Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

混乱のタイ

2006-04-06 | Football Asia
ここ4年ほど商用でタイの首都バンコックに訪れる機会も増えた。バンコックは大変好きな街の1つだ。まぁ色々な意味を想像されてしまいそうだが、総じて言えるのは街に活気がみなぎっている。観光客もビジネスマンらしき外国人も多く見かける。日本人は勿論、欧米人も。あまり中国人は目に付かない。言葉の問題もあるかも知れない。ただ中国大陸からの観光客は大変多い。ホテルの前には“〇〇遊旅”と車体に書かれたバスがよく乗りつけて来る。ただ台湾からの観光団体も少なくない。大陸と台湾、身なりや雰囲気、口調を見れば直ぐに見分けが着く。どちらも良い人達だ。そのタイが今揺れている。4日水曜日、タクシン首相がとうとう辞任を表明した。タクシン政権の誕生は今から5年前2001年1月、1997年に成立した新憲法に基づき下院総選挙が行われ、前チュアン政権の経済政策に対する国民の不満、庶民志向の各種政策の公約、豊富な資金力等を背景に、タイ愛国党が単独過半数に迫る勝利を収め、2001年2月、新希望党、タイ国民党、自由正義党との4党連立(500議席中325議席)によるタクシン政権が成立した。当初、タクシン首相は資産隠蔽疑惑を抱え、仮に有罪となれば憲法の規定により辞任を余儀なくされるという不安定要素を抱えていたが、2001年8月、憲法裁判所が無罪判決を下し、タクシン政権は危機を脱した。時はようやく1997年に東南アジア諸国を襲った通貨危機から回復しつつある時であった。タイ愛国党は2001年9月に自由正義党、2002年1月に新希望党、2004年9月には国家発展党を合併した。タクシン首相は、下院における与党及びタイ愛国党の圧倒的多数、政権内及び党内での強固な権力基盤を背景に、強力なリーダーシップを発揮し、数々の経済改革政策を推進している。現政権は、従来の連立各党の利害調整型ではなく、トップダウンによる政策主導型、成果主義の政権運営が特徴。この政治決定の早さが最近の景気好調の要因かはわからない。だがバンコック市内を走る地下鉄工事の一件をみるとタイらしさ、いや日本らしさが見えてくる。路線工事は日本が請け負った。日本のODA援助事業だから当然なのだが、車体はドイツ製(フランス製だったかな?)が適用された。当然日本製になるべきであった。それはタイ政府の恩義知らずと日本側の交渉の拙稚さが重なった結果と言われている。2004年1月初旬から、タイ最南部3県(ヤラー、パッタニー、ナラティワート)で軍・警察施設の襲撃や爆弾・放火事件等が連続して発生。原因としては、南部分離独立ゲリラの活動、違法ビジネスを巡る利権争い、中央政府に対する住民の反発等、様々な要因が関係していると言われる。しかしその根底にはイスラム教徒の(マレーシア側国境)と仏教徒(タイ側国境)との争いが原因とされている。双方政府が軍隊を派遣して保護にあたっているが自体は改善されない。2005年1月の下院任期満了に伴い、2月6日に下院総選挙が行われた。2004年後半より、南部情勢、鳥インフルエンザ問題に対する政府の対応等に対して批判が高まり、支持率は低下傾向にあったが、好調な経済や、草の根経済政策に対する国民の支持は依然高く、また2004年12月に発生したインド洋大津波被害に対する迅速な対応が評価され、タクシン首相率いるタイ愛国党が500議席中377議席を獲得し、圧勝した。3月9日に下院でタクシン党首が首相に指名され、14日の国王への宣誓式を経て第二期タクシン政権が成立した。同政権は、タイ愛国党の単独政権であり、野党も首相不信任案を提出できず(現有議員の5分の2が必要)、政権運営は引き続き安定する見通しである。タクシン首相は選挙戦期間中から、「一期目は経済危機からの回復、二期目は発展」を唱えているが、同時に、悪化した治安状況の続く最南部の問題等も大きな課題であった。しかし、今年1月に発覚した親族のシンガポールの巨額の株取引疑惑(早い話が金持ちは妬まれると言う事)が発火点になった国民の退陣要求運動、批判的なマスメディアの取締り、そして今般の下院総選挙での国民の“白票”抗議運動を受けついに辞任の運びとなってしまった。タクシン首相のサッカー好きは有名だ。一時 Liverpool の株を買い占めようとしたり、ワールドカップ予選で惨敗した自国代表選手を酷評したり。そのタイ国内リーグThailand Premier Leagueの強豪チームBEC Tero Sasana が先日元アイルランド代表選手のNiall Quinn を獲得したが、Brian Marcar球団社長が今度は元アーセナルのスター選手でイングランド代表主将としてフランスワールドカップに4試合全てフル出場したTony Adams を獲得と発表した。アダムスのデビューは4月22日が予定されており、たった1試合だけ限定?復活のNiall Quinn と異なりシーズン終了まで何試合がプレーするらしい。しかし Quinn がたった一試合の復活なんて今知った。もっとプレーをするのかと期待していたのに。3月下旬から4月の東南アジアは気温、湿度も最高で欧州のしかも年をとった選手には相当堪えるとおもうのだが。 尚 Marcar 球団社長は二人の18歳以下のタイの選手をArsenal に留学させる予定とのことであった。またタイサッカー協会(FAT)は国王即位60年の記念行事の一環としてブラジル代表とワールドカップ以降に親善試合を予定していると発表した。
FAT 会長の (President )のVijitr Getkaew 氏は今後2年間のビジョンについて言及し、ブラジル戦は今年のアジア大会への強化試合の1つで、来年自国でも開催されるアジアカップへのチーム作りに一環と。両大会共にベスト4を目指す。 また同協会の専務理事 Worwi 氏は''2~3週間程前ドイツで行われたFIFAの会議でブラジルサッカー協会のRicardo Terra Teixeira 氏との会談でこの試合について話したところ概ね了解を得た“との事。ゲームはFIFA マッチデーに行われ6年前同様ほぼベストメンバーを派遣してもらえる事となったらしい。6年前、2000年バンコックで開催された第31回キングスカップで行われたブラジルとの試合では7-0 とブラジルが圧勝している。リバウドが2得点、他にもロナウジーニョが1得点挙げている。 このブラジル遠征だけどタクシン首相が退陣しても中止になりはしないか?セレソンを呼ぶのには金がかかる。他に誰が経費を一時的にでも負担できるのだろう?


最新の画像もっと見る

コメントを投稿