Mr.コンティのRising JAPAN

マスコミの書かない&書きそうもない!スポーツ界の雑学・裏話を、サッカーを中心にコメントを掲載していきます。

Aussie サポーターたちの憂鬱 Australia 1-3 Iraq

2007-07-15 | Asian Cup

今回のアジアカップ前、私はオーストラリアこそ優勝候補最右翼。Socceroos 達がどんなパフォーマンスを演じるかを非常に楽しみにしていた。しかし、7月8日のオマーンとの初戦をテレビで看て、彼らのチーム状態は昨年のワールトカップに遠く及ばない事態になっているのでは?との懸念が湧き上がった。それでも終了直前の Cahill のゴールで追いつくあたりまだまだワールトカップベスト16のチーム力はこれから上がって来るものと思っていたのだが...

この日もスタジアム入りした時は前半を20分近くが過ぎていた。仕事が終わってから競技場に向かうまでの自分の段取りの悪さ、要領の悪さには我ながら呆れてしまう。それでもこの日はホテルの前で拾ったタクシーの運転手は近道を知っており、競技場に到着したのは試合開始5分程度を過ぎたところ。運転手のおにぃちゃんに御礼とチップをはずみいざ競技場内へ…… しかし、今度はスタジアムは見えども入口が解らない。すると同じような境遇のオージー達が10人。何とか勘と前日の記憶を働かせ何とか前日チケットをピックアップした場所を見つけた。今度はこちらがオージー達に御礼を言われる番であった…..

着席しピッチ上の Socceroos に目を移すと、何だか動きが重そうだ。黄色のユニフォームに発汗量がよく目立つ。着席してピッチ上のフォーメーション確認をしようとした23分、イラクは右サイドでFKを得て、Ali Nashat がゴール前に放り込むと突っ込んできたイラクMF Al Sadwn Salih の動きに気を取られた GK Shcwarzer  が弾道から目を離してしまいゴールインを許してしまう。初戦のオマーン戦では終盤に好セーブを連発し Chaill の同点ゴールを呼んだのだが….. 周囲にいたオージーサポーター達は“シンジラレナ~イ”と言った表情。

そしてイラクのサポーター達は国旗を打ち振り大歓声をピッチに送る
それでも失点直後から
オーストラリアは同点を目指しての攻勢が続く。28分には Kewell Hussein Haider に倒され、29分には今度が Viduka Rehema Ali に倒されそれぞれFKを得る。FK Willksher が担当している。31分にはまたも得たFK Willksher が左に転がし、走り込んできた Viduka がショットを放つがポストの左に外れる。36分には Emerton が中央からドリブル突破、そして前線の Viduka へ。Viduka はイラクDFを背負いながら体を反転させシュートを放つがゴールネットに届かない。39分にはゴール前に上げられたロビングに Viduka がヘッドで狙うがその前にプッシングを取られた。
この日のオーストラリアの前線は Viduka のワントップに2列目が右から Bresciano, Holman そして Kewell の3人がならぶ。オマーン戦でスタメンだった MF Sterjovski に替り Holman が起用されたのはより攻撃的にと言う意図か?しかし攻撃陣の動きが今一つだ。この気温は昨年のワールトカップで経験済みだろうが、恐らく湿度が強烈に堪えているのではないだろうか?42分に Lukas Neil がイラク FW Kharef Younes に抜かれるところを倒してイエロー。警告覚悟で止めねば完全にKhalef に独走されると事であったが Neil はその直後にも再び Khalef を倒すと、カードは出ないが倒された Khalef Neil に詰めよりAjeel Mahdhi が加担する場面も。高温多湿の気象下にやや焦りが出てきたか?
44分には Wilksher から前線に上ったロビングを Viduka が頭で落とすがそのこぼれ球を拾った Kewell は上手くコントロール出来ずにシュートが撃てなかった。  Kewell もここまで得意のドリブルシュートがまだ見せられていない。 オーストラリアのボール支配率は恐らくイラクを上回っているかもそれないが、ラストパスが通らないなど最後の詰めが甘い。気温が下がって来ると調子もあがるいだろうか…… ?
後半に入ると、まず Holman に替えて Cahill が投入される。その効果があったのか?開始1分46秒に同点ゴールが生まれる。右サイドを Brett Emerton が疾走し中にクロスを入れると今度はViduka が頭で押し込みゴールネットを揺すった。これで Socceroos のエンジンがかかって来るだろうと思う中、48分には Viduka のヘッド、52分には Viduka のポストプレーから Cahill がシュートに持ち込んだり攻勢に転じる。しかしまたイラクが主導権を奪い返す。57分MF Tahir Haitham がミドルを放つが正面。そして60分、左からのスルーパスが Haider に通りそのまま撃たれたシュートは GK Shcwarzer を破りまたイラクがリードを。オーストラリアは同点にしてから14分後にまたリードを許す事に。その直後にも MF Nashat のボールキープから攻撃参加して来た DF Hussain Haider にフリーでシュートを撃たれるがこれはゴールを外してくれた。オーストラリアは中盤から前の動きが少なく、パスコースを容易に読まれるなどなかなかリズムが掴めない。
64分に Arnold 監督は Ajax Amsterdam のレギュラー Jason Culina を下げて昨シーズン A League 得点王、 Melbourne Victory Archie Thompson を投入した。攻撃の枚数を増やすと共に前線での運動量を上げるのが目的であろう。
投入直後に右サイドを Cahill からボールを受けた Thompson が突破しクロスを入れるがペナルティーエリア内には誰もいない。オーストラリアが両サイドを使いだすとカウンター攻撃中心だったイラクが中盤でボールが回る様になり、オーストラリアは後手に回り攻撃の糸口が掴めない。70分には Vidukaが頭で落とした所を Kewell が拾ってバイタルエリアに侵入を図るがイラクDFが二人掛りで Kewell を止め、そのままカウンターに転じ最後は Kisnorbo を振り切った Al Sadwn  が放ったシュートは Shcwarzer に“当たって”追加点を免れた。71分には Aloisi Kisnorbo に替って投入され MF Glerra DFラインに入る。 Cahill, Aloisi ,が投入されるのは昨年のワールトカップの日本戦を思い出す。だが大会前のシンガポール合宿では仕上がりが評価されていた Beachamp の出番がまだない。
オーストラリアは前線に Cahill, Kewell, Viduka, Thompson, Bresciano の5人が並んでイラクゴールを狙う。75分には Emerton のクロスを Chaill がポストプレーから、80分には Kewell が浮玉を上手くコントロールし送られたクロスでそれぞれ Aloisiがシュートを放つ。前線の選手を増やし攻撃に厚みを加えたいところだが、その分中盤が手薄になり、また交替出場の選手と最初から出ている選手との動きに差がありラストパスのタイミングがずれて、イラクPA前でボールを拾われるとそのままイラクのカウンター攻撃を容易にさせる。交替選手が投入されても結局はViduka のポストプレーと Kewellのドリブル頼みだ。84分にはKewell のドリブル突破から Thompson PA でボールをキープするが相手DFとの競り合いでファールを取られる。Karim Jasim 主審はバーレーン人。イラクに判定がやや甘く見えるのは同じ中東人の好か?
そして88分、試合を決定づける3点目が決められてしまった。 Neil のクリアーミスを拾った Ajeel Mahdi が持ち込んでPA外からミドルを放つとそれが Neil に当たりフリーの交替出場MF Muhamed Karrar の前にこぼれそのまま難なくゴールに流し込んだ。呆然とするGK のSchwarzer と DF Lukas Neil そしてAussie サポーター達。イラクサポーターの狂喜の雄叫びがこだまする。

ロスタイムは4分あったがもう Socceroos 達に挽回する気力は失せていた。最後は終了間際の選手交替でなかなかピッチの外に出ない Khalef Younes Lukas Neil が“早く出ろ”とばかりに押した行為にこの日2枚目のイエローカードが出されて退場。次のタイ戦も出場停止に。Neil ほどの選手がこう言う愚行をするとは..
そしてタイムアップ。Aussie サポーターは一斉にブーイング。これがワールトカップベスト16のチームなのだろうか? 控室に戻る前にオーストラリアから遠征して来たサポーター達に一通りの挨拶は行うが、その後の落胆の色は隠せない。


ワールトカップで効果的だったプレスもこの天候では空回りしたのか?結果論だがコンディショニングも問題無かったか?2試合を通じてThompson 以外はみな欧州組。激しい欧州でのリーグ戦を終え消耗も激しかっただろう。Mark Milligan や David Carney といった
A League 勢を使えないか?特に大会前左サイドバックのスタメン候補に挙げられた Sydney FC David Carney はまだ起用されていない。Kewell , Viduka の調子も昨年のワールトカップと比較すると….
Viduka は
コンディション、モチベーションそして基礎体力、すべて昨年よりは下回っているだろう。一度アジアカップ出場を辞退したのもそのせいか?
Kewell
の起用に就いては大会前、1次リーグでは調子を取り戻す為にフル出場はさせないようなコメントが Arnold 監督からあったのだが。
試合後“この結果には大変失望している。3つの個人的なミスが試合を台無しにした。先制されてから必死の思いで同点にしたが、その後2つのミスが命取りとなった。何人かの選手はここに来る事を望んでいない様であった。それが最大の失望だ。”とAroold監督がコメントしたとか。選手起用を含めて次の地元タイとの試合、中2日でどう立て直すのだろう。一方のイラク。初戦のタイ戦で出来が悪かった中心選手 Taher Hawar の起用を巡って物議を醸したが、ブラジル人の Vieria 監督はオーストラリア戦でもスタメンで起用。 Hawar は2点目を決めて期待に応えた。



アジアカップ予選は政情不安の為ホームゲームを全てヨルダンで行うハンディをこのタフな試合で生かした。アテネ五輪メンバーを中心にしたメンバー構成。元々アジアでもトップクラスの力を持っていたのでこの結果も以外とも思えない。
準々決勝では日本と当たるかもしれない。その時はあのドーハのリベンジを….. いやまずは次のヴェトナム戦に集中しよう….


ホスト国の進撃が続く Thailand 2-0 Oman

2007-07-14 | Asian Cup
“ここからスタジアムまでは歩いた方が早いです。” 
片言だけど日本語を話すタクシーの運転手は申し訳なさそうに私に言った。
街の中心街からタクシーに乗って既に50分近くが経過していた。タイの首都バンコックの交通渋滞は “ infamous “ だ。しかしその状況はさっぱり改善されなさそうだ。毎年この街に出入りする様になって6年目になる。個人の貧富の差は相変わらずなのだろうが日本と異なり景気の後退はそれ以来看られない。その好景気に伴い自動車の数は増加の一方でそれに対するインフラが確実に進んでいないのがはっきりと確認でした。
しかし、もとはと言えば私にも不注意があった。インターネット予約を入れておいたチケットを繁華街にある Central Chidrom の7階チケットセンターにピックアップしにいったのだが、カウンターの女の子は “あなたの予約は確かに入っています。しかしここでピックアアップ出来るのは10日前までです。競技場のチケットカウンターに直接行って下さい。”と丁寧に英語で説明を受けた。その上、競技場の地図までくれた。後でよくよく e-mail で送られてきたConfirmation を見ると、文面の前半はタイ語で書かれており意味不明なので読み過ごしてしまったが下の方に英語で そう書いてあった。見落とした俺のミスか…….
すぐに下に降りてタクシーに飛びのる。ホテルの受付で書いて貰ったタイ語の競技場名を見せると拾ったタクシーの運転手は日本語を独学で勉強しているとか。 “5時20分には間に合わないかもしれません。”と親切に教えてくれた。車中は色々運転手と話がはずむが、車は渋滞に巻き込まれ遅々として進まなかった…..
Rajamangala Stadium 付近にたどり着いたのは試合開始数分前。そこからタクシーを降り、競技場迄歩く事に。すると試合前の国家演奏が漏れ聞こえてきた。そして合唱の声も。もう少し音量が大きくてもいいと思うのだけど。 タクシーを降りたところから競技場迄は本当に5分も無かった。しかし、チケットのピックアップに手間取り結局着席した時は前半30分近くになっていた。 
ここ Rajamangala Stadium は 1998年のアジア大会のメイン会場。マラソンの高橋尚子が驚異的な記録で優勝を果たし、100mでは伊東浩二が 10秒00 のアジア記録を樹立した。この伊東の記録は人類学的にずば抜けた記録で黒人選手を除くと世界最高の記録で、欧州の白人選手でも出した事がない大記録だ。従って陸上競技用のトラックは完備されている。サッカー経験者はこれほど邪魔なものはないらしいが、陸上競技経験者の私としてはこのトラックを見ると何となく感傷に浸ってしまう。だが昨日訪れたインドネシア、ジャカルタの Gelora Bung Karno Stadium よりかは格段に見やすい。あそこはトラックの周りにさらに壕がある上、スタンドの傾斜が緩やか過ぎて本当に見通しが悪かった。 


試合はまだ両チーム無得点のまま、だがここも電光掲示板にはスタメンが出ていなかった。 観客の入りはまだ半分強と言ったところ。でもまだ続々と入場してくる人々が。観客の多くはタイの王族の色でもある黄色のシャツを着ている。しかしこの日のタイ代表のユニフォームは濃紺の上下。着席した時はタイが攻勢に出ていた。
MF Thongla Datsakorn, Sripan Tawan, そして 2トップのKiatisuk ZICO Senamuang と Suksomkit Sutee によくボールが渡りさらに大歓声が後押しをする。これこそホームの強みだろう。特に Kiatisak は前線でボールキープが出来てオマーンDF陣にも当たり負けしない。注目の22歳の FW Teeratep Winothai はこの日もベンチスタート。 Kiatisak との共演は見られるか?35分にスルーパスに Kiatisuk が抜けるところを引き倒され良い位置でのFK。この FK は一旦オマーンの壁に当たるがこぼれ球をThongkao が拾って前線のSuksomkit に繋ぎそのままドリブルシュートを放つがGK Ali Al Habsi の正面。この Ali は 2003年から3シーズンNorway の FC Lyn でプレーし2006年1月に Bolton Wanderers に移籍、まだ Premier デビューは果たしていないものの、かつての Arab Keeper of the Year そして2004年のノルウェーの Keeper of the Year を受賞。 日本戦でもワールトカップ予選で中村俊輔のPKをストップしている。 
すると今度はその Ali から送られたボールが速攻で繋がり最後は FW Bairdoorween が撃つがそのシュートは不発に終わり大サポーターの安堵の溜息が。43分再び Thongalo が前線へスルー。それに反応したKiatisak がフリーで抜けようかと言うところをオマーン DF Al Wahabi Juma が引き倒してイエローカード。既にこの試合4枚目の警告だった。観客からは大ブーイング。その直後に今度は仕返しにとばかりにタイペナルティエリア付近で Saiwaeo が オマーンの Al Hosni Amad を引き倒すがこれにはノーホイッスル。この日の主審は韓国の Lee Gi Young 氏。そして前半最大のチャンスがタイに訪れる。スルーパスに抜け出た Therdsak Chaiman がフリーで撃つがサイドネットを直撃。そのままダイレクトで撃ったが、もうワンタッチ入れても良かったか….. 結局両者無得点のまま前半が終わった。控室に戻る選手達に声援が飛ぶ。私も Kiatisak に “ ZICO !!! “ と叫ぶとこちらを向いてくれて小さく手を振ってくれた。

