォロンゴンだそうです。なぜウォロンゴンやパラマッタがAリーグから外れたのか未だに謎です。



NZ代表のレオ・バートスですが、イングランドのバーンズリー(チャンピオンシップ)にいて、五輪代表として来日して日本と対戦しています。

最初はギリシャ代表を狙っていたらしく、なかなか招集に応じなかったという逸話があります。

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バティストゥータ (Mr.コンティ)
2006-09-07 22:27:31
鍼灸様

いつもありがとうございます。バティの件ですが Four Four Two Australia 版の A League 開幕特集の Perth Glory の頁にさらりと1行だけ書かれていました。もっと知りたかったところですが。彼に払うサラリーがチームの財政としてあれば良いのですが。しかしラザリデスのプレーは別格でしたね。バートスはドリブルにスピードが感じさせられました。昨年ニュージーランドがマレーシア(だったかな?)とAマッチを行った時に彼の記事をニュージーランドで読みました。彼もギリシャ系でしたか....

クウェート戦ですが A-League の選手が選ばれなかったのが少し残念です。
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