Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

東アジア選手権シリーズ 韓国側から見たベストゲーム??2

2005-08-07 | Football Asia
④やっぱり強かった韓国 
1991年7月27日 長崎 日韓定期戦  日本0-1韓国
対韓国戦4連敗中で3試合連続無得点。しかし、カズ、ラモスらが代表に加わり、6月に行われたキリンカップではタイ代表を破り、リネカー率いるトッテナムを 4-0 と粉砕し初優勝。これまでの代表とは違う次元のものを感じさせた。日本はこの試合に向けてパルチザンベオグラードと親善試合を2試合こなして臨んだであった。そしてプロリーグの発足も決まっていた。一方の韓国はメキシコ、イタリアのワールド杯に出場し、もう対日本戦にモチベーションも上がらない、しかもリーグ戦終了直後で出場辞退を申し出る選手もいたらしい。勝てるチャンスと誰もが思った。この試合は日本航空がスポンサーとなり東京-長崎間就航記念を名目に長崎で試合が行われ地元局以外はテレビ中継がされなかった。だが韓国はしたたかであった。昇り調子の日本をここでしっかり叩こうと崔淳鍋、曹敏国、具相範らを復帰させイタリアワールド杯メンバー中心で臨んで来た。そしてラモス、カズを徹底的に密着マークし決定機を作らせない。キリンカップでブレイクした北澤もやや遠慮気味。そして60分崔淳鍋からのクロスからの好機を最後は河錫舟が決めてそのまま手堅く逃げ切られた。期待されたが終わってみれば連敗も連続無得点記録も悪くなっただけでまた韓国に勝てなかったという失望感だけが残った。試合後韓国関係者は“我々に追いつくには100年かかる”と安堵の嘲笑を残して帰国した。だがこの試合以降、日本が生まれ変わることになる。


⑤韓国のラジオ放送局で聴いた五輪予選 
1980年3月22日 モスクワ五輪予選 マレーシアクアラルンプール 日本1-3韓国
当時のマスコミは五輪予選の事を誰も知らなかった。もちろんテレビ中継も無い。何とかその状況を知りたいと考えたのが夜のラジオ放送であった。試合は韓国のラジオ放送も聴ける日本時間の夜中に行われる。ならばその中継を聴こう。どちらが得点したかは判るであろうと。そしてその目論見は当たった。ラジオ中継は画像が無いのでアナウンサーも細かく、選手名を出して実況する。試合は日本のDFやGK瀬田の名前が良く出てきたので韓国が優勢と判った。フリーキック、スローイン等の用語は同じだ。日本は小見が今大会に選ばれ中盤に入りその小見が30分にPKを与えてそれを許丁茂が決めて先制を許す。後の報道によるとこの判定は微妙であったらしい。そして徐々に韓国は支配を広げ趙広来が2点を追加し 3-0 とする。日本は2月にハンガリーからウペシティードージャを招待し6合親善試合を行い、4得点を挙げた横山と碓井、永井といったベテランと組ませるが実況では名前が出てこない。試合終了直前にアナウンサーが“ゴールイン”と叫び直ぐに“キムラ、タカハラ”と日本選手をアナウンス。これは最後に高原が一矢報いたゴールであった。この予選の結果は新聞の片隅に小さく載せられるだけであったが、大会予選中はずっとこの放送のおかげでマレーシアが韓国を破るのも、日本がマレーシアと引分けたのも誰よりも早く知ることが出来た。当時の韓国は車範根がドイツに去った後であったが、李栄武、崔鍾徳、朴商寅ら選手がおり史上最強の花郎チームと呼ばれ、予選突破が期待されたが、苦手マレーシアの前に再び夢を断たれた。そしてマレーシアもソ連軍のアフガン侵略に反対する西側のモスクワ五輪ボイコット政策に同調し、モスクワ五輪を辞退した。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