後半が始まるが共に選手交代はなし。そしてフォーメーション等を確認する。
タイのDFは右から Sukha Suree, Siriwong Niweat, Saiweo Katprawut, Phanrit Nataporn の4バック。初戦のイラク戦ではDF Jitsawad がスタメンであったが、この日は Saiwaiko Kiatprawut が起用。一方のオマーンは一方のオマーンは初戦のオーストラリア戦で途中出場ながら何度もオーストラリアゴールを襲った Bait Doorbeen をスタメンで使ってきた。 
タイは得意のショートパスをよく使って来る。そしてオマーンの最終ラインが前に出て来ると、大きく最前線の Kiatisak にボールを出し、背後を効果的に突く。しかし、その一方でタイのDFはどうもマークがあまい。前半終了間際には Bador Al Maimani からクロスが入るがタイGK Hathairattanalkool がキャッチ。中にいた Amad Al Hosni に付いていた Siriwong はマークが甘く、もし Amad にボールが飛んでいたらピンチだった。 オマーン攻撃陣は攻撃 Al Honsi Amad がワントッップ、2列目は右にAl Maimani Badar, 左にAl Ajmi Ismail その後ろに Al Maimani Bader を配し4人でダイヤモンド型の布陣を形成し、その後ろに3人が並ぶ。攻撃に転ずる時はその3人が加担し素早く前線にボールが運ばれるが、最前線の選手達はボールを持たない時の動きに乏しく、ボールを足元で受けるのでタイDF陣の網に掛ってしまう。それでもマークが甘いのだけど….
48分、タイは左から大きく逆サイドの Kiatisak にボールが渡りそいのまま前線に持ち込み中に折り返すとそこに走り込んだ Sripan がダイレクトで撃つが大きくクロスバーを越えてしまう。 ZICO そのまま撃っても良かったのでは..
52分今度はオマーンが右からBadar が上げたクロスをMF Ahmed が撃つがゴールを外れる。この後もオマーンの波状攻撃が何度か続くがシュートミスとタイGK Hathairatanakool のセーブに救われる。タイDF陣はマークが甘い。それでもタイは攻撃に転じると2トップが動きながらボールを受けるのでチャンスが生まれる。オマーンFW陣がこういう風に動けばもっと優位に試合は進んだだろうに。この試合中は晴れていたが気温は思ったほど上がらず、ピッチは日陰になっていたのでさほど苦しいコンディションとも思えなかったのだが。タイは Sripan Tawan のスルーパスから次々にチャンスが生まれる。Kiatisak のドリブルも効果的だが、全盛期の様な切れは今……. それでも人気者の彼にボールが渡ると大歓声が沸き起こる。タイの Chanvit 監督は59分に Therdsak に替えて Thonkanya Pipat を投入し左のトップに入れて Kiatisakと2トップを組ませる。そして Sukosmkit は2列目に下がる。66分にはオマーンがFKから最後は FAWZI が頭で触りワンバウンドしたシュートはゴールポストを直撃。タイの大サポーターは胸をなでおろす。そして67分には Kiatisak ZICO を下げて若手有望FWの Therratep Winothai を入れる。ピッチに入る若い Winothai への期待とベンチに下がるベテランZICO の労いの大歓声が送られる。Kiatisak も拍手をして観客に応え、ベンチ前では Chanvit 監督と抱擁を交わす。
そして70分、地元サポーター待望の先制ゴールが決まる。右サイド、またも Sripan のスルーがWinothai に通り相手DFを振り切る前にクロスを上げると走り込んだ Thonkanya がそのままダイレクトでオマーンゴールにけり込んだ。名GK Al Habsi も成す術がなかった。大歓声がスタジアムに沸き起こる。スタジアムの入りはもう7割近くになっていた。 みなが Thailand, Thailand と連呼する。Chanvit 監督の交替策が当たった。74分には FW Suksomkit が下がり Nutnum Suchao が入りFWを入れ替える。Nutonum は今年初めの ASEAN CUP 5試合にフル出場した24歳の選手。次々に若手が投入される。これでタイの2トップは右に Thonkanya 左に Winothai が入る。これからしばらくこの二人が代表のFWを担うのか?リードされているオマーンのカルデロン監督はまだ交替カードを切っていないけどどうするのだろう。75分オマーンに同点のチャンスが、左から Fawzi が入れたクロスをタイの Saiwaeo がかぶってしまい、ゴール前10m程の至近距離にいた Ismail に。しかし、 Ismail はその絶好機を空振りしてしまった。恐らく突然ボールが来て反応が遅れたのだろう。76分には Badar がボレーを放つが GK Hathairattanakool がセーブ。しかしタイDF陣は相変わらず簡単にシュートを撃たせる。川口なら怒っているのでは….. しかし、78分タイに追加点が決まる。中盤の空中戦で Sripan が相手DF陣二人と競り合いながらも競り勝ち前線に落すとそこには Thonkanya が,そのままドリブルで持ち込みオマーンGK Al Habsi を破ってこの日2点目。観客席はまさに狂喜乱舞。ピッチのイレブンもベンチも抱き合って大喜び、落ち着いていたのは Chanvit 監督だけか?
一方のオマーンベンチは動きが無い。交替策は講じるのだろうか? こうなればゲームはリードしているタイが一方的に押す展開に。2トップの Thonkanya, Winthai が生き生きとボールにからむ。オマーンは時折ドリブルを見せる Ahmed 以外チャンスの兆しが見えない。そしてボールが繋がらなくなり次第に焦りが。Ahmed がタイ DF Sukha を突き飛ばす。イエローが出てもおかしくなかったが。終了間際に Al Gheilani が入れたところを GK Hathairarranakool が果敢に飛び出してキャッチ。しかし背中から着地し少し痛む。でもタイDF陣ももう少しマークを厳しくしないと次のオーストラリア戦は簡単にはいかないであろう。結局ロスタイム4分を含めてオマーンは選手交代もこれ以上の抵抗も見せられず、タイムアップの時を迎えた。
スタジアムは狂喜乱舞と言うよりも静かな歓声が湧き上がる。 まだベスト8が決まったわけではないからか…. ヴェトナム、インドネシアに次いで開催国が勝利を挙げた事になるがタイがアジアカップで勝利を収めたのは1972年大会以来だがこの時は地区予選での勝利はあったが地元で開催された本大会での勝利は無く、事実上本大会での初勝利である。タイはホームゲームは滅法強いと言われているが、それでも最近のワールトカップ予選や五輪予選ではホームゲームでの勝てない試合があった。次節オーストラリア戦はどんな試合展開を見せてくれるのだろう?
そして優勝候補のオーストラリアはいよいよ次のイラク戦は負けられなくなって来た……..

Asian Cup 開幕 ホスト国の横顔 サワディカップ 微笑の国

2007-07-10 | Asian Cup
アジアのサッカーの祭典、Asian Cup 2007がついに開幕した。日本は終了間際の失点で勝利を逃したが、今回は開催国の健闘が早速注目され、今後のグループリーグの戦いが非常に楽しみだ。

私が初めてタイの首都バンコックを訪れたのは1999年。2年前に東南アジアを襲った通貨危機から2年後であった。
街中で工事中の建物をいくつも見たが、現地の人にそれらはもう何か月もそのままになっており通貨危機の影響で予算が付かずに工事途中になっているものと教えて貰った。そして2度目に訪れた2002年4月。地獄の4月と言われる高温多湿のバンコックではあったが経済は回復に向かっており、一般消費が進み好景気が始まろうとしていた。それから毎年ここを訪れているが今でも景気自身は悪くなさそうだ。
ASEAN 諸国の中でのサッカーの勢力図は1970年代はマレーシアが最も強い時期であったが1990年代に入るとタイが他国を圧倒し始めた。 South East Asian Games では2005年まで7度の優勝、そして ASEAN を越えた大会では1990年 、1998年そして2002年のアジア大会ではべスト4。アジアカップは1992年大会から4大会連続出場中だ。しかし、アジアの壁を破って世界の大会に進出したのは 1956年メルボルン五輪(1回戦で英国に 0-9 ) と1968年メキシコ五輪 (1次リーグで敗退。0-7 ブルガリア 1-4 グアテマラ、0-8 ブルガリア)くらいで、U-17 が1997年と1999年大会にアジア代表で出場しているがいずれも3連敗で大会を後にしている。
2004年に始まったワールトカップ予選も 1次予選で U.A.E. 北朝鮮と同組になり、良いところ無く敗退し当時のタクシン首相から“スピリットが感じられない。”と酷評された。そして同年行われた ASEAN CUP では決勝に進めず大会3連覇を逃してしまった。
現在の代表監督は2005年5月からタイ人の Chanvit 氏が務めているが、最近は監督の座になんとか落ち着いて座っているようには見えるが、だが世論の Chanvit 下しは聞こえてこない。むしろ批判の矛先は選手に集中している。それはこの国のサッカーのシステムにある。東南アジア諸国では抜群の強さをみせながら、自国のリーグはセミプロで優秀な選手達はシンガポールやヴェトナムの“プロリーグ”に移っていく。そして代表チームに招集されても定められた日に集まってこない選手が少なくない。
更にヴェトナムでは外国人選手(特にタイが多いけど)と地元の選手との待遇に差がありすぎて様々な問題も起きている。例えば八百長に関与するとか….
それに Chanvit 監督以前は 1966年ワールトカップ準優勝のメンバーでもあったドイツ人のSiegfried Held 氏が務めたが言葉や独特のタイ人気質のギャップがありチームとのコミュニケーションが満足にとれなかったり、2004年1月から16ヶ月間で4人の監督が交代しようやく Chanvit 氏に落ち着いた。 Siegfried Held
まず Chanvit 監督はこれまでのしがらみに捉われずに若手、ヴェテランにこだわらないチーム作りを始めた。結果的に 1997, 1999 年のFIFA U-17 大会に出場した36人の選手でこのアジアカップに選ばれたのはわずか3人。Teerathep Winothai, Udorn Pimpak, Choechiu Pichitpong 。他の選手達はどうしてしまったのだろう?
就任7か月後の South East Asian Games では U-23 チームを率いて難なく大会7連覇を収める。
そしてかつての英雄、地元では史上ピヤポン=プオンに次ぐスーパースター Kiatisak Senamuang が昨年末に開催された King’s Cup で代表に復帰、代表チームも6年振りの優勝を果たした。2004年にワールトカップ予選1次予選敗退して以来の代表復帰だけどその前も何年か代表を離れていた。今年8月で34歳になるベテラン、スーパースター。かつてはEngland の Hudders Field Town でプレーし、マレーシアやシンガポールのクラブチームを渡り歩いた。私がよくバンコックを行き来し始めたのが2002年。その時はヴェトナムの Hoang Anh Jia Laiの中心選手として活躍中だったが、地元マスコミからは“何故タイの英雄はもっと上を目指さないのか?”と言われていた。Hoang Anh Jia Lai 時代には ACL のゲームで来日した事もある。昨シーズンからタイのBEC Tero Sasana でプレーをしていたが今は所属先がまだ決まっていない。
また2003年Asia Champions League の最優秀選手で所属チーム BEC Tero Sasana を準優勝に導いた Therdsak Chaiman も代表に復帰させ、若い選手達との融合をはかった。 現在Therdsak はシンガポール・リーグの Singapore Armed Force FC に所属するが、一度アルビレックス・シンガポールとの試合を観戦し一目で他の選手よりもレベルが一つ上と解るプレーを披露した。
2007年に入ると ASEAN CUP ではシンガポールの後塵を拝し、シンガポールの大会2連破を許しこの直後にヴェトナムリーグのDong Thapとの契約締結ニュースが報じられ彼自身も“プロのコーチとしてこれまでのキャリアーを試したい”とコメントを残した。彼は代表監督とは言えそれ自身が Part Timer で政府の役人が本業であった。しかし最終的締結には至らなかった。それはヴェトナムに移住するに際して本業の政府の役人業も廃業せなばならずその分の補償金、数百万バーツ(1バーツが約3.5円)を求めたのに対し Dong Thap 側が応じなかった為。既に後任監督にThongsuk Sampahangsit コーチを昇格させる事を決定していたが Chanvit 監督続投を決め Sampahangsit はヘッドコーチ職に戻る事となった。
Asian Cup に向けてのチーム完成、仕上げの時期を迎え、開催国としてこのアジアカップに賭ける掛ける意気込みは協会の準備した親善試合を見てもよくわかる。5月16日には中国 ( 1-0 ) 6月6日にはオランダ ( 1-3 ) そして6月30日にカタール ( 2-0 : ただし7月30日に行われたこの試合は前半終了時 1-1 の後豪雨の為7月2日に再試合となった。)

5月16日 Thailand 1-0 China

GK1李雷雷、DF12曹陽、13徐云龍、4張耀坤、21矯(86・3張帥) MF5閻嵩(46・17蒿俊閔)、15肇俊哲、8李鉄(46・27姜坤)、7曲波 FW9李金羽(76・16季銘義)、19韓鵬(70・28王棟)

Kosin Hathairattanakool, Jetsada Jitsawad, Niweat Siriwong, Nattaporn Phanrit, Suree Sukha, Jakkrit Bunkhum, Suchao Nutnum, Tawan Sripan, Therdsak Chaiman, Manit Noyvech Pipat Tonkanya.

得点者 44 分Pipat Tonkanya.

対戦相手の中国は董方卓、鄭智といった選手は不在であったがそれでも李鉄や李金羽らは先発出場していた。これまで17年間勝てなかった中国に勝った事でタイは自信を持った様だ。

6月6日 Thailand 1-3 Holland
Thailand
GK : Kosin Hathairattanakool DF Suree Sukha, Niweat Siriwong, Nattaporn Phanrit Jetjada Jitsawad MF Jakkrit Bunkham, Suchao Nutnum, Nirut Surasiang Tawan Sripan  FW: Sarayud Chaikamdee and Pipat Tonkanya

Holland
GKr: Henk Timmer DF : Tim de Cler, John Heitinga, Joris Mathijsen and Mario Melchiot  MF: Denny Landzaat, Wesley Sneijder and Demy de Zeeuw FW Dirk Kuyt, Andwele Slory and Rafael van der Vaart.

得点者:19分 Van der Vaart 44分 Heitinga 56分 Jan Vennegoor of Hesselink 65分 Tawan Sripon

オランダ代表は6月2日に韓国遠征( 2-0 でオランダの勝利 )を経て帰途に就く途中 バンコックに寄りタイ代表と試合を行った。2005年にもドイツ代表が日本遠征の次にタイに立ち寄った事があるがその時は 1-5 で敗れている。今回はいくらか健闘を見せたが、それでもドイツ、オランダ相手に1点は取るのだから…. それは試合展開によるものかはわからないが。
この試合の殊勲者は GK のKosin Hathairattanakool 。彼が先制ゴールを喫した後のオランダの猛攻を耐え凌ぎゲームを作った。
Chanvit 監督は立ち上がり、“オランダ代表”相手に足がすくみその中で先制ゴールを許した事と 1-3 としてから Suchao Nutnum のシュートがGK Timmer にセーブされた事を悔やんだが、全体的にこの“スーパープロ”を相手にここまでやれた事を肯定的に受け止めた。

そして代表は6月7日から25日までの日程でドイツ合宿に向かった。この時期になぜわざわざ“涼しい”ドイツに出掛ける必要があったのだろう? 監督曰く“地元の喧噪や雑音から離れたかった為”らしい。そのドイツ・キャンプでは4部のBorussia Fulda アマチュアチームのTSV Lennarts そしてEintracht Frankfurt U-21 と練習試合を行ったが成果はどうであったかわからないが “もう少し強いところと練習試合を組みたかった。” との事であった。
そして帰国後の7月2日にカタールを 2-0 で破った翌日の7月3日、最終テストになる “紅白戦”を行った。この紅白戦にはTherdsak Chaiman, Tawan Sripan, Nirut SurasiangそしてDatsakorn Thonglaoは休ませたがその4人はほぼ代表入りが決まっているメンバー。 Thephastdin 競技場で行われた紅白戦のメンバーは下記の通り。.

