歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

東京都体育館は40数年の時が流れ四角から丸く変わっていました

2015年05月21日 | 東京の風景
前回の続きです。

新国立競技場の解体現場を後に周囲を彷徨きます。

何を隠そう、今回の彷徨きには目的があるのです。目的があって歩き廻るのは彷徨くとは云わんか?

目的とは、首都高の出入り口と、その付近の様子と、姪の住むマンションへの経路と、その付近の様子を探るのが、今回のミッション?の目的なのです。

双子ちゃんに会いに、93歳の母を車で連れて来る為の下見なのです。私も65歳の高齢者、寄る年波には勝てないのです。

中央高速に繋がる4号新宿線ですが、昔、勤め先の関係で、幡ヶ谷料金所を上がったり下りたりしていたのですが、外苑は通過するだけで、付近の状況が分からないので不安なのです。

知らない土地でも、地方の田舎道であれば、それは問題無いのですが、大都会東京のど真ん中で、ウロキョロは、とても、とても、危険なのです。

と、云う事で、先ずは、首都高の出入り口を目指します。

見えて来ました。


ここは、出入り口ではなく、入り口専門のようです。それにしてもです。この案内標識は、いったい、ぜんたい、どうなっているのか?知っている人には必要なし、でも、しかし、必要としている人には、一端車を道路脇に停車して、じっくり、しっかり、眺めないと、何のコッチャ?となります。 

※帰宅後に地図を改めてじっくり眺めたら、下り線の外苑出口は信濃町駅の側、外苑東通りに出口がありました。今回は、いろいろあって事前調査不足。

ゴチャゴチャ標識に文句を云いつつ、信濃町方面を目指します。駅らしき建物が見えて来ました。意外と近い。


信濃町駅です。線路は谷底?を走っていろので、何か駅舎ぽっく見えません。


首都高と中央線。彼方には新宿副都心。


右手、慶応病院の脇を歩きます。


緩やかな坂道、後ろをふり返ると、こんな風景。


下り坂を右にカーブして、付き当たった先に、新宿御苑の裏門?


この建物、何か、とても、宗教関係的な匂いを漂わせています。信濃町と云えば、あの関係の建物と思ったら、やっぱり、創価国際友好会館別館の看板を発見。ホント、独特のデザイン。


別館の先、中央線のガードをくぐります。


首都高の出入り口を発見。


それにしても、このお家、ツタが絡まり、周囲の景観とは、とても、とても、異質な空間、もしかして、だけど、異界への入り口?


隣は下り線専用の入り口。


“東京体育館”の裏側を歩いています。昔は“東京都体育館”と、云っていたような気がします。もしかして?私だけが云ってた? こちら、彼の有名なテニスの壁打ち場。


何か、昔は、この壁が、もっと、もっと高かった気がするのですが、もしかして、別の場所にもっと高い壁が? それにしても、テニス壁打ち練習場との表示がありました。昔は、勝手にやっていて、柵などありませんでした。


壁打ち施設の先を右に折れ、東京体育館の柵に沿って歩きます。


左手、マンションのベランダには洗濯物が、ひっそりと、隠れるように干されています。もっと、もっと高く掲げて陽の光を、いっぱい、いっぱい、浴びさせてやりたい!と、オジサンは思ったのです。都会では洗濯物も、それなりに苦労しているようです、


右手には体育館らしき建物。


そして、東京体育館の全景です。見た瞬間に違う!と叫び(こころの中で)ました。こう云うんじゃないのです。昔は、四角かったのです。見るからに体育館的な建物だったのです。


高速下の千駄ヶ谷の駅、これは昔と変わりません。


しかし、この体育館と云い、

※何か、新国立競技場とデザインが似ているような?気がしないでも無い。この手の施設はそれなりに、こう云うデザインになる時代的傾向があるの?

こちらの風景と云い、


昔とは、違うのです。そきほどから、むかし、むかし、を連発していますが、昔とは、今からたった40数年前のことです。

調べてみたら、体育館は今から29年前1986年(昭和61年12月)に工事が始まり、1990年(平成 2年)に新装開館していたのです。建て替えではなく、改築なのでした。

と、云うことで、むかしとは、いろいろ変わった、と、云う、お話でした。

こちら、本日の歩いたあたりの地図。


高速の出入り口確認はできませんでしたが、周囲の様子とか、昔との違いとか、それなりに確認することができました。


それでは、また。

コメント (1)
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