歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

「七ツ海」という関取がいました!

2007年02月14日 | 相撲の話し
窓の外は雨です。昨日、「お天気キャスター」の「梢ちゃん」が、「明日は雨ですが暖かい」と云っていたような気がします。

けれど、今日は「寒い」です。雨の降る「寒い」日は、「炬燵」に入って「ボォーット」としているのが「最高」ですね。

「ボォーット」していたら、先日の「法事」の事を思い出したのです。寺の住職が「何故」か、「七ツ海」の事を話題にしたのです。

「七ツ海」の家は寺の近くにあり「檀家」なのです。その場で、「七ツ海」に「会った」経験があるのは私だけです。

会ったのは「5~6才」の頃と母から聞いています。東京に住んでいる頃、家に来たのです。周りは大変な「騒ぎ」だったそうです。それと、「蔵前」国技館に相撲を観に行った「ような気」もします。

七ツ海は「12人」兄弟で、下から2番目の「弟」が「一時」、親爺の「自動車修理工場」で働いていたので、「その関係」で家に来たのでしょう。

2回会ったことになる訳ですが、後年(中学生の頃?)話しを聞かされたことで、自分の中に「おぼろげ」な記憶が「あるような」な「気」がするだけで、その時の「記憶」が「残って」いるのか、話しを聞かされた「時点」で「作られた」二次的な「記憶」なのかは「ハッキリ」しません。

家に来た時なのか、国技館の時なのか、「抱きかかえられた」ような「ボンヤリ」とした記憶があります。

それで、今日、ネットで調べてみたのです。七ツ海は「立浪部屋」の力士で、丁度、「栃錦」「若ノ花」、「栃若時代」の「後半」の頃の力士です。



昭和27年の秋場所に「十両」に昇進していました。昭和28年秋場所で、東十両3枚目で10勝5敗と勝ち越し、次の年の初場所に「幕内」に昇進し、一年間、幕内を勤めていました。この頃は年4場所でした。

私の記憶では「幕内は2場所程度」だと思っていたのですが、一年間は頑張ったようです。昭和29年の秋場所、東前頭16枚目で3勝5敗7休場で、翌年に十両陥落。

その後は、23場所十両を務め、昭和34年の名古屋場所、西十両13枚目で、3勝12敗で幕下に陥落。翌場所は「全休」して「引退」しました。

7年間も「関取」だったのですから「立派」ものです。知らなかった。

それと、引退後は「葛飾区」の何処かで、「焼き鳥屋さん」をやっていると聞いた事があるのですが、大夫前に亡くなったと聞きました。

調べてみたら平成6年(1994年)12月24日に67歳で亡くなっていました。

それでです。驚いたことに「焼き鳥屋さん」なんですが、今でもあるのです!


「ちゃんこ鍋屋さん」になっていました。京成「立石駅」のそばにあり、店内には「七ツ海」の「写真、手形、番付表」が飾られているそうです。

きっと、「娘さん」か「息子さん」が「お店」を継がれたのでしょう。これはもう「ちゃんこ鍋」を食べに、「絶対」ニ行かないとなりません。

今から、楽しみですね!。どんな店で? どんな人が? どんな「ちゃんこ鍋」を食べさせてくれるのか・・・・・・。

いつ行くかなァ~・・・・・・。 ホント楽しみ 


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