THAILAND A
Veera Kerdputsa, Patipan Petchpool, Kiatprawut Saiwaew, Apichate Puttan, Nattapong Samana, Suchao Nutnum, Jakkrit Bunkham, Pichitpong Cheuichiew, Teerasil Dangda, Kiatisak Senamuang、Teerathep Winothai

THAILAND B
Narit Taweekul, Kosin Hathairattanakool, Prat Samakrat, Niweat Siriwong, Kraikiat Beadtaku, Suree Sukha, Hattaporn Suwan, Narongchai Vachiraban, Pipat Tonkanya, Sarayud Chaikamdee、Kwanchai Phuangprakob

AチームはレギュラーでBチームは当落線上の選手構成と言ったところか?
しかしゲームは BチームKosin Hathairattanakool が先制する。19歳のストライカーTeerasil Dangda, のゴールで A チームが追い付くとB チームは Sarayud Chaikamdee のPKを含む連続ゴールで 3-1 とするが最後は地力に勝るAチームがTeerasil Dangda, Jakkrit Bunkham そしてTeerathep Winothai の連続得点で4-3 の勝利を収めた。試合後Chanvit Phalajivin 監督はKraikiat Beadtaku, Narongchai Vachiraban, Sarayud Chaikamdee そして Kwanchai Phuangprakob の4人をアジアカップメンバーから外す事を発表。Chaikamdee のメンバー落ちは既に数日前に示唆されていたが、最後の紅白戦で2ゴールを挙げたのだが…. 2003年にヴェトナムで行われた South East Asian Games の決勝戦、地元ヴェトナム相手に延長Vゴールを決めた殊勲者だったが。

そしてアジアカップの23人のメンバーが決まったのは期限ぎりぎりの大会前日の7月6日。
まず注目の選手は22歳の Teeratep Winothai 。1999年の FIFA U-17 New Zealand 大会ではわずか14歳でメンバー入りをしている。そして現在はタイ協会のプログラムにより1999年から4年間 England の Crystal Palace に在籍し、現在はタイの BEC Tero Sasanaに所属するがこのアジアカップでは対戦するオーストラリアに存在感を示し A-League 入りするのが目標らしい。そしてMFの要、ヴェトナのホン・アン・ジア・ライに所属する Datsakorn Thonglao。ヴェテランのTherdsak Chaiman 、Kiatisuk Senamuangらも代表入りを果たした。

7月7日、雨の中タイはイラク相手に 1-1 で引き分け発進を果たした。スタメンには Kiatisuk も名を連ねた。
Asian Cup 初登場の Kiatisuk は72分で退いたが次のオマーン戦はどうなるのだろう?
この試合は深夜にNHK BS で放映されたのでまだ詳しくは観ていない。後半もう少し決定力があれば勝利も可能であったが、雨が無ければもっと熱狂的な応援がチームを後押ししただろう。だが雨の試合はイラク選手の方に不利に働いたと思う。そしてオランダ戦で好セーブを連発した GK の Kosin Hathairattanakoolはこの日の前半も存在を見せ付け、勝ち点に大いに貢献した。
翌日オーストラリアがオマーンに引き分けた事によりこのグループの次の試合が非常に楽しみとなって来た。

そして私は開幕戦の翌朝に日本を離れ今はシンガポールです…..

Asian Cup に臨む列強達 韓国47年ぶりタイトルなるか

2007-07-07 | Asian Cup

2002年ワールトカップカップでベスト4、ワールトカップは6大会連続出場を含む7回の出場。オリンピックではこれまで通算7回出場しており5大会連続出場中だ。 U-20 も連続で世界の大会に進んでおり韓国はまさにアジアサッカー界の盟主と言っても過言でないと思う。
だがアジアサッカー界の七不思議?と言っていいのが(他の6つは何や?)韓国のアジアカップでの戦績。優勝2回の実績はあるものの、それは1956年(第1回)と次の大会の2連覇のみ。けちをつけるわけではないが、第一回大会の参加国は8カ国(韓国、イスラエル、香港、南ヴェトナム、マレーシア、カンボジア、台湾、フィリピン ) 第二回は予選でアジアを3つのゾーンに分け西地区にインド、パキスタン、イラン、イスラエル。中地区にシンガポール、南ヴェトナム、マレーシア。そして東地区にフィリピン、香港、台湾が組み分けられ各ゾーンの1位3カ国(イスラエル、南ヴェトナム、台湾)が決勝大会の開催された韓国に集った。そして地元韓国が3戦全勝( 5-1 南ヴェトナム、イスラエル 3-0, 台湾 1-0 ) で連覇を飾った。
しかし、第三回は地元開催で優勝に燃えるイスラエルにリベンジを果たされ第4回からイランが本格的に参加し80年代に入り中東勢が台頭するとアジアカップのタイトルは遠ざかるばかり。1960年代からの韓国は日本には対等以上の勝負をするがただそれだけであった。五輪、ワールトカップでアジアの壁を越えたのは1964年の東京五輪くらいでプロリーグが設立され中東勢に対抗し得る実力が備わり始めた1986年のワールトカップメキシコ大会出場まで韓国でさえアジアの壁は破れなかった。
しかしそれ以降はワールトカップ予選、五輪予選ではアジア勢には強さを見せつけてきた。だが相変わらずアジアカップのタイトルとは無縁だ。1988年カタール大会では決勝まで進みサウジアラビアにPK戦で敗れ通算3度目の優勝はならなかった。この時の大会MVPは金鋳城。しかし続く広島大会は予選でフル代表を送らずタイに 2-1 で敗れ本大会出場ならず、以降1996年準々決勝 2-6 イラン, 2000年 1-2 サウジアラビア, そして前回は準々決勝でイランに 4-3 で破れ優勝には手が届かない。サウジアラビアとは今大会の1次リーグで同じ組。イランとは前回同様準々決勝で当たるかも知れ無い。その間日本はアジアカップで3回優勝しているが、“それは韓国との直接対決が無いから”とは韓国人サポーターのコメントだ。
今大会こそ47年振りのタイトル奪還を、との国民の願いは強い様だが大会前に朴智星 ( Manchester United ) 、李栄杓 ( Tottenham Hotspurs ) そして薛鉉 ( Reading ) ら欧州組は怪我による出場辞退。そして金南一の怪我による直前離脱。特に金南一の離脱はファーベック監督にとってはショックの様だった。

2002年、ヒディンク監督時代から韓国代表のコーチ業を続け、昨年のワールトカップ以降遂に代表監督のお鉢が回って来たファーベック監督は2002年以降代表選手の間で“欧州嗜好”が強まるのを感じ、“選手達はボールが回ってくると何かパフォーマンスを示さねばならない、と勘違いする。常に、6-0 で勝っている時のつもりでやれと言っているのだが。”と漏らしたことも。その欧州組に“チームワークの欠如”を監督に替って代弁し続けていいたのが金南一。彼の強いリーダーシップはかつての洪明甫を彷彿させ、監督も絶大な信頼を置いていただけに、ファーベック監督の心中は容易に察する事が出来る。だが欧州組みに対しても“彼らは批判の対象になった時もあったが私は常にフェアーに接したつもりだ。試合後に名指しで批判したり大声を上げた事もない。”とのこと。
アジアカップタイトルを狙うにしても上記4人は2002年ワールトカップからのメンバーであるだけにその穴埋めは容易ではないだろう。今大会のメンバーを見ると日本と異なり五輪予選組が結構メンバー入りしている。姜敏壽, 金珍圭,李根鎬、呉章銀ら五輪予選組メンバーだ。しかしこの意図はなんのだろう。欧州組等の穴埋めをするのであればリーザーブメンバーに留まっている朴主永、白智勳のワールトカップ組をメンバー入りさせるべきと思うのだけど…。今大会は昨年のワールトカップメンバーから8人が選ばれている。参考までに日本は10人。 Tottenham でも左サイドバックを務める李栄杓のポジションにはワールトカップ以降サンクトペテルスブルグでプレーする金東珍が、朴智星のトップ下のポジションには現在Kリーグでトップを走る城南一和の金斗がそれぞれ入りワントップには李東国が薛鉉に替って起用されるだろうが、この李東国には注目している。確か1998年のアジアユースの日本戦でもゴールを決め、2000年のアジアカップでは得点王その後の飛躍が期待され2001年にはBundesliga の Werder Bremen に移籍したがそれがいけなかったか調子を崩し、最後にワールトカップメンバーから外れ大会後の歓喜の輪に加われず、リベンジを果たすべき次のワールトカップドイツ大会では直前の怪我で離脱。軍隊に入隊し尚武でプレー、精神を鍛え次のワールトカップを目指すがその第一ステップがこのアジアカップだろう。前回のアジアカップでもチーム最高の4ゴールを挙げている。

 


昨シーズン Middlesbrough 入りした李東国は Mark Viduka の抜けた来期にレギュラーポジションを獲得できるか?

そしてもう一人の注目選手は李天秀。2列目の右サイドがポジションらしいが彼は持ち味の高速ドリブルでどこにも現れる。2002年大会では初戦から交替出場ばかりであったが準決勝のドイツ戦と3位決定戦のトルコ戦は先発フル出場。昨年のワールトカップでは初戦のトーゴ戦に同点のFKを決め、今年2月のギリシアとの親善試合でもゴールを決め、このアジアカップは再び欧州進出の野望を成就させる大会としてると思う。 Fulham 入りを熱望しているらしいが….. そして高速ドリブルと言えば城南一和の崔成国。彼を2列目の左で使い、金斗そして李天秀と並べれば面白いと思うのだけど。今大会はこれまでKリーグで首位を行く城南一和から5人が選ばれている。ただ、2002年大会のレギュラーで Feyenoord でもプレーした栄鐘国の奮起も注目したいのだが。昨年のワールトカップでは初戦のトーゴ戦にはフル出場したが以降は起用されなかっただけに。
しかし埋まらないのは金南一のリーダーシップ。2002年大会で見せた韓国の強さは洪明甫の強烈な求心力もあったので、金南一の様な選手はタイトル奪還の為には必要だと思うのだか。参考までに今秋金南一はKBSのキムボミンアナウンサーと挙式との事。この国でも女子アナは......


大会に向けて大韓協会が日本と違うのは協力体制。ファーベック監督の強い要望が通り6月23日に日程か組まれていたKリーグは延期となりその日から代表は合宿に入れる事になった。6月29日のイラク戦は廉基勳、李天秀、李根鎬のゴールで 3-1。 7月5日は清水エスパルス曹宰榛の2ゴールで 2-1 でウズベキスタンを破り(李東国と2トップか?ワールトカップ同様曹宰榛のワントップか?)

仕上がりは順調な様だ。ヴェトナム入りしたが練習試合も出来ていない日本は本当に大丈夫か?今度こそこのアジアカップで日韓対決があるかもしれないが、その時は…..
尚うちの息子は2002年からファンになった安貞桓がメンバー入りしていないのが寂しいらしい。


もう30歳になり欧州行きをまだ諦めていないのか?でもKリーグででも活躍しないと今後の代表入りも難しいと息子に教えると、達也(田中達也)も安貞桓もいない大会はつまらない。と言われてしまった。両者の奮起を期待する。

それにしても車ドゥリはどうしてしまったのだろう?来シーズンは Bundesliga 2部の TuS Koblenz でプレーするとの事。昨シーズンは得意なポジションでなかっただけにFWを任される Koblenz では好成績をのこせるか?...

GK : 李雲在(水原Bluewings) Jung Sung-Ryong 鄭成龍(浦項スティーラーズ), Kim Young-dae金龍大(城南一和)

DF  Kang Min-Soo姜敏壽(全南 Dragons), Kim Chi-Gon金致坤( FC ソウル), Kim Chi-Woo金致佑(全南 Dragons), Kim-Dong Jin金東進 (Zenit St Petersburg), Kim-Jin Kyu金珍圭(全南 Dragons), Oh Beom-Seok 呉範錫(浦項 Steelers), Song Chong-Gug宋鐘国(水原 Bluewings)

MF  Kim Do-Heon金斗(城南一和), Kim Jung-Woo金正友 (名古屋グランパス8), Kim Sang-Sik  金相植(城南一和), Lee Ho 李浩(Zenit St Petersburg), Son Dae-Ho 孫大鍋 (城南一和) Oh Jang-Eun呉章銀(蔚山現代)

FW  曹宰榛 (清水エスパルス), Choi Sung-Kuk 崔成国(城南一和), Lee Chun-Soo李天秀 (蔚山現代), Lee Dong-Gook 李東國 (Middlesbrough), Lee Keun-Ho李根鍋(大邱 FC), Woo Sung-Yong 禹成用 (蔚山現代), Yeom Ki-Hun廉基勳(全北 Motors) .

リザーブメンバー: Kim Young-kwang金永光(蔚山現代)金昌洙(大田 Citizen), Yang Sang-Min 梁相(水原 Bluewings); , Baik Ji-Hoon 白智勳(水原 Bluewings); Park Chu-Young 朴主永(FC ソウル), Jung Jo-Gook 鄭ジョグク(FC ソウル).



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Kewell vs Nakamura

2007-07-04 | Asian Cup
Asian Cup 3大会連続優勝かそれをストップするのは…..
大会開催を約1週間後に控えた6月末頃からオーストラリアの新聞は Asian Cup ネタが尽きない。少なくとも日本よりかは大会に注目をしている様だ。そこに一際目を引く見出しが…. Oh joy – it’s Harry versus Nakamura 昨年のワールトカップの好成績によりオーストラリア大陸ではサッカー人気が急上昇中だ。その発火点が前年2005年の 新生 A- League の誕生、そして同年11月にはウルグアイをPK戦で降して劇的なワールトカップ出場を決めるとその初戦の日本戦では終了6分前に連続得点で逆転勝利(あぁ何で逃げ切れなかったんやろう….)そしてベスト16進出。オーストラリアでのサッカー選手の知名度もそれにつれて急上昇中だ。 Lukas Neil , Vince Grella そして Mark Viduka 。欧州でも名の知られる選手達が並ぶがやはり地元オーストラリアのサポーター達が最も注目するのが Harry Kewell だ。
Kewell がゴールを量産しオーストラリアにAsian Cup 初出場初優勝をもたらした上に Harry Kewell 自身が大会最優秀選手となることがオーストラリアサポーター達の描く最高のシナリオらしい。
しかしそれに待ったをかけそうなのが日本のシュンスケ=ナカムラ。 Kewell との大会でのヒーロー争いこそ Battle Royale ( 生死を賭けた戦い )となるであろうとのこと。昨シーズンのナカムラの活躍、 Scotland Premier League での最優秀選手賞、 Champions Cup での劇的なゴール、ナカムラ今季のスコットランドでの活躍は Asian Cup では充分なスーパースターとなる資質を兼ね備えている。そのナカムラを抑えて、1996年大会のあのオーストラリアのフランス行きを阻止した Khodadad Azizi, 2000年大会の名波そして2004年大会のナカムラに続いて大会MVPに輝く事を願っている様だ。
しかし、両者は少し異なるタイプと思う。俊輔はゲームメーカータイプで自らゴールを決める事も出来るがワンタッチで局面を変える事の出来るセンスをもっており、キューウェルはどちらかと言えばストライカータイプ。誰かに点を取らせると言うよりも自分一人で局面を打開しそのままシュートに持ち込める能力を持っているが、二人に共通するのは共に攻撃能力に優れている事。この二人を見る事は最高のフットボールを見る事になるらしい。サッカーは個人の戦いでは無いがこのこの両国が決勝戦で顔を合わせて、そこで日本が勝つ…と言うのが私の描く最高のシナリオなんだけど….

