歩く・見る・食べる・そして少し考える・・・

近所を歩く、遠くの町を歩く、見たこと食べたこと、感じたことを思いつくままに・・・。おじさんのひとりごと

志村坂下・蓮根町 ① 都営三田線に生まれて初めて乗って高島平へ!そして生まれ故郷の蓮根町を巡り歩きます!

2017年01月09日 | 東京の風景

行って来ました、歩いて来ました、見て来ました、食べて来ました、そして、想いを巡らしてして来ました。

久しぶりの東京歩きで、そして、ふるさと歩きです。

5日の誕生日に思い立ったのです。

そうだ!生まれた町を歩いてみよう!

そして、7日の土曜日、東京に向かいました。

常磐線から山手線に日暮里駅で乗り換えです。この鉄板の屋根を支える支柱にレールが使われているのです、石垣から張り出したこの感じがとても好きなのです。

そして、山手線の入線は、いつも、この位置で待つのです。この“狭っこい”隙間がいいのです。立ち食い蕎麦屋は店仕舞いしたようです。

山手線ホームに立ち食い蕎麦屋は時代遅れ?それとも、経営者が高齢となり後継者も無く店仕舞い? 

それにしても階段下で、蕎麦つゆの匂いは辺りに漂うのですが、遠くからも見えず、場所が悪いのです。味に自信があれば地の利の悪さは問題無いと思うのですが・・・。

兎に角、そば屋店仕舞い問題を、あれやこれやと考えつつ電車を待つのでした。数分して山手線が入線。車内はほぼ空席は無し、立ち客はチラホラ程度の乗車率。

数分で巣鴨駅に到着、階段を上がり、改札を抜け十数メートル歩き階段を下り、十数メートル歩き改札を抜け、また階段を下り、地下鉄都営三田線に乗り換えます。

電車が来る迄、何処で降りるか迷ったのです。私の生まれた“ふるさと”は、駅で云えば蓮根駅、でも、子供のころの埼玉方面の行動範囲は、終点の西高島平駅辺りまで、都心方向は志村坂上辺りまででした。

駅としては、蓮根→西台→高島平→新高島平→西高島平、となっているのです。終点の西高島平の数百メートル先は埼玉県となります。西高島平までは東京の端っこで板橋区なのです。

いろいろ事柄を考慮し熟慮を重ね、降車駅は高島平と決定。地下鉄三田線は、蓮根駅の二つ手前の“志村坂上駅”の先で、国道17号中山道の地下から地上に顔を出し高架となり中山道を離れ、志村三丁目駅→西台駅→蓮根駅で、高島平通りに出るのです。

高架を走る車窓の景色に、昔の想い出を探そうと席を立ち、左のドアの窓から辺りの景色に眼を走らしても、右のドアから眼を走らしても、まったく訳が分からない景色が続くのです。

それにしても、空いている車内で高齢者?のオジサンが右に左にキョロキョロしている様子は、乗客の眼にはかなり怪しく映った事でしょう。でも、そんな事は気にして居られないのです。

兎に角、懐かしいのは、志村坂上とか、志村三丁目とか、蓮根とか、駅のホームの案内看板の文字だけでした。

左右をキョロキョロしているうちに目的地の高島平に到着。

ここまで書いてきて、気が付いたのでした。都営三田線に乗ったのも初めて、高島平駅に降りたのも初めてでした。

この辺り車では何度か通過しているのですが、電車で訪れるのは初めてだったのです。駅周辺の道路際の景色には見覚えがあり、それほど懐かしさは感じないのでした。

高島平団地の反対側の景色は初めてですが、何処となく北千住駅の匂いを感じました。

東京の外れで、駅の周辺で、商店街となれば、何処でもこんな雰囲気なのです。

 昔は、このあたりは、ホントに、ホントに、何も無い原っぱでした。

これより、昔の懐かしい風景を探して、さまよい、うろつき、歩き回ります。

そうでした、懐かしい昔とは、生まれてから小学校の3~4年の頃までの思い出です。

と云う事は、いまから、五十数年前の事となります。

でも、つい最近のような気もするのでした。

それでは、これから、出発です。

今日はこれでお終い。

それでは、また。

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