Mr.コンティのRising JAPAN

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Asian Cup 優勝候補の国から "新生カタール”は再び強豪となるか?

2007-06-18 | Asian Cup

7月9日。日本はハノイでカタールとアジアカップの初戦を戦う。どんな大会でもそうだが初戦は重要だ。試合内容よりも勝点3を獲得してくれることを祈る。
かつてカタールと言えば西アジアではイラン、イラクに次いでアジアの列強の仲間入りと言う印象があった。1981年オーストラリアで開催された World Youth 大会 ( FIFA U-20 ) では準優勝を果たしアジアにカタールありと知らしめると、その準優勝メンバーから6人の選手を擁して1984年4月シンガポールでのロス五輪最終予選に進出。日本を 2-1 で破るなど見事にロス五輪出場権を勝ち取った。そして翌年から始まったFIFA U-17大会では1985年中国大会(1次リーグ)1987年カナダ大会(ベスト8)1991年イタリア大会(4位)と好成績を残し1992年マレーシアで開催されたバルセロナ五輪予選では最終戦僅かに望みの残っていた日本を 1-0 で破り1位で五輪出場を決め、バルセロナ五輪ではベスト8に入っている。以降 U-17 ではアジア予選を勝ち抜き続け1993年日本大会(1次リーグ)1995年エクアドル大会(1次リーグ)1999年ニュージーランド大会(ベスト8)2005年ペルー大会(1次リーグ) 4大会世界への挑戦権を得ている。
しかしワールトカップ予選となるとアジアの壁は高い様だ。前回のアジア地区予選では2次予選でイラン、ヨルダン相手に連敗スタートを喫し最終予選には進めなかった。日韓大会予選は最終予選まで進むも結局B組4位に終わり、フランス大会予選も最終予選に進むも大混戦の中最後はサウジアラビア、イランの後塵を拝し、アメリカ大会予選は1次予選で中国に敗れ、イタリア大会予選もシンガポールでの最終予選に進むも本大会には届かなかった。U-20 も1981年大会以降は地元で開催された1995年大会以外はアジアの壁を破れていない。こうして考えるとU-17そしてU-23 ( バルセロナ五輪以降)の様な年齢制限のある大会では好成績を残すがフル代表での実績はロス五輪出場くらい。その五輪もバルセロナ五輪を最後にアジア予選が突破出来ない。
だが最近はある“政策”が功を奏している。もともと人口の少ないカタールは国策で国人からの移住者を広く受け、労働人口の確保にあたっているがそれがスポーツの世界に広がっている。2006年12月カタールの首都ドーハで開催されたアジア大会のメダル獲得の為に多くの帰化人選手を“輸入”した。特に陸上競技の長距離種目はその成果が顕著に現れケニヤからの帰化人選手KURUI James Kavalic ( 5000m 金 ) RASHED Essa Ismal (10,000m 銀) HAMI Mubarak Hassan(マラソン 金)SALEM Gamal Belal ( 3,000m 障害金 ) そして5000m 銅メダルのZAMAN Sultan Khamis はブルンジ共和国からの帰化人選手。3000m SC, 5000m, 10,000m のアジア記録はカタールの帰化人選手が持つ。長距離選手の帰化人選手はバーレーンにも沢山いた。そして大会最終日、国民の大きな期待を背負ってイラクとの決勝戦に臨んだサッカーのカタールU-23 チームは ウルグアイからの帰化人選手Sebastian Soria セネガルからの帰化人選手 GK の Ahmed Mohamed Saqrそして主将の Koni Abdula Obaid を擁してイラクを 1-0 で降し、大会有終の美を飾った。特に Sebastian はアジア大会開幕数週間前に帰化が許可され国内でも物議を醸した。カタールの“帰化人政策”は前任者の“トルシエ時代”から始まり、“トルシエは日本代表監督時代から帰化人選手を登用していた(三都主のこと)、と日本を皮肉るコメントもされている。” しかし彼らの活躍無くしてアジアカップの優勝はあり得なかった。