Rebuilt ... Harry Kewell sweats it out at training. 

また下記の様な見出しが

Japan worthy favourite

シンガポール合宿中のオーストラリア代表LUCAS NEILL とHarry Kewell が30日のシンガポール戦の前にオーストラリア紙のインタビューで日本は優勝候補にふさわしい、とコメントしている。 “我々は優勝候補では無い、強いチームの一つにすぎ無い。日本は明らかに優勝候補だ。なぜならアジアカップには経験があり、アジアでの戦いも熟知している。我々はそんなチームに挑戦する為にここにやって来たのだ。我々は異なったメンタリティーで大会に臨まねばならない。それはオーストラリアがここでは新参者だからだ。” Lukas Neil は淡々と語る。 “この大会に勝つ事は偉大な事だ。これは偉大な大会だ。ここにはいくつもの強国が集う、そして私はそういった相手とどう戦くかを知っているつもりだ。Asian Cup で勝つことはオーストラリアサッカー界にとって驚異的な出来事になる。しかし、まだ長い道程が残っている。次々に厳しい試合が続くだろうが、初戦に集中せねばならない。明らかに大会での勝利を述べるだろうが、我々はその最初の試合に集中せねばならない。日本を優勝候補に挙げる事は勇気づけられるが、日本でもオーストラリアを最も警戒しているのでは無いか?
7月2日、John Aloisi が合流し代表の23人が揃った。合流が遅くなった理由は彼が所属するのはスペインのAlaves でLiga Espanola は全日程が9日前に終わったばかりだった為。オーストラリアでは Aloisi は結構な英雄扱いされている。2005年11月のウルグアイとのプレーオフで最後のPKを決め、翌年のワールトカップでは日本戦でとどめの3点目を決めている。Asian Cup 後はオーストラリアに帰り Sydney FC でプレーする。今年11月にはベッカムが入団する Los Angels Galaxy がシドニーに遠征しSydney FC と親善試合を行う事が決まったらしい。昔の New York Cosmos みたいだなぁ……. これでいよいよ Socceroos は臨戦態勢に入って来た…… 大丈夫かオシムジャパン…

Asian Cup に向けて Socceroos シンガポールキャンプ打ち上げ

2007-07-03 | Asian Cup
6月20日シンガポール合宿に旅立った( Kewell ら一部の選手は翌日出発 )オーストラリア代表は6月30日シンガポールとの親善試合を行い 3-0 で完勝。その試合のメンバー等は下記の通り。

Singapore
Lionel Lewis (gk), Muhammad Ridhuan (Fazrul Nawaz 68'), Aide Iskandar (C) (Baihakki Khaizan 85'), Shi Jia Yi, Indra Sahdan (Ashrin Shariff 80'), Mustafic Fahrudin (Hariss Harun 57'), Daniel Bennett, Shahril Ishak, Noh Rahman (Hadfiz Osman 90'), Khairul Amri (Masrezwan Masturi 76'), Precious Emuejeraye

Australia
Mark Schwarzer (gk), Lucas Neill, Patrick Kisnorbo (Micheal Beauchamp 55'), Jason Culina, Brett Emerton, Luke Wilkshire (Michael Thwaite 87'), Mark Viduka (C) (Nahtan Burns 90'), Vince Grella, Brett Holman (Archie Thompson 69'), Mile Sterjovski (Nick Carle 77'), Marco Bresciano (Harry Kewell 62')

得点者: Mark Viduka 52', 89' Harry Kewell 77'

この日のシンガポール代表のプレーはさほど悪くは無かったらしい。確かにシンガポール入りして10日が経ち高温の中合宿を張り疲れがピークに達して来ているとは言えワールトカップベスト16のオーストラリア相手に前半は無失点で切り抜け時折攻撃に転じては40,000以上集まった観客を沸かせるシーンも。
後半は地力の差が出てワールトクラスを揃えるオーストラリアに3失点を喫したが、ゴールポストを2回叩くチャンスを作るなど両者の実力を考えれば健闘と言えるかもしれない。
出場辞退騒ぎのあったViduka、 昨年のワールトカップ以来の代表出場となった Kewell の得点は Arnold 監督を安心させたと思う。 特に出場時間が30分のみに限られた Kewell はロスタイムに入り Viduka がベンチに下がる際に監督自らキャプテンマークを Kewell に巻くように指示。この日の Kewell のパファーマンスに7月8日のオマーン戦でのスタメン出場の話も出て来たとか。しかしほぼ1年間実戦から遠ざかっていた Kewell の起用には Arnold 監督も慎重だ。その上バンコックの蒸し暑いコンディションを考えれば “スタメンは準々決勝以降”と言う当初の考えに帰結するのか?
しかし監督の新たな悩みはDF陣らしい。特にこの日 Lucas Neil と CB を組んだ Patrick Kinsbo の出来は散々であったらしい。Scott Chipperfield らがディフェンシブプレーヤーとして選出されているが、Stan Lazaridis, Tony Popovic, Danny Tiatto そして Tony Vidmar と相次ぐディフェンシブ選手の代表引退により代表クラスでの守備陣のタレントが不足している。実際のスコアこそ 3-0 であるが、“ 10-4 で終わってもおかしくなかった試合。”とは Arnold 監督のコメント。監督が気にするのはその4失点だ。
そこで Neil と組むCB コンビとしてクローズアップされたのが Kinsbo に替って途中出場した Michael Beauchamp だ。出場時間35分で充分に存在感をアピール出来たとの事。ワールトカップでは出場機会は無かったが、6月初めのウルグアイ戦でプレーした Kinsbo とは“ワールトカップメンバー”の違いを見せられたか?

この試合の翌日、7月1日、シンガポール代表とのゲームに出場しなかった Socceroos のメンバーはシンガポール U-23、Young Lions と70分間の練習試合を行い 0-0 で引き分けた。そのメンバーは下記の通り

Singapore U23
GK : Hassan Sunny , Ismail Yunos (Sevki Sha'ban 70), Isa Halim (Erwan Gunawan 36)(Shaiful Esah 49), Shariff Abdul Samat, Baihakki Khaizan, Hariss Harun (Ridhwan Jamaludin 56), Goh Swee Swee (Fazrul Nawaz 36), Hafiz Osman, Masrezwan Masturi (Tengku Mushadad 36), Ashrin Shariff (Shahril Alias 36), Juma’at Jantan

Australia
GK Bradley Jones (Michael Petkovic 36)- Nathan Burns, Michael Beauchamp, Archie Thompson , Bruce Djite, Mark Bridge, Michael Thwaite, Carl Valeri, Nick Carle, David Carney, Mark Miligan

Adelaide United 所属の19歳 Nathan Burns は代表のシンガポールに“練習生”として参加。試合後 Adelaide に戻った。しかし彼のパファーマンスは Asian Cup 後の Mark Viduka の後継者候補として Arnold 監督を大いに喜ばせた。
日本も2~3人の若い将来有望な選手を帯同させればその選手にとってとても良い経験となるだろうし、それが将来の代表の為になるのではと思うのだけど….
7月4日、オーストラリア代表一行はバンコック入りをする………..

Asian Cup に向けて 経済大国シンガポール

2007-07-01 | Asian Cup

Asian Cup の開幕を来週に控える中、シンガポールが大会出場国にとってなかなか便利な役割を果たしている。この地域では経済状態がダントツによく、インフラ、宿泊設備も先進国並みに揃い、練習施設まで不自由しない。はっきり言ってここでアジアカップを単独で開催しても良いくらい(1984年に開催されたけど)の立地条件。更に泣かせるのは6月24日から Singapore Invitation Tournament を開催し大会ホスト国と類似した気象条件で格好の“スパーリンク”の機会を施している。その日程は下記の通り。
24.June シンガポール vs 北朝鮮  2-1 でシンガポールの勝
27.June シンガポール vs サウジアラビア  2-1 でサウジアラビアの勝
28.June オマーン vs 北朝鮮 2-2 PK戦 4-3 でオマーンの勝
 1.July サウジアラビア vs オマーン 

上記の他にも6月27日にサウジアラビアがUAE とシンガポールで試合を行い 2-1 で勝利を収めているが、シンガポールで試合を行うサウジアラビアはレギュラークラスで無くむしろ代表入りへのサバイバルシリーズとなっているのか?サウジは北朝鮮とも試合を行う予定らしい。

シンガポールは FIFA ランク131位。2010年のワールトカップ出場を目指して Young Lions と呼ばれる U-23 世代を中心に強化プログラムを始めている。その効果は徐々に表れ始め、昨年末から開催された ASEAN Football Championships では決勝に進出。常勝タイを破り見事優勝を収めている。 ただTiger Cup と呼ばれていた前回 2004年大会でも決勝戦でインドネシアを破り1998年大会以来3大会振りの優勝を果たしタイの3連覇を阻止している。 そしてこの Invitation Tournament でもサウジには敗れたが北朝鮮には勝っている。今回、アジアカップ出場国との試合ではサウジアラビア(2軍主体だけど)に 1-3 で敗れたが北朝鮮には 2-1で勝利を収めている。そのメンバーは下記の通り。

シンガポール: Lionel Lewis, Noh Rahman (Hafiz Osman 78), Aide Iskandar (Baihakki Khaizan 21), Precious Emuejeraye, Daniel Bennett, Ridhuan Muhammad (Masrezwan Masturi 64), Mustafic Fahrudin, Shahril Ishak (Hariss Harun 62), Fazrul Nawaz (John Wilkinson 46), Agu Casmir (Ashrin Shariff 88), Indra Sahdan.

北朝鮮: Ri Myong Guk, Pak Chol Jin (Pak Yong Chol 39), Ri Kwang Chon, Jang Myong Il, Cha Jong Hyok (Kim Yu Chol 76), Jong Su Hyok, An Jong Ho, Ryang Myong Il (Ri Jun Il 63), Pak Nam Chol (Jon Chol 38 (Kim Kwang Hyok 59)), Kang Jin Hyok (Choe Chol Man 50), An Chol Hyok.

得点者:40分 Ridhuan Muhammad  57分 An Chol Hyok 74分 Indra Sahdan 


1997年東南アジアを襲った通貨危機でインドネシア、タイ程では無いが経済打撃を受けたシンガポール。しかし、2002年頃から経済回復が軌道に乗り今は好景気だ。その原因の一つとして日本でも村上ファンド事件で話題になった海外法人の誘致。法人税が20%(一律ではないけど)と安く(日本だと40%くらいだそうだ)ここに色々な意味で邦人を開設する企業が絶えないらしい。
昔からシンガポールは中継港、東南アジアの金融(というよりも両替事業)として栄えたが、最近は航空貨物のハブはバンコックに取られ気味、金融の方もキャッシュレスの時代。しかし時代の流れに逆らわず次々と国の存続をかけて新たな国策を練るのはさすがだ。反対に小国だから出来るのかもしれない。
シンガポールの国内サッカーリーグ、通称 Sリーグは 1996年に発足したがそれまではマレーシアの国内リーグに参加し、特に1994年にはナショナルA代表チームが同リーグ戦に参加して優勝したが、八百長疑惑が持たれた影響で1995年以後はマレーシアサッカーリーグに参加させない方針を決定。これをきっかけに自国のサッカーリーグ結成に動き、Jリーグをモデルに1996年に8チームでSリーグが開幕した。当初は2ステージ制で始まったが、翌1997年は10チームに拡大。通年制(1シーズン)に移行する。その後最大で12チームにまで膨れ上がったが、経営難からいくつかのチームが解散する窮地に立たされたことがあった。またナショナルチーム強化策の一環として2003年からはシンガポールの23歳以下ナショナルチーム Young Lionsを参加させたほか、中国系のチーム"シンチFC ( 2005年のシーズンを以て解散 ) そして2004年からは日系チームアルビレックス新潟シンガポールも加わった。また今シーズンから韓国人選手で創られた Korean Super REDS が加わり現在は12チームでリーグが構成されている。
シンガポールでもサッカーは人気ナンバーワンのスポーツ。しかし、それは England の Premiership を指すもので自国の S League となると

“日本人の貴方が何故興味を持つのですか?シンガポール人でさえ興味無いのに。それよりナカタ、ナカムラの話をしてよ。”と何度言われた事か…..

その状況も代表チームがアジアの大会で、またはU-23,U-20,U-17 いずれかの世代がアジアの壁を超えて世界の舞台に立てば劇的に変わるかもしれない。 6月30日、オーストラリア代表がシンガポール代表をアジアカップ前の“調整試合”を行った。この試合には45,000 人の観衆が集まったらしい。ワールトカップでベスト16に進んだオーストラリアくらいが相手ならこれくらい人が集まるのか….しかしその目的は自国の代表で無く Viduka や Kewell なのだろうか….. しかし、彼らの気持ちもわかる。それは70年代の我々の状況と同じだからだ。あの時日本がアジア王者に戴冠しワールトカップで連続出場を果たし、数人の日本人選手が欧州のクラブシーンに出て来る….誰もが願ったが実現するには何十年かかるだろう…. と思っていた時代。だが1980年代シンガポールにはアジアを代表する選手がいた。ファンディ=アーマドと言う攻撃的MFの選手でアヤックスにスカウトされ練習にも参加、しかし結局契約したのは同じ EREDIVISIES のフロニンヘン。UEFA CUP のバルセロナ戦で2ゴールを決めるなどシンガポールでは伝説の選手として知られる。日本代表とは1981年のシンガポール遠征、1982年のジャパンカップ(今のキリンカップ)そして1987年のソウル五輪予選の試合に出場している。再びアーマドの様な選手が現れるのはいつだろうか… 第二のアーマドが現れた時、シンガポールは脅威となるだろう….


Asian Cup に臨む列強達 インドネシアはサウジの準ホーム?

2007-07-01 | Asian Cup
1993年10月28日。日本中が“ドーハの悲劇”に涙した時サウジアラビアはイランとの死闘を 4-3 で凌ぎ悲願のワールトカップ初出場を決めた。もしこの試合、イランが引き分けておれば日本と韓国に出場権が転がり込んでくるところであった。この予選、サウジアラビアにとっての最大のターニングポイントは第三戦の韓国戦、試合終了間際のマダニの同点ゴール。この起死回生のゴールが無ければサウジのアメリカワールトカップ出場も無かった。韓国は第二戦のイラク戦でも終了4分前にジャファルの同点ゴールを許している。韓国がこのどちらかの試合を逃げ切ってくれれば…..(あぁいい加減過去を振り返るのはやめよう…….)
サウジアラビアのワールトカップ初出場までの道程を見るといかにその道が厳しく容易でないものかがわかる。彼らが最初に本格的にアジアの戦いに参戦したのが1984年のロス五輪予選でいきなりカタール、イラクと共に出場権を獲得してしまう。そして同年12月のシンガポールで開催された第7回アジアカップでもロス五輪の余勢をかって準決勝でイラン、決勝戦では中国を破りいきなり優勝を果たしてしまう。だが翌年から始まったワールトカップメキシコ大会予選では1回戦で UAEにあっさりと破れてしまった。(ホーム 0-0 アウェー 0-1 ) 。
1986年ソウルで開催されたアジア大会では決勝戦で韓国に 0-2 で敗れたが準優勝を収め、1988年カタールで開催されたアジアカップでは決勝戦の韓国戦をPK戦で降しリベンジを果たすと共に大会2連覇を飾る。しかし翌年シンガポールで開催されたワールトカップイタリア大会アジア地区最終予選では6か国中5位に終わりワールトカップには届かなかった。1990年北京でのアジア大会では日本を破りベスト8に進出したが準々決勝で北朝鮮に PK 戦の末に敗れた。
そして1992年サウジアラビアは新たな強敵の出現を見る。“日本”だった。広島で行われたアジア大会では大会3連覇を阻まれまさに日の出の勢いの日本の出現にアメリカワールトカップ進出が厳しくなると思われた。だがサウジアラビアはその事を事前に察知していたのかも知れない。1993年10月15日ドーハで相対したサウジアラビア代表のスタメンの中で前年広島での決勝戦に出場した選手は4人だけ。対する日本はアジアカップ決勝戦では出場停止中であったGK松永、そして怪我でプレーできなかった都波に替って三浦泰が左サイドバックに起用され中盤で北澤に替って森保一が起用された以外は同じメンバー。だがそれだけでなく、ドーハ組の中で広島でのアジア大会メンバーは8名しかいなかった。アジアカップのメンバーでは日本に勝てないと思ったのか、実はアジアカップのメンバーはダミーで本当の代表はドーハに派遣された22人だったのかは判らない。
1994年悲願のワールトカップ出場を果たしたサウジアラビアは第二戦でモロッコを 2-1 で破り北朝鮮以来28年振りアジア勢に勝利をもたらすと続くベルギー戦では伝説のオワイランの60mドリブルシュートで降し決勝トーナメントに進出を果たし、アジアにサウジアラビア有りと世界のサッカー界に名を轟かせる事に。
以降1996年アジアカップで8年振りの優勝を果たし、ワールトカップも3大会連続で出場を果たし西アジアの雄として地位を固める様に見えるがここしばらくその勢いに陰りが見え始めている。前回のアジアカップ中国大会では1次リーグでトゥルクメニスタン ( 2-2 ) ウズベキスタン ( 0-1 ) イラク ( 1-2 ) と戦いグループ4位に終わりベスト8進出ならなかった。これはこれまで参加したアジアカップでは必ず決勝戦に進出していたサウジにとって屈辱以外の何物でもなかった。そもそもワールトカップでの戦績もアメリカ大会以降も出場を果たした3大会では全て1次リーグ落ちで南アフリカ(98年 2-2 ) チュニジア ( 06年 2-2 ) 以外の7試合は2002年大会ではドイツに 0-8 と惨敗するなどすべて黒星どころかゴールが奪えない。フランス大会以降の連続出場もアジアからの出場枠が拡がった恩恵と言われているが、日本にもそれは当てはまるかも….
1989年サウジアラビアは Scotland で開催された FIFA U-17 で見事に優勝を果たしているがその時のメンバーでアメリカワールトカップ入りした選手は伝説のGK アルデアイエと MF のファド=アミンの二人のみであったが、同世代の1972-73年生まれの9人の選手がこの時のワールトカップメンバー入りした。しかしこの世代が順調にフル代表に次々に移行していく事は無かった。それがフル代表の強化につながらなかったのではないだろうか?

FIFA U-16 World Championship Scotland 1989

イスラムの戒律が厳しいサウジアラビアの選手は海外に出掛ける事自体が日本人が考えるよりほど容易でないらしい。しかもサッカー選手には各王族の酋長から潤沢なサラリーが支払われ、その酋長を満足させる為にワールトカップよりも Gulf Cup や所属先でのクラブチームの成功が優先される。代表で、ワールトカップカップで成功する必要も意味も無いのかもしれない。 2005年ドイツで開催された FIFA Confederations Cup を憶えている方も多いと思うが、元々この大会は 1992年に第1回がサウジアラビアで当時のファハド国王(2005年8月急逝)がアジアカップのタイトルを保持していたサウジアラビアと各大陸との王者をサウジアラビアで戦わせる為に企画したものでキングファハドカップと言う大会名であった。1995年に日本代表がサウジアラビアに遠征してこの大会に参加した事を御存知の方も多いだろう。大会は1999年から FIFA に移管され今の形式となっているが豊富な資金があればこう言う大会も企画できるのか…..
1998年、サウジアラビア協会は海外への移籍を解禁。2000年当時のサウジの中心選手 Sami Al Jaber に Wolverhampton からオファーが届いたがアル=ジャバーは国を離れなかった。(離れられなかったのかな??)アル=ジャバーは“サウジのクラブチームは選手達に与えられる権利を与えたがらない。もし将来の強化を考えれば選手達を海外に行かせるべきだ。”と語っている。確かに今のサウジの選手の数人は欧州のスカウトもリストアップしていると思うが。

その筆頭はFWのヤセル・アル・カフタニ。2005年に Al Quadisiya Khobar から約12億円の移籍金で名門アル・ヒラルに移って来た。昨年のワールトカップ、チュニジア戦でもゴールを決めている。も一人の2トップのFWサミ・アルジャベルもアル・ヒラル所属のFWでチュニジア戦でゴールを決めている。

Yasser Al Qahtani is fit for Wednesday's game
Yasser Al Qahtani is fit for Wednesday's game [World Sport Group]

FWのヤセル・アル・カフタニは2005年に Al Quadisiya Khobar から約12億円の移籍金で名門アル・ヒラルに移って来た。昨年のワールトカップ、チュニジア戦でもゴールを決めている。も一人の2トップのFWサミ・アルジャベルもアル・ヒラル所属のFWでチュニジア戦でゴールを決めている。

GKの Mabrouk Zaid はアジア屈指のキーパー。それまで伝説のGKアル・デアイエの陰に隠れていたが昨年のワールトカップではついにデアイエを押しのけ全試合サウジのゴールを守った名門アル・イテハード所属の28歳。その前にはDF陣を統率する アル・モンタシャリがいる。2004,2005年連続ACL王者、名門アル・イティハード所属の25歳。昨年のワールトカップそして前回のアジアカップにも出場している。2005年にはAFC Player of the Year に輝いたがそれは候補だったイランのカリミ、日本の中村俊輔が都合で表彰式に参加出来ない為だったとか?中盤の要、モハメド・ヌールもアル・イテハードの所属。昨年のワールトカップでは2列目の右に配置された。
そしてゲームメーカーはオマール・アム・ガムディ。アル・ヒラル所属の28歳でワールトカップメンバー。前線のアル・カフタニ、アル・シャンベルにスルーパスを配給し続ける。


今年1月UAEで Gulf Cup が開催された。1次リーグはバーレーンを破った後続くカタール戦はモハメド・アルシャルフーブのゴールで1-1の引き分けに終わる。アルシャルフーブはワールトカップメンバーでありながら出場機会がなかった。彼もアル・ヒラル所属の選手。グループリーグの最終戦、イラク戦ではアル・カフタニが決勝のPKを決めた。しかし準決勝では地元UAEに Esmail Mattar の終了直前のゴールで敗れている。アル・アリ所属のDF フセイン・アブドゥール・ガニの怪我による離脱が痛かったのかも知れない。そして Marcos Paqueta 元監督が解任され、ブラジル人の Helio Dos Anjos 新監督が就任したが、1次リーグで敗退したカタールはハンス・ピーター・ブリーゲル監督を解任(あのブリーゲルが….) ベスト4のイラクのアクラム・アーメッド・サルマン氏も大会後解任された。何て厳しいのだろう…
イスラムの戒律が厳しいサウジアラビアは1次リーグをインドネシアでGroup D 韓国(6月11日)インドネシア(6月14日)バーレーン(6月18日)と対戦をするが、インドネシアはイスラム教大国。サウジアラビアにとっては準ホームの様に戦えるか?でもジャカルタの雰囲気はそうでもないしなぁ…. しかし、この組はサウジと韓国が抜きんでている様な気がする。その両国はいきなり初戦であたるが以降の試合を考えリスクを冒さない戦いをするであろう。そして準々決勝の対戦相手、特にイランと当たりたくないであろうが、時差の関係上第3戦を終えてから Group C の試合が終わるので駆け引きが出来ない。

アジア大会が終われば何人かの選手は海外に移籍する….. のだろうか….

それにしてもアル・ヒラルの選手が多いなぁ。フロンターレがACL準決勝で当たるかもしれない。そのアル・ヒラルは今年初めからかつて鹿島アントラーズの監督であったトニーニョ=セレーゾ氏が指揮を執っていたが3か月で解任されてしまった。

Cerezo has lost his job as Al Hilal coach
Cerezo has lost his job as Al Hilal coach [World Sport Group]


 

解任人事はアラブ諸国では日常茶飯事らしい。うちの会社といっしょやなぁ....

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Asian Cup に臨む列強達 破壊力のイラン

2007-06-30 | Asian Cup
私が初めてワールトカップ予選を“見た”のはアルゼンチン大会予選であった1977年3月に東京で開催された日本対韓国戦だった。この試合のテレビ中継のハーフタイムにワールトカップの紹介がなされ、世界から16カ国が翌年アルゼンチンで開催されるワールトカップに出場が許され、既に開催国のアルゼンチン、前回優勝の西ドイツには出場権が与えられ、残る14の出場枠を世界中が大陸別に争い、アジア大陸からは僅かに1カ国の出場枠が与えられているだけと言う事を知った。そしてそれでも、欧州、南米のサッカー先進国は “アフリカやアジアになんで出場枠が1つ保証されるのか?” と不満を抱いている事も説明された。(この時の解説は岡野俊一郎氏であった。子供にも素人にも非常に解かり易い解説を瞬時にしかもいいタイミングで話されていた。)
そしてそのアルゼンチン大会のアジアからのたった1つの出場権を勝ち取ったのはイランであった。当時国を治めていたファーレビ王朝の絶大なる支援と豊富なオイルダラーをバックに1968年から1976年までアジアカップ3連覇と言う偉業を成し遂げ1974年地元開催のアジア大会での金メダル、そしてその集大成がワールトカップアルゼンチン大会予選であった。 1次予選でサウジアラビアを連破(ホーム 2-0 アウェー 3-0 ) シリアの対戦拒否、イラクの棄権で難なく最終予選に進出するとホームアンドアウェーで行われた最終予選を8試合6勝2分け得点12失点4の圧勝で終了し、悲願のワールトカップ出場を決めたのだが、圧巻だったのが同じ中東の強豪クウェート、前回ワールトカップ出場のオーストラリアをホーム、アウェーともに勝利を収め、韓国とは2分けに終わったが他を寄せ付けない強さであった。
その原動力はハッサン=ロウシャン、カブール=ヤハニといったアジアでは抜きんでた攻撃力。それは当時日本DF陣がどうしようもなかった韓国FW陣、車範根、金鎮国、李栄武、朴商寅らの上をいくものと当時の専門誌は表現しており彼らがワールトカップでどれだけやるのか楽しみであった。そしてオランダ ( 0-3 ) 、ペル― ( 1-4 ) には完敗し2次リーグには進めなかったがスコットランドと 1-1 で引き分け勝点1を記録した。大会後スコットランド戦で自殺点を“得点”したエスカンダリアンは New York Cosmos に移籍し来日も果たしている。
しかしワールトカップの翌年にイスラム革命が始まりファーレビ王朝が倒れ1980年にはイラン、イラク戦争が始まりイランサッカーは停滞期に入る。そんな中1982年のニューデリーアジア大会で日本がイランを 1-0 で破ってしまう。そのニュースを知った時私は“革命と戦争はどうなったのだろう?”と最初に思い次に“やった。アジアの強国イランに勝ったぞ”と嬉しく思った。そのアジア大会では日本は韓国も破りベスト8に進出。そして準々決勝でイラクに延長戦の末に敗れ、そのイラクがアジア大会で優勝を収めた。その時も“戦争はどうなったのだろう?”と思った…..
以降イランは1990年の北京でのアジア大会で優勝するなどアジア盟主の地位を回復させ始め、日本もJリーグ発足後の劇的な進歩で歯が立たなかったイランとは何度も激戦を相まみえる様になる。そして1996年12月 UAE で開催されたアジアカップの準々決勝で韓国を 6-2 と粉砕し、私は今でもイランと言えば“破壊力”と言う印象をもっている。
今大会のイランは1976年大会以来8大会ぶりの優勝のチャンスが大いにあると思う。恐らく日本以上に可能性はあるだろう。前回北京大会でエントリーされたメンバーの中では欧州でプレーする選手はマハダビキア ( HSV Hamburg ) とレザエイ ( Messina ) の二人だけであった。今大会は予備メンバーも入れた30名の中ではあるが7人の欧州組が入っている。カリミ( Bayern Muenchen ) マハダビキアア( Eindracht Frankfurt ) ネコーナム ( Osasuna ) ティモリアン ( Bolton Wandrers ) ハシュミアン ( Hanover 96 ) ザンディ ( Apollon Lemesos : キプロス ) レザエイ ( AS Livorno ) の7人。特に注目の“欧州組”は Bolton の ティモリアンだ。



彼は 2000-01 のシーズンにかつてのイランの英雄カリミ=バケリが Charlton Athletic でプレーしていらいイランサッカー界市場二人目のプレミアリーグ選手。昨シーズン第32節の 2-2 で引き分けた Wigan 戦では2ゴールを挙げ、Sunday Telegraph 紙では Man of the Match レベルの活躍との評価。アジアカップではどの様な布陣になるのだろう?
昨年ワールトカップでの1次リーグ落ちと言う結果から当時の協会幹部の何人かが解任されたが、それはアフマディーネジャード・イラン大統領によって選ばれた Physical Education Organization の主導によるもので、その行為は FIFA の定めた “ 政府機関が直接その国の Football 協会に関与してはならない。“と言う加盟国への規約に抵触 するもので、すぐに FIFA はこの解任の撤回を求めるの事態は変わらず、同年11月、韓国を破りアジアカップ予選突破を決めた直後に FIFA から”事態の改善が見られぬ場合は国際試合禁止にするぞ“との警告が発せられた。結局国際試合禁止の処分は撤回され、新代表監督には前年度のイラン・リーグ王者 Esteghlal の指揮を執った Amir Ghalenoei 氏が就く事になった。 Ghalenoei 新監督は”代表チームへの素早い取りかかり“と批判され続けていた”保守的な戦術からの脱却“を掲げたが、結局代表のアジアカップへの準備は遅々として進まず、また戦術も前任者の Ivankovich 氏の戦術を踏躍するものと批判にさらされる事に。
そして Ghalenoei 氏とは直接関係ないが前に指揮を執っていた Esteghal は ACL への出場権がありながら“必要書類の提出が期限を過ぎた。”との事で失格と言う日本では考えられない顛末に。こう言うていたらくがイラン協会の諸悪の根源かも知れない。イラン国内ではアジアカップへの準備不足が懸念されているが、日本よりはテストマッチは組まれていると思う。
3月24日にはドーハでカタール代表とテストマッチを行い、欧州組7人も合流。アウェーながら見事にAlireza Vahedi Nikbakhtのゴールで 1-0 で勝利を収めた。


6月2日 Mexico City で行われたメキシコとのテストマッチは 0-4 で完敗し、ワールトカップでの雪辱はならなかったが、この遠征にはマハダビキア、カリミ、ハシュミアン、そしてティモリアンといったドイツ、プレミア組が加わっていなかった。 Mexico にとっては6月末から始まる Copa America の調整試合であった。そして何とブラジルを破ったのである。


そして昨日6月29日はホームの Azadi Stadium にナイジェリア代表(Bチームらしい)を迎えて Enayati の2ゴール等で 4-2 で勝利を収めている。



このナイジェリア戦のメンバーは下記の通り。

GK : Talebloo - Mahdavikia (C), Aghili, Rezaei, Zandi (86' Asadi) - Nekounam - Teymourian (70' E. Sadeghi), Karimi (46' Nouri) - Kazemian (63' Kaabi), Enayati (82' Madanchi) - Hashemian (46' Khatibi) Goals: 1-0 Enayati (11' / Assist: Kazemian) 2-0 Nekounam (15' / Pen. / Kazemian) 3-0 Enayati (27' / Karimi) 3-1 Kumordi (31') 3-2 Addo (48') 4-2 Aghili (50' / Zandi)

恐らく上記のメンバーにティモリアンを加えてスタメン候補では無いか?最近ではイランのFW選手の能力の高さが目立つが元々イランの強さは他の中東諸国と異なり組織だった守備が敷ける事であった。それはペルシャ系は欧州系の民族と言う事に寄与するのか? Ghlenoei 監督は 4-4-2 か 3-5-2 のシステムのいずれかを選択すると思われているがアジアレベルではより攻撃的に 4-4-2 を採用していくのではないだろうか?その中心となるのはやはりマハダビキアでは無いか?