 特に大会にはQuintana Sebastian の名前で登録された Sebastian は初戦のヨルダン戦の先制ゴールに始まり第二戦のウズベキスタン戦を 0-1 で落とし第三戦のUAE戦では開始8分に先制ゴールを決め19分に KONI が2点目を決めた後の54分試合を決定づける3点目をPKで決めるなど2次リーグ落ち(1次リーグはシード)の危機を救う大活躍。準決勝のイラン戦でも先制ゴールを決め、決勝戦となったイラク戦でも先制ゴールを割るが惜しくオフサイド出取り消されるなど強豪国のゴールを次々と襲いいホスト国優勝の大立役者となった。もし大会で日本が対戦していたらどうなっていただろう。Sebastian は2004年当時カタールリーグの Al-Garrafa の監督を務めいていたBrno Metsu にスカウトされカタール入りをし、後の3シーズンをQatar Sports Club でプレーする。アジア大会の登録では1988年生まれの若干18歳となっていたが本当かなぁ….. 16歳でカタール入りしたのか?それならさすが Brno Metsu の眼力と言えるけど… そしてもう一人18歳のFW選手、昨年度の AFC Player of the Year に輝いた Khlfan Ibrahim は帰化人選手でない。昨年のアジア大会にも出場。初戦のイラク戦はベンチ、第二戦のウズベキスタン戦も28分間の出場に終わったが第三戦のUAE戦から決勝戦までスタメン出場を果たし、得点こそなかったがチームの優勝に貢献した事は間違いなかった。所属先の Al-Saad Doha は今年の ACL にも出場したが Group C の4位に終わっている。第三戦のウズベキスタンの Neftic 戦では途中出場でゴールを決めているが以降ACLでは出場機会がなかった。怪我でもしたのかな?尚この試合で同じくゴールを決めたのがかつて浦和REDSでプレーしたエメルソン(だったと思う)。 2004年にカタールは Gulf Cup で優勝を飾っており、2年後の地元開催のアジア大会の好成績が期待されていた。しかし、アジア大会直後に開催された Gulf Cup では良いところ無く1次リーグ最下位に終わっている。カタールは伝統的に20歳以下の優秀な選手を輩出し続けている。1999年 AFC Young Player of the Year に輝いたのが Al-Arabi Doha 所属のWaleed Hamza そして Waleed Jassem Abdulla と言う現在20歳の将来を嘱望される選手がいるが、それより年齢を重ねると国外で名前を聞かなくなる。それは現在カタール代表の指揮をとる Dzemaludin Musovic 監督はこう分析する。 カタール人の習性カタールは国土が狭く、人口も少ないが原油産油国なので国が潤っている。したがってハングリーさが大変低く、上手くなろうと言う貪欲さが年齢を重ねるにつれて薄れて来る。Waleed Jassem は今は Al Rayyan のベンチを温めている。しかし、それは彼のサッカーに取り組む姿勢にも問題があった為だ。 外国人選手最近カタールリーグでは全盛期を過ぎたかつてのスーパースターがやってきてリーグを盛り上げようとしているが、それで若い選手の出番が激減している。 選手がFW嗜好過ぎる上記した選手達は全てFWの選手ばかり。MF,DFをだれもやりたがらない。これでは強いチームは構築できない。だからAhmed Mohamed Saqr ( GK ) そして主将の Koni Abdula Obaid ( 中盤 ) をセネガルから輸入したのか?? だが原因は他にあると私は踏んでいる。それは一時疑惑がもたれていた年齢詐称疑惑だ。アラブ系の選手は東洋系の選手と異なり年齢が顔に出にくい。それに日本の様に戸籍法がしっかりしてない国がこの地域にはあり、本人ですら実際の年齢がわからない時があるらしい。FIFA の資料を見ても1980年代の何人かのカタール選手の生年月日が不明だ。しかしそれらを割り引いても対カタール戦となるとどうも日本は分が良くない様だ。ロス五輪予選 ( 1-2 )、バルセロナ五輪予選 (0-1 ) では敗れており、1994年広島でのアジア大会ではカタールの派遣した五輪チーム相手にKAZU, 井原らを擁したA代表がようやく引き分けた。1980-90年代初旬までのアジアでの U-20, U-17 の直接対決ではもっと負け越していたのではないか?アジアカップではUAEとグループ2位を争うと見られているが、初戦で日本が大苦戦する事も充分に考えられる。それとも Musovic カタール監督はアジア大会でも粉砕した第二戦の UAE 戦に照準を絞って来るのだろうか?? Musovic 氏とオシム監督は旧知も仲らしいが….. だけど、今日のオシム発言 “日本がタイトルを取れないであろう1000の客観的な理由云々..” をサイトで見てみると彼に同情を禁じ得ないなぁ….. 今年はアジアカップそして大切な五輪予選でカタールと同じ組になった。昨年末スピードに乗って相手ゴールを急襲し続けた若いカタール選手達に最終ラインを切り裂かれない事を祈るよ………



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