2005年3月、Azadi Stadium で行われた日本とのワールトカップ予選。縦横無尽に、攻撃に守備の非常に効果的な働きをし、見事“強敵”日本を破った立役者。ワールトカップでは格上相手に下がったポジションでの仕事に終始したが、最後のアンゴラ戦では引き分けに終わるも中盤から前線にキーとなる動きを見せた。
しかし、そのアンゴラ戦ではカリミが監督批判をしたと言う理由で出場出来ないなどチーム内の問題が露呈。(俺は折角 Leipzig までその試合を観に行ったのに….) またワールトカップを通してハシュミアン、カエビもメキシコ、ポルトガルと言った列強相手に思い切りの良いパフォーマンスは披露出来なかった。そう言えば前回のアジアカップ1次リーグ、オマーン戦ではノスラティが相手選手を踏みつけて4試合出場停止。レザエイ、バダビの二人は試合中に喧嘩をして2試合出場停止というていたらく。
それだけにアジアカップは名誉挽回のチャンスか? 
そのアジアカップでは1次リーグ Group C をウズベキスタン、中国、マレーシアと戦うがまず2位以内から漏れる事は無いと思う。そうなると準々決勝は Group Dインドネシアラウンドから勝ち上がって来るであろう、サウジアラビア、韓国のいずれかとの対戦になる。 7月21日または22日のこの準決勝はアジア屈指の好カードとなりそうだ。そして準決勝ではオーストラリアとの対戦があるかもしれないが、イランと戦う事を誰よりも待ち構えているのが優勝候補最右翼のオーストラリアかもしれない。 1997年11月29日 Melbourne Cricket Ground でのワールトカップ最終予選、キューウェル、ヴィドマーのゴールで 2-0 とリードしたオーストラリアはフランス行きのキップが見えていた。しかし71分にバゲリ、75分にアジジの連続ゴールに沈みワールトカップは更に8年待たねばならなかった。その時のオーストラリアのメンバー、GK Schwarzer, MF Kewell, FW Viduka, Aloisi の4人はメンバーとして対戦する可能性があり、更に10年前の試合で途中出場をした Graham Arnold こそアジアカップでの Socceroos の監督としてイラン戦に臨むかもしれない。このオーストラリア、イランに続く優勝争い….. 日本は果たして続いてくれているのか……

そしていよいよあと1日となりましたがコージさんの企画するアンケート

アジアカップの結果による、オシム監督の去就を考える

http://fk2.ty.land.to/blog/enquete.html

にも是非御参加を!!

ご参考までにコージさんのブログ Football Kingdom は下記の通りです。

http://blog.goo.ne.jp/rossana75jp

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緊急企画 ! アジアカップへのアンケート

2007-06-28 | Asian Cup

アジアのサッカーの祭典、アジアカップまであと10日。
マスコミ間ではどうもいまいち盛り上がりが...
しかしながら、コアーなサッカーファン、特にアジアサッカーに非常に興味を持たれている方も多く、私を含めてそういった方々は開幕今や遅しと思われているのでは.....

出場国の中には積極的に大会前の調整試合を行っている国々も。
特にホスト国が顕著だ。またサウジアラビア、UAE,オマーンなんかも既にヴェトナムやシンガポール、インドネシア入りして他の代表チームとゲームを行い、調整に余念が無い。
日本は.... 6月30日までJリーグの日程が入っている。
前回は大会直前にキリンカップが開催され調整試合を行なっている。( 1-0 セルビアモンテネグロ,  3-1 スロヴァキア )
また2000年のレバノン大会でもAマッチこそなかったがレバノン入りする前にはフランスで合宿を張り Paris Saint-German の胸を借りている。
今回は日本と現地で合宿を張るくらいで、試合は予定されていないらしいが.....

さて、いつもお世話になっている著名なブロガー、コージさんがこの度アンケートを企画されています。
題目はアジアカップの結果による、オシム監督の去就を考える

私の非常に興味のあった御題でしたので参加させていただきました。
皆様も是非参加してみてください!!
6月30日までとなっていますのでお早い目に...( コージさんアップするの遅れてすんません。)
http://fk2.ty.land.to/blog/enquete.html

ちなみに私が考えたノルマは”ベスト4以上”です。

ご参考までにコージさんのブログ Football Kingdom は下記の通りです。

http://blog.goo.ne.jp/rossana75jp

色々な情報とコージさん独自の鋭い分析が満載で私も楽しませていただいております。

それにしても専門誌でもまだアジアカップの記事が見当たらないなぁ.....

 

 

 


戦争、ドイモイ政策そしてアジアカップ 憧れのヴェトナム

2007-06-25 | Asian Cup
約2週間後に迫ったアジアカップの開幕。日本の所属する Group B のホスト国ヴィエトナム。初戦を8日U.A.E. 戦を迎えた後12日はカタールとそして16日は日本戦に臨む。今年のアジアカップは恐らくヴェトナム史上最大のサッカーイベントではないだろうか…..
私が小学校の時ヴェトナムと言えば戦争であった。何度かテレビの映像を通してその戦争の様子が報道され、“平和のありがたさ。”を“戦争を知らない世代”が感じる事があった。中学に進級した時にヴェトナム戦争は終わり、当時ブームになっていた B.C.L. ( Broad Casting Listening ) にはまっていた私は日本語放送のあった“ヴェトナムの声放送”を何度も聴いた。そして更に時は流れ大学時代、近藤鉱一先生が執筆した“サイゴンから来た妻と娘”と言うノンフィクションにはまり、近藤先生のヴェトナム、インドシナ関係の本を何冊も読んだ。近藤先生の著書の中で“旧フランス領であったヴェトナムは英語よりもフランス語の方が通じる…. “と言う行に影響され4回生になったにも関わらずフランス語の授業を取ったものの、さっぱりついて行けずあっさりと挫折した。
そして今…商用で東南アジア諸国を巡回する事もあるが、ヴェトナム市場はまだ行った事が無い。話にはいろいろ聞いてここ3~4年の間で特に海産物産業が急激に伸びているのでいわゆる“海産物成金”が出てきており面白い市場になりつつあるのでビジネスチャンスも….. と思うのだが、人件費がまだまだタイよりも低く、インドネシアよりも低いとなると少しその潜在需要は….. と思いまだヴェトナム行きの機会がないのである。

2003年12月、商用でバンコックの旧国際空港(ドン・アン空港)に降り立った私は大型のテレビの前に黒山の人だかりを見つけた。 東南アジア諸国間で開催されるスポーツの祭典 SEA Games ( South Eastern Asian Games ) のサッカーの準決勝戦、タイ対ミャンマーがテレビ中継されていたのだ。この年の SEA Games はヴェトナムのハノイで開催され22回目を迎えていた。タイはミャンマーを難なく片付けマレーシアを破った決勝戦が12月13日に行われた。 その決勝戦を前に、タイチーム( 当時のU-23 )のエースChaikamdee にドーピング疑惑が起こり、早速タイの五輪委員会は抗議の為に役員を派遣するとヴェトナム側はあっさりとその疑惑を引っ込めるなどピッチ外での戦いも興味をそそった。
試合は地力に勝るタイが前半にドーピング疑惑のうっぷんを晴らすがごとくエース Chaikamdee が先制ゴールを挙げる。試合はそのままホスト国のヴェトナムが 0-1 とリードされ試合時間が経過する。後半45分直前にヴェトナムのFW選手 Le Quoc Vuong が退場になってしまい、誰もがタイの大会6連覇と思い始めたロスタイムにヴェトナムのエース Phan Van Quyenが劇的な同点ゴールを挙げる。満員の観客、表彰式の為にスタジアム入りしていた吹奏楽隊そして貴賓席のお偉いさん達も狂喜乱舞して実際にテレビ画面は地震でも起こったのかと思うくらい揺れだした。その光景に私は熱いものを感じざるを得なかった。サッカーは欧州、南米だけでは無い世界中どこにでも存在するのだと言う再認識を。
結局試合は109分にドーピング疑惑をかけられた Chaikamdee のVゴールでタイがヴェトナムを降し、大会6連覇を飾った。この時の SEA Games ではメダル獲得争いで地元ヴェトナムが2位タイに大きく水を開けていたので、最終種目であったサッカーでのタイの金メダルは国民にとって東南アジアスポーツ大国のプライドを保てる大事な決勝戦でもあった。
しかし、初めてじっくり見たヴェトナムの選手達も細かな早い動きを随所に見せ、Le Quoc Vuong, Phan Van Tai Em, Phan Thanh Binh, Nguyen Huy Hoang そして Phan Van Quyen ら前日のタイの英字新聞では “ DANGERMEN “ と指摘された選手達のプレーを楽しめた。特に当時19歳であった Van Quyen の動きは大変に目立っており、彼がボールを持てばタイのDF数人を擁しないと彼の動きは止められず、今後の成長が楽しみであった。実際に彼は2か月前の10月にオマーンの首都マスカットで開催されたアジアカップ予選では韓国相手に決勝ゴールを決めている。そして2005年にはヴェトナム遠征をしたジュビロ磐田がヴェトナム代表との間で親善試合を行ったが、名波、服部、藤田、崔龍朱を擁した磐田は Phan Van Quyen のゴールなどで 1-2 で敗れている。そして横浜FCが Van Quyen に入団のオファーを出したとの事….. 私はホスト国となる事が既に決まっていたアジア大会で Phan Van Quyen が見れる事を大いに楽しみにしていた。
しかし、激震がヴェトナムサッカー界を襲う。今年の1月、代表チーム選手を含む7名のヴェトナム選手が八百長事件に連座していたとの事で処分されてしまう。Le Quoc Vuong, Thulong Thanh Hai, Phnoc Vinh, Phunoc Vinh, Hai Lam, Le Bat Hiem そして Phan Van Quyen の名前も含まれていた。 2003年の SEA Games で後半終了直前に退場となった Le Quoc Vuong には7年の重い実刑判決が下されThanh Hai には3年の実刑判決が、そしてVan Quyen も残りの他の選手同様執行猶予付きの判決が下された。またアルフレッド=リードル代表監督は、八百長疑惑がある事を知ってて隠していたアシスタントコーチ二人と通訳を解雇するなど、今年に入っての大事件発覚にアジアカップでの指揮どころではないのではないか?それでなくてもリードル監督は腎臓移植をしてまで健康を保っているのに…….
混迷を極めるヴェトナムサッカー界ではあるが、一筋の光明は五輪代表チームが最終予選に進出をした事。 6月12日に発表されたアジアカップメンバー23人の中には五輪チームから12人が選ばれている。そして昨年末のアジア大会メンバーから11人(うち6人が五輪チーム)が選ばれている。その中でも中心選手は FW の Phan Thanh Binh とLe Cong Vinh の五輪チームの2トップ。 Phan Than Binh はヴェトナムリーグの Dong Thap に所属している選手で18歳の時に2003年地元開催の SEA Game にレギュラー選手として出場し、当然決勝戦のタイ戦にも出場している。昨年末にはバンコックで開催された Kings Cup で地元タイ相手にゴールを決めている。 またドーハで開催されたアジア大会ではチームは1次リーグで敗退したが最後のバングラデッシュ戦では2ゴールを決めている。 Le Cong Vinh も五輪チームの中心選手で2004年には20歳でタイガーカップ・ベストイレブンに選出されSLNA所属の選手。そして2004年ベトナム最優秀選手賞となるゴールデン・ボール賞を受賞。彼は2004年にVリーグにデビュー、11ゴールを挙げ、代表でもLGカップ、アグリバンクカップといった国際大会にも出場した。そしてPhan Van Tai Em は今年の ACL にも出場した Dong Tam Long An の所属で2005年度のベトナム最優秀選手。2003年の SEA Game の出場経験もあり、翌2005年の SEA Game フィリピン大会では決勝戦でまたもタイに敗れたがチームキャプテンを務めた。そして代表の主将が Nguyen Minh Phuong で彼も2003年の SEA Games を経験しており今年のACLに Dong Tam Long An のメンバーとして参戦している。またPhan Van Tai Em もSEA Games 2003 組だ。上記したPhan Thanh Binh, Le Cong Vinh, Le Cong Vinh, Phan Van Tai Em, Nguyen Minh Phuong らは2004年に韓国を破った試合のメンバー23人に入っており、2003年の地元開催の SEA Games から今のチーム作りが始まったと言えるだろう。
しかし いくら地元開催とは言え、ヴェトナムがベスト8進出を果たせる可能性は低い。だが、0%で無い。その数%が実現してしまうところがサッカーのそしてホームアドヴァンテージの面白さなのだが….. 少し気の毒なのはグループ2位で勝ち抜いても準々決勝は宿敵の地タイのバンコックでプレーせねばならない。となるとハノイに居座れる1位通過を.. と言うのが地元関係者の願いなのだろうがそこまでは…….
一番良いのは日本が連勝を飾りグループ1位通過を決めた後でヴェトナム戦を迎える事なのか?それともヴェトナム側が最終戦の日本を消化試合として日越揃っての準々決勝進出がいいのだろうか? しかし、他の対戦相手を見てみるとそれほど余裕が期待できるとは思えない。そしてあの熱狂的なサポーターが後押しする地元ヴェトナムもそう easy な相手では無いと思う。 

日本の1次リーグ敗退….

なんて事のだけはならないことをいのるよ。
ベトナム代表23人は下記の通り U23 は五輪代表。 AG はアジア大会出場メンバー

GK : Tran Duc Cuong ( AG U23 ) , Bui Quang Huy, Duong Hong Son

DF : Nguyen Van Bien ( AG U23 ) , Doan Viet Cuong ( U23 ) , Phung Van Nhien ( AG U23 ) , Huynh Quang Thanh ( AG ) , Vu Nhu Thanh, Nguyen Huy Hoang ( AG ) , Pham Hung Dung;

MF : Nguyen Vu Phong ( AG U23 ) , Phung Cong Minh ( U23 ) , Nguyen Minh Chuyen ( AG U23 ) , Mai Tien Thanh ( U23 ) , Dong Huy Thai ( U23 ) , Le Tan Tai ( AG ) , Phan Van Tai Em, Nguyen Minh Phuong, Tran Duc Duong ( AG )

FW : Nguyen Anh Duc ( AG U23 ) , Le Cong Vinh ( AG U23 ) , Huynh Phuc Hiep ( U23 ) , Phan Thanh Binh. ( AG U23 ) Reserves: Nguyen The Anh; Nguyen Thanh Long Giang, Chau Phong Hoa; Le Hong Minh ( AG ) , Mai Xuan Hop; Hoang Ngoc Linh, Nguyen Viet Thang.

”古豪” U.A.E. はアブダビを乱舞させられるか?

2007-06-23 | Asian Cup

1989年シンガポールで開催されたワールトカップイタリア大会アジア地区最終予選。日本は残念ながら1次予選で北朝鮮の後塵を拝して進出出来ず韓国を始め中国、北朝鮮、カタール、UAE、サウジアラビアの6カ国が集って行われた。
この最終予選の展望は韓国が本命、もう一つのイタリア行の切符をどこの国が手にするかが焦点であった。この最終予選の模様は当時NHKのBSで放映された。
韓国は初戦のカタール戦を緊張のせいか終始押しながら勝利をものに出来なかったが、第二戦以降は北朝鮮( 1-0 ) 、中国( 1-0 ) サウジアラビア (2-0 ) と危なげなく勝点を積み重ね続けた。そして2位争い、私は中国と日本を破った北朝鮮に注目していた。中国は初戦のサウジアラビアを麦超の2ゴールで勝利を収めた5日後に対戦したUAEに 1-2 で敗れてしまい、2位争いの混戦に拍車をかける。各国1試合を残して、韓国は既にワールトカップ進出を決め、U.A.E. 勝点5, 中国勝点4, 北朝鮮勝点3, カタール勝点3のサウジアラビアを除くイタリア行きの可能性がある4カ国が最終戦に臨んだ。その最終戦は U.A.E. が韓国と引き分け、中国は 1-0でリードしていながら終了間際の連続失点で韓国に次いで2位になりイタリア行の切符を掴んだ。その星取りは1勝4引き分け。第二戦の中国との“直接対決”での勝利を挙げた以外は韓国を含めた4カ国と引き分け、ライバル達が星の潰し合いと失速を繰り返す中しぶとく勝点を積み重ねた結果のワールトカップ出場であったが、最終戦既に予選突破が決まり、レギュラークラスが並んでいたとは言えモチベーションの上がりにくい韓国相手と言う事も幸運であった。
その後のU.A.E.は、日本がアジアの中で急に台頭して来たのに反比例する様にアジアのトップクラスから徐々に後退を始めている様に見えてならない。1992年広島で開催されたアジアカップで3位、翌1996年地元開催のアジアカップでサウジアラビアに次いで2位に入った程度で目立った。ワールトカップ予選ではアメリカ大会予選は1次予選で日本に敗れ、記憶に新しいフランス大会も韓国、日本の後塵を拝し、日韓大会では2次予選に進むもプレーオフでイランに敗れた。前回大会も北朝鮮に敗れて2次予選には進めず、アジアカップでも2000年レバノン大会は予選でウズベキスタンの敗れて本大会に進めず、2004年アジアカップ北京大会でも1次リーグで敗退。そして昨年のアジア大会では2次リーグ最終戦、地元カタールに 0-4 と粉砕されてしまい、西アジア地区でもカタール、バーレンと言った新興国に先を越される様になってしまい、かつてワールトカップに出場をした事のあるアジアの国では最もマイナーになってしまったのでは無いか?今大会の Odds も Group B では日本、カタールに次いで3番目だ。
しかし、この状況は今年に入り劇的に変わりそうだ。今年1月に地元で開催された Gulf Cup でオマーンを 1-0 で破り史上初の大会優勝を果たす。18回目となる今年の大会は地元で開催される中、そのプレッシャーからか初戦のオマーン戦を 1-2 で落とすが、第二戦のイエメンを 2-1 で破り、準決勝進出をかけた次のクウェート戦に 3-2 で勝利を挙げ、
準決勝サウジアラビア戦を Esmair Matar のゴールで1-0 で降し、決勝戦では再び対戦したオマーンを今度は 1-0 で破り初優勝を勝ち取った。

この優勝はUAEを含めた、サウジアラビア、バーレーン、イラク、カタール、オマーン、クウェート、イエメン8カ国で開催される湾岸諸国では非常に評価されるもので、初優勝をもたらした選手達にはザイード・アル・ナヒヤン大統領から17万豪ドル(約1700万円)のボーナスが贈られたばかりか、主力選手の Iamail Matar はあるファンから2頭のラクダが贈られた。彼がどこでこのラクダを飼うかはわからないが1頭当たり14万豪ドル(約1,400 万円)の価値があるらしい。その上大会MVPの Ismail Matar は更に32万豪ドル(約 3,200万円)のボーナスまで支給された。

俺がこれだけ稼ごうと思ったら何年働かなあかんねやろ……??

そのIsmail Matar こそ今の U.A.E. のスーパースターだ。


今年の Gulf Cup ではクウェート戦での決勝点を含む2ゴール。そして決勝戦では試合を決めるゴールを決めるなどの大活躍。そして2003年日本が坂田(横浜マリノス)平山(FC東京)川島(川崎)らの活躍でベスト8に進出した FIFA U-20 U.A.E. 大会で地元の期待を背負ったU.A.E. はベスト8に留まったが Ismail Matar が大会MVPに輝いた。その時決勝トーナメント1回戦で対戦したオーストラリアU-20 代表には Sydney FC のFW Alex Brosque らがいたが、この U.A.E. に敗れている。その時の印象が“ Matar は偉大な選手だ。大変小柄だが、タッチがうまく覚えている限りでは常に彼を介してゲームが造られていった。”と述懐する。この Matar はアジアカップでの活躍次第では欧州のクラブへの移籍も…..と言われているらしい。
その Ismail と共に期待されるのがゲームメーカーの Mohammed Omarだ。得点能力もありアジアカップ予選では4得点を挙げている。Gulf Cup のイエメン戦でも貴重な先制PKを決めている。



そしてもう一人期待されるのがかつてセネガルを率いてワールトカップで旋風を巻き起こした Bruno Metsu 監督。
2006年6月に同国の監督に就任し、 Gulf Cup でチームを優勝に導くと契約を2010年まで更新した。(でもいつ突然解任されるかわからんぞぉ。) 彼は戦術と言うよりも選手とのコミュニケーションを大事にし、選手との信頼関係を築くことで、 Mohammed Omar は完全に Metsu 監督を“信望”している。 UAE協会の今大会にかける意気込みの表れとして6月13日から7月6日までマレーシアで合宿を張り、ヴェトナム入りするが、マレーシアもイスラム教徒の多い国でモスクも多く宗教的にも問題が無いところをキャンプ地として重視したのかもしれない。そしてマレーシア・キャンプ中はマレーシア、サウジアラビア、バーレーン、インドネシアとの試合が組まれているが、みんなイスラム教の国では無いか??? 
6月20日PETALING JAYA で行われたマレーシアとの親善試合はFaisal Khalil そして Ismail Matar の2ゴールで 3-1 と快勝した。 Metsu 監督は“試合結果よりも選手達の仕上がり具合に満足”とのことらしい。アジアカップでのU.A.E. は初戦地元ヴェトナムと対戦した後7月13日に日本と対戦する。下馬評ではまだまだ日本がこの組の1位候補であるが、初戦をカタール、第二戦を Ismail Matar のいる UAE と対戦するのだけど…..
Metsu 監督の懸念は“ U.A.E. がアジアカップで優勝を収めた時に首都のアブダビのサポーター達はどんな反応をするだろうか…と言う事らしい。 Gulf Cup の時は大騒ぎであったらしいから…… それよりも日本の大会への準備は大丈夫かなぁ??


 



Asian Cup 優勝候補の国から 優勝候補国の開幕スタメンは...

2007-06-21 | Asian Cup

6月17日付地元紙の裏一面に Mark Viduka のユニフォーム姿のアップが掲載され、その上に“He doesn’t deserve to wear this ( 彼はこれを付ける資格がない ) “ と言う見出しが。.. this の先には矢印で彼の左上腕にまかれているキャプテンマークが示されている。 先日報道された “ Mark=Viduka アジアカップ辞退騒ぎ ”に対する痛烈な批判記事だ。 Mark Viduka は来月アジアカップで Socceroos の一員としてアジアカップでプレーするべきでは無い.. と言う文章に 記事は始まり、Graham Arnold監督そして FFA ( オーストラリアサッカー協会 ) に“彼を代表から引退させて、Viduka 抜きでワールトカップを戦う事だ。また 新しいFFAの Chief Executive, Ben Buckley 氏を、この様な難問に面した時彼は Mr.Nice と呼ばれている、彼は前任者の Mr. John O’Neillよりも好都合を好むと批判している。 Viduka は新たな所属先となる Newcatle United でのレギュラーポジション獲得の為にアジアカップに出場する事よりも Pre-Season Camp に参加する事を優先させようとした、つまりオーストラリア代表としての名誉を架けてプレーするよりも翌々シーズンのサラリー確保を重きにおいている、Socceroos のジャージーを一旦は監督に投げ返した….てな下りが続いている。 監督や協会は何故こんな失礼な行為をした男を擁してまでアジアカップを戦う必要があるのか?と言いたいのであろう。 だが本当に Viduka 抜きでオーストラリアがアジアカップのタイトルに手が届くのだろうか……

今年3月に広州で行われた中国とのテストマッチではViduka も起用され、そのシステムは 3-4-3 であった。しかし、それはKewell をはじめ“欧州組”の何人かが不在であった為だった。アジアカップでアーノルド監督が理想とするシステムは 4-1-2-3 だ。GK は Shcwalzer , 4バックのDF陣は Lucas Niel, Michael Beachamp の二人がCB。左サイドバックに Luke=Wilksher, 右サイドバックが Brette Emerton、 DF陣の前には Vince Grella, そして2列目には Bresciano と Cahill, そして最前線には真ん中が Viduka, 右に Sterjovski, 左には Kewell。しかしこのキューウェルのポジションにはワールトカップ以降 Bretto Hollman が使い続けてきたので Kewell が初戦のオマーン戦から起用されるだろうか… 最前線はワールトカップでの日本戦の様に Viduka が更に前線にせり出し、前線での“ため”を作る役目をするだろう。そしてそこに Cahill, Bresciano が入って来るだろう… そして Aloisi , Lukas Neil がベンチスタートとなる、Aloisi はこれまでほぼ使い続かれていたのだが…
参考までに昨年ワールトカップでの日本戦のフォーメーションと比較して頂こう。 

      Four Four Two 誌の理想            昨年日本戦でのスタメン

                    ヴィドゥーカ                           ヴィドゥーカ 

      キューウェル       ステリョフスキー                          キューウェル

      ブレシアーノ        ケーヒル                 ブレシアーノ     エマートン

               グレラ                          クリナ     グレッラ  ウィルクシャー

  ウィルクシャー ニール ビーチャンプ エマートン             チッパーフィールド ニール  ムーア

              シュヴァルツァー                             シュヴァルツァー

しかし6月20日付の地元紙では下記の様な解説が。キューウェルヴィドゥーカの後ろに置き、左サイドバックに浦和REDSとも対戦をした David Carney をチッパーフィールドに替って左サイドバックに置く布陣を考えているとの事。

Sydney FC 2 Urawa Reds 2

チッパーフィールドが左サイドバックで起用されたのは昨年の日本戦そして決勝トーナメント1回戦のイタリア戦の様に3バックの時だけだ。またクロアチア戦では左サイドハーフで起用されたが、そのポジションは所属先の Basel でのポジションで、より攻撃力を生かすポジションだ。そこにカーニーの攻撃力を生かそうと言う戦術か? キューウェルはそのポジションを“好きなポジションの一つなので断る理由もない…. ” と興味津々だ。一方のカーニーはその抜擢に “私の任務はチッパーフィールドの様な任務への変更と見ている。それを代表チームと共にやれると感じている。私は攻撃が正に好きだしかし後ろに戻るエンジンも持っていると思う。私はワールトカップでのチッパーフィールドをよく見ていた。守備的な仕事をハードにこなさねばならない事もわかっている。ディフェンスはした事は無いがこのチャンスを貰えてうれしい。“と語るが、ACLでは彼の攻撃力に脅威を感じていたはずだ。カーニーをそこまで魅力手にさせた要因として彼は左利きの選手と言う事だった。(それでも2005年に Sydney FC の指揮を執ったリトバルスキー氏はカーニーを右のポジションで起用した事もあったが。)Socceroos の中では Danny Tiatto, Tony Vidomar そして Stan Lazaridis ら左利きの選手が引退をし、31歳のチッパーフィールドの後任探しが急務となった。アーノルド監督はShane Stefanutto を中国戦で起用したが彼はアジアカップメンバーからは外された。Michael Thwaite も左サイドとして使われたが、元来この選手は右サイドバックかセンターバックの選手。Jason Culina の技術,多機能性はむしろもっと前線で生かされるもので、故にこのポジションは Sydney FC の左サイドハーフと言う事になるらしい。アーノルド監督はカーニーは国際レベルの中盤を縦横無尽に駆け回る運動量を誇っておりディフェンス陣充分にサポートしうると信じている。 “カーニーをメンバーに入れたのは彼の任務を変える為だ。かえは素晴らしい左の利き足を持っており、我々は代表チームで左利きの選手が欠乏している。そしてもし、我々が3バックシステムを起用したら中盤4人の中のキューウェルの後ろのポジションに陣取ってプレーするだろう。カーニーは優れた運動量を保持し一日中走りまわれるだろう。そして空中戦も強く、もし相手陣地に攻め込む時間が続けば彼とキューウェルの左サイドのコンビネーション、またはブレッシアーノとのコンビも可能だ。それはチッパーフィールドもこなしてきた。彼のキャリアーは攻撃的選手から始まった。私はカーニーに説明した事は彼にはキューウェル、ブレッシアーノとのコンビ以外にもポジションがあると説明した。” ならば開幕戦のスタメンは下記の様になるのか?

                    ヴィドゥーカ                                 

            ブレシアーノ        ステリョフスキー

                    キューウェル
             
             ウィルクシャー         ケーヒル                            

                     グレラ

         カーニー       ニール    ビーチャンプ                     

                    シュヴァルツァー          

最後に、6月19日にキャンベラで行われた“反-肥満キャンペーン”活動の一つとして開催された“40日間豪州一周チャンレンジ”ウォークにキューウェルが参加し5kmを数百人の地元中学生と歩いた。

Dazzling … Harry Kewell impressed students with his knitwear
as well as his footwork in Canberra yesterday as he urged them to
take part in the walking challenge.


これは現在この国で問題になっている子供達の肥満問題を解消する為に企画されたものだ。 “私はこれが大きな問題であると言う事を知っている。オーストラリアはスポーツ大国なのにこんなに肥満度が高いのは考えられない。だから私はこのキャンペーンの一部を担いスポーツをする事で成し遂げられる事を教えるのだ。”とコメントした。キューウェルは政府から任命されたこの種の親善大使らしい。だから彼に伝えよう。ファーストフードと清涼飲料水の摂取量を減らさせて、寿司と日本茶を進める事を。しかし、それはアジアカップが終わってからにしてくれぃ。 2002年のワールトカップ前にベルギーサッカー協会のホームページにワセイジュ(当時)監督が寿司を食べている写真が大アップで掲載されていた。“日本を食べる”と言う意味だったのだろう…. しかし、結果は引き分け。さいたまスタジアムで試合開始直前にワッフルが売られていたのが良かったのかも知れない。ならば今度は….. オージービーフ…. は豪ドル高で高いしなぁ…それに硬くてあんまりおいしくないしなぁ……..

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Asian Cup 優勝候補の国から "新生カタール”は再び強豪となるか?

2007-06-18 | Asian Cup

7月9日。日本はハノイでカタールとアジアカップの初戦を戦う。どんな大会でもそうだが初戦は重要だ。試合内容よりも勝点3を獲得してくれることを祈る。
かつてカタールと言えば西アジアではイラン、イラクに次いでアジアの列強の仲間入りと言う印象があった。1981年オーストラリアで開催された World Youth 大会 ( FIFA U-20 ) では準優勝を果たしアジアにカタールありと知らしめると、その準優勝メンバーから6人の選手を擁して1984年4月シンガポールでのロス五輪最終予選に進出。日本を 2-1 で破るなど見事にロス五輪出場権を勝ち取った。そして翌年から始まったFIFA U-17大会では1985年中国大会(1次リーグ)1987年カナダ大会(ベスト8)1991年イタリア大会(4位)と好成績を残し1992年マレーシアで開催されたバルセロナ五輪予選では最終戦僅かに望みの残っていた日本を 1-0 で破り1位で五輪出場を決め、バルセロナ五輪ではベスト8に入っている。以降 U-17 ではアジア予選を勝ち抜き続け1993年日本大会(1次リーグ)1995年エクアドル大会(1次リーグ)1999年ニュージーランド大会(ベスト8)2005年ペルー大会(1次リーグ) 4大会世界への挑戦権を得ている。
しかしワールトカップ予選となるとアジアの壁は高い様だ。前回のアジア地区予選では2次予選でイラン、ヨルダン相手に連敗スタートを喫し最終予選には進めなかった。日韓大会予選は最終予選まで進むも結局B組4位に終わり、フランス大会予選も最終予選に進むも大混戦の中最後はサウジアラビア、イランの後塵を拝し、アメリカ大会予選は1次予選で中国に敗れ、イタリア大会予選もシンガポールでの最終予選に進むも本大会には届かなかった。U-20 も1981年大会以降は地元で開催された1995年大会以外はアジアの壁を破れていない。こうして考えるとU-17そしてU-23 ( バルセロナ五輪以降)の様な年齢制限のある大会では好成績を残すがフル代表での実績はロス五輪出場くらい。その五輪もバルセロナ五輪を最後にアジア予選が突破出来ない。
だが最近はある“政策”が功を奏している。もともと人口の少ないカタールは国策で国人からの移住者を広く受け、労働人口の確保にあたっているがそれがスポーツの世界に広がっている。2006年12月カタールの首都ドーハで開催されたアジア大会のメダル獲得の為に多くの帰化人選手を“輸入”した。特に陸上競技の長距離種目はその成果が顕著に現れケニヤからの帰化人選手KURUI James Kavalic ( 5000m 金 ) RASHED Essa Ismal (10,000m 銀) HAMI Mubarak Hassan(マラソン 金)SALEM Gamal Belal ( 3,000m 障害金 ) そして5000m 銅メダルのZAMAN Sultan Khamis はブルンジ共和国からの帰化人選手。3000m SC, 5000m, 10,000m のアジア記録はカタールの帰化人選手が持つ。長距離選手の帰化人選手はバーレーンにも沢山いた。そして大会最終日、国民の大きな期待を背負ってイラクとの決勝戦に臨んだサッカーのカタールU-23 チームは ウルグアイからの帰化人選手Sebastian Soria セネガルからの帰化人選手 GK の Ahmed Mohamed Saqrそして主将の Koni Abdula Obaid を擁してイラクを 1-0 で降し、大会有終の美を飾った。特に Sebastian はアジア大会開幕数週間前に帰化が許可され国内でも物議を醸した。カタールの“帰化人政策”は前任者の“トルシエ時代”から始まり、“トルシエは日本代表監督時代から帰化人選手を登用していた(三都主のこと)、と日本を皮肉るコメントもされている。” しかし彼らの活躍無くしてアジアカップの優勝はあり得なかった。



 特に大会にはQuintana Sebastian の名前で登録された Sebastian は初戦のヨルダン戦の先制ゴールに始まり第二戦のウズベキスタン戦を 0-1 で落とし第三戦のUAE戦では開始8分に先制ゴールを決め19分に KONI が2点目を決めた後の54分試合を決定づける3点目をPKで決めるなど2次リーグ落ち(1次リーグはシード)の危機を救う大活躍。準決勝のイラン戦でも先制ゴールを決め、決勝戦となったイラク戦でも先制ゴールを割るが惜しくオフサイド出取り消されるなど強豪国のゴールを次々と襲いいホスト国優勝の大立役者となった。もし大会で日本が対戦していたらどうなっていただろう。Sebastian は2004年当時カタールリーグの Al-Garrafa の監督を務めいていたBrno Metsu にスカウトされカタール入りをし、後の3シーズンをQatar Sports Club でプレーする。アジア大会の登録では1988年生まれの若干18歳となっていたが本当かなぁ….. 16歳でカタール入りしたのか?それならさすが Brno Metsu の眼力と言えるけど… そしてもう一人18歳のFW選手、昨年度の AFC Player of the Year に輝いた Khlfan Ibrahim は帰化人選手でない。昨年のアジア大会にも出場。初戦のイラク戦はベンチ、第二戦のウズベキスタン戦も28分間の出場に終わったが第三戦のUAE戦から決勝戦までスタメン出場を果たし、得点こそなかったがチームの優勝に貢献した事は間違いなかった。所属先の Al-Saad Doha は今年の ACL にも出場したが Group C の4位に終わっている。第三戦のウズベキスタンの Neftic 戦では途中出場でゴールを決めているが以降ACLでは出場機会がなかった。怪我でもしたのかな?尚この試合で同じくゴールを決めたのがかつて浦和REDSでプレーしたエメルソン(だったと思う)。 2004年にカタールは Gulf Cup で優勝を飾っており、2年後の地元開催のアジア大会の好成績が期待されていた。しかし、アジア大会直後に開催された Gulf Cup では良いところ無く1次リーグ最下位に終わっている。カタールは伝統的に20歳以下の優秀な選手を輩出し続けている。1999年 AFC Young Player of the Year に輝いたのが Al-Arabi Doha 所属のWaleed Hamza そして Waleed Jassem Abdulla と言う現在20歳の将来を嘱望される選手がいるが、それより年齢を重ねると国外で名前を聞かなくなる。それは現在カタール代表の指揮をとる Dzemaludin Musovic 監督はこう分析する。 カタール人の習性カタールは国土が狭く、人口も少ないが原油産油国なので国が潤っている。したがってハングリーさが大変低く、上手くなろうと言う貪欲さが年齢を重ねるにつれて薄れて来る。Waleed Jassem は今は Al Rayyan のベンチを温めている。しかし、それは彼のサッカーに取り組む姿勢にも問題があった為だ。 外国人選手最近カタールリーグでは全盛期を過ぎたかつてのスーパースターがやってきてリーグを盛り上げようとしているが、それで若い選手の出番が激減している。 選手がFW嗜好過ぎる上記した選手達は全てFWの選手ばかり。MF,DFをだれもやりたがらない。これでは強いチームは構築できない。だからAhmed Mohamed Saqr ( GK ) そして主将の Koni Abdula Obaid ( 中盤 ) をセネガルから輸入したのか?? だが原因は他にあると私は踏んでいる。それは一時疑惑がもたれていた年齢詐称疑惑だ。アラブ系の選手は東洋系の選手と異なり年齢が顔に出にくい。それに日本の様に戸籍法がしっかりしてない国がこの地域にはあり、本人ですら実際の年齢がわからない時があるらしい。FIFA の資料を見ても1980年代の何人かのカタール選手の生年月日が不明だ。しかしそれらを割り引いても対カタール戦となるとどうも日本は分が良くない様だ。ロス五輪予選 ( 1-2 )、バルセロナ五輪予選 (0-1 ) では敗れており、1994年広島でのアジア大会ではカタールの派遣した五輪チーム相手にKAZU, 井原らを擁したA代表がようやく引き分けた。1980-90年代初旬までのアジアでの U-20, U-17 の直接対決ではもっと負け越していたのではないか?アジアカップではUAEとグループ2位を争うと見られているが、初戦で日本が大苦戦する事も充分に考えられる。それとも Musovic カタール監督はアジア大会でも粉砕した第二戦の UAE 戦に照準を絞って来るのだろうか?? Musovic 氏とオシム監督は旧知も仲らしいが….. だけど、今日のオシム発言 “日本がタイトルを取れないであろう1000の客観的な理由云々..” をサイトで見てみると彼に同情を禁じ得ないなぁ….. 今年はアジアカップそして大切な五輪予選でカタールと同じ組になった。昨年末スピードに乗って相手ゴールを急襲し続けた若いカタール選手達に最終ラインを切り裂かれない事を祈るよ………


Asian Cup 優勝候補の国から 豪州での分析 解説

2007-06-17 | Asian Cup
昨年3月末頃にオーストラリアに来た時は約2ヶ月後に控えたワールトカップに対して一般の人々はおろか地元マスコミもあまり関心を示しているようには思えなかった。2006年3月には Melbourne で旧大英帝国領の国が集まって競うスポーツの祭典 Commonwealth Game が開催されておりそれが終われば人々の関心はワールトカップに向くだろうとオージーの顧客が語っていた。
そして今回。 Asian Cup を約3週間後に控え、少なくとも地元 Football Fun はワールトカップに続き Asian Cup での Sooceroos の活躍を期待している事は解った。地元の新聞も連日 Asian Cup にまつわる記事が載り、数少ない専門誌でも Sooceroos の近況そして Asian Cup の展望特集を組む様になっている。では日本を始め他のアジアの列強はどの様に報道されているのだろう。

日本は優勝候補2番手
Four Four Two Australia には COMPLETE GUIDE TO THE ASIAN CUP 2007 が別冊付録として添付されている。そこには各国の紹介、分析が載っており、優勝の Odds も載っている。それによると優勝候補最右翼は“当然”オーストラリアで 3.00 倍。続いて日本が3.75倍になっている。他の アジアの列強では韓国5.5倍イラン6倍、サウジアラビア8.5倍、中国が26倍 となっている。気になる日本の所属する Group B ではカタール26倍 UAE 67倍そして地元ヴェトナムが151倍だ。カタールが中国と同じ Odds と言うのが気になる。そして今大会の開催国ではタイが101倍の他はヴェトナム、マレーシア、インドネシア全て151倍の厳しい Odds だ。オーストラリアの所属する Group A ではイラク41倍、オマーン51倍そして上記したタイが101倍になっている。
この雑誌の分析によると“日本はオーストラリアと共に比較的恵まれた組に入った”と解説されており “Group Bは, Group A 同様2位争いが焦点である”とも。
そして日本代表のページは“日本はアジアカップ3連覇を成し遂げイランの記録(優勝4回)に並ぶだろうか?”と言う文章に始まり。“昨年ワールトカップのオーストラリア戦で先発したメンバーの中で今大会のレギュラーが保証されているのは川口、中村俊輔の二人くらいでドイツでオーストラリアと対戦したチームとは別のチームとなっている。日本はアジアカップには3度優勝しておりワールトカップも3大会連続出場を果たしアジア連盟の中では頭がひとつ抜き出た存在であった。そこに今回はオーストラリアが加盟した。昨年ワールトカップでのオーストラリア戦の敗戦は日本にとって忘れ難いものである。そのワールトカップメンバーからは宮本、小野、柳沢、小笠原、福西、楢崎、稲本、玉田が抜けた。監督のZICOも日本を去った、と書かれているが小野はともかく稲本と楢崎はまだ外れるかわからんぞ? そして最大の違いは中田英寿が29歳で引退した事となかなかのところを突いている。中田英寿はとうとうアジアカップのを経験せずに引退したなぁ....。
そしてワールトカップ後は監督のイビチャ=オシムが就任。そのオシムは2005,2005年の J-League Cup で JEF United Ichihara Chiba を連続優勝に導いたと書いているけどそうだったっけ? ここにもオシムサッカーの身上である”走るサッカー“が記されており、ガンバ大阪の家永、名古屋グランパスの本田、JEF United の水本ペアーら若い選手を最近のペルー戦で起用した事も書かれていた。
しかしやはり最も警戒されているのは Celtic の NAKAMURA だ。彼の創造性 ( Creativity ) が無ければ日本の躍進も厳しいと書かれているがその要因”東南アジアの気候の中で走るサッカーが90分間機能するか?と言う事らしいが、私もその通りだと思う。中村俊輔の事が多く書かれていた。“ナカムラがオシムの running game にどう合わせて行くかが見ものだ。”とも書かれている。そして中村俊輔のインタビューを引用し“2000年はトルシエ監督の下で中盤の左サイドをこなしたがその4年後はアジアカップには異なった印象を持った。韓国、サウジアラビア、中国、イランと言ったかつての列強よりも西アジア勢の台頭が目に付いた。”これは3年前に苦戦したヨルダン、バーレーンそしてオマーンの事であろう。 
そしてアジアカップでの日本の後押しとなるのはサポーター達。フランス大会では試合後ゴミを拾って帰り、むしろ試合開始前よりも観客席はきれいになったと。そして7月初旬の日本は Vacation のシーズンに入り大挙してマナーの良いサポーター達がスタジアムに来てその青波が日本代表を後押しするだろう。チケット販売が始まるや否や地元ヴェトナムよりも日本からの申し込みが殺到したとも書かれている。それにワールトカップの時に話題になったミニチュアダックスフントのマスコット的存在ロンメル君の事も。ロンメル君が来れば日本は負け知らずだったが、そのジンクスを18で止めたのが昨年ワールトカップでのオーストラリアとも書き落としていなかった。最後に最近日本でいわれている “ オシム ニッポン。“の発音を直訳すると “ 惜しむ: regret ニッポン “ となるが、そうなるかは時間が教えてくれるだろうと結んでいる。そして欄外には君が代の意味や歴史そして地震が多い事などいろいろ日本の事が書かれており日本で最も人気のあるピッツァのトッピングはマヨネーズとコーンである….. とまで分析されている。俺はアンチョビィーが好きだけど…

昨年入手したワールトカップ前のオーストラリアでの日本の分析は中村や中田、小野、高原、中田浩二と言った欧州組みしか名前が出てこなかった。そして ZICO の事も結構書かれていたが国内組の解説は皆無に近かったが今回は“優勝候補2番手”とは言直接対決が“無いかも知れないのに”結構日本の解説は飛躍的に進歩しているなぁと思った。それだけこの国においての Football ( Soccer ) の地位が上がったのだろう。そしてワールトカップ後もACLでSydney FC が浦和と対戦したりと日本サッカーにも興味が出てきたのだろう。 

日本の専門誌もここまで分析、解説できるかな? オーストラリアの寿司を始めとした和食事情なら私が執筆しても良い。ついでに Socceroos の事も…………